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Lesson4 重なる二人の想い出

STEP⑥ 誕生日と夏の風物詩

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 八月二十一日。今日は特別な日である。海香ちゃんの産まれた日だ。
 夕方でもまだ暑い。地面が太陽の熱を吸収し、日が落ちる頃にその熱を一気に放出しようとしているせいだろう。これなら冷房の効いた事務所にいた方が良かったかもしれない。だが、もう少しの辛抱だ。俺の部屋に行けばエアコンがあるのだ。
 最近、俺はエアコンを買い替えた。一週間前、俺の部屋のエアコンが故障してしまったのだ。大家さんに電話して修理の手配を頼んだが、業者さんが見た所、エアコンの冷暖房の肝となる部品が激しく劣化していたらしい。たとえ交換したとしてもまた壊れる可能性が高く、もう買った方が値段も安く済むと説明された。
 その話を業者さんが大家さんに通してくれ、大家さんから五万円以内なら八割を大家さん側で負担できるということだった。俺はその話に乗り、エアコンを一度電気店で買い、領収書の入った封筒を大家さんの住所へ送った。そうすれば、通帳にエアコン代の八割がカムバックするという仕組みだ。
 これがなければ海香ちゃんの誕生日プレゼントが貧相な物になっていたに違いない。海香ちゃんに誕生日プレゼントは何が欲しいかいたら、高級ブランドで有名なウィンディーのイヤリングと無邪気に言われてしまった。
 うん……。さすがに無理だ。
 丁重に他をきだそうとしたが、唸りながら考え込んだ後、「うちが欲しそうなもん買ってきて」と言われてしまった。なんで女の子はこうも人任せなんだろう。いざプレゼントあげたら文句を言うし、言わなかったとしてもいらないと思ったらいつの間にか換金したり、無くしてたりするくせにさ……。
 こんなことを海香ちゃんに言ったら「亨二さんのアホ!」と罵倒しながら馬乗りになって、俺の頭はリンチされるだろう。こう思うには当然前科があるからだ。

 以前、海香ちゃんと焼き肉を食べに行った帰りに海香ちゃんが「お腹パンパンやわー」と言っていたので、「明日になったらハムスターみたいにぶよぶよになってるかもね」とちょっと冗談を言ったつもりだったのだが、怒った子供のように喚き散らした後、口を利いてくれなくなったことがあった。
 俺は平謝りに徹したが、必死にフォローしているつもりが変なフォローをしていたらしく、それが海香ちゃんの怒りの炎に油を注いでしまい、馬乗りで動けなくしてから俺の頭をサンドバッグ状態にしたのだ。まあ、力が弱いのもあって助かっているから、まだ可愛い物である。
 凶暴な猫被り女ならこうはいかない。辞書やいかにも怪我しそうなプラスチック製のファイルとかを容赦なく投げてくるのだ。俺はこういう修羅場を潜り抜けてきた戦士なのである、と自画自賛してみる。

 誕生日会は俺の自宅で行う手筈てはずになっていた。なので、これから急いで帰って海香ちゃんをおもてなししなければならないのだ。海香ちゃんの誕生日プレゼントは買ってあるし、ケーキも買った。
 俺はたかぶる気持ちを抑え、ケーキの入った箱を両手で大切に抱え、マンションへ早足で向かった。
 帰宅後にゆっくり紅茶を飲む時間は無かった。というより、紅茶は海香ちゃんと一緒に飲みたかった。俺はちょっと部屋を片付け、見えてはいけない物を隠す。ローテーブルを二人挟んで座れるように再配置する。
 よし。問題はここからだ。
 誕生日用のディナーを手作りするという大イベントが始まる。俺は腕まくりをする。
 材料は昨日までに買い揃えた。俺はまな板の上で材料を切っていく。
 まさか俺が彼女の誕生日をお祝いする日が来るとは……。
 ふと俺はそんなことを考えていた。
 誰かの誕生日をここまで盛大に祝ったことはない。みっちょんや楊枝、蘭子や新垣におめでとうくらいは言っていた。プレゼントの代わりにジュースをおごったりもした。ただ親が子の誕生日を家で祝うみたく、しっかり人の誕生日を祝った試しがない。
 たぶん、俺は努力している。恋愛に努力してこなかった俺がだ。努力できているのはもちろん、海香ちゃんのためだ。意外と俺も単純だよなぁ。これもイチコイのおかげか……。

