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第二章 存在の証明
憧れの存在
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「私って中学の頃、どんな感じだった……?」
絵筆を止めた翔琉の視線が、キャンバスから晴陽に移った。
心臓移植前の晴陽をこの学校で唯一知っている翔琉に、客観的に見た『逢坂晴陽』について聞いてみることにしたのだ。
「何、急に。昔の話すんの嫌がるのに、自分から振ってくるなんて珍しいじゃん」
「まあ、たまにはね。クリエイターにはいろんな角度からの刺激が必要ですから」
取ってつけたような浅い言い訳を、翔琉はどう思ったのだろうか。晴陽の本心や恐れに気づいているかどうかは彼の表情から読み取ることは難しかったが、
「……あー、ムズッ! ここのガラス瓶の光の反射が上手く描けなくてさー。どうやって描けばいいと思う?」
そう言ってキャンバスの中に描かれているラムネ瓶を指差した。
部活動の日であっても諏訪部先生は滅多に美術室に来ないため、晴陽が翔琉に教えることが慣習化している。だが、今このタイミングで指導を頼まれる意味はなんだろう。キリが悪いときに話しかけてしまったか、それとも、話をしたくなくてはぐらかされたか。
「うーん……ガラスの厚みをもっと考えた方がいいかも。瓶は底の部分が一番厚いから、その分光の屈折率が大きくなるでしょ? 屈折するほど、ガラス越しに見える向こう側は歪むってことを意識するといいよ」
「おー、あんがと。やってみる。……中一で病気になって学校に来られなくなった影響も多いと思うけど……逢坂って元々友達が多いタイプじゃなかっただろ? だんだん皆に忘れられていってかわいそうだなーって思ってた」
話を逸らされたかと思っていたら急に切り込んできたから、晴陽にとっては洒落にならない比喩なのだが、心臓が止まりそうになった。
気がつけば、翔琉は持っていた絵筆を置いて体ごと晴陽に向き直っていた。
「二年生に進級する前、皆でお前に応援の色紙と千羽鶴を贈ったの覚えてるか? おれもその中の一人だったんだけど、マジで超大変だった」
「私にクレーム入れられても困るよ」
「はは、悪い。で、おれクラス委員長だったから逢坂の家まで色紙と鶴と届けに行ったじゃん? 喜んでくれたお母さんに家に上がらせてもらったとき、居間に飾っていたお前の絵を見たわけよ。そのとき……人生で初めて、絵で感動したんだよな」
翔琉はいつもこうやって、真正面から晴陽の絵を称賛してくれる。
病気を発症してからはいろいろ諦めることが多かった晴陽が、幼い頃から継続してきたことは絵しかない。言い換えれば、絵だけが生きてきた証みたいな晴陽にとって、絵を褒められるのは何よりも嬉しいことだった。
「昔から絵を描くのは好きだったけど、病気になってからは描くことくらいしか娯楽がなかったからね。毎日長時間描き続けたおかげで上手くなれたのかもしれない」
「映画観たり読書したり、スマホ弄ったりゲームしたりとかさ、ベッドの上でできる娯楽なんて今の時代たくさんあるじゃん。それでも、逢坂は絵を描くことを選んで、描き続けた。……居間に飾られていた物凄く瑞々しい風景画を見て、おれはお前の絵のファンになった。おれもこんな絵を描いてみたいと思って……柄じゃないなと思ったけど、お前と同じ高校に行って、美術部に入ろうって決めたんだ」
「……ホントに?」
「少しくらいは自惚れろって。おれみたいなのが急に美術部だぞ? でもさ、逢坂が学校に戻って来てから描いた絵は雰囲気が違ってた。上手いんだけど、なんていうか……お前の絵じゃなくなってた」
翔琉は核心を突くような発言をして、晴陽を指差した。
「それに逢坂って大人しかったのにやたらうるさい奴になっていたし、意図的に変わろうとしたわけじゃないなら、たぶんだけど心臓移植の影響なのかなーって。なあ、これって今逢坂が悩んでいることなんじゃないか?」
思わず息を呑んだ。翔琉の洞察力はもはや、エスパーに近い領域ではないか?
