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外来心療4
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僕らは逮捕された彼の下へ面会に行きました。頬がこけて、目の下にクマを作った彼の姿は、僕らの知っている市富ではありませんでした。
僕は聞いたんです。あの黒い泥を食べなきゃ死ぬと、誰に言われたのか。
虚ろな目で彼は言いました。
『猪方さんに、言われました』
彼の家に彼女が現れたそうです。全身黒くてよく見えなかったそうですが、確かに彼女の声だったと、彼は言ったんです。彼女は警告を伝えた後、黒い泥になって消えてしまったそうです。
信じられない話ではありましたが、実際に奇妙な現象を見聞きしている僕たちには、充分説得力のある話でした。
そして最後に、僕らに言ったんです。
『みんな死んじゃう。僕も、もうすぐ……』
彼は精神的に追い詰められていたんだと、その時やっと分かったんです。
僕らは神社を訪れ、お祓いをしてもらうことにしました。制作した映画も祓ってもらい、処分していただきました。
これで何もないはずだと、脚本担当の友人、古藤は言いましたが、その顔はまったく晴れやかではありませんでした。でも、僕は頷くことしかできませんでした。何も起きないよう願うしかなかったんです。
後日、彼の死の報せが入ってきました。自殺だけしか分かりませんでした。それから堰を切ったように、映研の元部員に不幸な出来事が襲いました。
溺死、窒息死、首吊り、身投げ。訃報が嵐のように届く最中、猪方さんの遺体が発見されたと聞いたんです。彼女はあの館の浴槽の中で死んでいたそうです。
映研は廃部になりました。相次ぐ変死事件は話題だったようです。
僕らは友人を失いました。映研の奴らといると呪われる。大学で噂されていたんです。
大学もメディア対応に追われて、僕らを鬱陶しがるようになりました。退学を勧められ、辞めざるを得ませんでした。
まだ生き残っていた数人で集まり、僕らは泥を食べるか食べないかで真剣に話し合っていました。死んだ彼の言葉が本当かどうか、誰にも分からなかったんです。でももし命が助かるならと、僕らは黒い泥を食べる決断をしたんです。
僕らは話題の渦中にいたので、人目を避けないとまともに外出もできませんでした。家族にも迷惑をかけて、スマホを見るのも嫌になりました。
元部長が道路の端にあるような排水路に黒い泥を取りに行ってくれました。持って帰ってきた黒い泥をスプーンですくい取り、口にしました。
ザラザラとした泥が舌で這う感覚。鼻の奥を突き抜けていく、油のような臭い。気持ち悪くて、飲み込むのに苦労しました。大量のミネラルウォーターで無理やり流し込みました。
僕らは親の仕送りやネットで稼げる仕事を見つけながら、身を寄せ合うように日々を過ごしていました。脈絡もなく、ただ怯えながらやり過ごす日々は、地獄でした。
物音が鳴っただけで悲鳴が上がって、唐突にパニックになる人もいました。それから、眠ることも怖くなって……。
泥を食べてから、普通の食べ物がおいしくなくなりました。唯一差し支えなく口にできたのは、ミネラルウォーターだけでした。
僕を含め、シェアハウスに同居していた六人に異変は起こっていませんでした。
シェアハウスにいながら、他の場所で療養する人とも連絡を取っていました。生存確認です。そうやって安心していたんです。
でもメールの文面がおかしくなったり、連絡が返ってこなかったら、いつも不安になっていました。その後、スマホでニュースをチェックすれば自ずと知ることができました。死んでしまったかどうかは。
戸惑いました。メールで黒い泥を食べたと言っていたのに、なんで亡くなってしまったのかって。
このまま過ごすことに嫌気が差していた僕は、もう一度あの館について調べることにしました。
そこで分かったことがありました。あの館の所有者だった男性には愛人がいたそうです。あの館は、離婚後に一緒に暮らすための館だったという話が、『幽霊掲示板』というサイトに載っていました。ですが、男性は離婚したと嘘をついて、二重生活をしていたそうです。
真偽のほどは分かりませんが、この話が本当だとすれば、僕たちが見た黒い女が誰だったかの手がかりになると思いました。
その後も、僕は憑りつかれたように館のことを調べていました。たぶんあの時の僕は、すでに呪われていたとしか、思えません。
昔の新聞記事にもあたると、館に水をひいていた池から女性の一部白骨化した遺体が発見されたという記事を見つけました。男性の遺体発見後の日付でした。遺留品のバッグとヒールが池の近くの茂みで見つかったそうです。死亡した男性には妻がいるため、愛人関係にあったと思われると載っていました。
館の主人である男性を殺したのは愛人だった。現実離れした話ですよね。だけど、僕はそうとしか考えられなかったんです。あの館中の床にあった泥の跡。あれは、逃げた男性を追った跡だと、僕には思えたんです。
僕は古藤に話しました。だけど、そんなことが分かってどうするんだって……。全部忘れてやり直そうって、調べるのをやめるよう言われたんです。
