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VSラーメン屋
第十三話 真夜中の決意
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「そういうわけだ! おれは全力で戦うぜ!」
おれはオロシィに向かって叫んだ。
ほぼ降参のポーズからこの張り合いはちっとばかし気まずい気もしたが、なんとか勢いでごまかそうとした。
すると、
「へえ……わかってるじゃない」
オロシィはアンに余裕の笑みを向け、簡単な解説をくれた。
戦狂竜——かつて世界じゅうで暴れ回ったドラゴンで、たび重なる討伐により現在は生息地を狭めている。
肉質は硬く、老鶏のように噛めば噛むほど味が出る。
メインの肉料理には向かないが、長時間煮込んだスープは最高で、骨には濃いうま味が眠っている。
「たしかに戦狂竜の骨ならいいダシがとれるわ。味の傾向も鶏ガラの上位互換のようなものだし、当日手に入る材料としては最高、最適のものね」
「市場でさんざん訊いて回ったからね! これであんたなんかコテンパンよ!」
「うふふっ。元気のいいこと」
相変わらずオロシィは余裕だった。
というか、なにやらうれしそうに見える。
なんで? おれが降参ひっくり返したことにも文句言わねえし、いったいなに考えてんだ?
「コトナリ! おっぱいばっか見てないでさっさとやるわよ!」
ち、違えよ! おれはただヤツの表情が気になっただけで……!
「ほら! 骨砕いて! あたしがやり方言うから!」
およ? おめえその本なんだ?
「ドラゴンラーメンのレシピ本よ! 骨といっしょに買ってきたの! これから十日間、徹底的に煮込むわよ~~!」
それはおれたちの勝利に必須の本だった。
というのも、どうやらドラゴンでダシをとるにはコツがあり、鶏ガラや豚骨といった一般的な骨とは扱いが違うらしい。
そして煮込む時間だが、ドラゴンのうま味は底なしと思えるほど深く、完全に引き出すには最低八日、できれば十日がベストだという。
なるほど、だからラーメン勝負は十日間なんだな。
最高のダシ、ドラゴンをしっかり煮込むために。
なんにしても、これでやっとおなじ土俵に立てたぜ!
「……ううん、まだ不利よ」
へ? なんで? 材料はおなじだぜ?
「いいえ、違うわ。だってドラゴンの格が違うもの」
ドラゴンの格?
「たしかにおなじドラゴンよ。だけど青玉竜のうま味はツーランクくらい上なの。ほら、書いてあるでしょ?」
ほう? 青玉竜、Sランク、すっきり濃厚……
戦狂竜、Bプラスランク、あっさり系……
……え、これって!
「そう、材料の時点で負けてるの。好みの差はあるけど、根本的なところで下を行ってるのよ」
なんてこった! それじゃダメじゃん!
「その通りよ!」
オロシィが言った。
「ラーメンはスープで決まると言っても過言じゃないわ! だからわたしは最高のドラゴンを用意したの! 絶対勝てるようにね!」
くそぉー! だから余裕なのか! 準備の時点で勝ちが見えてるから!
「わかった? わたしが時間の無駄と言った理由が!」
わかったぜ! こりゃ降参した方がいいな!
「ただ……まだわからないけどね」
へ?
「フフッ」
なんだこいつ。なにがまだわかんねえんだ?
絶対に勝てるスープなんだろ?
格が違えんだろ?
なに笑ってやがる。
「ねえ、オーナーさん。わたしいま、すっごくたのしいって言ったら怒るかしら」
はあ?
「もちろん勝つのはわたしよ。勝つに決まってる。ラーメンに人生を捧げたわたしが、好きな食材使い放題で作ってるんですもの。負けるはずがないわ。だけど……」
だけど?
「なにかしらね……あなたたちを見てると、もしかしてって思っちゃうの。ラーメンの作り方もろくに知らないド素人なのに、なんだか見てるとワクワクして、このふたりならもしかしたら、わたしの知らないすごいラーメンを見せてくれるかもって。スープの不利を覆すような、すごい味のね」
そうなのか……?
