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やな

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愛してる

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「ごめん」

まるで何かに切られたような、そんな途切れた声だった。


いつも前を向いていた彼の視線が、下を向く。地面なんて見ても意味がないのに───もう、これまでになる現実には、当たり前のように戻れないのに。

どうして私と向き合ってくれないんだろう。


そう率直に思う、夜更けを通り過ぎた午前4時。普段は他人の海のようになって 様々な音が聞こえてくるこの場所が、今は当然のように静かで、私の心臓の音が響いて聞こえているんじゃないかと不安になる。

服の擦れる音が反響したかと思うと、彼の力の入った指の先が キャリーバッグの持ち手に伝わっていた。
この空気や場所が本物なんて、信じたくない。
そのせいか、小さな動作の音が響くと、より一層現実味を増す気がして嫌だった。

〝リアルな夢だったな〟〝怖かったな〟って、小学生の母親に縋り付くアノ気持ちで終わってくれれば、それ以上は望まないし──いや、そんな気持ちで終わるはずはない。だから、もしかすると望むかもしれないけど、とにかくこれが現実じゃないって事を証明してほしいだけ。

マスクと眼鏡をしているからか、白い息で眼鏡が度々曇る。その度に彼は優しく微笑んでいた。
でも、こんな空気を味わってからの表情は、ここに来た時のあの悲しそうな表情に良く似たままピクリとも動かなくなっていた。


タイムリミットに焦る気持ちを何とか落ち着かせようと、視線を彼の顔だけに向ける。
暗い色に包まれた彼は、息をゆっくりと吐いて───

「突然で、本当にごめん。」

案外落ち着いた声で、私の目を見た。

夢じゃないって事にいつまでも向き合えない私を、静かに撃ち抜くように。


「今更……謝られて、も」

棘の入った言葉なんて、言うつもりはなかった。
彼には謝るしか手段がない事も知っていた。
でも、パンパンに膨らんだ風船のような空気に棘を刺して、早く抜け出したかったんだと思う。
一歩引いた足が、それを証明していた。

私は、そのまま続きそうな言葉をひゅっと飲み込む。突っかかるものすらない。
天気予報では、明日の夕方頃には雪が降ると言っていた。
クリスマスも、正月も、その先も一人ぼっちか。
つい、視線が下を向いた。

彼は悲しい顔をして、私を見る。
言葉も声も、さらには空気まで止まったように思えた。


私は彼の隣にいるべき人じゃなかったのかもしれない。
これ以上も、これ以下も、彼と私の繋がりはもうないと断言できた。


なぜなら、空気を震わせて、今の時間が午前四時だとも知らないで、騒音と化した電車がやってきたからだ。
手足の指を合わせて数えても足りない程に人を轢いたであろう電車が、罪もなくいつも通りここに居られる事を何度憎んだだろうか。

──もし、電車に罪が課せられたなら。

ここに電車が来る事は無くて、彼がこの街からいなくなる事も、真っ白なコピー用紙のようになったと思う。
まだ電車は騒音としてこの街を震わせているはずなのに、

「大丈夫だよ。……また、会えるから」

確証もなく言う彼の声は、はっきりと聞こえた。
ほら、いつもの癖だ。
こんな時にも関わらず、彼は確証もなく〝大丈夫〟と言って私を励ます。

この先の私が大丈夫じゃないなんてこと、貴方にだって分かるはずでしょ?

安心して、落ち着けて、耳に残るこの声に無性に苛ついた。
もうこの声が聞ける日なんて来ないのにな。


掻き消して欲しかった弱々しい声と一緒に、涙が音もなく溢れていく。
結局は、こうだ。

私は、彼に手が届かない。

「……待ってよ、まだ───」

ぽろぽろと溢れてくる涙と比例して、心の中に沈んだ言葉が浮かび上がる。
眼鏡をしているせいか、視界がはっきりと滲んだ。
輪郭しか見えず、色しか見えず。
貴方の表情は、ほぼ読み取れなかった。

すると、
〝自慢の音を邪魔するな〟と私の声に腹を立てた電車は、さっきよりも音を大きくして目の前に停まった。
私だって好きで泣いているわけじゃない。

そろそろ嘘だって、ドッキリだって、悪戯だって言ってくれたって構わないのに、彼は電車に乗り込んだ。



ハッと目覚めた頃には冷や汗が出るだろうから、貴方が優しく笑いかけて。

悪い夢を見たと言ったら、貴方が大丈夫と言って抱きしめて。

それでも、まだ私が泣いていたら、
まだ私がそこにいたら───

「愛してる」

そう言って、額にキスをして。
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