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10 対決
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対決
「なに、金澤貞将殿が訪ねて参ったと」
取次の者からその名を聞かされた瞬間、長崎円喜は思わず立ち上がった。
「まことに貞将殿と申されたか」
「間違いござりませぬ。たしかに、そう名乗られました」
「して、連れの者は」
「おられませぬ」
「なんと、おひとりで参られたか」
「いかにも、さようにござりまする。いかが取り計らいましょうか」
「いかがと申して、追い返すわけにもいくまい。丁重にお通しせよ」
「ははっ」
慌てて走り去る取次の背中を見送りながら、円喜は苦々し気に舌打ちをした。
――京におるはずの貞将が、なにゆえこの屋敷へやって来たのだ。
鎌倉へ呼び戻したという話は、聞いていない。
となれば、独断で戻って来たということになる。
――父親の一件を問い質しに参ったか。
「よかろう」
円喜は、ひとりごちて立ち上がった。
北条一門随一の器量人との呼び声高い貞将だが、熾烈な政争を勝ち抜いて今の地位を築いてきた自分とは、所詮踏んできた場数が違う。青臭い正義を振りかざす世間知らずに世の理を教えてやろうと、胸の内で闘志を湧き立たせていた。
「金澤殿、こはいかなることにござりましょうや」
広間へ出た円喜は開口一番、居丈高に貞将を責め立てた。
「誰の許しを得て、鎌倉へ戻られましたか」
「許しなど得てはおらぬ」
「これはしたり。仮にも六波羅探題の重責を負う身でありながら、許しも得ず勝手に京を離れるとは」
「京のことは北方探題の常葉範貞殿に委細お頼みしてある。抜かりはない」
貞将も強い口調で言い返す。
「入道、今日ここへ参ったのは、他でもない。このところ鎌倉がきな臭うてならぬと、京でも噂話が絶えぬ。その仔細をたしかめに来たのだ。これから私が訊ねることに、包み隠さずありのままを返答せよ」
「ほう、これはまたずいぶんと強硬な申されようじゃ」
円喜は身構えた。
「いったい何をお訊ねになりたいのでござりまするか」
「知れたこと、此度の執権職をめぐる一件よ」
貞将は姿勢を正し、円喜の皺面を真っ直ぐに見据えながら、
「わが父貞顕は、ご出家なされる高時さまより直々に執権職を引き継ぐよう懇願され、それゆえにこそ強き覚悟でお引き受けいたしたと私への文に書いて寄越した。父は元来権力への執着もなく、京より戻った後は書物を読みながら穏やかに暮らすことを望んでいた。本来であれば執権などという大役は頑なに辞退するところであろうが、高時さまおんみずからの説得に心を動かされ、首を縦に振ったものだと思う」
「……」
「にもかかわらず、わずか十日で事態は急転し、父は追われるように執権職を失った。いったい何があったのだ」
「さて、それがしにはよくわかりませぬが――」
「そなたにわからぬことなどあるまい。鎌倉のまつりごとを壟断しているそなたに」
「聞き捨てなりませぬな、金澤殿。それがしがいつ、まさりごとを壟断いたしましたか」
「覚えがないと申すのか」
「いっこうに」
円喜は間髪入れずに切り返す。この間、表情ひとつ動かさずに相対しているあたり、さすがに役者というべきだろう。わかっていたことだが、やはり一筋縄でいく相手ではない。
「さようか」
胸の奥底から湧き上がってくる激情を懸命に抑えようと、貞将はひとつ大きく深呼吸をして、
「ならば、問いを改めよう。そなたは、この鎌倉のまつりごとを今後、どのようにしていきたいと考えているのだ」
「これはまた、ずいぶんと大きなお話でござるな」