 チャイムが鳴った。
 おっ、来たな。
 俺は具材を混ぜていたしゃもじを鍋の端に立てかけ、玄関のドアを開ける。
「今日はお邪魔します!」
 海香ちゃんがニコッと笑ってそう言った。
「待ってたよ。さ、入って」
「うわっ、いい匂いや。カレーやん」
 そう。男の料理で一番無難なカレーを作っていたのだ。
「もうすぐ出来上がるから座って待ってなよ」
「うちも手伝いたかったのに」
 海香ちゃんは残念そうな表情で口をすぼめる。
「何言ってるんだよ。今日は海香ちゃんの誕生日なんだから、ゆっくりしなきゃ」
 海香ちゃんはローテーブルの近くで座椅子に座る。俺は鮭のバター炒めという名前でスーパーに売っていた物を電子レンジで温める。
 これくらいは許してほしいものである。日々懸命に料理を作っている主婦でさえ冷凍食品を使ったり、インスタントラーメンが夕食のメインだったりすることだってあるのだ。だから、この程度の手抜きは許されて当然だ!
 俺は微妙な罪の意識から逃れたくて自己暗示をかけていく。
 海香ちゃんの様子を見ると、何やら立ち上がって部屋の中を見回していた。
「俺の部屋来るの、初めてじゃないよね?」
「まあそうなんですけど、人の部屋来ると色々見たくありません?」
「え!? ど、どうかなー……?」
 まずいまずいまずい! 探ろうとしている! 無垢な好奇心で見られてはまずい物が海香ちゃんの目に映ってしまう~!! 無垢な好奇心は罪だということをこの娘は分かっていない。

 俺は海香ちゃんの行動が気になって仕方がない。ご飯をよそう手が震えていた。
 どうする!? もし見つかれば、彼女の誕生日に振られるという劇的な別れを遂げるやもしれん!!
 俺はそんな展開をシミュレーションしてみた。
「何これ?」
「え?」
「『夕立の日で』? アニメやん。面白いん、これ……?」
 そう言いながら海香ちゃんがDVDケースの裏面を見る。
「あ」
「……」
「それね! 実は仕事で、キャラデザインを担当した時にアニメ制作会社の人から記念に貰えたんだよ! いらなかったんだけど、断るのも失礼かなーって思って、捨てられずにそのままになってて……」
「これ。中身入ってないよ?」
 海香ちゃんがDVDの中を見せてくる。
「……」
「不潔。さよなら」
「待ってくれーーーー! 海香ちゃーーーーーん!」

 …………結果。
 うおぉぉおおーーーーーーー!! それは耐えられない気がするううううっぅぅ!!
 このままではそのルートを歩んでしまう。なんとしても阻止しなければ……。
 俺は苦肉の策を実行に移した。
「海香ちゃん! お茶出してくれないかな?」
「え? さっき亨二さんゆっくりしてて言うてたやん」
「いやー! やっぱり海香ちゃんがキッチンにいる所もみたいなーなんて」
 俺は愛想笑いで理由を取り繕う。
「ん?」
 海香ちゃんは首を傾げるが。
「まあ、分かったわ」
 海香ちゃんはとりあえず納得してくれたようで、冷蔵庫へ足を進めてくれた。
 ふうー……。とりあえず一時的に危機は回避されたな。
 俺は出来上がった褐色のカレーを白いご飯にかけていく。海香ちゃんと協力してローテーブルに料理を揃えた。二人でホールケーキは無理なので、ショートケーキだ。ケーキに蝋燭を一本差して、火を点ける。
 電気を消した。オレンジの光が向き合って座る二人を包む。
「海香ちゃん、誕生日おめでとう」
「ありがとう。色々用意してもらってホンマ嬉しいわ」
 蝋燭の灯火がぼんやりと海香ちゃんの笑顔を映していた。
「俺も海香ちゃんが産まれて来てくれて嬉しいよ」
「……! 普通に、誕生日おめでとうだけでええって……。亨二さんらしくないわ~」
 海香ちゃんは薄明りの中でも照れてるのが分かるくらい恥ずかしがっていた。
「じゃあ、そうだね。この季節に合わせて……」
 俺は表情を強張らせて声色を低くする。
「これは俺の友人に聞いた話だ。十三年前、俺の友人達が冒険と称して夜の森に入ったんだ」
「はい?」
 海香ちゃんは怪訝けげんな顔になる。

