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第3章 小説家と、空色

(6)寄り道

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 自転車を走らせて本を配達していた絵莉は、さがってきていたマフラーを口もとまで引き上げた。それでも寒い。無防備な耳の先なんかはきんきんに冷えている。

「配達、板についてきましたね」

 カゴの中でお雪さんが言った。こちらはもふもふの毛に覆われているからか、対して寒さは感じていないようだ。うらやましい。

 本の配達も二回、三回とつづけるうちに慣れて、客とも親しくなってきた。「ありがとうねー」と玄関でお菓子をもらってしまうくらいだ。子どものお使いみたいで、すこし恥ずかしい。でも笑顔で本を受け取ってくれるひとを見るとうれしくなる。

「兎ノ書房は、お客さまに恵まれてるなあって思うよ」
「滋さんと恭子さん、彩乃さんがよい店をつくってきた証しです」
「うん。わたしも邪魔にならないよう、がんばらなきゃね。それはそうと、今日はなに食べようかなあ」

 自転車からおりて、なわて通りに向かう。配達のあとは食べ歩きをしながら兎ノ書房まで帰るのが定番になっていた。

「決めた。今日はたい焼き」

 甘い香りがただよってくるのだから、行かない選択肢はない。

 あんこのたい焼きを三つ買った。ひとつはお雪さんに、ひとつは店番をしている彩乃への差し入れにする。この前、絵莉が食べ歩きをしていることを知った彩乃に「わたしのぶんも買ってきてよ!」とすねられてしまったのだ。残ったひとつに、絵莉はさっそくかじりつく。

「うま……っ」

 薄い皮にあんこがぎっしりつまっていて、やわらかな甘さが、口いっぱいに広がった。焼きたてらしく、ほっとこぼした息もあつあつで、白くなって冬空に溶けていく。これで熱いお茶があったら最高だ。

 片手で自転車を押し、片手でたい焼きを食べ、絵莉は女鳥羽川にかかる橋を歩いた。

 お雪さんもカゴの中で目立たないよう気をつけながら、はふはふと食べている。今日は土曜日。観光客が多いから、うさぎがしゃべっているところや、たい焼きを食べているところを見られると噂になってしまう。

 冬の陽ざしにちらちらと川の水が輝いて、清楚な音を奏でながら流れていく。遠くには雪化粧をまとった美ヶ原高原が見えた。川沿いには、なわて通りの長屋の建物が並ぶ。吹き抜ける風は清涼だ。

「いいところだよね、好きだなあ、この街」
「とつぜん、どうしたんです」

 おかしそうに、けれど誇らしさもにじませてお雪さんが笑う。

「いやー、しみじみと感じ入っちゃったからさ」

 父なら、きっとこの風景を写真に残すだろう。絵莉の父は写真が趣味だから。けれど絵莉は、絵に描き残す。

 川面の輝きを、空の青さを、雪の白さを、いまこのときの感情を――白い紙に指先が彩りを加えていく行程が、絵を描く中で一番好きだ。まるでそこに命が宿っていくようだと思う。

 いままで、たくさんの色に触れてきた。感じて、考えて、生み出してきたのだ。その経験が、すこしでも一色の助けになればいい。

 ――よし、今日はがんばろう。
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