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貌(かお)前編
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1
蛭ヶ小島の夏は心地よい。だが、あそこで暮らしていると、時折ひどく物悲しい気持ちに襲われることがあった。
以前、兄が何かの折にそう言っていたのを男は思い出した。
今、実際にこの地へ足を運んでみて、
――何がそんなに物悲しいのだろう。
と、首を傾げたくなった。
爽やかな涼風に乗せて、クロツグミが可憐な囀りを聞かせてくれている。近くを流れる狩野川のせせらぎは、どこまでもやわらかだ。何から何までやさしさに満ち溢れている。物悲しさとはむしろ対極の安らぎさえ、彼には感じられた。
とはいえ、兄はこの地で二十年余りも雌伏の時を過ごしていたのだ。明日の見えない憂鬱な日々。むろん辛かったことであろう。鬱屈した精神状態の中では、あるいはこの自然のやさしささえ煩わしく感じられることとてあったかもしれぬ。自由に囀る小鳥たちにすら妬ましさを覚えたかもしれぬ。そんなことを思うと、胸の奥で燻っていた哀しみや憎しみの火種は、すぐにも氷解してしまいそうだった。
「蒲殿」
傍らの僧侶が遠慮がちに呼びかける。
「そろそろ戻らねば、番人どもに怪しまれまするぞ」
「なに、まだかまわぬさ」
蒲殿と呼ばれた男は、嘯くように言った。
「あの者たちは、私のことなどどうでもよいと思っている。逃げ出すことなど絶対にできぬと、高を括ってくるのだよ」
「しかし……」
「それが証拠に、こうして今、私たちは寺を抜け出してこの蛭ヶ小島まで足を運ぶことができているではないか。見張りといっても所詮、その程度のものだ」
「はあ」
「みな私のことなどはなから相手にしていないのだよ」
蒲殿の声音は寂寞たる響きを帯びていた。聞いている僧侶のほうが、ひどく申し訳なげな面持ちで俯いてしまうほどに。
もっとも、当の本人の表情はいたってさばさばしている。といって、決して明るい貌をしているわけではないのだった。
強いて言えば虚無的、あるいは捨て鉢な雰囲気が強かった。その眼差しには不思議な透徹感すら漂っている。
僧侶はなおも何か言いたげな素振りを見せる。その様子を察知した蒲殿はかすかに微笑んで、
「わかったよ、すぐに戻る。そなたの立場というものもあるだろうからな。だが、もう少しだけ一緒に馬を走らせてはくれまいか」
と、子どもをあやすように言った。
「いいえ、拙僧は何も……」
僧侶は弁解しかけたが、すぐに口篭ってしまう。どうやら図星であったらしい。
そんな僧侶の様子を見て、蒲殿と呼ばれた男は、また少し笑った。
清かな風が蒲殿の頬をそっと撫でた。クロツグミたちの囀りは、いよいよもって愛くるしい重奏を奏でている。
「この近くに兄者が寓居としていた庵があると聞いた。それをぜひ見てみたいのだ」
蒲殿の言葉に僧侶は頷くと、先導して歩き出した。
蒲殿はゆっくりとその後にしたがった。
建久四年(一一九三)八月、蒲冠者こと源三河守範頼は征夷大将軍たる兄頼朝の勘気を被り、伊豆国へ配流された。
去る平家との合戦において、弟義経とともに大いなる働きを見せた功労者に対しては、あまりにも冷酷な仕打ちであると、御家人らの中には密かに同情を寄せる者も少なくなかったが、みな頼朝と、配流の決定を実際に下したとされる権力者北条義時の逆鱗に触れることを恐れて口を噤んだ。
範頼の罪科は今ひとつはっきりしなかった。
もっとも広く流布した風聞では、同年五月に催された富士の巻狩において頼朝の幕営に曽我十郎・五郎兄弟が押し入り、親の敵と称して御家人工藤祐経を刺殺に及んだ際、鎌倉にもたらされた第一報が、
――混乱のさなか、鎌倉殿(頼朝)も討たれまいらせ候。
というものであったのに対し、驚き慌てる御台所政子を落ち着かせるために範頼が発した言葉が頼朝の怒りを買ったということになっていた。
夫の死を聞かされて周章狼狽する政子に向かって、範頼はこう言ったのだ。
「ご心配には及びませぬ。たとえ兄者が命を落とされたとしても、義姉上にはこの私がついておりまするぞ」
頼朝と政子の間には頼家・実朝というふたりの男子がいたが、いずれもまだ幼く、将軍職を襲うには心許なかった。平家討伐に抜群の戦功を立て、軍神の呼び名さえ冠された義経は頼朝と対立し、奥州平泉において儚き露と消えていた。
残された者たちの中で頼朝亡き後、源氏の屋台骨を支えうるのは自分を措いて他にない。範頼にしてみれば、当然の自負といってよかった。
だが、どうやら頼朝と北条義時は、この言葉をまったく異なる意味合いで受け取ったものらしい。
聞けば、真っ先に反応したのは政子の弟に当たる義時であったという。卓抜な政治力の持ち主である彼は、このころ既に頼朝の懐刀としてなくてはならぬ存在になっていたが、同時にしたたかな野心家で、ともすれば貴族育ちの甘さが抜けぬ頼朝を巧みに操り、幕政の実権を握ろうとしているとの噂がもっぱらであった。その義時が、範頼の発言をあげつらうように、
「蒲殿には謀叛のお志がおありと見受けられまするな。鎌倉殿の身に一大事が起きたと知らされてもなんら動じることなく、むしろ積極的にみずからの存在を誇示せんとするあたり、日頃よりそうしたことを想定しておると疑わざるをえませぬ」
頼朝の耳元でそう囁いたというのである。
これを聞いた御家人たちの多くは、
――策謀家の義時のことじゃ。これを機に邪魔な御舎弟を排除せんとの肚積もりに相違あるまい。
と睨んだが、肝腎の頼朝がこの義時を信じきっているために、あえて諫言を試みる者とてなかった。
