鎌倉最後の日

もず りょう

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5 父と子

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   父と子


「それで、そなたはみずから京へ赴くことを志願したと申すのか」
 渋味のある声に調子を合わせるようにして、
 ――カコン
 庭の鹿威しの軽やかな音が、心地よく静寂を破った。
 貞将が「はい」と頷くと、声の主はしばらく考え込んだ後、
「さようか……」
 と呟いて、小さく嘆息した。
 ここは武蔵国六浦にある称名寺。
 開基は家祖金澤実時。もとは小さな持仏堂がひとつ建てられていただけだったが、文永四年(一二六七)に高僧と名高い極楽寺忍性の推挙を受けた僧侶審海が本格的な寺院として開山した。以後、金澤家の菩提寺として今に至っている。
「京は恐ろしきところぞ」
 しみじみとした口調の主は金澤貞顕――貞将の父である。
 ふくよかな頬と、くりっとした双眸、そして大きな団子鼻――全体的に丸みを帯びた顔の造作が、人柄の温和さをよく表している。この時、四十七歳。当時としては初老といっていい年齢だ。
「朝廷を牛耳る公家たちは、鵺の如き連中だ。おのれの言を左右することに些かの後ろめたさも持たず、まるで正体を掴ませぬ。あるいは正体など、はなから存在しないのかもしれぬ。我等武士とは同じ人でもまったく異質の存在よ」
 貞顕はかつて六波羅探題として在京した経験を持っている。その折の苦労は、ひとかたならぬものがあった。とりわけ南都春日社の嗷訴への対応には神経をすり減らし、心を病む一歩寸前のところまで追い込まれた。朝廷は「なんとかせよ」とせっつくばかりで、いざとなると知らぬ顔を決め込み、貞顕らはしばしば孤立させられながらも事を穏便に運ぶべく苦慮したが、いざ荒波が去ってみると、朝廷の公家たちは貞顕らの功績などまるで認めようとせず、
 ――みかどの御威光のなせるわざである。
 と悦に入るばかりだった。
 そんな朝廷とも、幕府の出先機関である六波羅探題は、うまく折り合いながらやっていかなければならない。幸い文事に通じ、豊かな教養を持っていた貞顕は、公家衆の中に何人か懇意な相手を作ることができ、なんとか円満な関係を維持しつづけることができたが……。
「幕府にとって京の抑えが大事な役割なのはわかる。北条一門に連なる身として名誉も責任もあるお役目を与えられたとも承知している。それでも儂は二度と彼の地へは戻りとうない。それほど儂にとっては苦い思い出ばかりの残る日々であった」
 そう語る表情は、その言葉どおり苦渋に満ちていた。
「だが、そなたならば、あるいはうまくやれるかもしれぬ。そなたは儂と違うて心の芯が強い。どのような苦境にも屈せず、おのれの信念を貫きとおす一途さを持っている。その気性が太守さまや長崎父子との衝突につながらねばよいと内心肝を冷やしながら見守っておったが、その点においても鎌倉を離れ、京へ行くのは悪くあるまい」
 父の目に、おのれはそのように映っていたのかと、貞将は些か驚きを込めた眼差しで、貞顕の人の好さそうな顔を見詰めた。
「儂が京におった頃、当今の主上は未だみかどの座に着かれてはいなかったが、当時より英邁の誉れ高く、近臣にも才気に満ちた若き公家衆を多く取り立てておられた。先頃のご謀叛の首謀者として処罰された日野資朝や日野俊基のほかにも北畠親房、四条隆資、千種忠顕など、いずれも切れ者揃い。それだけに、敵に回せば手強き相手となろう。そなたの役目は、彼等と事を構えることではない。逆に融和を図り、みかどのご信任をも勝ち取るように努めるのだ。そなたがご信任を得ることは、すなわち幕府がご信任を得るということ。さすれば、みかどとてご謀叛などという不穏な企てを二度とは起こされまい」
「心得てござりまする。それがしは京で燻る火種が大きくなり、やがて天下の大乱にまで燃え広がることを防ぐために京へまいりまする。困難なお役目であることは、むろん承知の上。それでも誰かがやらねばならぬ――そう思えばこそ、みずから名乗り出たのでござりまする」
 貞将の眉宇には、峻厳なる決意の色が浮かんでいる。
 貞顕は、そんな息子の様子を頼もし気に見遣りながら、
「そなたは儂の誇りだ。この鎌倉の――いや、日の本の未来を託すに足る男だと、わが子ながら自信を持って推すことができる。いざ行け、京へ。さまざまなものをおのれの目で見、おのれの耳で聞き、おのれの心で感じ取れ。この鎌倉の、そして日の本の未来のためにな」
 慈愛を込めた声音で言った。
「ははっ」
 貞将はわが身の引き締まる思いで、その言葉を受け止めた。

