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VSラーメン屋

第十三話 真夜中の決意

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「そういうわけだ! おれは全力で戦うぜ!」

 おれはオロシィに向かって叫んだ。
 ほぼ降参のポーズからこの張り合いはちっとばかし気まずい気もしたが、なんとか勢いでごまかそうとした。

 すると、

「へえ……わかってるじゃない」

 オロシィはアンに余裕の笑みを向け、簡単な解説をくれた。

 戦狂竜バーサクドラゴン——かつて世界じゅうで暴れ回ったドラゴンで、たび重なる討伐により現在は生息地を狭めている。

 肉質は硬く、老鶏ろうけいのように噛めば噛むほど味が出る。
 メインの肉料理には向かないが、長時間煮込んだスープは最高で、骨には濃いうま味が眠っている。

「たしかに戦狂竜バーサクドラゴンの骨ならいいダシがとれるわ。味の傾向も鶏ガラの上位互換のようなものだし、当日手に入る材料としては最高、最適のものね」

「市場でさんざん訊いて回ったからね! これであんたなんかコテンパンよ!」

「うふふっ。元気のいいこと」

 相変わらずオロシィは余裕だった。
 というか、なにやらうれしそうに見える。

 なんで? おれが降参ひっくり返したことにも文句言わねえし、いったいなに考えてんだ?

「コトナリ! おっぱいばっか見てないでさっさとやるわよ!」

 ち、違えよ! おれはただヤツの表情が気になっただけで……!

「ほら! 骨砕いて! あたしがやり方言うから!」

 およ? おめえその本なんだ?

「ドラゴンラーメンのレシピ本よ! 骨といっしょに買ってきたの! これから十日間、徹底的に煮込むわよ~~!」

 それはおれたちの勝利に必須の本だった。
 というのも、どうやらドラゴンでダシをとるにはコツがあり、鶏ガラや豚骨といった一般的な骨とは扱いが違うらしい。

 そして煮込む時間だが、ドラゴンのうま味は底なしと思えるほど深く、完全に引き出すには最低八日、できれば十日がベストだという。

 なるほど、だからラーメン勝負は十日間なんだな。
 最高のダシ、ドラゴンをしっかり煮込むために。

 なんにしても、これでやっとおなじ土俵どひょうに立てたぜ!

「……ううん、まだ不利よ」

 へ? なんで? 材料はおなじだぜ?

「いいえ、違うわ。だってドラゴンの格が違うもの」

 ドラゴンの格?

「たしかにおなじドラゴンよ。だけど青玉竜サファイアドラゴンのうま味はツーランクくらい上なの。ほら、書いてあるでしょ?」

 ほう? 青玉竜サファイアドラゴン、Sランク、すっきり濃厚……
 戦狂竜バーサクドラゴン、Bプラスランク、あっさり系……

 ……え、これって!

「そう、材料の時点で負けてるの。好みの差はあるけど、根本的なところで下を行ってるのよ」

 なんてこった! それじゃダメじゃん!

「その通りよ!」

 オロシィが言った。

「ラーメンはスープで決まると言っても過言じゃないわ! だからわたしは最高のドラゴンを用意したの! 絶対勝てるようにね!」

 くそぉー! だから余裕なのか! 準備の時点で勝ちが見えてるから!

「わかった? わたしが時間の無駄と言った理由が!」

 わかったぜ! こりゃ降参した方がいいな!

「ただ……まだわからないけどね」

 へ?

「フフッ」

 なんだこいつ。なにがまだわかんねえんだ?

 絶対に勝てるスープなんだろ?
 格が違えんだろ?
 なに笑ってやがる。

「ねえ、オーナーさん。わたしいま、すっごくたのしいって言ったら怒るかしら」

 はあ?

「もちろん勝つのはわたしよ。勝つに決まってる。ラーメンに人生を捧げたわたしが、好きな食材使い放題で作ってるんですもの。負けるはずがないわ。だけど……」

 だけど?

「なにかしらね……あなたたちを見てると、もしかしてって思っちゃうの。ラーメンの作り方もろくに知らないド素人なのに、なんだか見てるとワクワクして、このふたりならもしかしたら、わたしの知らないすごいラーメンを見せてくれるかもって。スープの不利を覆すような、すごい味のね」

 そうなのか……?

「それに……フフッ! あなたたちふたりが今後どうなっていくのか、考えるとたのしくって」

 おれたちがどうなっていくか? なに言ってんだこいつ。
 なあ、アン。おれ意味わかんねえんだけど、おめえわかるか?

「うっさいわね! いま大事なとこ読んでんの! 話しかけないでくれる!?」

 わあ、怒られた!

「言っとくけどあの店の金は半分あたしのなんだからね! ぜぇーーーーッたい負けないんだから!」

 ひええ! 鬼みてえだ! こりゃヘタに話しかけねえ方がよさそうだぞ!

