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第39話 むかし話

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 百年前、その国を飢饉ききんが襲った。

 一昨年から冷害が続き、ろくな作物が育たず、国全域で食うものに困っていた。

 秋口だというのに、雪がちらついていた。
 そもそも雪の降らない国であった。
 真冬のような寒さが、飢えたひとびとをこころまでこごえさせ、家の中に閉じ籠らせた。
 日中でも人通りはほとんどなかった。

 そんな無人の大通りを、ひとりの少年が元気に走り回っていた。

 歳は十より下だろう。
 子供らしい純真なまなざしには、わずかの曇りもない。
 常に空を見上げるような明るさがあり、瞳は太陽を移したように輝いている。
 笑いっぱなしの口からは犬歯けんしが覗き、ほがらかな中にカラッとした野生味が感じられた。

 体は存外に健康だった。
 かなり細いが、飢饉の只中ただなかにしては削げ落ちていない。

 しかし服は穴だらけのボロで、そこから見える素肌がところどころ黒ずんでいた。

 それは暴力のあとである。
 食い物を盗もうとして失敗したときに殴られ、それがシミになって残ったものだ。

 ——孤児である。

 育ててくれる親はいない。手を差し伸べるひともいない。
 だから、盗みを働く。

 とはいえ彼はクサッていない。
 温和な表情を見れば孤独に毒されているなどと考えられない。

 彼の手にはパンがひとつ握られていた。
 もちろん盗んだものだ。
 それを持って町外れの森に向かう。

 そこには何匹かの野犬がたむろしていた。
 彼はその中に飛び込むと、まるで母親にじゃれつく幼児のようにまとわりついた。

 犬たちはそれに応えるようにほほを舐め、身を寄せてあたためた。
 そしてパンをちぎり、分け合って食った。
 彼らは少年の家族であった。

 少年は四歳のとき親を亡くした。流行りやまいだった。

 いつの時代も飢えと病がひとを殺す。
 ただ、本来なら子供や老人から亡くなるところを、親が死んで幼子だけ生き残ったというのはめずらしい。

 これを、子供だけでも助かってよかったと思うか、子供だけ助かってしまったと思うかは、ひとそれぞれだろう。

 少年は独りで生きていかなければなかった。
 彼の住まう地域は病によって壊滅し、手を差し伸べる者はなかった。
 また、国土の大外に位置する片田舎であったため、どうしても援助が遅れた。
 彼は救助が来るまでのひと月を、幼い体ひとつで耐えなければならなかった。

 彼は途方に暮れた。
 いや、その歳では途方に暮れることもできなかった。
 ただひたすら無人の町をさまよい、泣いていた。

 そんな彼を救ったのは野良犬だった。
 犬たちは彼をあたため、なぐさめ、笑顔にさせた。
 町の食糧が腐っていく中、森に住まう新鮮な野生の食事を与えてくれた。

 おかげで少年はすこやかに育った。
 不衛生な食事は不思議と体を強くした。

 なにが犬たちにそうさせたのかはわからない。
 彼らは少年の親となり、兄弟となり、家族となった。
 暑い日はそろって川に飛び込み、寒い夜は身を重ねてあたため合った。
 それは言語をやりとりする実際の親子より親密で、ことによればはるかに幸福だったかもしれない。

 やがて町は復興し、本来の性質を取り戻した。
 元々温暖な土地で、ひとも空気もあたたかい。
 成長するにつれて服や靴が合わなくなったが、そのつど面倒見のいい年寄りが用意してくれた。
 野生児のごとく生きる彼に施しを与えた。
 保安官も多少の盗みは見逃し、厳罰に処するところでも少しの折檻せっかんで許していた。

 ときに、人間世界に戻そうともした。
 野良犬暮らしは微笑ほほえましくもあり、ひどく不憫ふびんにも見えた。
 しかし少年は決して戻ることはせず、家族の住まう森を寝床にした。
 いずれ大人になれば、生き方を考えなければならないだろう。
 だがそんなことを考えられるほど大人でもないし、いまの生活が好きだった。

 もっとも、その”大人”になることはなかった。

 野良犬暮らしがはじまって数年が経つころ、突如として寒波が襲った。
 ひと月ふた月ではない。
 二年という歳月を過ぎてもまだ続いている。

 夏は涼しく、冬は猛烈に寒い。
 当然作物がろくに育たず、しかもはじめて味わう”雪”という天変地異にひとびとは惑い、苦しみ、バタバタと死んでいった。

 とくに二年目がひどかった。

 一年目はまだ食糧があり、死んだのは浮浪者ばかりだった。
 飢餓きがの予感とともに世間のほどこしが閉ざされ、スカンピンの彼らは飢えに苦しみ、倒れていった。
 このとき町民はまだ、ほとんど死んでいない。

 しかし翌年も冷害が続き、本格的な飢饉となった。

 なにせ畑が死んでいるのだ。
 元々働いていた男たちは稼ぎ口を失い、食い物が買えなくなった。
 そもそも食い物の流通自体がなかった。
 おかげで多くの悲惨な事件が起きた。

 一家心中——などはやさしい方かもしれない。

 暴力が流行った。
 それまで妻に手を上げたこともない男が、家族を食わせるためと言って農家を殺し、たくわえを奪った。
 わずかの食い物のために、妻娘つまむすめに”商売”をさせる者が現れた。
 噂では、ひとの肉を口にすることもあったという。