一方、頼朝は頼朝で、範頼が発したというひとことに対する黒い疑念――義時のそれとはまったく別次元の疑いを抱いていた。
――範頼め、儂亡き後、政子を我が物といたす所存か。
頼朝はそう思い、いいしれぬ嫉妬に駆られたのだった。
政子は田舎土豪の北条時政の娘である。都の公卿の娘などと比べれば、はるかに垢抜けない。だが、目鼻立ちははっきりしていて、顎元もよく締まっている。多少色黒で大柄ではあったが、まず美人の部類に属するであろう。
何人もの子を産み、かつては弾けるように肉感的だった肢体も、このところさすがに弛みが目立ち始めているが、意外なほど純真に政子に入れあげている頼朝の目には、どうやらそうした欠点はまるで見えていないらしかった。
彼の目に、政子は今も出会ったころのまま――平治の乱で敗れて伊豆国へ配流され、読経三昧の日々を過ごしていた青春時代に運命的な出逢いを果たした往時の瑞々しさを保ちつづけて映るのだった。
そんな政子を範頼の毒牙が狙っている。いかにも高貴な面差しよと世人にも評判の高い頼朝とは異なり、気弱げな八の字眉と糸を引いたように細い目、低い団子鼻の下に、そこだけ妙に立派な髭、およそ秀でたところのない凡庸な風貌の弟が……。
――僭越なり、範頼。
頼朝の怒りは強く、激しかった。彼は範頼に組み敷かれる政子の肢体をひとり勝手に想像し、手前味噌な妬心を醸成させて行った。
こうした気持ちも手伝って、義時の讒言をなんの疑いもなく聞き入れた頼朝は、範頼にほとんどひとことの弁解も許さず、一方的な採決で彼を伊豆国へ配流すると宣したのである。
範頼にしてみれば、何ひとつ身に覚えのない話だった。将軍たる兄に取って代わろうなどと考えたことは一度としてなかったし、まして御台所に横恋慕とは……。
――冗談もほどほどにするがよいぞ。誰があのような権高な大女に懸想などするものか。
そうは思ったが、口に出して言えることでもない。
結局、唯々諾々と兄の命に従うよりなかった。
2
伊豆へ流された範頼は修善寺へ入り、蟄居謹慎の身となった。
修善寺は弘法大師空海を開基に持つとの伝承があるほど由緒正しき曹洞宗の古刹である。
寺には何人かの修行僧がいた。彼等はみな、突然やってきたこの政治犯を警戒し、容易には近づこうとしなかったが、そんな中でただひとり、快実という四十がらみの僧侶だけが範頼に対して終始、好意的な姿勢を取りつづけた。
――なぜだ。
とは、範頼はあえて聞かない。快実の親切は身に染みて嬉しかったが、そのわけを知ることには、さほどの興味が湧かなかった。
範頼は寺の一室で、日がな書見をして過ごした。時折、近隣を散歩する程度のことは許されたものの、必ず見張り番が出て遠巻きに監視していた。その窮屈さに辟易した範頼は、いつしか外出をほとんどしなくなった。
雨の日も晴れの日も、彼は部屋の中で何をするでもなく無聊な生活を送った。
もとはそれなりに引き締まっていた体もすっかり肉がつき、醜く弛んでしまった。元来、さほど精悍とはいいがたかった顔つきに至っては、いっそう貧相さの度を増した。
今の彼を見た者は、これがかつて平家討伐軍の総大将として西国を転戦した武将とはとうてい信じられぬであろう。
だが、それは紛れもない事実なのだった。
範頼は源氏の頭領源義朝の六男として生まれた。
義朝は当時、平清盛と並んで諸国の武家を束ねる重鎮だった。それだけに精力が横溢しており、愛妾の数も半端ではなかった。
範頼は、そうした愛妾のひとりにすら加えられるかどうか微妙な行き摺りの女性に義朝が植えつけた胤であった。名も伝わらぬ母なる女性は、懐妊が確認されると遠江国蒲御厨の実家へ戻り、そこで範頼を産んだ。後年、範頼が、
――蒲冠者
と呼ばれるようになったのは、このためである。
範頼は母の実家で育てられた。父義朝はその後も何度か母の元をたずね、逢瀬を重ねたらしかったが、それもほどなくして絶えた。母が死病に侵され、やつれ衰えたことが原因であったらしい。病の苦しみと孤閨の寂しさで半ば悶絶するように母は黄泉路へ旅立ったという。
母が死んだとき、範頼は未だ年端も行かぬ子どもであった。彼はそのまま遠江の母方の縁戚に育てられ、格段の悩みも苦しみもなく、かといって特別な喜びもないまま単調に成育し、やがて大人になった。その間、父の義朝が平治の乱で平清盛との戦に敗れ、非業の死を遂げたことも人伝てに聞かされたが、何しろ一度として会った記憶もないために、ほとんどなんの感慨も湧いてこなかった。
ちょうど二十歳を過ぎたころ、伊豆の蛭ヶ小島に流されていた兄の頼朝が挙兵し、父・義朝の仇を奉じるべく平家方に戦を挑んだとの報せが届いた。
届けたのは、もと源氏の家人だったという初老の男である。男は範頼に対して、ただちに兄のもとへ馳せ参じ、ともに戦うべきだと主張した。
「父上の仇を討ちとうはござりませぬのか」
煮えきらぬ範頼を男は難詰したが、範頼にしてみれば、いい迷惑であった。父といわれても所詮は顔も知らぬ相手なのだ。しかも、聞けば病に苦しむ母を見捨てるように邪険にしたというではないか。
――そのような男のために、わが身を戦場にさらせというのか。
範頼は、目の前で唾を飛ばしながらまくし立てている初老の男を憎いとさえ思った。
いったんは男を追い払った範頼であったが、結局は遠江を出て頼朝のもとへ奔った。彼を駆り立てたものは父の仇を討ちたいという殊勝な熱意でも、ましてや源氏の御曹司としての使命感などでもなかった。彼はただ無性に会いたかったのである。
――兄者とは、どのようなお人だろうか。