その時は、シェアハウスにいる人に異変はありませんでしたから。僕らだけは、助かってる事実がありました。助かってるなら、もう考える必要もないのかもしれません。でも本当に助かっていたのか、不安だったんです。
僕は聞いたんです。あの黒い泥を食べなきゃ死ぬと、誰に言われたのか。
虚ろな目で彼は言いました。
『猪方さんに、言われました』
彼の家に彼女が現れたそうです。全身黒くてよく見えなかったそうですが、確かに彼女の声だったと、彼は言ったんです。彼女は警告を伝えた後、黒い泥になって消えてしまったそうです。
信じられない話ではありましたが、実際に奇妙な現象を見聞きしている僕たちには、充分説得力のある話でした。
そして最後に、僕らに言ったんです。
『みんな死んじゃう。僕も、もうすぐ……』
彼は精神的に追い詰められていたんだと、その時やっと分かったんです。
僕らは神社を訪れ、お祓いをしてもらうことにしました。制作した映画も祓ってもらい、処分していただきました。
これで何もないはずだと、脚本担当の友人、古藤は言いましたが、その顔はまったく晴れやかではありませんでした。でも、僕は頷くことしかできませんでした。何も起きないよう願うしかなかったんです。
後日、彼の死の報せが入ってきました。自殺だけしか分かりませんでした。それから堰を切ったように、映研の元部員に不幸な出来事が襲いました。
溺死、窒息死、首吊り、身投げ。訃報が嵐のように届く最中、猪方さんの遺体が発見されたと聞いたんです。彼女はあの館の浴槽の中で死んでいたそうです。
映研は廃部になりました。相次ぐ変死事件は話題だったようです。
僕らは友人を失いました。映研の奴らといると呪われる。大学で噂されていたんです。
大学もメディア対応に追われて、僕らを鬱陶しがるようになりました。退学を勧められ、辞めざるを得ませんでした。
まだ生き残っていた数人で集まり、僕らは泥を食べるか食べないかで真剣に話し合っていました。死んだ彼の言葉が本当かどうか、誰にも分からなかったんです。でももし命が助かるならと、僕らは黒い泥を食べる決断をしたんです。
僕らは話題の渦中にいたので、人目を避けないとまともに外出もできませんでした。家族にも迷惑をかけて、スマホを見るのも嫌になりました。
元部長が道路の端にあるような排水路に黒い泥を取りに行ってくれました。持って帰ってきた黒い泥をスプーンですくい取り、口にしました。
ザラザラとした泥が舌で這う感覚。鼻の奥を突き抜けていく、油のような臭い。気持ち悪くて、飲み込むのに苦労しました。大量のミネラルウォーターで無理やり流し込みました。
僕らは親の仕送りやネットで稼げる仕事を見つけながら、身を寄せ合うように日々を過ごしていました。脈絡もなく、ただ怯えながらやり過ごす日々は、地獄でした。
物音が鳴っただけで悲鳴が上がって、唐突にパニックになる人もいました。それから、眠ることも怖くなって……。
泥を食べてから、普通の食べ物がおいしくなくなりました。唯一差し支えなく口にできたのは、ミネラルウォーターだけでした。
僕を含め、シェアハウスに同居していた六人に異変は起こっていませんでした。
シェアハウスにいながら、他の場所で療養する人とも連絡を取っていました。生存確認です。そうやって安心していたんです。
でもメールの文面がおかしくなったり、連絡が返ってこなかったら、いつも不安になっていました。その後、スマホでニュースをチェックすれば自ずと知ることができました。死んでしまったかどうかは。
戸惑いました。メールで黒い泥を食べたと言っていたのに、なんで亡くなってしまったのかって。
このまま過ごすことに嫌気が差していた僕は、もう一度あの館について調べることにしました。
そこで分かったことがありました。あの館の所有者だった男性には愛人がいたそうです。あの館は、離婚後に一緒に暮らすための館だったという話が、『幽霊掲示板』というサイトに載っていました。ですが、男性は離婚したと嘘をついて、二重生活をしていたそうです。
真偽のほどは分かりませんが、この話が本当だとすれば、僕たちが見た黒い女が誰だったかの手がかりになると思いました。
その後も、僕は憑りつかれたように館のことを調べていました。たぶんあの時の僕は、すでに呪われていたとしか、思えません。
昔の新聞記事にもあたると、館に水をひいていた池から女性の一部白骨化した遺体が発見されたという記事を見つけました。男性の遺体発見後の日付でした。遺留品のバッグとヒールが池の近くの茂みで見つかったそうです。死亡した男性には妻がいるため、愛人関係にあったと思われると載っていました。
館の主人である男性を殺したのは愛人だった。現実離れした話ですよね。だけど、僕はそうとしか考えられなかったんです。あの館中の床にあった泥の跡。あれは、逃げた男性を追った跡だと、僕には思えたんです。
僕は古藤に話しました。だけど、そんなことが分かってどうするんだって……。全部忘れてやり直そうって、調べるのをやめるよう言われたんです。
その時は、シェアハウスにいる人に異変はありませんでしたから。僕らだけは、助かってる事実がありました。助かってるなら、もう考える必要もないのかもしれません。でも本当に助かっていたのか、不安だったんです。
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