「それに……フフッ! あなたたちふたりが今後どうなっていくのか、考えるとたのしくって」
おれたちがどうなっていくか? なに言ってんだこいつ。
なあ、アン。おれ意味わかんねえんだけど、おめえわかるか?
「うっさいわね! いま大事なとこ読んでんの! 話しかけないでくれる!?」
わあ、怒られた!
「言っとくけどあの店の金は半分あたしのなんだからね! ぜぇーーーーッたい負けないんだから!」
ひええ! 鬼みてえだ! こりゃヘタに話しかけねえ方がよさそうだぞ!
「ふふふ、がんばれっ」
オロシィがそう言ってウィンクをした。
こいつもなに考えてっかわかんねえなあ。ま、なんでもいいけどよ。
とにかくいまは全力でスープを作ろう。
最高のダシをとり、最高のラーメンを作り、絶対に勝つ。
——そしてまた、アンとたのしく暮らすんだ!
おれたちは勝負に本腰を入れ、真剣に寸胴と向かい合った。
永い戦いがはじまった。
竜骨は煮え続ける。
火は絶え間なく燃え、時が過ぎてゆく。
薪をなんどとなく追加した。
火は繰り返し燃料を要求し、そのたびに時間の経過を感じた。
スープが見えない速度で蒸発する。
減った分の水を補充し、またいつしか蒸発し、じわじわと竜の濃度を上げていく。
気づけば観客は消えていた。
勝負の決着は十日後だ。
延々とアクを取り続ける姿はおもしろくもなんともない。
闘技場にはほとんど人が近寄らなくなり、ここにいるのは対戦チームの四人と、仁王立ちで勝負を見守るジャッジのみとなった。
ひたすらに時が過ぎていく……
「はあ……」
おれは見飽きた寸胴を眺め、ため息をついた。
現在時刻は深夜二時。
勝負開始から六十二時間、つまり二日半が経過していた。
これだけ煮込んでもまだアクが出てくる。
ドラゴンの骨にいかに栄養があり、煮込む必要があるかの証明だ。
こりゃあさぞうめえスープができんだろうなあ、まったくよお。
「疲れたわね」
シーツにくるまるアンが言った。
おれたちは交代で仮眠を取っていた。
「起きてたのか」
「なんかね」
アンの声には張りがなかった。
もっとも、おれもだ。
長時間おなじ作業を続けることで、肉体と精神ににぶい疲れが蓄積していた。
「あと七日?」
アンがわかりきったことを訊いた。
それは質問とも確認とも違う、ただうんざりしたいだけの言葉だった。
おれは「ああ」とだけ答えた。
「はぁ……」
アンは寝返りを打ち、背中を向けた。
おれもそうしたかった。
なんでたかがラーメンのためにこんなことしてんだ、と悪態をつきたかった。
そう、たかがラーメンだ。
「なあ、アン」
「なによ」
「あのラーメンっていくらぐらいするんだろうな」
「あのラーメンって、オロシィの?」
「ああ」
「そうねぇ……青玉竜の骨が十二万ケインで、あの寸胴からスープが二十杯とれるとして……一杯あたり原価六千ケイン。で、仮に減価率を三十パーセントとしたら、スープだけで二万ケイン。具材もいいものを使うとして、たぶん二万五千くらいいくんじゃない?」
「……おかしくねえか?」
「なにがよ」
「だってラーメンだぜ? ラーメンなんてせいぜい五、六百ケインってとこだろ?」
「まあ、高くても千ケインね」
「戦狂竜の骨っていくらした?」
「一万ちょい」
とすると……五百掛けからの原価三十パーで……
「うわ、おれらのラーメンも二千ケインぐらいいくじゃねえか」
「そうね」
「ラーメンだぜ?」