思えば幼少の頃から身内らしい身内などまるでいない環境下で育てられてきた。母の親族はみなどこか余所余所しく、むしろ彼の存在を邪魔にしているふうでさえあった。今から思えば、平家全盛の御世に源氏の忘れ形見を養うというのは気苦労の絶えぬことだったのであろうが、頑是なき子どもの身でそのような事情など察せられるはずもなく、無意識のうちにも深い寂しさと虚無感を覚えながら大人になった範頼であった。それだけに、突然現れた「兄」という存在に強く魅かれたのである。
――兄に会いたい。会って、その力になりたい。
彼はわずか数名の供をしたがえて頼朝の本陣を訪ねた。
3
「そのほうが範頼か」
床机に腰を据えているのは、なんとも奇妙な体型をした小男だった。
体格そのものは華奢といってよかった。背は高くなく、とりわけ足が短い。にもかかわらず、頭部だけが目立って大振りなのである。見ようによっては滑稽味のある体型といえなくもなかった。
これが範頼の兄、源頼朝であった。
「兄弟の間柄にて遠慮は無用ぞ。ささ、面を上げよ」
声音は太く、重みがある。落ち着き払っていて、さすがは源氏の頭領よと聞く者を感じ入らせるだけの威厳を備えていた。範頼はその威に打たれたかのように、いっそう深々とひれ伏す。
「遠慮するなと申すに」
頼朝が少し焦れた様子で言う。どうやら、あまり気長なほうではないようだ。
「はっ」
範頼は恐る恐る顔を上げた。
生まれて初めて接する肉親の兄頼朝。その顔が今、目の前にある。そう思うだけで、範頼の胸に強い感動の波が押し寄せてきた。
この時とばかり、彼は兄の顔を食い入るように見詰め、隅々まで観察しようと試みた。
眉は凛々しく太かった。目は大きく、涼やかで切れ長だった。鼻は高く、綺麗に筋が通っていた。唇は薄く、品がある反面、やや酷薄そうな印象を受けた。
――これが、わが兄か。
あまりにも自分と趣の違う風貌に、範頼はかすかな戸惑いを覚えた。
範頼は典型的な田舎者顔だった。八の字眉、糸目、団子鼻、分厚い唇。形成するすべての要素がこの兄とは違っていた。いかに母親を異にしているとはいえ、これだけ共通項がないと「兄弟」としての親近感を抱けというほうが難しいであろう。範頼は、さっきまで胸中に押し寄せていた感動の波が急速に引いて行くのを感じていた。
どうやら、その思いは頼朝のほうも同じであったらしく、互いに見詰め合った後は興味を失ったように口数が少なくなった。
結局、対面は微妙な空気のまま終わり、範頼はとりあえず頼朝軍の幕僚に加わることとなった。
ほどなくして、もうひとりの弟が頼朝のもとを訪ねてきた。
九郎義経と名乗るその若者は、頼朝の許しも得ぬままずかずかと膝元へ歩み寄ると、頼朝のいかにも高貴な匂いのする華奢な手を握り締めて、
「必ずや……、必ずや父の仇を奉じ……、無念を晴らしてみせましょうぞ」
ほとんど何を言っているのかわからぬぐらい臆面もなく泣きじゃくってみせた。頼朝も、同席していた範頼も、その他の御家人たちも、みな呆気に取られたが、当の義経は周囲の目など意に介する素振りも見せず、ひとり感涙に咽びつづけた。
――おかしな奴だな。
範頼はそう思い、改めてこの弟を凝視した。
頼朝もそうだが、この義経もまたひどく小柄な若者であった。聞くところによれば、亡父義朝はがっしりとした大男だったそうである。にもかかわらず、この兄弟は誰ひとりとして大柄な体躯を持っていない。中肉中背の範頼は措くとして、頼朝も義経も標準よりうんと小さいのだ。しかも、三人とも面差しがまるで似ていない。
義経は体つきだけでなく、顔もまたひどく小振りだった。遠めに見ているだけでは女子かと見紛うほどである。丸い目はくりっとして小栗鼠のような愛くるしさを備えており、鼻も口もすべてが小さくまとまっていた。喋る時に口を開くと左右にひとつずつ大きな八重歯があるのが特徴的であった。
――三人とも母方の血が濃いのであろうか。
ぼんやりとそんなことを考えていると、不意に義経が範頼のほうへ向き直って、
「そちらにおわすは蒲冠者殿か」
と、甲高い声で叫んだ。
「いかにも」
範頼は仏頂面で応じる。その目には明らかに不快感が込められていた。
蒲冠者とは範頼の異称である。今日、合流したばかりの義経がその呼び名を知っていたことも意外だったが、それ以上に、初めて会った兄に対する態度としてはあまりにも無遠慮であろうと感じられたのだった。
「お目にかかれて、まことに嬉しゅうござる。ともに手を携え、憎き平家を滅ぼしましょうぞ」
「ああ」
短いやり取りだが、どっと疲れが出た。今後、この無礼な弟とともに平家追討軍を率いて西国へ赴くのだと思うと、ひどく憂鬱な気分に襲われた。
どう考えても、うまくやって行けるとは思われなかったのである。
4
範頼と義経は頼朝から鎌倉御家人らを預けられ、平家追討軍を編成した。
軍は正規軍と搦手軍とに分けられ、正規軍は範頼、搦手軍は義経がそれぞれ大将をつとめることになった。より責任が重いであろう正規軍のほうを範頼が任されたのは、格別の理由があったわけではない。
「蒲冠者殿は兄者ゆえ、正規軍をお持ちくだされ。それがしは弟ゆえ、搦手軍のほうをお預かりいたしましょう」
義経がそう言ったのに、なんとなくしたがっただけのことである。
後から思えば、これが不幸の始まりであった。
義経は、こと軍略にかけては天性ともいうべき資質を備えていた。宇治川における木曽義仲との同族抗争も、それにつづく一の谷、矢島、壇ノ浦の合戦でも、大きな手柄を立てたのはつねに搦手軍のほうだった。正規軍の範頼は鈍重な戦運びでしばしば危地に陥ることはあっても、敵軍に打撃らしい打撃を与えたことは一度としてなかった。
結果として、壇ノ浦の合戦で平家軍のことごとくが海の藻屑と消えたのは、九分九厘まで義経の功績といってよかった。範頼は迷惑をかけこそすれ目立った手柄のひとつも挙げることなく終戦を迎えた。