円喜は微笑を浮かべる。皺に埋もれた細い目をさらに細めたその表情は、権力を恣にしている悪辣な男とはとうてい思えぬほどの柔和さで、むしろ純朴な田舎の好々爺のような趣さえ感じさせた。
「まつりごとは執権さまが行われるもの。それがしごときの考えで動かすものではござらぬ」
「なるほど。しかし、そなたはその執権を支える内管領ではないか」
「恐れながら、それがしは既に隠居しておりまする。内管領の座は息子の高資に譲り申した」
「隠居などと申して、大人しく表舞台から身を引くそなたではあるまい。むしろ高資を風除けに使うことで、いっそう身動きを取りやすくしたのではないか」
「なかなか鋭い見立て、さすがは金澤殿じゃ。鎌倉随一の器量人という評判は、あながち大袈裟ではないようでござるな」
口元に余裕の笑みを称えながら、円喜は貞将を持ち上げてみせる。
「わが息子にも、それぐらいの思慮深さがあればよかったのでござるがのう」
「とぼけるな、円喜。しかとわが問いに答えよ。なんの考えも持たず、ただ執権の言うことに従っているばかりでは、補佐役の責務を果たしているとは申せまい。そなたがそのような愚物でないことぐらい、私にもわかっている」
「これはまた、とんだ買い被りを。まことにもって、わが身の非才を恥じるばかりでござりまする」
「まだそのようなことを申すか。そなたは、まつりごとは執権が行うと申したが、この幕府は元来、重要な決め事をなす折には、つねに合議をもって当たってきたはず。そもそも、そこに大きな思い違いがあるのではないか」
「恐れながら――」
ずっと受け流す姿勢を見せていた円喜が、ここで初めて反撃に転じた。
「そは些か古きお考えかと存じまする」
その表情から、先程までの柔和さは消え失せている。
細めた目の奥に、とても隠居の身とは思われぬほど力強い光が宿っていることを、貞将ははっきりと見て取っていた。
「先の主上のご謀叛を見ても明らかなように、天下の趨勢は急速に動きつつありまする。これまで、恐れ多くも京の主上が単独で近臣等を動かし、事を成そうとしたことなど絶えて久しく、それゆえにこそ世は平穏を保つことができており申した。そのような平時であれば、合議によって慎重に事を運ぶことも悪くないといえましょう。しかしながら、今は平時ではござらぬ。一歩間違えば朝廷は幕府討滅を掲げて兵乱を起こしていたに相違なく、そういう意味においては、既に乱世の兆しが表れておりまする。これを鎮めるためには合議などとまどろっこしいことを言うておってはなりませぬ。力ある者が先頭に立ち、力なき者たちを引っ張っていってはじめて事を成すことができるのだと、それがしは愚考いたしまする」
「そのためには邪魔者を容赦なく蹴落としてよいというのか」
「そのお言葉の真意はわかりかねまするが、概念としては、そう受け取っていただいてよろしいかと」
「それは傲慢だぞ、円喜」
貞将は嘆息して言った。
「そなたには、たしかに人並み外れた才覚も気概もあるかもしれぬ。だからといって、そなたにこの鎌倉のすべてを背負うことができるか。武士たちをことごとく従えることができるか」
「……」
「なるほど、主上はおひとりにて朝廷内の近臣たちを動かし、蜂起まであと一歩のところまで迫られたかもしれぬ。だが、それがなぜ可能であったかを、そなたは考えたことがあるか」
「金澤殿は、なぜだとお考えなのです」
「主上のご意志に賛同した近臣たちの心には、既に主上と同じ思いが宿っていたからだ。主上はその思いに火を付けられたに過ぎぬ。つまり、もともと志はひとつにまとまっていたのだ。翻って、我等鎌倉にそのようなまとまりがあるといえるか。みなが同じほうを向いているといえるか」
貞将の口吻が熱を帯びる。
「そなたは、同じ向きを向いていない者がいれば、駆逐すればよいとぐらいに思っているのであろう。しかし、それではいつになっても人心はまとまらぬのだ」