「ええ」
「なあ、おかしいだろ。ラーメン一杯二千ケインだぞ? かたや二万五千ケインだぞ? そんなのラーメンじゃねえだろ」
「知らないわよ」
「おまえ、ラーメン一杯に二千ケイン出すか?」
「バカ言わないでよ。ラーメンなんてお昼なに食べようかってフラッと近所の中華屋入って、チャーハンギョウザセット頼んで、本棚のおっさん向けマンガ読みながら雑に食べるもんじゃない。セットで千ケインってとこでしょ」
「だろ? それが何万ってすんだぜ? バカじゃねえの?」
「だから知らないわよ」
アンは苛立たしく寝返りを打ち、手枕で夜空を向いた。
こいつも勝負がいやになっている。
つぶったままのまぶたの上で、気に入らないとでも言いたげに眉毛が不満を描いている。
おれもだ。
なんでこんなことしなきゃならねえんだ。
たかがラーメンだぞ。
それを何万って高級食材使って、何日もずーっと鍋とにらめっこしてよ……
「おれたち、なにやってんだろうな……」
「知らないわよ……」
ふたりとも声に張りがない。
でもやめるわけにもいかない。
店を失うということは大金を失うことで、アンは絶対に引けないし、おれもアンのために負けられない。
せめて金だけ守れねえかなあ……店はあげちまってもいいから金だけこっそり……
「——あ、そうだ!」
おれは最高のアイデアをひらめいた。
そうだよ、あれがあったよ!
「なに? どうしたの?」
驚いてアンが身を起こした。
おれはオロシィ側のキッチンを注視し、現在オロシィが仮眠中で、副店長が忙しく野菜を切っているのを視認した。
よし! いまならいける!
「アン! ちょっと待っててくれ!」
「え!? ちょっとスープは!?」
おれは急いでダッシュした。
オロシィが目覚める前にことを済ませたかった。
別に作戦がバレるとは思えねえが、見つからないに越したことはない。
そして三十分後、ひと仕事終えて戻ってきた。
「バカー! スープ見てないでなにやってんのよー!」
アンがプリプリ怒っていた。
そりゃそうか。おれも説明しときゃよかったな。
(しーっ! 静かに!)
おれは口元に人差し指を当ててひそひそ言った。
するとアンもすぐに察して小声になり、
(なによ!)
(すまねえ。でももうスープはいいんだ)
(なに言ってんのよ! これがダメになったら負けちゃうでしょ!)
(ああ、負けでいいんだ)
(はあ!?)
(なあ、大声を出さないって約束してくれ)
おれはそう言ってキッチンの陰にしゃがみ、ふところから半月状の白いポケットを取り出した。
そして、中からごっそり金貨をつかみ出して見せた。
(——っ!)
アンは口を押さえて息を殺した。目をおっ広げてクソ驚いている。
(な、なによこれ!)
(どこでもポケットってんだ)
そう、これは神様からもらった不思議なアイテム“どこでもポケット”だ。
中にはいくらでもものが入り、重さも感じない。
こいつがあれば店の金をすべて持ち出せる。
(じゃあ、この中には……)
(ショーンズ・キッチンの金がぜーんぶ入ってるぜ)
(てことは店を開け渡しても……)
(スッカラカンってわけさ)
(あんた……やるじゃない!)
アンはそりゃあもううれしそうに笑った。
こいつは金のことだと本当に笑顔になる。困ったもんだ。
(てことでズラかろうぜ。いつまでもこんなことやってらんねえよ)
(そうね! さっさと行きましょう! あたしもうやだ!)