都へ凱旋した範頼たちを待っていたのは、京雀たちの黄色い歓声だった。義経は臆面もなく手を振ってそれらの声に応えていたが、範頼は面映さでまともに顔を上げることさえできなかった。
「えらい人気だな」
御所での戦勝報告を済ませた帰路、馬を並べて歩きながら、範頼は義経を揶揄するように言った。彼には、町衆の称賛の声がほとんどすべて義経のほうに向けられているとわかっていた。しぜん口振りも皮肉交じりの、ともすれば拗ねたような調子になりがちであった。
「院もずいぶん喜んでおいでであったな。そなたは果報者よ」
そんな範頼に対して、義経は実に屈託のない明るさで、
「嬉しいものですね。みなが我等の勝ち戦を言祝いでくれている」
そう言って、微笑みかけてきた。特徴的なふたつの八重歯を剥き出しにして笑うさまは、さながら幼き子どものような邪気のなさを感じさせる。義経が京の町衆のみならず禁裏の後白河院や公卿たちにまで高い人気を誇っているのは、存外このあたりの可愛げに要因があるのだろうと範頼は思った。
翻っておのれを見ると、義経に比べて決定的に愛嬌というものが欠けていた。よくいえば冷静で生真面目なのだが、悪くいえば冷めていて面白みがないのである。義経には満面の笑みで相対する院も公卿たちも、範頼に対してはどこか冷ややかな目を向けてくるのがつねであった。
この日の戦勝報告でも、院はもっぱら義経にばかり話しかけていた。
戦はどんな様子だったのか。敵の強さはどの程度だったか。味方の活躍は。
さまざまな質問を義経に投げかける。義経は時に冗談を交え、時に拳を振り上げながら、激戦の様子を熱く語って聞かせた。
院も公卿たちも大いに満足したようであった。その間、範頼が口を開く機会は一度として訪れず、やがて義経とともに、
「大儀であった」
と労われて、御所を後にしたのだった。
「鎌倉の兄者にも改めて勝ち戦の報告をせねばのう」
範頼が何気なく洩らしたひとことに、義経はその小振りな顔をさっと曇らせた。
「どうした」
怪訝そうに覗き込む範頼に向かって、義経はさっきまでの快活さが嘘のような暗鬱な表情を浮かべてみせ、
「鎌倉へは蒲冠者殿から使者を送っておいてくだされ」
ひどく投げやりな調子で言った。
「ああ、では連名でよいか」
「お好きなように」
「わかった、そうしよう」
範頼は気まずい思いをしながら頷く。
――九郎の奴、まだ根に持っておるのか。
一の谷の合戦において「鵯越の逆落とし」という前代未聞の奇襲戦法を成功させ、平家軍を海上へ追い込んだ義経は、その功によって朝廷から検非違使に任ぜられた。ところが、これが鎌倉で待つ頼朝の逆鱗に触れ、一時的に追討軍から外されてしまったのだ。
配下の者が勝手に任官することを頼朝は禁じていた。御家人たちに対するみずからの支配力を徹底させるためである。にもかかわらず、義経は検非違使への任官を受けた。ゆえに怒りを買ったのだった。
「ひどいと思いませぬか、蒲冠者殿」
しばらく逡巡した後、義経は呻くような声で言った。
「たしかに御家人らは鎌倉の兄者の許しを得ずに任官してはならぬと決められているかもしれない。だが、私は違う。私は弟なのです。鎌倉の兄者のためにこうして働いてはいるけれど、断じて家人になった覚えはない」
彼の口吻には強い憤懣の思いが込められている。それは、隣で聞いている範頼が思わずたじろいでしまうほどの激しさを孕んでいた。
「ただ、私は最近、思うのです。鎌倉の兄者は私たちのことなど所詮、数多い家人のひとりとしか見ておらぬのではないかと」
「馬鹿なことを申すな。我等は歴とした弟ぞ。誇り高き源氏の一門ぞ」
「そのようなこと、鎌倉の兄者はおそらく一度として考えたことがありませぬぞ」
義経が吐き捨てる。
「なぜだ、なぜそう思う」
「蒲冠者殿は鎌倉の兄者の貌をじっくりとご覧になったことがおありか」
「兄者の貌、とな」
「さよう、兄者の貌は、造作のどこを取っても私とまるで似ていない。目も、鼻も、口も、あるいは輪郭そのものも。似ている部分がどこにもないのです。あのいかにも貴族的に整った、およそ感情の表れない能面のような貌を見るたび、私は思うのですよ。ああ、この人と私とは所詮、他人同士なのだなと。兄弟などという耳障りのよい言葉は、実質的にはなんの意味も持っておらず、世間が兄弟というものに求める麗しき情愛も、少なくとも我等の間には望むべくもないのだと」
「九郎……」
「我等が兄弟であることは紛れもなき事実。しかし、鎌倉の兄者にとって、それはあくまで形の上だけのことでしかない。だから、私が任官した時、兄者は喜ぶどころか、怒りを露わにしたのです。私はあの人にとって、結局のところ、数多い家人のひとりに過ぎぬのですよ」
それは違うぞ、と言いかけて、範頼は言葉のつづきを呑み込んだ。
義経という弟は、こと軍事にかけては天才的な閃きを見せる反面、政治向きのこととなるとからきし疎かった。頼朝が義経の任官に立腹したのは、義経が単なる御家人とは違う存在だと認めているからこそである。これがもし一御家人の行為であったならば、あるいは叱責するだけで済ませたかもしれない。それだけで止めなかったのは、頼朝が義経の存在の大きさを認識しているからなのだ。
とはいえ、このことを義経に理解させる自信は、範頼にはなかった。今の義経は頼朝への不信感に捉われ過ぎている。範頼の説得など聞く耳は持っていまい。
「蒲冠者殿、他人事ではありませぬぞ。ご自分のお貌を鎌倉の兄者とよう見比べてご覧なされ。私の気持ちが少しはおわかりになるはずです」
義経はそう言って、寂しそうに笑った。
刹那、範頼は鈍い胸の痛みを覚えた。
「九郎、そなた……」
苦しげな眼差しを弟の顔に向ける。