「まとまる必要など、ありましょうか」
「なに」
「我等の幕府はなんのために存在するのです。あまたの武士たちを正しき道へ導き、世を平らかに治めることが我等の役目ではないのですか」
「そのとおりだ」
「では、その正しき道を示すこともまた我等の役目でござろう。その過程において、時にその道を誤る者は排除せねばならぬこともあり申す」
「排除以外の方法を探ろうとは思わぬのか」
「思いませぬ。そのような悠長なことをしていては、主上が引き起こそうとなされている動乱の波にあっという間に呑まれてしまいまするゆえ」
「……」
「金澤殿も京へ行かれて、おわかりでござりましょう。主上は恐ろしきお方でござる。あの方が右を指差せば、公家衆はみなが右を向きまする。左を指差せば、みなが左を向きまする。あれほどのお方は、古来類を見ませぬ。翻って、この鎌倉はどうか。金澤殿がお相手ゆえ、あえて申し上げますが、得宗たる高時さまにそのご器量があると思われますか」
円喜はそう言って、切り込むような眼差しを貞将に向けてきた。
いい加減な答えは許さぬ――そんな真摯な思いが、視線を通して伝わってくる。
「いいや」
貞将は、苦しげに首を横に振った。
「おそらく、おありではなかろうな」
「では、恐れながら、お父上には」
これにもまた同じ仕種をせざるをえなかった。父貞顕は高時のような凡庸な人物では決してないが、その温和な性格は武士たちの上に立つのに相応しいとは言い難い。
「かくいうそれがしとて、むろんおのれにそれだけの器量がないことぐらいは自覚しており申す。それがしには人を圧する威こそあれ、人を心服させる徳というものが備わっておりませぬ。それゆえにこそ、それがしはそれがしなりのやりかたでこの幕府を導かねばならぬのでござる。時に奸臣と罵られ、佞臣と蔑まれようとも、それがしはこの信念を貫く所存。誰にも邪魔はさせませぬ」
これまでの印象とはまるで別人のような円喜の凛然たる姿に、貞将は図らずも心を揺さぶられる思いがした。
「たしかに、それがしは清廉とは言い難いかもしれませぬ」
ふーっと大きく息を吐いて、円喜はつづける。
「金や名誉に目はないし、女子とて嫌いではありませぬ。自分よりも優れた者には嫉妬をし、そうでない者に対しては侮ってかかることもあります。まったく、どうしようもない俗物よとおのれ自身に呆れ返ることもしばしばなれど、そんなそれがしであっても、絶対に余人に劣らぬと自負していることがござりまする。それは、幕府を――ひいては、この鎌倉の地を、誰よりも大事に思うていること。これだけは自信を持って申せまする」
「……」
「京の主上はことのほか英邁なお方と聞き及びまする。そのご器量の程は、ご謀叛などという大それたことを企てながら朝廷内の人心が今なお離れていないことからも、うかがい知ることができましょう。それに対して、今の幕府はいかがでござりましょうや。そのようなお方に正面から向き合い、時には和し、時には圧しながら幕府の威を保っていくことのできる器量人が、はたしておりましょうや」
皺だらけの円喜の頬が、興奮のあまり朱に染め上げられていく。
「高時さまは言うに及ばず、貞顕さま追い落としの急先鋒となられた泰家さまも、その貞顕さまの後を受けて執権職になられた守時さまも、とても及ばぬとそれがしには思われまする。泰家さまは剛毅なお人柄ながら些か思慮が浅く、衆望を集める守時さまとて、たしかに涼やかなご気性にて尊敬に値するお方ではござりまするが、その真っ直ぐすぎるご性質が乱世においては足枷となりましょう。それでも――」
円喜の声が震え出す。
「我等は幕府を保っていかねばならぬのでござる」
いつしかその双眸からは、大粒の涙が流れていた。