おれはすぐさまジャッジの元に向かい、またもひそひそ声で言った。
(なあ、ジャッジさんよお)
(む? なんだ小声で……)
(いや、相手が寝てるから大声出しちゃ悪いだろ)
(なるほど。それでなんの用だ)
(いやさ、おれたちスープで失敗しちまったから降参するわ)
(なに!? ……なんと、それは残念だ。せっかくいい勝負が見れると思ったのに)
(そんなわけでおれたち帰るからさ、あいつが起きたら店を譲るって伝えといてくれ)
(あいわかった。コトナリオーナーは降参し、店の権利をオロシィに譲る。間違いないな)
(おう。そいじゃよろしく)
降参を伝え、おれたちは足早に立ち去った。
「あ~~! つっかれたあーー!」
アンは溜まっていた肩コリを解放するように伸びをし、夜の街を闊歩した。
おれも腕や腰を回し、やっと手に入れた自由を謳歌した。
「まったく、バカみてえだぜ! ラーメン一杯食うのに何日かけんだっつーの!」
「ホント冗談じゃないわよ! ひとりでやってろって話よねー!」
おれたちは散々に言った。
たかがラーメンのためになんなんだよと、深夜ということも忘れて大口開けて文句を並べた。
実に清々しかった。
アンとふたり、ひとつのことを話していると、胸の中が星空よりもキラキラした。
「ねえ、これからどーするつもり?」
「とりあえずこの街にはいらんねえよな。金ぜんぶ持ってきちまったからなあ」
「それって……支払いとか従業員の給料とかもぜんぶ?」
「まずかったかな?」
「ううん、最高!」
アンは実にいい笑顔で言った。
見た目はかわいいが性格は最悪だ。がめついったらありゃしねえ。
そんなアンがぴょこんと人差し指を立て、言った。
「王都に行くってのはどうかしら」
「王都?」
「王様が住んでる首都よ。こんな地方都市、比べ物にならないくらい広くて、人口も多いわ。きっとおいしいお店がいっぱいあるわよ」
「そりゃいいや! 金ならあるしな!」
「そうと決まればレッツゴー!」
こうしておれたちは王都に向かった。
駅馬車屋を叩き起こし、朝が来る前に出発しろと騒ぎ立て、最終的に大金を握らせて無理やり出発させた。
街をついでの長旅だ。
きっともうこの街には戻ってこないだろう。
「不安?」
車上でうしろを振り返るおれにアンが言った。
からかうような、はしゃぐような声だった。
「……いや、さよならをさ」
おれは小さく手を振った。
そこは第二の故郷であり、おれの家だった。
ほんの二ヶ月きりの、だけど思い出のたっぷり詰まった、アンと出会った街……
ガタゴトと馬車が進んでいく。
目指すは王都。
うまいものを求めて……
おれはオロシィに向かって叫んだ。
ほぼ降参のポーズからこの張り合いはちっとばかし気まずい気もしたが、なんとか勢いでごまかそうとした。
すると、
「へえ……わかってるじゃない」
オロシィはアンに余裕の笑みを向け、簡単な解説をくれた。
戦狂竜——かつて世界じゅうで暴れ回ったドラゴンで、たび重なる討伐により現在は生息地を狭めている。
肉質は硬く、老鶏のように噛めば噛むほど味が出る。
メインの肉料理には向かないが、長時間煮込んだスープは最高で、骨には濃いうま味が眠っている。
「たしかに戦狂竜の骨ならいいダシがとれるわ。味の傾向も鶏ガラの上位互換のようなものだし、当日手に入る材料としては最高、最適のものね」
「市場でさんざん訊いて回ったからね! これであんたなんかコテンパンよ!」
「うふふっ。元気のいいこと」
相変わらずオロシィは余裕だった。
というか、なにやらうれしそうに見える。
なんで? おれが降参ひっくり返したことにも文句言わねえし、いったいなに考えてんだ?
「コトナリ! おっぱいばっか見てないでさっさとやるわよ!」
ち、違えよ! おれはただヤツの表情が気になっただけで……!
「ほら! 骨砕いて! あたしがやり方言うから!」
およ? おめえその本なんだ?
「ドラゴンラーメンのレシピ本よ! 骨といっしょに買ってきたの! これから十日間、徹底的に煮込むわよ~~!」
それはおれたちの勝利に必須の本だった。
というのも、どうやらドラゴンでダシをとるにはコツがあり、鶏ガラや豚骨といった一般的な骨とは扱いが違うらしい。
そして煮込む時間だが、ドラゴンのうま味は底なしと思えるほど深く、完全に引き出すには最低八日、できれば十日がベストだという。
なるほど、だからラーメン勝負は十日間なんだな。
最高のダシ、ドラゴンをしっかり煮込むために。
なんにしても、これでやっとおなじ土俵に立てたぜ!
