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第1話 ここは好きっていうのが普通でしょ?

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 今日は絶対に素敵な日になるわ。大好きだったミシュラが授業の後に体育館裏の噴水の前で私に伝えたいことがあるってわざわざお母様を経由して言ってきたのよ。

 ようやく、私の長年の思いが通じたのね。嬉しいわ。彼が私の家にホームスティとして来て、あの優しい微笑みを見た後、私はもう一目惚れしたわ。だから、彼が国に帰ろうと手続きをする度にお父様に協力してもらって彼に日本に残ってもらうようにしたのよ。でも、その努力もこれで…

「ハルカ、来てくれたか」

 噴水の前に行くと既にそこには私の思い人であるミシュラがいた。彼はアッシュブラウンの髪に優しげな瞳。

 均整の取れた顔立ちから母国での高い地位がある一族であることが窺える。佇む姿は足がすらっと長く長身であるため、まるでモデルのようね。そうではないわね。

 その姿は絵本から抜け出して来た王子様のように…

 いえ、彼は私の王子様で間違いないわね。それに確か。先祖は王族だったはずだから、あながち間違ってないのかもしれないわ。どちらにしても、私の王子様よ。

「お待たせしてすみません。ミシュラ」

「いや、待っていないよ。こちらから呼びつけてしまったからね」

「…と、ところで、急にこのような場所に私を呼び出してどうしたの?」

 わかっています。私たちは同じ家に住んでいるのですから、私だけに知らせたいことがあるのですよね。もう、想像するだけで心臓が止まりそうです。この人のために祖母の代からずっと通っていたお嬢様学校をやめて、共学の公立の学校に編入したのですから。

 でも、嬉しいです。本当に…

「ああ、君にどうしても伝えないといけないことがあってね」

 そうですよね。そうですよね。はい、ああ、ついにですか。

「もう、あなたの父親や母親にも伝えてあるんだけど」

 そうなのですか? 伝えてある? まさか、結婚を前提としたお付き合いだから両親から説得したのですか。気が早いです。もう、顔が真っ赤になって茹で上がりそうです。

「聞いてくれ。ハルカ」

 そう言って私の両肩をしっかりと掴み彼は真剣な瞳でこちらを見て来ました。

「は、はい」

 ああ、もう、だめかも…

「僕の母国で、戦争がはじまったんだ。父上が総大将で全軍の指揮を任された」

 え!? なんですか。この平和な日本で戦争? いえ、彼の母国の話? 

「僕は父と共に侵略者である隣国と戦うことになった。これは一族すべての総意のもとで決定したことなんだ」

 聞いていませんよ。なんですか? つまり、国に帰るということですか?

「そんな!? 私を置いて、日本をはなれるのですか?」

「うん? 私を置いてってどんな意味だ? まぁ、いいか。そうだね。日本を離れると言うよりも母国に帰るだけなんだけど」

 私の言葉に困惑しながらも話を続けるミシュラ。

「いやです。なんで、そんな危険なところにミシュラが行く必要があるんですか。お願いです。戦争なんて危険です。そんなところに行かないでください!!」

「すまない。ハルカ、僕には家族を見捨てることができないんだ」

「なら、私とも家族になってください。そうすれば…」

「ハルカ、その言葉はすごく嬉しい。でも、僕には小さな弟も、そしてたくさんの親戚たちがいるんだ。彼らを守れるのは父と、それを補佐する一族の者だけなんだよ」

「そんな…」

「泣かないで、ハルカ」

 そう言って、彼はポケットから取り出したハンカチで私の涙を拭う。ああ、家族となってくださいという私の言葉に嬉しいと返してくださったのは…

 本当に私の方が嬉しいです。でも、戦争に行くだなんて…

「すまない。実はもう今から母国に帰るんだ。君には僕の口から個人的に伝えたくてね」

「こんなことは聞きたくありませんでした。本当だったら、今日が人生の最高に幸せな日になると思っていましたのに…」

 人生、最悪の日ですわ。もう、ミシュラに会えなくなるかもしれないなんて…

「本当は学校のみんなに知らせるべきだったんだけど。湿っぽいのは嫌いでね。みんなには内緒で、出て行こうとしたんだ。でもさ、お世話になった家族にはきちんと伝えたいと思ったんだ」

 そう言って困った顔をしながら、微笑むミシュラ。

「ああ、もうこんな時間か。すまない。ハルカ、君と過ごした日々はまるで宝石のようにキラキラとして輝いていたよ。僕の人生で、もっとも楽しい時間だった」

 キラキラとして輝いているのはあなたですと心から言いたいです。このイケメン。

「だけど、僕にもケジメをつけないといけないことがあるからね。母国に帰るんだ。いつまでも逃げていてはいけないからね」

「逃げてもいいではないですか。むしろ、私のために逃げてください」

「ありがとう、ハルカ。でも、時間だ。そろそろ、空港に向かわないと間に合わないから」

「行かないでください。私を置いていかないでください」

「ハルカ、元気でね」

 彼はそう言った後に噴水の近くにある西門に停めてあったタクシーに乗り込んで去っていった。私を置いてね。もう今日は生涯で1番に最悪な日です。
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