「それがしのことを高慢な佞臣よと悪しざまに言う者が多いことは、むろん存じておりまする。しかし、そうすることで高時さまはそれがしを頼りにされ、まつりごとのすべてをお任せくださってきた。今の鎌倉に、それがし以上にまつりごとを巧みに進めていくことができると思える者が出てこぬかぎり、それがしはいかように罵られ、蔑まれようとも、このやりかたを変えるつもりはござらぬ。それがそれがしの覚悟でござるゆえな」
「……そうか」
貞将はごくりと唾を呑み込んだ。
「そなたの覚悟のほどは、よくわかった。必ずしもそのやりかたに首肯できるわけではないが、闇雲に否定すべきではないと思う。そうまでして信念を貫こうとするそなたもまた辛かろうゆえな」
「ありがとうございます」
円喜はそう言って、ふーっと大きく息を吐いた。
「たしかに辛うござりまする。何よりそれがしには、この志を継いでくれる者がおり申さぬ」
「息子の高資がいるではないか」
「なんの、金澤殿とておわかりでござろう。高資は所詮小才子。それがし以上に、この鎌倉を背負うことなど決してできぬ男でござるよ」
円喜の言うとおりだった。同じように権力を掌握し、幕政を壟断するふたりであったが、高資には父ほどの威が備わっていない。人としての厚みや芯のようなものが感じられず、それは決して年齢差によるものだけではないと、貞将には思われた。おそらくは生来の資質の差なのであろう。父である円喜が同じように見ていることは貞将にとって些か意外でもあり、何やら少し哀れなようにも感じられた。
「願わくば、それがしがかような真似をいたさずともお仕えできるお方に、一日も早う執権職にお就きいただきとうござるが――」
「そのような人物が、この鎌倉にいようか」
「おられまする、ただおひとり」
「誰だ」
「おわかりになりませぬか」
「わからぬ。教えてくれ」
貞将は真摯な眼差しを円喜に向けて問う。
円喜はしかし、かすかな含み笑いを浮かべただけで、何も応えなかった。
「なに、金澤貞将殿が訪ねて参ったと」
取次の者からその名を聞かされた瞬間、長崎円喜は思わず立ち上がった。
「まことに貞将殿と申されたか」
「間違いござりませぬ。たしかに、そう名乗られました」
「して、連れの者は」
「おられませぬ」
「なんと、おひとりで参られたか」
「いかにも、さようにござりまする。いかが取り計らいましょうか」
「いかがと申して、追い返すわけにもいくまい。丁重にお通しせよ」
「ははっ」
慌てて走り去る取次の背中を見送りながら、円喜は苦々し気に舌打ちをした。
――京におるはずの貞将が、なにゆえこの屋敷へやって来たのだ。
鎌倉へ呼び戻したという話は、聞いていない。
となれば、独断で戻って来たということになる。
――父親の一件を問い質しに参ったか。
「よかろう」
円喜は、ひとりごちて立ち上がった。
北条一門随一の器量人との呼び声高い貞将だが、熾烈な政争を勝ち抜いて今の地位を築いてきた自分とは、所詮踏んできた場数が違う。青臭い正義を振りかざす世間知らずに世の理を教えてやろうと、胸の内で闘志を湧き立たせていた。
「金澤殿、こはいかなることにござりましょうや」
広間へ出た円喜は開口一番、居丈高に貞将を責め立てた。
「誰の許しを得て、鎌倉へ戻られましたか」
「許しなど得てはおらぬ」
「これはしたり。仮にも六波羅探題の重責を負う身でありながら、許しも得ず勝手に京を離れるとは」
「京のことは北方探題の常葉範貞殿に委細お頼みしてある。抜かりはない」
貞将も強い口調で言い返す。
「入道、今日ここへ参ったのは、他でもない。このところ鎌倉がきな臭うてならぬと、京でも噂話が絶えぬ。その仔細をたしかめに来たのだ。これから私が訊ねることに、包み隠さずありのままを返答せよ」
「ほう、これはまたずいぶんと強硬な申されようじゃ」