 屋敷へ戻ると、来客が貞将の帰りを待っていた。
 郎党からそれを知らされた貞将は、驚いて客人の待つ広間へ急ぐ。
 がらりと襖を開けると、
「やあ」
 屈託のない笑顔が貞将を迎えた。
「これは驚いた。よもや新田殿がお越しとは」
 貞将も莞爾と笑い返す。
「留守とは知らずに失礼いたした。御家来衆が気を利かせて酒をお出しくだされたゆえ、勝手ながら、ちびりちびりと呑みながら待たせていただいており申した」
 そう言って、嬉しそうに杯を掲げてみせる義貞。言われてみれば、かすかに頬が紅潮している。「ちびりちびり」と言いながら、そこそこは呑んでいるようだ。
「京へ行かれるそうだな」
「早耳だな」
 腰を下ろし、みずからも杯を手に取る。
 義貞はそこへ酒を注ぎながら、
「長崎高資あたりの差し金でござるか。目障りな金澤殿を遠くへ追いやってしまおうとの――」
「さにあらず。それがしみずから願い出たのでござるよ」
「なんと」
 義貞は驚きの声を上げた。
「なにゆえ、そのような」
「先日、貴殿も申されていたとおり、当今の主上は英邁なお方であるという。周りにはその威徳を慕う少壮気鋭の公家たちが集まり、清新な雰囲気を生み出していると聞いている。おそらく今の頽廃した鎌倉とはまるで異なる風景が、そこにはあるはずだ。それをぜひ、この目でたしかめてみたい。あるいはそこにこそ、この鎌倉を立て直す手がかりが隠れているやもしれぬしな」
「なるほど、そういうことであったか」
 義貞は大きく頷き、
「しかし、金澤殿。それがしに言わせれば、今の鎌倉を立て直すのはたやすきことでござるぞ」
 と、声を潜めた。
「なんと、どうすればよい」
「長崎父子を誅して、太守さまを廃し、貴殿が執権の座に着けばよい」
「馬鹿な」
 貞将は微苦笑を浮かべてみせる。
「それでは、それがしはただの謀叛人だ」
「しかし、心ある武士たちはみな貴殿のもとに馳せ参じるだろう。貴殿に幕府を託したいと思っている者は、決して少なくないからな」
「よしてくれ、悪い冗談だ」
「冗談なものか」
 義貞は真顔である。
「それがしはこの鎌倉が好きなのだ。源頼朝公が武家による政権――幕府を開かれたこの地は、我等武士にとって、まさしく聖地ともいうべき土地だ。その鎌倉の頂点には、つねに清廉で誠実で、誰もが躊躇なく仰ぎ見られるようなお方にこそ、立っていてほしい。今の鎌倉において、そのような人物は貴殿を措いて他にない」
「いやいや、それがしなどは、とてもそのような――」
「よいから真面目に聞かれよ」
 義貞が語気を強める。どうやらそうとう酔っているらしく、目が据わっていた。
「それがしは本気なのだ。今の幕府は、我等武士が命を預けるに足るものとは、とうてい言えぬ。だが、我等にはこの鎌倉を守る責務がある。頼朝公の御世以来、それが我等に課せられた使命だからだ。なればこそ、それがしはせめてこの鎌倉の頂点に、我等が命を預けてもよいと思えるようなお方に立っていていただきたい。ただ、それだけなのだ」
「……わかった」
 貞将は神妙な面持ちで頷いた。
「今のそれがしが貴殿等の期待を背負うに足る男であるかと言われれば、正直なところ自信はない。しかし、北条一門の金澤家に生まれ、この鎌倉で育ったそれがしには、それだけの男にならねばならぬ責任があるとは思っている。だからこそ、京へ行くのだ。京で何が起きていたのか、あるいはこれから起きようとしているのか。そして、それに我等鎌倉武士はいかに相対するべきなのか――それをしかと見極められた時、それがしは今よりもひと回り大きくなって、ふたたび貴殿等の前へ戻って来られるはずだ。どうか、その時を待っていて欲しい」
「むろん、待っているとも」
 義貞は微笑んだ。
「それがしは、心底この鎌倉が好きなのだ。それだけに今の頽廃ぶりは、見ているだけでも辛くなる。貴殿や赤橋守時殿のような気概を持った方々に一日も早く新しき鎌倉を――清新なる武家の都を作っていただきたい。そのための力添えがもしできるならば、いかなる労をも厭わぬ覚悟ぞ」
「心強きお言葉、胸に刻みおき申す」
 貞将は深々と頭を下げる。
「おのれが背負うべきものの重さに、改めて身の引き締まる思いがいたす。だが、それを背負わせてもらえることに感謝せねばならぬとも思うており申す。新田殿、この鎌倉から、それがしの京での働きをしかとご覧くだされ。そして、至らぬところがあれば遠慮のう文など寄越して、叱りつけてくだされ」
「なんの、文などと生ぬるいことを言うてはおられぬ。そのような時はこの身が鎌倉より馳せ参じ、折檻してくれようほどに、お覚悟めされよ」
 義貞は悪戯っぽく笑いかけた。
「おお、これは恐ろしい。いよいよ気を引き締めてかからねば」
 貞将は杯を掲げながら笑い返す。
「金澤殿、京は魑魅魍魎の跋扈せし魔都だ。強き覚悟をもって行かれよ」
「もとより、そのつもりだ」
 この夜、ふたりは眠ることなく、朝まで語りつづけた。