「ふふふ、がんばれっ」

 オロシィがそう言ってウィンクをした。
 こいつもなに考えてっかわかんねえなあ。ま、なんでもいいけどよ。

 とにかくいまは全力でスープを作ろう。
 最高のダシをとり、最高のラーメンを作り、絶対に勝つ。

 ——そしてまた、アンとたのしく暮らすんだ!

 おれたちは勝負に本腰を入れ、真剣に寸胴と向かい合った。

 ながい戦いがはじまった。

 竜骨は煮え続ける。

 火は絶え間なく燃え、時が過ぎてゆく。

 まきをなんどとなく追加した。
 火は繰り返し燃料を要求し、そのたびに時間の経過を感じた。

 スープが見えない速度で蒸発する。
 減った分の水を補充し、またいつしか蒸発し、じわじわと竜の濃度を上げていく。

 気づけば観客は消えていた。
 勝負の決着は十日後だ。
 延々とアクを取り続ける姿はおもしろくもなんともない。

 闘技場にはほとんど人が近寄らなくなり、ここにいるのは対戦チームの四人と、仁王立ちで勝負を見守るジャッジのみとなった。

 ひたすらに時が過ぎていく……

「はあ……」

 おれは見飽きた寸胴を眺め、ため息をついた。

 現在時刻は深夜二時。
 勝負開始から六十二時間、つまり二日半が経過していた。

 これだけ煮込んでもまだアクが出てくる。
 ドラゴンの骨にいかに栄養があり、煮込む必要があるかの証明だ。
 こりゃあさぞうめえスープができんだろうなあ、まったくよお。

「疲れたわね」

 シーツにくるまるアンが言った。
 おれたちは交代で仮眠を取っていた。

「起きてたのか」

「なんかね」

 アンの声には張りがなかった。
 もっとも、おれもだ。
 長時間おなじ作業を続けることで、肉体と精神ににぶい疲れが蓄積していた。

「あと七日?」

 アンがわかりきったことを訊いた。
 それは質問とも確認とも違う、ただうんざりしたいだけの言葉だった。

 おれは「ああ」とだけ答えた。

「はぁ……」

 アンは寝返りを打ち、背中を向けた。
 おれもそうしたかった。
 なんでたかがラーメンのためにこんなことしてんだ、と悪態をつきたかった。

 そう、たかがラーメンだ。

「なあ、アン」

「なによ」

「あのラーメンっていくらぐらいするんだろうな」

「あのラーメンって、オロシィの?」

「ああ」

「そうねぇ……青玉竜サファイアドラゴンの骨が十二万ケインで、あの寸胴からスープが二十杯とれるとして……一杯あたり原価六千ケイン。で、仮に減価率を三十パーセントとしたら、スープだけで二万ケイン。具材もいいものを使うとして、たぶん二万五千くらいいくんじゃない?」

「……おかしくねえか?」

「なにがよ」

「だってラーメンだぜ? ラーメンなんてせいぜい五、六百ケインってとこだろ?」

「まあ、高くても千ケインね」

戦狂竜バーサクドラゴンの骨っていくらした?」

「一万ちょい」

 とすると……五百けからの原価三十パーで……

「うわ、おれらのラーメンも二千ケインぐらいいくじゃねえか」

「そうね」

「ラーメンだぜ?」

「ええ」

「なあ、おかしいだろ。ラーメン一杯二千ケインだぞ? かたや二万五千ケインだぞ? そんなのラーメンじゃねえだろ」

「知らないわよ」

「おまえ、ラーメン一杯に二千ケイン出すか?」

「バカ言わないでよ。ラーメンなんてお昼なに食べようかってフラッと近所の中華屋入って、チャーハンギョウザセット頼んで、本棚のおっさん向けマンガ読みながら雑に食べるもんじゃない。セットで千ケインってとこでしょ」

「だろ? それが何万ってすんだぜ? バカじゃねえの?」

「だから知らないわよ」

 アンは苛立いらだたしく寝返りを打ち、手枕で夜空を向いた。
 こいつも勝負がいやになっている。
 つぶったままのまぶたの上で、気に入らないとでも言いたげに眉毛が不満を描いている。

 おれもだ。
 なんでこんなことしなきゃならねえんだ。
 たかがラーメンだぞ。
 それを何万って高級食材使って、何日もずーっと鍋とにらめっこしてよ……

「おれたち、なにやってんだろうな……」

「知らないわよ……」

 ふたりとも声に張りがない。
 でもやめるわけにもいかない。
 店を失うということは大金を失うことで、アンは絶対に引けないし、おれもアンのために負けられない。

 せめて金だけ守れねえかなあ……店はあげちまってもいいから金だけこっそり……

「——あ、そうだ!」

 おれは最高のアイデアをひらめいた。
 そうだよ、あれがあったよ!