「……ううん、まだ不利よ」
へ? なんで? 材料はおなじだぜ?
「いいえ、違うわ。だってドラゴンの格が違うもの」
ドラゴンの格?
「たしかにおなじドラゴンよ。だけど青玉竜のうま味はツーランクくらい上なの。ほら、書いてあるでしょ?」
ほう? 青玉竜、Sランク、すっきり濃厚……
戦狂竜、Bプラスランク、あっさり系……
……え、これって!
「そう、材料の時点で負けてるの。好みの差はあるけど、根本的なところで下を行ってるのよ」
なんてこった! それじゃダメじゃん!
「その通りよ!」
オロシィが言った。
「ラーメンはスープで決まると言っても過言じゃないわ! だからわたしは最高のドラゴンを用意したの! 絶対勝てるようにね!」
くそぉー! だから余裕なのか! 準備の時点で勝ちが見えてるから!
「わかった? わたしが時間の無駄と言った理由が!」
わかったぜ! こりゃ降参した方がいいな!
「ただ……まだわからないけどね」
へ?
「フフッ」
なんだこいつ。なにがまだわかんねえんだ?
絶対に勝てるスープなんだろ?
格が違えんだろ?
なに笑ってやがる。
「ねえ、オーナーさん。わたしいま、すっごくたのしいって言ったら怒るかしら」
はあ?
「もちろん勝つのはわたしよ。勝つに決まってる。ラーメンに人生を捧げたわたしが、好きな食材使い放題で作ってるんですもの。負けるはずがないわ。だけど……」
だけど?
「なにかしらね……あなたたちを見てると、もしかしてって思っちゃうの。ラーメンの作り方もろくに知らないド素人なのに、なんだか見てるとワクワクして、このふたりならもしかしたら、わたしの知らないすごいラーメンを見せてくれるかもって。スープの不利を覆すような、すごい味のね」
そうなのか……?
「それに……フフッ! あなたたちふたりが今後どうなっていくのか、考えるとたのしくって」
おれたちがどうなっていくか? なに言ってんだこいつ。
なあ、アン。おれ意味わかんねえんだけど、おめえわかるか?
「うっさいわね! いま大事なとこ読んでんの! 話しかけないでくれる!?」
わあ、怒られた!
「言っとくけどあの店の金は半分あたしのなんだからね! ぜぇーーーーッたい負けないんだから!」
ひええ! 鬼みてえだ! こりゃヘタに話しかけねえ方がよさそうだぞ!
「ふふふ、がんばれっ」
オロシィがそう言ってウィンクをした。
こいつもなに考えてっかわかんねえなあ。ま、なんでもいいけどよ。
とにかくいまは全力でスープを作ろう。
最高のダシをとり、最高のラーメンを作り、絶対に勝つ。
——そしてまた、アンとたのしく暮らすんだ!