平素、闊達で子どもっぽさの抜けきれないこの弟が、これほど儚げに見えたのは初めてのことであった。
蛭ヶ小島の夏は心地よい。だが、あそこで暮らしていると、時折ひどく物悲しい気持ちに襲われることがあった。
以前、兄が何かの折にそう言っていたのを男は思い出した。
今、実際にこの地へ足を運んでみて、
――何がそんなに物悲しいのだろう。
と、首を傾げたくなった。
爽やかな涼風に乗せて、クロツグミが可憐な囀りを聞かせてくれている。近くを流れる狩野川のせせらぎは、どこまでもやわらかだ。何から何までやさしさに満ち溢れている。物悲しさとはむしろ対極の安らぎさえ、彼には感じられた。
とはいえ、兄はこの地で二十年余りも雌伏の時を過ごしていたのだ。明日の見えない憂鬱な日々。むろん辛かったことであろう。鬱屈した精神状態の中では、あるいはこの自然のやさしささえ煩わしく感じられることとてあったかもしれぬ。自由に囀る小鳥たちにすら妬ましさを覚えたかもしれぬ。そんなことを思うと、胸の奥で燻っていた哀しみや憎しみの火種は、すぐにも氷解してしまいそうだった。
「蒲殿」
傍らの僧侶が遠慮がちに呼びかける。
「そろそろ戻らねば、番人どもに怪しまれまするぞ」
「なに、まだかまわぬさ」
蒲殿と呼ばれた男は、嘯くように言った。
「あの者たちは、私のことなどどうでもよいと思っている。逃げ出すことなど絶対にできぬと、高を括ってくるのだよ」
「しかし……」
「それが証拠に、こうして今、私たちは寺を抜け出してこの蛭ヶ小島まで足を運ぶことができているではないか。見張りといっても所詮、その程度のものだ」
「はあ」
「みな私のことなどはなから相手にしていないのだよ」
蒲殿の声音は寂寞たる響きを帯びていた。聞いている僧侶のほうが、ひどく申し訳なげな面持ちで俯いてしまうほどに。
もっとも、当の本人の表情はいたってさばさばしている。といって、決して明るい貌をしているわけではないのだった。
強いて言えば虚無的、あるいは捨て鉢な雰囲気が強かった。その眼差しには不思議な透徹感すら漂っている。
僧侶はなおも何か言いたげな素振りを見せる。その様子を察知した蒲殿はかすかに微笑んで、
「わかったよ、すぐに戻る。そなたの立場というものもあるだろうからな。だが、もう少しだけ一緒に馬を走らせてはくれまいか」
と、子どもをあやすように言った。
「いいえ、拙僧は何も……」
僧侶は弁解しかけたが、すぐに口篭ってしまう。どうやら図星であったらしい。
そんな僧侶の様子を見て、蒲殿と呼ばれた男は、また少し笑った。
清かな風が蒲殿の頬をそっと撫でた。クロツグミたちの囀りは、いよいよもって愛くるしい重奏を奏でている。
「この近くに兄者が寓居としていた庵があると聞いた。それをぜひ見てみたいのだ」
蒲殿の言葉に僧侶は頷くと、先導して歩き出した。
蒲殿はゆっくりとその後にしたがった。
建久四年(一一九三)八月、蒲冠者こと源三河守範頼は征夷大将軍たる兄頼朝の勘気を被り、伊豆国へ配流された。
去る平家との合戦において、弟義経とともに大いなる働きを見せた功労者に対しては、あまりにも冷酷な仕打ちであると、御家人らの中には密かに同情を寄せる者も少なくなかったが、みな頼朝と、配流の決定を実際に下したとされる権力者北条義時の逆鱗に触れることを恐れて口を噤んだ。
範頼の罪科は今ひとつはっきりしなかった。
もっとも広く流布した風聞では、同年五月に催された富士の巻狩において頼朝の幕営に曽我十郎・五郎兄弟が押し入り、親の敵と称して御家人工藤祐経を刺殺に及んだ際、鎌倉にもたらされた第一報が、
――混乱のさなか、鎌倉殿(頼朝)も討たれまいらせ候。
というものであったのに対し、驚き慌てる御台所政子を落ち着かせるために範頼が発した言葉が頼朝の怒りを買ったということになっていた。
夫の死を聞かされて周章狼狽する政子に向かって、範頼はこう言ったのだ。
「ご心配には及びませぬ。たとえ兄者が命を落とされたとしても、義姉上にはこの私がついておりまするぞ」
頼朝と政子の間には頼家・実朝というふたりの男子がいたが、いずれもまだ幼く、将軍職を襲うには心許なかった。平家討伐に抜群の戦功を立て、軍神の呼び名さえ冠された義経は頼朝と対立し、奥州平泉において儚き露と消えていた。
残された者たちの中で頼朝亡き後、源氏の屋台骨を支えうるのは自分を措いて他にない。範頼にしてみれば、当然の自負といってよかった。
だが、どうやら頼朝と北条義時は、この言葉をまったく異なる意味合いで受け取ったものらしい。
聞けば、真っ先に反応したのは政子の弟に当たる義時であったという。卓抜な政治力の持ち主である彼は、このころ既に頼朝の懐刀としてなくてはならぬ存在になっていたが、同時にしたたかな野心家で、ともすれば貴族育ちの甘さが抜けぬ頼朝を巧みに操り、幕政の実権を握ろうとしているとの噂がもっぱらであった。その義時が、範頼の発言をあげつらうように、
「蒲殿には謀叛のお志がおありと見受けられまするな。鎌倉殿の身に一大事が起きたと知らされてもなんら動じることなく、むしろ積極的にみずからの存在を誇示せんとするあたり、日頃よりそうしたことを想定しておると疑わざるをえませぬ」
頼朝の耳元でそう囁いたというのである。
これを聞いた御家人たちの多くは、
――策謀家の義時のことじゃ。これを機に邪魔な御舎弟を排除せんとの肚積もりに相違あるまい。
と睨んだが、肝腎の頼朝がこの義時を信じきっているために、あえて諫言を試みる者とてなかった。
一方、頼朝は頼朝で、範頼が発したというひとことに対する黒い疑念――義時のそれとはまったく別次元の疑いを抱いていた。
――範頼め、儂亡き後、政子を我が物といたす所存か。
頼朝はそう思い、いいしれぬ嫉妬に駆られたのだった。