 出立の日がやってきた。
 鎌倉武士の衆望を集める若き貴公子の旅立ちを見送ろうと集まった群衆は、みな一様に目を見張った。
 貞将は五千という大軍を従えていた。鎌倉の人々は、これほどの大軍を見たことがない。鎌倉市街の中心である若宮大路は、その雄姿をひと目見ようと集まった群衆の熱気に包まれた。
「いざ、出立いたす」
 勇壮な甲冑姿でその先頭に立つさまは、まさしく鎌倉武士団の総大将と呼ぶに相応しい威厳を備えていた。
「金澤さまは京へいくさに赴かれるのであろうか」
「しかし、主上のご謀叛はひとまず蹴りがついたそうではないか。いったい、誰を相手に戦うというのだ」
「今すぐに誰かと戦おうというわけではあるまい。だが、都では未だ先のご謀叛の火種が燻っているともいわれている。何が起きるかわからぬゆえ、用心が肝要なのであろう」
「なるほど、戦に向かうが如く覚悟をもって上洛されるということだな」
「それにしても、凛々しき武者ぶりよ。まこと、あのようなお方が執権であれば幕府も安泰であろうに」
「シッ、声が高い。内管領の長崎父子の手の者がどこに潜んでおるかわからぬぞ」
 人々が囁き合う中を、貞将と兵たちが粛然と進んでいく。
 一糸乱れぬ行軍が、群衆たちにいっそう頼もしい印象を与えた。
 その中に、新田義貞の姿もある。
 彼はこの日、弟の脇屋義助とともに貞将の旅立ちを見送りに来ていた。
「あれが金澤貞将殿か」
 呟いた義助。その顔立ちは、兄とはあまり似ていない。
 義貞がいかにも精悍な武人の風格を持っているのに対して、この義助はやや線が細く、よく言えば理知的な――悪く言えば冷ややかな風貌を持っていた。痩せ型だが、背丈は兄よりも頭ひとつぶん高かった。
「兄者が入れ込んでいる御仁よな」
「ああ、そうだ。鎌倉の行く末を託すに足る人物は、あの方を措いてほかにない」
「どうだかな。所詮、彼の仁とて驕り昂る北条一門の端くれであろう」
「義助、おまえも会って話せばわかるさ。あの方は、同じ北条一門でも得宗の高時などとは器が違う。我等武家の頂点に立つべき器量を備えている」
「兄者」
 義助の低い声が、凄味を増した。
「おのれの立場を自覚してもらわねば困るな」
「どういうことだ」
「我等は源氏、北条は平氏。武家の世において、源氏が平氏の風下に立つことは許されぬ。いかに金澤貞将殿が優れた武将であろうとも、鎌倉を背負って立つべきは彼の仁ではない。兄者だ。新田一族の惣領たる兄者こそ、武家の頭領たるに相応しい男なのだ」
「また、そなたの持論が始まったか」
 義貞は苦笑する。
「たしかに、この鎌倉に幕府を開かれしは源頼朝公だ。しかし、右大臣実朝公が鶴岡八幡宮で非業の死を遂げられてより百年余――この間、承久の乱や蒙古の襲来という幾多の難局を乗り越え、曲がりなりにも幕府を今日まで維持せしめたのは、紛れもなく北条氏の功績であろう。その事実は決して疎かにしてはならぬ」
「たしかに、そうかもしれぬ。だが、それはひとえに当時の執権たる義時公や泰時公、時宗公らが偉かったからに他なるまい。今の執権高時は、そうした先人たちの足元にも及ばぬ」
 義助は憎々し気に吐き捨てた。
「まつりごとを壟断している長崎父子とて同じことだ。特に息子の高資は、おのれの私腹を肥やすことばかりに意を注ぎ、この鎌倉の行く末など、まるで考えていない。奴等には志というものがないのだ。そのような者たちに俺たちの上に立つ資格などない」
「落ち着け、義助。このようなところで粋がっていても虚しくなるだけだぞ」
 いかにも兄らしい沈着さで、義貞は猛り立つ弟を諫めた。
「そなたに言われるまでもなく、俺は誇り高き源氏一門、新田の惣領だ。北条の連中がこの鎌倉を預けるに値せぬとなれば、いつでも起つ覚悟はできている。だが、俺の見たところ、あの金澤貞将という人物は、他の者たちとは明らかに違う。彼の御仁ならば源氏、平氏の垣根を越えて、ともに新しい鎌倉を造っていこうと思える――そんな男なのだ。だから――」
「だから?」
「彼の御仁が陰謀渦巻く京の都で何を見て、どのように感じ、それらをどういうふうにおのが力に変えてこの鎌倉へ帰って来るかを、俺は待ってみたいのだ。俺たちが源氏の旗印を高々と掲げ、鎌倉を北条の手から取り戻すかどうかは、その結果を見てから決めればいい」
「わかったよ」
 義助は微苦笑しながら頷く。
「なんともまどろっこしい話だが、兄者は我等の頭領だ。どこまでも付いて行くさ」
 そう言って、傍らに立つ兄の肩をポンとひとつ叩いた。