おれたちは勝負に本腰を入れ、真剣に寸胴と向かい合った。
永い戦いがはじまった。
竜骨は煮え続ける。
火は絶え間なく燃え、時が過ぎてゆく。
薪をなんどとなく追加した。
火は繰り返し燃料を要求し、そのたびに時間の経過を感じた。
スープが見えない速度で蒸発する。
減った分の水を補充し、またいつしか蒸発し、じわじわと竜の濃度を上げていく。
気づけば観客は消えていた。
勝負の決着は十日後だ。
延々とアクを取り続ける姿はおもしろくもなんともない。
闘技場にはほとんど人が近寄らなくなり、ここにいるのは対戦チームの四人と、仁王立ちで勝負を見守るジャッジのみとなった。
ひたすらに時が過ぎていく……
「はあ……」
おれは見飽きた寸胴を眺め、ため息をついた。
現在時刻は深夜二時。
勝負開始から六十二時間、つまり二日半が経過していた。
これだけ煮込んでもまだアクが出てくる。
ドラゴンの骨にいかに栄養があり、煮込む必要があるかの証明だ。
こりゃあさぞうめえスープができんだろうなあ、まったくよお。
「疲れたわね」
シーツにくるまるアンが言った。
おれたちは交代で仮眠を取っていた。
「起きてたのか」
「なんかね」
アンの声には張りがなかった。
もっとも、おれもだ。
長時間おなじ作業を続けることで、肉体と精神ににぶい疲れが蓄積していた。
「あと七日?」
アンがわかりきったことを訊いた。
それは質問とも確認とも違う、ただうんざりしたいだけの言葉だった。
おれは「ああ」とだけ答えた。
「はぁ……」
アンは寝返りを打ち、背中を向けた。
おれもそうしたかった。
なんでたかがラーメンのためにこんなことしてんだ、と悪態をつきたかった。
そう、たかがラーメンだ。
「なあ、アン」
「なによ」
「あのラーメンっていくらぐらいするんだろうな」
「あのラーメンって、オロシィの?」
「ああ」
「そうねぇ……青玉竜の骨が十二万ケインで、あの寸胴からスープが二十杯とれるとして……一杯あたり原価六千ケイン。で、仮に減価率を三十パーセントとしたら、スープだけで二万ケイン。具材もいいものを使うとして、たぶん二万五千くらいいくんじゃない?」
「……おかしくねえか?」
「なにがよ」
「だってラーメンだぜ? ラーメンなんてせいぜい五、六百ケインってとこだろ?」
「まあ、高くても千ケインね」
「戦狂竜の骨っていくらした?」
「一万ちょい」
とすると……五百掛けからの原価三十パーで……
「うわ、おれらのラーメンも二千ケインぐらいいくじゃねえか」
「そうね」
「ラーメンだぜ?」
「ええ」
「なあ、おかしいだろ。ラーメン一杯二千ケインだぞ? かたや二万五千ケインだぞ? そんなのラーメンじゃねえだろ」
「知らないわよ」
「おまえ、ラーメン一杯に二千ケイン出すか?」
「バカ言わないでよ。ラーメンなんてお昼なに食べようかってフラッと近所の中華屋入って、チャーハンギョウザセット頼んで、本棚のおっさん向けマンガ読みながら雑に食べるもんじゃない。セットで千ケインってとこでしょ」
「だろ? それが何万ってすんだぜ? バカじゃねえの?」
「だから知らないわよ」
アンは苛立たしく寝返りを打ち、手枕で夜空を向いた。
こいつも勝負がいやになっている。
つぶったままのまぶたの上で、気に入らないとでも言いたげに眉毛が不満を描いている。
おれもだ。
なんでこんなことしなきゃならねえんだ。
たかがラーメンだぞ。
それを何万って高級食材使って、何日もずーっと鍋とにらめっこしてよ……
「おれたち、なにやってんだろうな……」
「知らないわよ……」
ふたりとも声に張りがない。
でもやめるわけにもいかない。
店を失うということは大金を失うことで、アンは絶対に引けないし、おれもアンのために負けられない。
せめて金だけ守れねえかなあ……店はあげちまってもいいから金だけこっそり……
「——あ、そうだ!」
おれは最高のアイデアをひらめいた。
そうだよ、あれがあったよ!
「なに? どうしたの?」
驚いてアンが身を起こした。
おれはオロシィ側のキッチンを注視し、現在オロシィが仮眠中で、副店長が忙しく野菜を切っているのを視認した。
よし! いまならいける!
「アン! ちょっと待っててくれ!」
「え!? ちょっとスープは!?」
おれは急いでダッシュした。
オロシィが目覚める前にことを済ませたかった。
別に作戦がバレるとは思えねえが、見つからないに越したことはない。
そして三十分後、ひと仕事終えて戻ってきた。
「バカー! スープ見てないでなにやってんのよー!」
アンがプリプリ怒っていた。
そりゃそうか。おれも説明しときゃよかったな。
(しーっ! 静かに!)
おれは口元に人差し指を当ててひそひそ言った。
するとアンもすぐに察して小声になり、
(なによ!)