「その森は行方不明者が出没すると言われていて、近隣の住人が言うには、その森はあの世とこの世の入り口なのだそうだ……。そのせいか、あの森の近くで白装束を着た人の列を見たとか、夜の森で子供の遊んでいる声が聞こえたとか噂が広まって、心霊スポットとして有名になったんだ」
 蝋燭の火が揺れる。海香ちゃんは座椅子の背にすがるように掴んでいた。
「俺の友人達はその噂の真偽を確かめるべく、その森に足を運んだ。その日は日中に降った雨で地面が湿っていて、暑さもあって蒸し暑かった。懐中電灯とコンパスを用意して準備万端だったけど、恐怖は拭えなかった。森の木々に飛び伝う鳥達の羽の音が反響するんだよ。バサバサっ! て。普段なら何も気にしない音でさえ怖く感じるんだ。もしかしたらいるんじゃないか、てね」
 海香ちゃんは若干涙目だ。それでも俺は話を続ける。
「友人達はだいぶ森の奥まで入った。少し疲れてきたから休憩を取ったんだ。友人達は森の雰囲気に慣れて、冗談を言って笑うことができるくらい余裕があった。その時だ! 俺達の会話に紛れて、子供の笑い声が聞こえた。それも遠くじゃない。まるでその場にいるような声だ。俺達は周りを見回した。子供らしき人影はどこにもなかった。そりゃあそうだ。この時間に子供が森にいること自体おかしい。俺達は目を見合わせて聞こえたよね? と聞き合った。俺達は引き返そうかと考えていた。けど、一人このまま進もうと言いだした馬鹿がいたんだ」
 俺は人差し指を立て、ため息交じりに力説する。
「俺ともう一人の友人はやめた方がいいって言ったんだぞ!? なのにそいつはこう言ったんだ。幽霊がいたら写真撮ってもらうんだろ!! あ、こいつ本当に馬鹿だって思ったね。幽霊に写真撮ってもらっていいですかって言って、カメラ渡して俺達三人の集合写真を撮って何が楽しいんだ。だったら森の中じゃなくていいじゃん。幽霊も撮られる方のはずなのに、カメラ渡されて戸惑うだろって変に思考が冴えて、二人ともツッコんでしまったんだ」
「で、その後どうなったん?」
 海香ちゃんの顔がちょっと冷めている。でも、俺はあえて気にしない。
「俺達の馬鹿加減に幽霊は呆れてしまったみたいで、何も起こらなかったからおとなしく帰ったよ……」
「ふーん。つまり、亨二さん達は幽霊を見るどころかそれを忘れて夜の森の中を探検しただけで終わったんや」
「……まあ、そうだね……って、え!? なんで俺の話だって分かったの?」
「途中で主語が俺になってたで」
「……」
 しまったーーーー!!
「……あははははっ。まあ、そういうことだ」
「もう消してええのん?」
「グッジョブ」
 俺のアホみたいな高校エピソードを真夏の怪談っぽく仕上げた怪漫談は、海香ちゃんが蝋燭の火を消して終演したのだった。
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