 さいわい少年の町はそんなことにならなかった。
 森が近いため、野獣の肉を求めたのである。
 獲れる量は少ないが、人間が壊れるような事態は起きなかった。

 そうして三年目になった。

 まだ飢饉は続いていた。
 このころになるとさすがにこの町も悲壮感に染まっていた。

 森の獲物はほとんどいなくなった。
 やっと国が隣国からの援助を得たが、割に合わない借金を背負ってのわずかなものだった。

 侵略されなかったのが唯一のすくいだろう。
 当時の国際情勢はこじれにこじれ、一触即発の状態だった。
 そのため、わずかの動きもいのち取りで、どの国も侵略に兵を回せずにいたのだ。

 もっとも、それが世界を崩す遠因えんいんになるなど、だれも思わない。
 ここに巨大な爆弾が眠っているなど、だれも知るはずがない。
 そのときはまだ、火薬は詰まっていないのだから。

 もしこの土地が他国に攻め入られれば、まったく別の世界が広がっていただろう。
 少年は戦火を避け、犬とともにどこぞへと去り、彼なりの豊かな人生を送っただろう。

 だが、偶然か、運命か、世界は破滅の種を残した。
 そしてある夜、悲惨な事件を引き金に、種は人類をおびやかす大樹へと成長する。

 少年はその晩、いつものように家族と森で寝ていた。
 高級布団よりあたたかい生きた毛皮に包まれ、寒空の下とは思えない幸福な眠りについていた。

 彼らは比較的”裕福”な暮らしをしていた。
 人間は森の獲物を狩り尽くしたと思っていたが、犬たちはどういうわけか、まだ小動物を見つけてくる。
 文明人にはない特殊な勘があるのだろう。
 それに野生の食えるものは種類が多い。
 火を通さずとも、さまざまなものが食える。

 少年は夢を見ていた。
 狩りの夢だった。
 空想の中で大人になった彼は、犬たちよりも早く野山を駆け、次々と野ねずみを捕まえた。
 何匹も、何匹も捕らえた。

 しあわせだった。
 そのままずっと走り続けたいと思った。

 それは、突然の叫声によって破られた。

 目覚めると、家族たちに矢が突き刺さっていた。
 気づけば周囲をぐるりと男が取り囲んでいる。

 彼らの目的は食糧だった。
 死ぬか生きるかギリギリの生活をする彼らにとって、犬の肉はごちそう以外の何物でもなかった。

 もちろん本心から望んだことではない。

「犬を殺して食うなんて」

 平素へいそならきっとそう言うだろう。
 元来おだやかな民である。
 だが飢えは、彼らの精神をむしばんでいた。
 理性を超えた本能が、ひとを野獣に変えていた。

 生きるためである。
 家族を食わせるためである。
 だれが彼らを責められよう。
 むしろ、あたりまえのことかもしれない。

 再び矢が家族を襲った。
 逃げようとしたもの、抵抗したものは剣で切り裂かれた。
 平穏な夜に血の色が飛び散った。

 少年は困惑し、絶望し、人間にしがみついて懇願こんがんした。

「やめて! 殺さないで!」

 必死の叫びだった。
 暴力では敵わないことを知っていた。
 ただでさえ暗い夜が、涙でゆがんでろくに見えなかった。

 だが、男たちの表情だけはわかった。

 わらっていた。
 目を吊り上げ、ほほをねじり上げ、残虐ざんぎゃくで、醜悪しゅうあくで、殺戮さつりくをたのしむ悪魔のかおをしていた。

 現実はそうではなかったかもしれない。
 少年のいだく恐怖がそう見せたのかもしれない。
 視界はぐにゃぐにゃにぼやけていた。

 しかしどうあれ、それだけのことが起こっていた。

 男たちは次々と矢を射った。
 家族の悲鳴が、ぎゃん、ぎゃん、と響き、止めようとした少年もさんざん殴られた。

 それを助けようとした一匹の犬に、ざっくりとやいばが突き立てられた。

「ああっ!」

 少年は、血まみれの毛皮に抱きついた。

 ぬめりとあたたかいものが触れた。

 死にかけの口から、はあはあと熱い吐息が絶え間なく吐かれ、浅い呼吸に合わせて胴が激しく上下した。

 うつろな目は、じっとりと少年を見つめていた。

 少年は泣き崩れた。
 悲しみがこころを押し潰した。

 同時に激しい怒りが爆発した。

 絶望を超える怨嗟えんさが、地上のすべてを天上に吹き飛ばすほどのいきおいで湧きあがった。

 すると、奇跡が起きた。

 少年の姿が変わった。
 肌が青く、目は赤く染まった。

 反骨の力、トリガー・スキルが発動していた。

 赤い瞳が輝くと、野良犬たちも姿を変えた。
 黒く、大きく、まるで闇と融合した狼のようになった。
 肉体の変化は矢を押し出し、切り傷を癒着ゆちゃくさせた。

 魔物となった家族たちは、尋常じんじょうでない動きで牙を剥いた。
 目にもまらぬはやさで駆け巡り、ほとんど影としか映らなかった。
 目視できたのは、スキルの効果で動体視力の上がった少年だけだった。

 夜襲の男たちは数秒で肉片となった。

 これが、はじまりである。

 家族を殺されかけた少年は、怒りのあまり、すべての人間を憎んでしまった。
 やがて、みずからを魔王と名乗り、人類を滅ぼさんと復讐の炎を燃やした。
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