円喜は身構えた。
「いったい何をお訊ねになりたいのでござりまするか」
「知れたこと、此度の執権職をめぐる一件よ」
貞将は姿勢を正し、円喜の皺面を真っ直ぐに見据えながら、
「わが父貞顕は、ご出家なされる高時さまより直々に執権職を引き継ぐよう懇願され、それゆえにこそ強き覚悟でお引き受けいたしたと私への文に書いて寄越した。父は元来権力への執着もなく、京より戻った後は書物を読みながら穏やかに暮らすことを望んでいた。本来であれば執権などという大役は頑なに辞退するところであろうが、高時さまおんみずからの説得に心を動かされ、首を縦に振ったものだと思う」
「……」
「にもかかわらず、わずか十日で事態は急転し、父は追われるように執権職を失った。いったい何があったのだ」
「さて、それがしにはよくわかりませぬが――」
「そなたにわからぬことなどあるまい。鎌倉のまつりごとを壟断しているそなたに」
「聞き捨てなりませぬな、金澤殿。それがしがいつ、まさりごとを壟断いたしましたか」
「覚えがないと申すのか」
「いっこうに」
円喜は間髪入れずに切り返す。この間、表情ひとつ動かさずに相対しているあたり、さすがに役者というべきだろう。わかっていたことだが、やはり一筋縄でいく相手ではない。
「さようか」
胸の奥底から湧き上がってくる激情を懸命に抑えようと、貞将はひとつ大きく深呼吸をして、
「ならば、問いを改めよう。そなたは、この鎌倉のまつりごとを今後、どのようにしていきたいと考えているのだ」
「これはまた、ずいぶんと大きなお話でござるな」
円喜は微笑を浮かべる。皺に埋もれた細い目をさらに細めたその表情は、権力を恣にしている悪辣な男とはとうてい思えぬほどの柔和さで、むしろ純朴な田舎の好々爺のような趣さえ感じさせた。
「まつりごとは執権さまが行われるもの。それがしごときの考えで動かすものではござらぬ」
「なるほど。しかし、そなたはその執権を支える内管領ではないか」
「恐れながら、それがしは既に隠居しておりまする。内管領の座は息子の高資に譲り申した」
「隠居などと申して、大人しく表舞台から身を引くそなたではあるまい。むしろ高資を風除けに使うことで、いっそう身動きを取りやすくしたのではないか」
「なかなか鋭い見立て、さすがは金澤殿じゃ。鎌倉随一の器量人という評判は、あながち大袈裟ではないようでござるな」
口元に余裕の笑みを称えながら、円喜は貞将を持ち上げてみせる。
「わが息子にも、それぐらいの思慮深さがあればよかったのでござるがのう」
「とぼけるな、円喜。しかとわが問いに答えよ。なんの考えも持たず、ただ執権の言うことに従っているばかりでは、補佐役の責務を果たしているとは申せまい。そなたがそのような愚物でないことぐらい、私にもわかっている」
「これはまた、とんだ買い被りを。まことにもって、わが身の非才を恥じるばかりでござりまする」
「まだそのようなことを申すか。そなたは、まつりごとは執権が行うと申したが、この幕府は元来、重要な決め事をなす折には、つねに合議をもって当たってきたはず。そもそも、そこに大きな思い違いがあるのではないか」
「恐れながら――」
ずっと受け流す姿勢を見せていた円喜が、ここで初めて反撃に転じた。
「そは些か古きお考えかと存じまする」
その表情から、先程までの柔和さは消え失せている。
細めた目の奥に、とても隠居の身とは思われぬほど力強い光が宿っていることを、貞将ははっきりと見て取っていた。
