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第3章 小説家と、空色

(4)紳士はどっち

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 ご飯も食べ、お風呂にも入ってから、絵莉は二階におりた。暖房もすでに切っているため、つんと肌を刺すような空気が溜まっている。けれど、やさしい蜜色の灯りをともせば、すこしは暖かくなったような気になった。

 本に囲まれ、息を吸う。一冊を抜き出して光にかざした。

「やっぱり、きれいだな。鹿野先生の絵」
「好きですねえ、絵莉さん」

 足もとにいるお雪さんをなでながら、うん、とうなずく。

 空のようにも海のようにも見える、淡い水彩の装画だ。見るひとによって、どう捉えるかは変わるだろう。事実この物語は、空と海を舞台にしたファンタジーだ。どちらに見えても間違いではない。鹿野の手がけた装画の中でも、絵莉の一番のお気に入りだった。

 青は、この物語の象徴的な色。これ以外の表紙はないと思わされる。絵莉が描くとしても、同じ色合いを選ぶだろう。

 ――それに比べると、一色さんの小説は色の印象がないんだよなあ。

 一色には、小説のデータを絵莉のパソコンに送ってもらった。物語の終わりまで改めて読んでみたが、もし装画を描くならと考えてみても、使いたい色がぱっと浮かんでこない。

 それは、街の小さな図書館からはじまる物語だった。

 ある日、小学五年生の女の子が、本に挟まった手紙を見つける。手紙の内容は、だれかに宛てた別れのあいさつ。届けてあげたい、と女の子は手紙の書き手と送り先を探しはじめる。途中、幼なじみやクラスメイトにも手助けされながら、手紙に隠された真実を知って――。

 別れの手紙、というテーマから寂しさがただようけれど、読み終えたときには胸にやさしさが満ちる。読んでよかったと目を閉じて余韻に浸りたくなるような物語だった。

 別れても、離れていても、つながっている。物語の結末でたどり着くのがその想いだからこその、あたたかさだろう。

 だけど色はと聞かれれば、答えられない。

「うまいんだよ。出版されてても不思議じゃないと思う……けど、なんか物足りない」
「水墨画のよう、でしたか」
「そう。わたしは好きなんだけどね。真っ白な紙に、墨色だけが広がっているのも」
「一色さんだけに、黒一色の世界というわけですね」
「……おじさんみたいなこと言わないで」

 絵莉はぶるっとふるえる仕草をする。親父ギャグも使いこなす白うさぎだ。この寒いときに、さらに寒いことを言わないでくれ。

 絵莉は畳に寝転がる。畳も夜の気配に冷やされていて、ひやりとした。

「一色さん悩んでるし、どうにかしてあげたいんだけど。小説の執筆についてわたしが言えることなんてないよ。ねえ、どうすればいいかな、お雪さん」
「さて、あんな男のことは知りません」

 お雪さんは、つんとそっぽを向いた。そんなもふもふの頬を絵莉は両手で挟んで、自分のほうへ向かせる。

「もう、お雪さんってば一色さんに冷たすぎ」
「絵莉さんに恋人なんて許しません」
「だから、べつに好きじゃないし。美形だなあって思ってるだけだよ。一色さんに失礼だから、その態度はやめなさい」

 ぶう、とお雪さんが低く鼻を鳴らす。絵莉もぶすりと顔をしかめる。ふたりして睨み合い、先に折れたのはお雪さんだった。ため息をついて、ぼそぼそとつぶやく。

「だって絵莉さん、紳士的な男性が好みでしょう」
「え?」
「幼少のころから言っていましたよ。やさしくて、紳士的で、王子さまみたいな男性と結婚したいと」

 王子さまって、いつの発言だ。絵莉の頬にじわっと朱が広がる。そんなメルヘンなことを言っただろうか。覚えていない。でも言っていたなら、恥ずかしい。

「王子かどうかはわかりませんが、一色さんは、やさしいし紳士的と言えるでしょう。絵莉さんの好みじゃないですか」
「まあ……、タイプではあるけど」

 はあああ、とこれ見よがしにお雪さんがため息をついた。

「むかしの絵莉さんは、『やさしくて紳士的なのは、お雪さんだね。わたし、お雪さんと結婚する!』と言ってくれていたのに……」
「え、待って。そんなこと言った?」
「言いました」
「……よし、忘れよう、お雪さん」
「嫌です」

 一刀両断されて、絵莉は頭を抱える。

 お雪さんは家族だ。絵莉にとっては、親戚のお兄さんのような、おじさんのような、おじいちゃんのような、お父さんのような、お母さんのような……、ひと言では表しにくいのだけど、とにかく家族なのだ。子どものとき年上の親戚にあこがれるのは、きっと、よくあることだろう。でも、たいていそういうのは恥ずかしい過去になる。いま、絵莉は猛烈に恥ずかしい。

 ――美声だからなあ。うさぎのくせに、紳士的なのはまちがいないし。あこがれちゃったんだろうなあ、むかしのわたし。

 羞恥にもだえる絵莉をよそに、お雪さんは悔しそうに床をだんだんと蹴る。
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