政子は田舎土豪の北条時政の娘である。都の公卿の娘などと比べれば、はるかに垢抜けない。だが、目鼻立ちははっきりしていて、顎元もよく締まっている。多少色黒で大柄ではあったが、まず美人の部類に属するであろう。
何人もの子を産み、かつては弾けるように肉感的だった肢体も、このところさすがに弛みが目立ち始めているが、意外なほど純真に政子に入れあげている頼朝の目には、どうやらそうした欠点はまるで見えていないらしかった。
彼の目に、政子は今も出会ったころのまま――平治の乱で敗れて伊豆国へ配流され、読経三昧の日々を過ごしていた青春時代に運命的な出逢いを果たした往時の瑞々しさを保ちつづけて映るのだった。
そんな政子を範頼の毒牙が狙っている。いかにも高貴な面差しよと世人にも評判の高い頼朝とは異なり、気弱げな八の字眉と糸を引いたように細い目、低い団子鼻の下に、そこだけ妙に立派な髭、およそ秀でたところのない凡庸な風貌の弟が……。
――僭越なり、範頼。
頼朝の怒りは強く、激しかった。彼は範頼に組み敷かれる政子の肢体をひとり勝手に想像し、手前味噌な妬心を醸成させて行った。
こうした気持ちも手伝って、義時の讒言をなんの疑いもなく聞き入れた頼朝は、範頼にほとんどひとことの弁解も許さず、一方的な採決で彼を伊豆国へ配流すると宣したのである。
範頼にしてみれば、何ひとつ身に覚えのない話だった。将軍たる兄に取って代わろうなどと考えたことは一度としてなかったし、まして御台所に横恋慕とは……。
――冗談もほどほどにするがよいぞ。誰があのような権高な大女に懸想などするものか。
そうは思ったが、口に出して言えることでもない。
結局、唯々諾々と兄の命に従うよりなかった。
2
伊豆へ流された範頼は修善寺へ入り、蟄居謹慎の身となった。
修善寺は弘法大師空海を開基に持つとの伝承があるほど由緒正しき曹洞宗の古刹である。
寺には何人かの修行僧がいた。彼等はみな、突然やってきたこの政治犯を警戒し、容易には近づこうとしなかったが、そんな中でただひとり、快実という四十がらみの僧侶だけが範頼に対して終始、好意的な姿勢を取りつづけた。
――なぜだ。
とは、範頼はあえて聞かない。快実の親切は身に染みて嬉しかったが、そのわけを知ることには、さほどの興味が湧かなかった。
範頼は寺の一室で、日がな書見をして過ごした。時折、近隣を散歩する程度のことは許されたものの、必ず見張り番が出て遠巻きに監視していた。その窮屈さに辟易した範頼は、いつしか外出をほとんどしなくなった。
雨の日も晴れの日も、彼は部屋の中で何をするでもなく無聊な生活を送った。
もとはそれなりに引き締まっていた体もすっかり肉がつき、醜く弛んでしまった。元来、さほど精悍とはいいがたかった顔つきに至っては、いっそう貧相さの度を増した。
今の彼を見た者は、これがかつて平家討伐軍の総大将として西国を転戦した武将とはとうてい信じられぬであろう。
だが、それは紛れもない事実なのだった。
範頼は源氏の頭領源義朝の六男として生まれた。
義朝は当時、平清盛と並んで諸国の武家を束ねる重鎮だった。それだけに精力が横溢しており、愛妾の数も半端ではなかった。
範頼は、そうした愛妾のひとりにすら加えられるかどうか微妙な行き摺りの女性に義朝が植えつけた胤であった。名も伝わらぬ母なる女性は、懐妊が確認されると遠江国蒲御厨の実家へ戻り、そこで範頼を産んだ。後年、範頼が、
――蒲冠者
と呼ばれるようになったのは、このためである。
範頼は母の実家で育てられた。父義朝はその後も何度か母の元をたずね、逢瀬を重ねたらしかったが、それもほどなくして絶えた。母が死病に侵され、やつれ衰えたことが原因であったらしい。病の苦しみと孤閨の寂しさで半ば悶絶するように母は黄泉路へ旅立ったという。
母が死んだとき、範頼は未だ年端も行かぬ子どもであった。彼はそのまま遠江の母方の縁戚に育てられ、格段の悩みも苦しみもなく、かといって特別な喜びもないまま単調に成育し、やがて大人になった。その間、父の義朝が平治の乱で平清盛との戦に敗れ、非業の死を遂げたことも人伝てに聞かされたが、何しろ一度として会った記憶もないために、ほとんどなんの感慨も湧いてこなかった。
ちょうど二十歳を過ぎたころ、伊豆の蛭ヶ小島に流されていた兄の頼朝が挙兵し、父・義朝の仇を奉じるべく平家方に戦を挑んだとの報せが届いた。
届けたのは、もと源氏の家人だったという初老の男である。男は範頼に対して、ただちに兄のもとへ馳せ参じ、ともに戦うべきだと主張した。
「父上の仇を討ちとうはござりませぬのか」
煮えきらぬ範頼を男は難詰したが、範頼にしてみれば、いい迷惑であった。父といわれても所詮は顔も知らぬ相手なのだ。しかも、聞けば病に苦しむ母を見捨てるように邪険にしたというではないか。
――そのような男のために、わが身を戦場にさらせというのか。
範頼は、目の前で唾を飛ばしながらまくし立てている初老の男を憎いとさえ思った。
いったんは男を追い払った範頼であったが、結局は遠江を出て頼朝のもとへ奔った。彼を駆り立てたものは父の仇を討ちたいという殊勝な熱意でも、ましてや源氏の御曹司としての使命感などでもなかった。彼はただ無性に会いたかったのである。
――兄者とは、どのようなお人だろうか。
思えば幼少の頃から身内らしい身内などまるでいない環境下で育てられてきた。母の親族はみなどこか余所余所しく、むしろ彼の存在を邪魔にしているふうでさえあった。今から思えば、平家全盛の御世に源氏の忘れ形見を養うというのは気苦労の絶えぬことだったのであろうが、頑是なき子どもの身でそのような事情など察せられるはずもなく、無意識のうちにも深い寂しさと虚無感を覚えながら大人になった範頼であった。それだけに、突然現れた「兄」という存在に強く魅かれたのである。
