上 下
25 / 41
第二章 存在の証明

憧れの存在

しおりを挟む
「私って中学の頃、どんな感じだった……?」

 絵筆を止めた翔琉の視線が、キャンバスから晴陽に移った。

 心臓移植前の晴陽をこの学校で唯一知っている翔琉に、客観的に見た『逢坂晴陽』について聞いてみることにしたのだ。

「何、急に。昔の話すんの嫌がるのに、自分から振ってくるなんて珍しいじゃん」

「まあ、たまにはね。クリエイターにはいろんな角度からの刺激が必要ですから」

 取ってつけたような浅い言い訳を、翔琉はどう思ったのだろうか。晴陽の本心や恐れに気づいているかどうかは彼の表情から読み取ることは難しかったが、

「……あー、ムズッ! ここのガラス瓶の光の反射が上手く描けなくてさー。どうやって描けばいいと思う?」

 そう言ってキャンバスの中に描かれているラムネ瓶を指差した。
 
 部活動の日であっても諏訪部先生は滅多に美術室に来ないため、晴陽が翔琉に教えることが慣習化している。だが、今このタイミングで指導を頼まれる意味はなんだろう。キリが悪いときに話しかけてしまったか、それとも、話をしたくなくてはぐらかされたか。

「うーん……ガラスの厚みをもっと考えた方がいいかも。瓶は底の部分が一番厚いから、その分光の屈折率が大きくなるでしょ? 屈折するほど、ガラス越しに見える向こう側は歪むってことを意識するといいよ」

「おー、あんがと。やってみる。……中一で病気になって学校に来られなくなった影響も多いと思うけど……逢坂って元々友達が多いタイプじゃなかっただろ? だんだん皆に忘れられていってかわいそうだなーって思ってた」

 話を逸らされたかと思っていたら急に切り込んできたから、晴陽にとっては洒落にならない比喩なのだが、心臓が止まりそうになった。

 気がつけば、翔琉は持っていた絵筆を置いて体ごと晴陽に向き直っていた。

「二年生に進級する前、皆でお前に応援の色紙と千羽鶴を贈ったの覚えてるか? おれもその中の一人だったんだけど、マジで超大変だった」

「私にクレーム入れられても困るよ」

「はは、悪い。で、おれクラス委員長だったから逢坂の家まで色紙と鶴と届けに行ったじゃん? 喜んでくれたお母さんに家に上がらせてもらったとき、居間に飾っていたお前の絵を見たわけよ。そのとき……人生で初めて、絵で感動したんだよな」

 翔琉はいつもこうやって、真正面から晴陽の絵を称賛してくれる。

 病気を発症してからはいろいろ諦めることが多かった晴陽が、幼い頃から継続してきたことは絵しかない。言い換えれば、絵だけが生きてきた証みたいな晴陽にとって、絵を褒められるのは何よりも嬉しいことだった。

「昔から絵を描くのは好きだったけど、病気になってからは描くことくらいしか娯楽がなかったからね。毎日長時間描き続けたおかげで上手くなれたのかもしれない」

「映画観たり読書したり、スマホ弄ったりゲームしたりとかさ、ベッドの上でできる娯楽なんて今の時代たくさんあるじゃん。それでも、逢坂は絵を描くことを選んで、描き続けた。……居間に飾られていた物凄く瑞々しい風景画を見て、おれはお前の絵のファンになった。おれもこんな絵を描いてみたいと思って……柄じゃないなと思ったけど、お前と同じ高校に行って、美術部に入ろうって決めたんだ」

「……ホントに?」

「少しくらいは自惚れろって。おれみたいなのが急に美術部だぞ? でもさ、逢坂が学校に戻って来てから描いた絵は雰囲気が違ってた。上手いんだけど、なんていうか……お前の絵じゃなくなってた」

 翔琉は核心を突くような発言をして、晴陽を指差した。

「それに逢坂って大人しかったのにやたらうるさい奴になっていたし、意図的に変わろうとしたわけじゃないなら、たぶんだけど心臓移植の影響なのかなーって。なあ、これって今逢坂が悩んでいることなんじゃないか?」

 思わず息を呑んだ。翔琉の洞察力はもはや、エスパーに近い領域ではないか?

「……久川って、何者? ただのチャラ男じゃなかったの?」

「いつもうるさくてドン引きするくらい前向きな憧れの人の様子が変だったら、バカなおれだってちょっとは察するっしょ」

 得意気に笑う翔琉につられて、ようやく晴陽も頬を緩めることができた。

「久川はさ、今の私の絵は好きじゃない?」

「上手いと思うし、感心もする。でも強烈に心が惹かれるわけじゃないって感じかな。でもおれが昔の絵柄の方が好きってだけで、人間って変わるものだから別に悪いことじゃないと思う。おれも七三分けでスーツ着て真面目に働くリーマンになるかもだし。でもまあ、逢坂に思うところがあるんだったら、今みたいに過去を振り返ってみるのもいいんじゃん?」

 あっけらかんと答える翔琉の意見は、凌空や蓮、そして晴陽ですら持っていなかったごく当たり前の視点で、単純だからこそ救われたような気持ちになった。

「……うん。ありがと、久川」

「おう。次からは有料だからな?」

 そう言ってキャンバスに視線を戻した翔琉が描いているのは、今まで彼が手を出してこなかった写実絵画だった。

 自分が興味を持ったものに対しては積極的に挑戦していく翔琉の姿に、晴陽は大いに刺激を受けた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

就職面接の感ドコロ!?

フルーツパフェ
大衆娯楽
今や十年前とは真逆の、売り手市場の就職活動。 学生達は賃金と休暇を貪欲に追い求め、いつ送られてくるかわからない採用辞退メールに怯えながら、それでも優秀な人材を発掘しようとしていた。 その業務ストレスのせいだろうか。 ある面接官は、女子学生達のリクルートスーツに興奮する性癖を備え、仕事のストレスから面接の現場を愉しむことに決めたのだった。

若妻の穴を堪能する夫の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

思い出を売った女

志波 連
ライト文芸
結婚して三年、あれほど愛していると言っていた夫の浮気を知った裕子。 それでもいつかは戻って来ることを信じて耐えることを決意するも、浮気相手からの執拗な嫌がらせに心が折れてしまい、離婚届を置いて姿を消した。 浮気を後悔した孝志は裕子を探すが、痕跡さえ見つけられない。 浮気相手が妊娠し、子供のために再婚したが上手くいくはずもなかった。 全てに疲弊した孝志は故郷に戻る。 ある日、子供を連れて出掛けた海辺の公園でかつての妻に再会する。 あの頃のように明るい笑顔を浮かべる裕子に、孝志は二度目の一目惚れをした。 R15は保険です 他サイトでも公開しています 表紙は写真ACより引用しました

勝負に勝ったので委員長におっぱいを見せてもらった

矢木羽研
青春
優等生の委員長と「勝ったほうが言うことを聞く」という賭けをしたので、「おっぱい見せて」と頼んでみたら……青春寸止めストーリー。

処理中です...