 沿道のそうしたやり取りを他所に、貞将の一行は粛々と歩を進めていく。
 貞将は凛然と前を向き、唇を固く結んで馬に揺られていた。
 その表情からは、緊張感をありありと見て取ることができる。
 これからおのれが果たさねばならぬ責務の重さと困難さに思いを馳せているのだろう。その様子は見守る人々に頼もしく映った。
「行ってらっしゃーい」
 不意に、甲高い叫び声が沿道から上がった。見物に来ていた幼児が、豪壮な甲冑絵巻を目の当たりにして、興奮を抑えきれなくなったのだろう。
「これ」
 慌てて小声で制したのは、その子の母親だろうか。
 貞将は、声がしたほうへ視線を向けた。
 若い母親が、四つか五つと思しき子どもを抱きかかえながら、こちらを見詰めている。
 母親の顔には気まずさが滲んでいたが、当の子どもは無邪気なものだ。貞将が自分のほうを向いてくれたことに気付いて、嬉しそうに手を振った。
「いけません」
 母親は、ますます慌てる。
 貞将は、幼児に向かって微笑み返し、小さく手を振った。
 群衆から、
 ――おお。
 と、声が上がる。
 貞将の気さくさに対する好意の声だ。
 幼児の顔に笑みがはじける。それを見た母親が、嬉しそうに頭を下げた。
 満足気に頷き返した貞将は、次の瞬間、ハッとして目を細めた。
 深々と頭を下げた母親の後ろに立つ、若い女性――その顔には、たしかに見覚えがあった。
 ――間違いない。あの時の女だ。
 高時の屋敷から逃れてきた、田楽舞の少女。
 追手から守り、無事に逃がしてやって以来、そのこと自体は忘れかけていた。だが、こうして思いがけぬ形で再会し、にもかかわらず、その顔をはっきりと認識できたことで、貞将はおのれが彼女の可憐な――それでいて芯の強い面影をずっと消さずに持ちつづけていたことに今さらながら気付かされた。
 向こうもどうやら貞将の視線に気付いたらしい。潤んだような眼差しを真っ直ぐに向けたまま、微笑んでみせた。
 貞将の心が波打つ。
 上洛が決まってから、はじめて鎌倉を離れることを寂しいと感じた。
 むろん一瞬のことだ。
 すぐに気を取り直し、真顔になって前を向く。
 少女の熱い眼差しを背中に受けながら、貞将は魑魅魍魎が跋扈するという都を目指すのだった。
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