「……久川って、何者? ただのチャラ男じゃなかったの?」
「いつもうるさくてドン引きするくらい前向きな憧れの人の様子が変だったら、バカなおれだってちょっとは察するっしょ」
得意気に笑う翔琉につられて、ようやく晴陽も頬を緩めることができた。
「久川はさ、今の私の絵は好きじゃない?」
「上手いと思うし、感心もする。でも強烈に心が惹かれるわけじゃないって感じかな。でもおれが昔の絵柄の方が好きってだけで、人間って変わるものだから別に悪いことじゃないと思う。おれも七三分けでスーツ着て真面目に働くリーマンになるかもだし。でもまあ、逢坂に思うところがあるんだったら、今みたいに過去を振り返ってみるのもいいんじゃん?」
あっけらかんと答える翔琉の意見は、凌空や蓮、そして晴陽ですら持っていなかったごく当たり前の視点で、単純だからこそ救われたような気持ちになった。
「……うん。ありがと、久川」
「おう。次からは有料だからな?」
そう言ってキャンバスに視線を戻した翔琉が描いているのは、今まで彼が手を出してこなかった写実絵画だった。
自分が興味を持ったものに対しては積極的に挑戦していく翔琉の姿に、晴陽は大いに刺激を受けた。
絵筆を止めた翔琉の視線が、キャンバスから晴陽に移った。
心臓移植前の晴陽をこの学校で唯一知っている翔琉に、客観的に見た『逢坂晴陽』について聞いてみることにしたのだ。
「何、急に。昔の話すんの嫌がるのに、自分から振ってくるなんて珍しいじゃん」
「まあ、たまにはね。クリエイターにはいろんな角度からの刺激が必要ですから」
取ってつけたような浅い言い訳を、翔琉はどう思ったのだろうか。晴陽の本心や恐れに気づいているかどうかは彼の表情から読み取ることは難しかったが、
「……あー、ムズッ! ここのガラス瓶の光の反射が上手く描けなくてさー。どうやって描けばいいと思う?」
そう言ってキャンバスの中に描かれているラムネ瓶を指差した。
部活動の日であっても諏訪部先生は滅多に美術室に来ないため、晴陽が翔琉に教えることが慣習化している。だが、今このタイミングで指導を頼まれる意味はなんだろう。キリが悪いときに話しかけてしまったか、それとも、話をしたくなくてはぐらかされたか。
「うーん……ガラスの厚みをもっと考えた方がいいかも。瓶は底の部分が一番厚いから、その分光の屈折率が大きくなるでしょ? 屈折するほど、ガラス越しに見える向こう側は歪むってことを意識するといいよ」
「おー、あんがと。やってみる。……中一で病気になって学校に来られなくなった影響も多いと思うけど……逢坂って元々友達が多いタイプじゃなかっただろ? だんだん皆に忘れられていってかわいそうだなーって思ってた」
話を逸らされたかと思っていたら急に切り込んできたから、晴陽にとっては洒落にならない比喩なのだが、心臓が止まりそうになった。
気がつけば、翔琉は持っていた絵筆を置いて体ごと晴陽に向き直っていた。
「二年生に進級する前、皆でお前に応援の色紙と千羽鶴を贈ったの覚えてるか? おれもその中の一人だったんだけど、マジで超大変だった」
「私にクレーム入れられても困るよ」
「はは、悪い。で、おれクラス委員長だったから逢坂の家まで色紙と鶴と届けに行ったじゃん? 喜んでくれたお母さんに家に上がらせてもらったとき、居間に飾っていたお前の絵を見たわけよ。そのとき……人生で初めて、絵で感動したんだよな」
翔琉はいつもこうやって、真正面から晴陽の絵を称賛してくれる。
病気を発症してからはいろいろ諦めることが多かった晴陽が、幼い頃から継続してきたことは絵しかない。言い換えれば、絵だけが生きてきた証みたいな晴陽にとって、絵を褒められるのは何よりも嬉しいことだった。
「昔から絵を描くのは好きだったけど、病気になってからは描くことくらいしか娯楽がなかったからね。毎日長時間描き続けたおかげで上手くなれたのかもしれない」
「映画観たり読書したり、スマホ弄ったりゲームしたりとかさ、ベッドの上でできる娯楽なんて今の時代たくさんあるじゃん。それでも、逢坂は絵を描くことを選んで、描き続けた。……居間に飾られていた物凄く瑞々しい風景画を見て、おれはお前の絵のファンになった。おれもこんな絵を描いてみたいと思って……柄じゃないなと思ったけど、お前と同じ高校に行って、美術部に入ろうって決めたんだ」
「……ホントに?」
「少しくらいは自惚れろって。おれみたいなのが急に美術部だぞ? でもさ、逢坂が学校に戻って来てから描いた絵は雰囲気が違ってた。上手いんだけど、なんていうか……お前の絵じゃなくなってた」
翔琉は核心を突くような発言をして、晴陽を指差した。
「それに逢坂って大人しかったのにやたらうるさい奴になっていたし、意図的に変わろうとしたわけじゃないなら、たぶんだけど心臓移植の影響なのかなーって。なあ、これって今逢坂が悩んでいることなんじゃないか?」
思わず息を呑んだ。翔琉の洞察力はもはや、エスパーに近い領域ではないか?
「……久川って、何者? ただのチャラ男じゃなかったの?」
「いつもうるさくてドン引きするくらい前向きな憧れの人の様子が変だったら、バカなおれだってちょっとは察するっしょ」
得意気に笑う翔琉につられて、ようやく晴陽も頬を緩めることができた。
「久川はさ、今の私の絵は好きじゃない?」
「上手いと思うし、感心もする。でも強烈に心が惹かれるわけじゃないって感じかな。でもおれが昔の絵柄の方が好きってだけで、人間って変わるものだから別に悪いことじゃないと思う。おれも七三分けでスーツ着て真面目に働くリーマンになるかもだし。でもまあ、逢坂に思うところがあるんだったら、今みたいに過去を振り返ってみるのもいいんじゃん?」
あっけらかんと答える翔琉の意見は、凌空や蓮、そして晴陽ですら持っていなかったごく当たり前の視点で、単純だからこそ救われたような気持ちになった。
「……うん。ありがと、久川」
「おう。次からは有料だからな?」
そう言ってキャンバスに視線を戻した翔琉が描いているのは、今まで彼が手を出してこなかった写実絵画だった。
自分が興味を持ったものに対しては積極的に挑戦していく翔琉の姿に、晴陽は大いに刺激を受けた。
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