――兄に会いたい。会って、その力になりたい。
彼はわずか数名の供をしたがえて頼朝の本陣を訪ねた。
3
「そのほうが範頼か」
床机に腰を据えているのは、なんとも奇妙な体型をした小男だった。
体格そのものは華奢といってよかった。背は高くなく、とりわけ足が短い。にもかかわらず、頭部だけが目立って大振りなのである。見ようによっては滑稽味のある体型といえなくもなかった。
これが範頼の兄、源頼朝であった。
「兄弟の間柄にて遠慮は無用ぞ。ささ、面を上げよ」
声音は太く、重みがある。落ち着き払っていて、さすがは源氏の頭領よと聞く者を感じ入らせるだけの威厳を備えていた。範頼はその威に打たれたかのように、いっそう深々とひれ伏す。
「遠慮するなと申すに」
頼朝が少し焦れた様子で言う。どうやら、あまり気長なほうではないようだ。
「はっ」
範頼は恐る恐る顔を上げた。
生まれて初めて接する肉親の兄頼朝。その顔が今、目の前にある。そう思うだけで、範頼の胸に強い感動の波が押し寄せてきた。
この時とばかり、彼は兄の顔を食い入るように見詰め、隅々まで観察しようと試みた。
眉は凛々しく太かった。目は大きく、涼やかで切れ長だった。鼻は高く、綺麗に筋が通っていた。唇は薄く、品がある反面、やや酷薄そうな印象を受けた。
――これが、わが兄か。
あまりにも自分と趣の違う風貌に、範頼はかすかな戸惑いを覚えた。
範頼は典型的な田舎者顔だった。八の字眉、糸目、団子鼻、分厚い唇。形成するすべての要素がこの兄とは違っていた。いかに母親を異にしているとはいえ、これだけ共通項がないと「兄弟」としての親近感を抱けというほうが難しいであろう。範頼は、さっきまで胸中に押し寄せていた感動の波が急速に引いて行くのを感じていた。
どうやら、その思いは頼朝のほうも同じであったらしく、互いに見詰め合った後は興味を失ったように口数が少なくなった。
結局、対面は微妙な空気のまま終わり、範頼はとりあえず頼朝軍の幕僚に加わることとなった。
ほどなくして、もうひとりの弟が頼朝のもとを訪ねてきた。
九郎義経と名乗るその若者は、頼朝の許しも得ぬままずかずかと膝元へ歩み寄ると、頼朝のいかにも高貴な匂いのする華奢な手を握り締めて、
「必ずや……、必ずや父の仇を奉じ……、無念を晴らしてみせましょうぞ」
ほとんど何を言っているのかわからぬぐらい臆面もなく泣きじゃくってみせた。頼朝も、同席していた範頼も、その他の御家人たちも、みな呆気に取られたが、当の義経は周囲の目など意に介する素振りも見せず、ひとり感涙に咽びつづけた。
――おかしな奴だな。
範頼はそう思い、改めてこの弟を凝視した。
頼朝もそうだが、この義経もまたひどく小柄な若者であった。聞くところによれば、亡父義朝はがっしりとした大男だったそうである。にもかかわらず、この兄弟は誰ひとりとして大柄な体躯を持っていない。中肉中背の範頼は措くとして、頼朝も義経も標準よりうんと小さいのだ。しかも、三人とも面差しがまるで似ていない。
義経は体つきだけでなく、顔もまたひどく小振りだった。遠めに見ているだけでは女子かと見紛うほどである。丸い目はくりっとして小栗鼠のような愛くるしさを備えており、鼻も口もすべてが小さくまとまっていた。喋る時に口を開くと左右にひとつずつ大きな八重歯があるのが特徴的であった。
――三人とも母方の血が濃いのであろうか。
ぼんやりとそんなことを考えていると、不意に義経が範頼のほうへ向き直って、
「そちらにおわすは蒲冠者殿か」
と、甲高い声で叫んだ。
「いかにも」
範頼は仏頂面で応じる。その目には明らかに不快感が込められていた。
蒲冠者とは範頼の異称である。今日、合流したばかりの義経がその呼び名を知っていたことも意外だったが、それ以上に、初めて会った兄に対する態度としてはあまりにも無遠慮であろうと感じられたのだった。
「お目にかかれて、まことに嬉しゅうござる。ともに手を携え、憎き平家を滅ぼしましょうぞ」
「ああ」
短いやり取りだが、どっと疲れが出た。今後、この無礼な弟とともに平家追討軍を率いて西国へ赴くのだと思うと、ひどく憂鬱な気分に襲われた。
どう考えても、うまくやって行けるとは思われなかったのである。
4
範頼と義経は頼朝から鎌倉御家人らを預けられ、平家追討軍を編成した。
軍は正規軍と搦手軍とに分けられ、正規軍は範頼、搦手軍は義経がそれぞれ大将をつとめることになった。より責任が重いであろう正規軍のほうを範頼が任されたのは、格別の理由があったわけではない。
「蒲冠者殿は兄者ゆえ、正規軍をお持ちくだされ。それがしは弟ゆえ、搦手軍のほうをお預かりいたしましょう」
義経がそう言ったのに、なんとなくしたがっただけのことである。
後から思えば、これが不幸の始まりであった。
義経は、こと軍略にかけては天性ともいうべき資質を備えていた。宇治川における木曽義仲との同族抗争も、それにつづく一の谷、矢島、壇ノ浦の合戦でも、大きな手柄を立てたのはつねに搦手軍のほうだった。正規軍の範頼は鈍重な戦運びでしばしば危地に陥ることはあっても、敵軍に打撃らしい打撃を与えたことは一度としてなかった。
結果として、壇ノ浦の合戦で平家軍のことごとくが海の藻屑と消えたのは、九分九厘まで義経の功績といってよかった。範頼は迷惑をかけこそすれ目立った手柄のひとつも挙げることなく終戦を迎えた。
都へ凱旋した範頼たちを待っていたのは、京雀たちの黄色い歓声だった。義経は臆面もなく手を振ってそれらの声に応えていたが、範頼は面映さでまともに顔を上げることさえできなかった。