「先の主上のご謀叛を見ても明らかなように、天下の趨勢は急速に動きつつありまする。これまで、恐れ多くも京の主上が単独で近臣等を動かし、事を成そうとしたことなど絶えて久しく、それゆえにこそ世は平穏を保つことができており申した。そのような平時であれば、合議によって慎重に事を運ぶことも悪くないといえましょう。しかしながら、今は平時ではござらぬ。一歩間違えば朝廷は幕府討滅を掲げて兵乱を起こしていたに相違なく、そういう意味においては、既に乱世の兆しが表れておりまする。これを鎮めるためには合議などとまどろっこしいことを言うておってはなりませぬ。力ある者が先頭に立ち、力なき者たちを引っ張っていってはじめて事を成すことができるのだと、それがしは愚考いたしまする」
「そのためには邪魔者を容赦なく蹴落としてよいというのか」
「そのお言葉の真意はわかりかねまするが、概念としては、そう受け取っていただいてよろしいかと」
「それは傲慢だぞ、円喜」
貞将は嘆息して言った。
「そなたには、たしかに人並み外れた才覚も気概もあるかもしれぬ。だからといって、そなたにこの鎌倉のすべてを背負うことができるか。武士たちをことごとく従えることができるか」
「……」
「なるほど、主上はおひとりにて朝廷内の近臣たちを動かし、蜂起まであと一歩のところまで迫られたかもしれぬ。だが、それがなぜ可能であったかを、そなたは考えたことがあるか」
「金澤殿は、なぜだとお考えなのです」
「主上のご意志に賛同した近臣たちの心には、既に主上と同じ思いが宿っていたからだ。主上はその思いに火を付けられたに過ぎぬ。つまり、もともと志はひとつにまとまっていたのだ。翻って、我等鎌倉にそのようなまとまりがあるといえるか。みなが同じほうを向いているといえるか」
貞将の口吻が熱を帯びる。
「そなたは、同じ向きを向いていない者がいれば、駆逐すればよいとぐらいに思っているのであろう。しかし、それではいつになっても人心はまとまらぬのだ」
「まとまる必要など、ありましょうか」
「なに」
「我等の幕府はなんのために存在するのです。あまたの武士たちを正しき道へ導き、世を平らかに治めることが我等の役目ではないのですか」
「そのとおりだ」
「では、その正しき道を示すこともまた我等の役目でござろう。その過程において、時にその道を誤る者は排除せねばならぬこともあり申す」
「排除以外の方法を探ろうとは思わぬのか」
「思いませぬ。そのような悠長なことをしていては、主上が引き起こそうとなされている動乱の波にあっという間に呑まれてしまいまするゆえ」
「……」
「金澤殿も京へ行かれて、おわかりでござりましょう。主上は恐ろしきお方でござる。あの方が右を指差せば、公家衆はみなが右を向きまする。左を指差せば、みなが左を向きまする。あれほどのお方は、古来類を見ませぬ。翻って、この鎌倉はどうか。金澤殿がお相手ゆえ、あえて申し上げますが、得宗たる高時さまにそのご器量があると思われますか」
円喜はそう言って、切り込むような眼差しを貞将に向けてきた。
いい加減な答えは許さぬ――そんな真摯な思いが、視線を通して伝わってくる。
「いいや」
貞将は、苦しげに首を横に振った。
「おそらく、おありではなかろうな」
「では、恐れながら、お父上には」
これにもまた同じ仕種をせざるをえなかった。父貞顕は高時のような凡庸な人物では決してないが、その温和な性格は武士たちの上に立つのに相応しいとは言い難い。
「かくいうそれがしとて、むろんおのれにそれだけの器量がないことぐらいは自覚しており申す。それがしには人を圧する威こそあれ、人を心服させる徳というものが備わっておりませぬ。それゆえにこそ、それがしはそれがしなりのやりかたでこの幕府を導かねばならぬのでござる。時に奸臣と罵られ、佞臣と蔑まれようとも、それがしはこの信念を貫く所存。誰にも邪魔はさせませぬ」
これまでの印象とはまるで別人のような円喜の凛然たる姿に、貞将は図らずも心を揺さぶられる思いがした。
「たしかに、それがしは清廉とは言い難いかもしれませぬ」