「なに? どうしたの?」

 驚いてアンが身を起こした。
 おれはオロシィ側のキッチンを注視し、現在オロシィが仮眠中で、副店長が忙しく野菜を切っているのを視認した。

 よし! いまならいける!

「アン! ちょっと待っててくれ!」

「え!? ちょっとスープは!?」

 おれは急いでダッシュした。
 オロシィが目覚める前にことを済ませたかった。
 別に作戦がバレるとは思えねえが、見つからないに越したことはない。

 そして三十分後、ひと仕事終えて戻ってきた。

「バカー! スープ見てないでなにやってんのよー!」

 アンがプリプリ怒っていた。
 そりゃそうか。おれも説明しときゃよかったな。

(しーっ! 静かに!)

 おれは口元に人差し指を当ててひそひそ言った。
 するとアンもすぐに察して小声になり、

(なによ!)

(すまねえ。でももうスープはいいんだ)

(なに言ってんのよ! これがダメになったら負けちゃうでしょ!)

(ああ、負けでいいんだ)

(はあ!?)

(なあ、大声を出さないって約束してくれ)

 おれはそう言ってキッチンの陰にしゃがみ、ふところから半月状の白いポケットを取り出した。

 そして、中からごっそり金貨をつかみ出して見せた。

(——っ!)

 アンは口を押さえて息を殺した。目をおっ広げてクソ驚いている。

(な、なによこれ!)

(どこでもポケットってんだ)

 そう、これは神様からもらった不思議なアイテム“どこでもポケット”だ。
 中にはいくらでもものが入り、重さも感じない。
 こいつがあれば店の金をすべて持ち出せる。

(じゃあ、この中には……)

(ショーンズ・キッチンの金がぜーんぶ入ってるぜ)

(てことは店を開け渡しても……)

(スッカラカンってわけさ)

(あんた……やるじゃない!)

 アンはそりゃあもううれしそうに笑った。
 こいつは金のことだと本当に笑顔になる。困ったもんだ。

(てことでズラかろうぜ。いつまでもこんなことやってらんねえよ)

(そうね! さっさと行きましょう! あたしもうやだ!)

 おれはすぐさまジャッジの元に向かい、またもひそひそ声で言った。

(なあ、ジャッジさんよお)

(む? なんだ小声で……)

(いや、相手が寝てるから大声出しちゃ悪いだろ)

(なるほど。それでなんの用だ)

(いやさ、おれたちスープで失敗しちまったから降参するわ)

(なに!? ……なんと、それは残念だ。せっかくいい勝負が見れると思ったのに)

(そんなわけでおれたち帰るからさ、あいつが起きたら店を譲るって伝えといてくれ)

(あいわかった。コトナリオーナーは降参し、店の権利をオロシィに譲る。間違いないな)

(おう。そいじゃよろしく)

 降参を伝え、おれたちは足早に立ち去った。

「あ~~! つっかれたあーー!」

 アンは溜まっていた肩コリを解放するように伸びをし、夜の街を闊歩かっぽした。
 おれも腕や腰を回し、やっと手に入れた自由を謳歌おうかした。

「まったく、バカみてえだぜ! ラーメン一杯食うのに何日かけんだっつーの!」

「ホント冗談じゃないわよ! ひとりでやってろって話よねー!」

 おれたちは散々に言った。
 たかがラーメンのためになんなんだよと、深夜ということも忘れて大口開けて文句を並べた。

 実に清々すがすがしかった。
 アンとふたり、ひとつのことを話していると、胸の中が星空よりもキラキラした。

「ねえ、これからどーするつもり?」

「とりあえずこの街にはいらんねえよな。金ぜんぶ持ってきちまったからなあ」

「それって……支払いとか従業員の給料とかもぜんぶ?」

「まずかったかな?」

「ううん、最高!」

 アンは実にいい笑顔で言った。
 見た目はかわいいが性格は最悪だ。がめついったらありゃしねえ。

 そんなアンがぴょこんと人差し指を立て、言った。

「王都に行くってのはどうかしら」

「王都?」

「王様が住んでる首都よ。こんな地方都市、比べ物にならないくらい広くて、人口も多いわ。きっとおいしいお店がいっぱいあるわよ」

「そりゃいいや! 金ならあるしな!」

「そうと決まればレッツゴー!」

 こうしておれたちは王都に向かった。
 駅馬車屋を叩き起こし、朝が来る前に出発しろと騒ぎ立て、最終的に大金を握らせて無理やり出発させた。

 街をついでの長旅だ。
 きっともうこの街には戻ってこないだろう。

「不安?」

 車上でうしろを振り返るおれにアンが言った。
 からかうような、はしゃぐような声だった。

「……いや、さよならをさ」

 おれは小さく手を振った。
 そこは第二の故郷であり、おれの家だった。
 ほんの二ヶ月きりの、だけど思い出のたっぷり詰まった、アンと出会った街……

 ガタゴトと馬車が進んでいく。

 目指すは王都。
 うまいものを求めて……
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