「えらい人気だな」
御所での戦勝報告を済ませた帰路、馬を並べて歩きながら、範頼は義経を揶揄するように言った。彼には、町衆の称賛の声がほとんどすべて義経のほうに向けられているとわかっていた。しぜん口振りも皮肉交じりの、ともすれば拗ねたような調子になりがちであった。
「院もずいぶん喜んでおいでであったな。そなたは果報者よ」
そんな範頼に対して、義経は実に屈託のない明るさで、
「嬉しいものですね。みなが我等の勝ち戦を言祝いでくれている」
そう言って、微笑みかけてきた。特徴的なふたつの八重歯を剥き出しにして笑うさまは、さながら幼き子どものような邪気のなさを感じさせる。義経が京の町衆のみならず禁裏の後白河院や公卿たちにまで高い人気を誇っているのは、存外このあたりの可愛げに要因があるのだろうと範頼は思った。
翻っておのれを見ると、義経に比べて決定的に愛嬌というものが欠けていた。よくいえば冷静で生真面目なのだが、悪くいえば冷めていて面白みがないのである。義経には満面の笑みで相対する院も公卿たちも、範頼に対してはどこか冷ややかな目を向けてくるのがつねであった。
この日の戦勝報告でも、院はもっぱら義経にばかり話しかけていた。
戦はどんな様子だったのか。敵の強さはどの程度だったか。味方の活躍は。
さまざまな質問を義経に投げかける。義経は時に冗談を交え、時に拳を振り上げながら、激戦の様子を熱く語って聞かせた。
院も公卿たちも大いに満足したようであった。その間、範頼が口を開く機会は一度として訪れず、やがて義経とともに、
「大儀であった」
と労われて、御所を後にしたのだった。
「鎌倉の兄者にも改めて勝ち戦の報告をせねばのう」
範頼が何気なく洩らしたひとことに、義経はその小振りな顔をさっと曇らせた。
「どうした」
怪訝そうに覗き込む範頼に向かって、義経はさっきまでの快活さが嘘のような暗鬱な表情を浮かべてみせ、
「鎌倉へは蒲冠者殿から使者を送っておいてくだされ」
ひどく投げやりな調子で言った。
「ああ、では連名でよいか」
「お好きなように」
「わかった、そうしよう」
範頼は気まずい思いをしながら頷く。
――九郎の奴、まだ根に持っておるのか。
一の谷の合戦において「鵯越の逆落とし」という前代未聞の奇襲戦法を成功させ、平家軍を海上へ追い込んだ義経は、その功によって朝廷から検非違使に任ぜられた。ところが、これが鎌倉で待つ頼朝の逆鱗に触れ、一時的に追討軍から外されてしまったのだ。
配下の者が勝手に任官することを頼朝は禁じていた。御家人たちに対するみずからの支配力を徹底させるためである。にもかかわらず、義経は検非違使への任官を受けた。ゆえに怒りを買ったのだった。
「ひどいと思いませぬか、蒲冠者殿」
しばらく逡巡した後、義経は呻くような声で言った。
「たしかに御家人らは鎌倉の兄者の許しを得ずに任官してはならぬと決められているかもしれない。だが、私は違う。私は弟なのです。鎌倉の兄者のためにこうして働いてはいるけれど、断じて家人になった覚えはない」
彼の口吻には強い憤懣の思いが込められている。それは、隣で聞いている範頼が思わずたじろいでしまうほどの激しさを孕んでいた。
「ただ、私は最近、思うのです。鎌倉の兄者は私たちのことなど所詮、数多い家人のひとりとしか見ておらぬのではないかと」
「馬鹿なことを申すな。我等は歴とした弟ぞ。誇り高き源氏の一門ぞ」
「そのようなこと、鎌倉の兄者はおそらく一度として考えたことがありませぬぞ」
義経が吐き捨てる。
「なぜだ、なぜそう思う」
「蒲冠者殿は鎌倉の兄者の貌をじっくりとご覧になったことがおありか」
「兄者の貌、とな」
「さよう、兄者の貌は、造作のどこを取っても私とまるで似ていない。目も、鼻も、口も、あるいは輪郭そのものも。似ている部分がどこにもないのです。あのいかにも貴族的に整った、およそ感情の表れない能面のような貌を見るたび、私は思うのですよ。ああ、この人と私とは所詮、他人同士なのだなと。兄弟などという耳障りのよい言葉は、実質的にはなんの意味も持っておらず、世間が兄弟というものに求める麗しき情愛も、少なくとも我等の間には望むべくもないのだと」
「九郎……」
「我等が兄弟であることは紛れもなき事実。しかし、鎌倉の兄者にとって、それはあくまで形の上だけのことでしかない。だから、私が任官した時、兄者は喜ぶどころか、怒りを露わにしたのです。私はあの人にとって、結局のところ、数多い家人のひとりに過ぎぬのですよ」
それは違うぞ、と言いかけて、範頼は言葉のつづきを呑み込んだ。
義経という弟は、こと軍事にかけては天才的な閃きを見せる反面、政治向きのこととなるとからきし疎かった。頼朝が義経の任官に立腹したのは、義経が単なる御家人とは違う存在だと認めているからこそである。これがもし一御家人の行為であったならば、あるいは叱責するだけで済ませたかもしれない。それだけで止めなかったのは、頼朝が義経の存在の大きさを認識しているからなのだ。
とはいえ、このことを義経に理解させる自信は、範頼にはなかった。今の義経は頼朝への不信感に捉われ過ぎている。範頼の説得など聞く耳は持っていまい。
「蒲冠者殿、他人事ではありませぬぞ。ご自分のお貌を鎌倉の兄者とよう見比べてご覧なされ。私の気持ちが少しはおわかりになるはずです」
義経はそう言って、寂しそうに笑った。
刹那、範頼は鈍い胸の痛みを覚えた。
「九郎、そなた……」
苦しげな眼差しを弟の顔に向ける。
平素、闊達で子どもっぽさの抜けきれないこの弟が、これほど儚げに見えたのは初めてのことであった。
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