ふーっと大きく息を吐いて、円喜はつづける。
「金や名誉に目はないし、女子とて嫌いではありませぬ。自分よりも優れた者には嫉妬をし、そうでない者に対しては侮ってかかることもあります。まったく、どうしようもない俗物よとおのれ自身に呆れ返ることもしばしばなれど、そんなそれがしであっても、絶対に余人に劣らぬと自負していることがござりまする。それは、幕府を――ひいては、この鎌倉の地を、誰よりも大事に思うていること。これだけは自信を持って申せまする」
「……」
「京の主上はことのほか英邁なお方と聞き及びまする。そのご器量の程は、ご謀叛などという大それたことを企てながら朝廷内の人心が今なお離れていないことからも、うかがい知ることができましょう。それに対して、今の幕府はいかがでござりましょうや。そのようなお方に正面から向き合い、時には和し、時には圧しながら幕府の威を保っていくことのできる器量人が、はたしておりましょうや」
皺だらけの円喜の頬が、興奮のあまり朱に染め上げられていく。
「高時さまは言うに及ばず、貞顕さま追い落としの急先鋒となられた泰家さまも、その貞顕さまの後を受けて執権職になられた守時さまも、とても及ばぬとそれがしには思われまする。泰家さまは剛毅なお人柄ながら些か思慮が浅く、衆望を集める守時さまとて、たしかに涼やかなご気性にて尊敬に値するお方ではござりまするが、その真っ直ぐすぎるご性質が乱世においては足枷となりましょう。それでも――」
円喜の声が震え出す。
「我等は幕府を保っていかねばならぬのでござる」
いつしかその双眸からは、大粒の涙が流れていた。
「それがしのことを高慢な佞臣よと悪しざまに言う者が多いことは、むろん存じておりまする。しかし、そうすることで高時さまはそれがしを頼りにされ、まつりごとのすべてをお任せくださってきた。今の鎌倉に、それがし以上にまつりごとを巧みに進めていくことができると思える者が出てこぬかぎり、それがしはいかように罵られ、蔑まれようとも、このやりかたを変えるつもりはござらぬ。それがそれがしの覚悟でござるゆえな」
「……そうか」
貞将はごくりと唾を呑み込んだ。
「そなたの覚悟のほどは、よくわかった。必ずしもそのやりかたに首肯できるわけではないが、闇雲に否定すべきではないと思う。そうまでして信念を貫こうとするそなたもまた辛かろうゆえな」
「ありがとうございます」
円喜はそう言って、ふーっと大きく息を吐いた。
「たしかに辛うござりまする。何よりそれがしには、この志を継いでくれる者がおり申さぬ」
「息子の高資がいるではないか」
「なんの、金澤殿とておわかりでござろう。高資は所詮小才子。それがし以上に、この鎌倉を背負うことなど決してできぬ男でござるよ」
円喜の言うとおりだった。同じように権力を掌握し、幕政を壟断するふたりであったが、高資には父ほどの威が備わっていない。人としての厚みや芯のようなものが感じられず、それは決して年齢差によるものだけではないと、貞将には思われた。おそらくは生来の資質の差なのであろう。父である円喜が同じように見ていることは貞将にとって些か意外でもあり、何やら少し哀れなようにも感じられた。
「願わくば、それがしがかような真似をいたさずともお仕えできるお方に、一日も早う執権職にお就きいただきとうござるが――」
「そのような人物が、この鎌倉にいようか」
「おられまする、ただおひとり」
「誰だ」
「おわかりになりませぬか」
「わからぬ。教えてくれ」
貞将は真摯な眼差しを円喜に向けて問う。
円喜はしかし、かすかな含み笑いを浮かべただけで、何も応えなかった。
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