(すまねえ。でももうスープはいいんだ)
(なに言ってんのよ! これがダメになったら負けちゃうでしょ!)
(ああ、負けでいいんだ)
(はあ!?)
(なあ、大声を出さないって約束してくれ)
おれはそう言ってキッチンの陰にしゃがみ、ふところから半月状の白いポケットを取り出した。
そして、中からごっそり金貨をつかみ出して見せた。
(——っ!)
アンは口を押さえて息を殺した。目をおっ広げてクソ驚いている。
(な、なによこれ!)
(どこでもポケットってんだ)
そう、これは神様からもらった不思議なアイテム“どこでもポケット”だ。
中にはいくらでもものが入り、重さも感じない。
こいつがあれば店の金をすべて持ち出せる。
(じゃあ、この中には……)
(ショーンズ・キッチンの金がぜーんぶ入ってるぜ)
(てことは店を開け渡しても……)
(スッカラカンってわけさ)
(あんた……やるじゃない!)
アンはそりゃあもううれしそうに笑った。
こいつは金のことだと本当に笑顔になる。困ったもんだ。
(てことでズラかろうぜ。いつまでもこんなことやってらんねえよ)
(そうね! さっさと行きましょう! あたしもうやだ!)
おれはすぐさまジャッジの元に向かい、またもひそひそ声で言った。
(なあ、ジャッジさんよお)
(む? なんだ小声で……)
(いや、相手が寝てるから大声出しちゃ悪いだろ)
(なるほど。それでなんの用だ)
(いやさ、おれたちスープで失敗しちまったから降参するわ)
(なに!? ……なんと、それは残念だ。せっかくいい勝負が見れると思ったのに)
(そんなわけでおれたち帰るからさ、あいつが起きたら店を譲るって伝えといてくれ)
(あいわかった。コトナリオーナーは降参し、店の権利をオロシィに譲る。間違いないな)
(おう。そいじゃよろしく)
降参を伝え、おれたちは足早に立ち去った。
「あ~~! つっかれたあーー!」
アンは溜まっていた肩コリを解放するように伸びをし、夜の街を闊歩した。
おれも腕や腰を回し、やっと手に入れた自由を謳歌した。
「まったく、バカみてえだぜ! ラーメン一杯食うのに何日かけんだっつーの!」
「ホント冗談じゃないわよ! ひとりでやってろって話よねー!」
おれたちは散々に言った。
たかがラーメンのためになんなんだよと、深夜ということも忘れて大口開けて文句を並べた。
実に清々しかった。
アンとふたり、ひとつのことを話していると、胸の中が星空よりもキラキラした。
「ねえ、これからどーするつもり?」
「とりあえずこの街にはいらんねえよな。金ぜんぶ持ってきちまったからなあ」
「それって……支払いとか従業員の給料とかもぜんぶ?」
「まずかったかな?」
「ううん、最高!」
アンは実にいい笑顔で言った。
見た目はかわいいが性格は最悪だ。がめついったらありゃしねえ。
そんなアンがぴょこんと人差し指を立て、言った。
「王都に行くってのはどうかしら」
「王都?」
「王様が住んでる首都よ。こんな地方都市、比べ物にならないくらい広くて、人口も多いわ。きっとおいしいお店がいっぱいあるわよ」
「そりゃいいや! 金ならあるしな!」
「そうと決まればレッツゴー!」
こうしておれたちは王都に向かった。
駅馬車屋を叩き起こし、朝が来る前に出発しろと騒ぎ立て、最終的に大金を握らせて無理やり出発させた。
街をついでの長旅だ。
きっともうこの街には戻ってこないだろう。
「不安?」
車上でうしろを振り返るおれにアンが言った。
からかうような、はしゃぐような声だった。
「……いや、さよならをさ」
おれは小さく手を振った。
そこは第二の故郷であり、おれの家だった。
ほんの二ヶ月きりの、だけど思い出のたっぷり詰まった、アンと出会った街……
ガタゴトと馬車が進んでいく。
目指すは王都。
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