騎士団長のお抱え薬師

衣更月

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晩餐①

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 金糸の刺繍を施した色味の濃い茶色のジャケットとベスト。
 白いウィングカラーシャツに蜂蜜色のアスコットタイと、金色のラペルピン。
 見上げれば、いつもと違うオールバックに整えた髪型に、風韻を漂わせた美しい貴族の顔がある。
 普段の厳めしい騎士の面影はなく、見知らぬ人みたいでそわそわする。
 相手はジャレッド団長だ。
 何度も心に言い聞かせるのに気後れしてしまう。
「そう緊張するな」と言われるけど、無理なものは無理。
 教えられたエスコートも、身長差がありすぎるために様にならない。剣ダコで硬くなった大きな手のひらに、ちょこんと指を添えた格好は、傍から見れば滑稽に違いない。
 挙句、不慣れな靴で歩き方がぎこちないので不格好。
 救いは、案内役と紹介を受けたフリオ・オルセンが、寡黙ながらに私の歩調に合わせた気遣いを見せてくれるところだろう。
 ジャレッド団長も引っ切り無しに「大丈夫か?」と声をかけてくれる。
 大丈夫だと胸を張れないのが悲しいけど…。
 そうして辿り着いた食堂で、さらに緊張感が高まった。
 食事する場所だから食堂だと思うけど、食堂なんて表現は失礼に当たるほど高級感溢れている。
 入ってすぐに対面したのは全面大きな窓ガラス!
 透明度の高いガラスの向こうは、屋敷の影と夕日のコントラストに染まる庭園。
 恐々とジャレッド団長を見、部屋の中央に置かれた長方形の大テーブルを見、壁際で気配を消して控える使用人たちを見て体の震えが増した。
 極度の緊張が、手足の先から体温を奪っていく。
 手汗でジャレッド団長を不快にさせているのでは…という恐怖も加算される。
 うぅ…帰りたい。
 そわそわと視線を天井に向ければ、豪華絢爛なシャンデリアが明かりを灯し、装飾のクリスタルが煌びやかな虹色のプリズムを散らしている。
 照明魔道具だ。
 吹き抜けのエントランスホールにもあった。
 シャンデリアだけではない。廊下を均一に照らしていたランプも、炎の揺らめきはなかった。私がお世話になった客間にも、小ぶりな照明魔道具はあった。
 王侯貴族では珍しくないのだろうけど、ここは獣人の国だ。それでこのサイズの魔道具!
 シャンデリア1つで、いったい幾つの魔石が必要なのか。
 照明魔道具の数だけを想像して、公爵家の財力に身震いが起きる。
 もしかすると魔道具を維持するため、空魔石に魔力を注入する混血を雇っているのかもしれない。いても不思議はないし、輸入に頼るより効率が良い気がする。
 自分たちで魔物を狩ってる可能性もあるけど…。
 視線を天井から食堂の奥に落とせば巨大な暖炉がある。
 平民の家の暖炉は、石を積み上げたものか、煉瓦で作られたものが多い。稀にまぐさ石の暖炉もある。だけど公爵家は違う。白い大理石と砂岩で出来た暖炉は、両端から葡萄の蔓が伸び、マントルピースで葡萄をたわわに実らせた彫刻が施されている。
 葡萄は繁栄や成功の象徴だと聞いたことがある。
 さらにマントルピースの上部には、領旗が掲げられている。
 右上には王冠を頂いた獅子の紋、左下には双頭の狼の紋の旗だ。
 王冠の獅子は皇族を、双頭の狼は公爵家を示すので、ヴォレアナズ帝国のクロムウェル領となる。
 背景色は白と赤。
 白は平和。赤は流れた血の歴史、または勇敢さを意味する。
 その旗の威圧感たるや…。
 そして、なんと言ってもテーブルの存在感!
 テーブルは優に20人が食事出来そうなほど長い。
 テーブルクロスはシルクで、皺一つない。そこに、皿やカトラリーが配置されている。
 金線で描かれた木苺柄の皿の上には、緋色のナプキンが乗っかる。不勉強な私には意味が分からなかったけど、ジャレッド団長の説明によれば、あれは位置皿プレイスプレートと言うらしい。席の位置を示すための皿で、料理を盛り付けるためのものではないそうだ。
 座る位置を決めるだけの皿…。
 意味不明な皿だけど、貴族にはそういう無駄が必要なのだろう。
 で、位置皿のある場所にだけ配された椅子の数は6脚。
 テーブルの中央に、向かい合うように2脚と4脚だ。長すぎるテーブルの無駄さも、貴族ゆえの様式美なのかもしれない。
 ジャレッド団長にエスコートされるまま、窓際の2脚の椅子の方へと歩む。
 すると、黒制服に紺色のネクタイの男性2人が進み出て、スッと椅子を引いた。
 ジャレッド団長が着席したのを見て、私も隣に座る。
 自分で椅子を引かないので、座るタイミングが難しい。
 私が着席しても、なぜか男性2人は後ろに控えたまま立ち去る様子がない。
 ずっと控えてるの?
 そんな疑問を抱えていると、ぱたぱたと元気な足音が聞こえてきた。それに「イヴァン。走っちゃダメだよ」と幼気な声が続く。
 開かれたままの扉に目を向ければ、小さな男の子が駆け込んで来たところだった。
 チョコレート色の猫っ毛と金色の瞳に、頭には三角形の肉厚の耳。お尻で揺れるのは、ふさふさの尻尾だ。
 ジャレッド団長が小さい頃はこんな感じかな、と想像を巡らせてしまいそうな色合いの男の子は、むちむちの頬とぽっこりとしたお腹をしている。
 なんとも愛らしい幼児だ。
 ジャレッド団長も幼児だった時代があるのかと思えば感慨深いけど、続いて姿を見せた男の子は耳も尻尾もあるのに既にハワード団長の片鱗を覗かせている。
 色としてはグレン団長とお揃いで黒髪金目だ。
 あどけないというのに、私たちを見て弟の不作法を詫びる姿には戦慄しかない。
 後ろに控えていた男性2人が、再び椅子を引いたのに合わせて立ち上がる。
「おいたん!」と駆けて来た幼児の強心臓よ…。
「久しいなイヴァン」
 まるで懐いた子犬を抱き上げるように、すいっと幼児…イヴァンがジャレッド団長の腕に収まった。
「タイラーも変わりないか?」
「はい。ジャレッド叔父上」
 お兄ちゃんはタイラーと言うらしい。
 タイラーはまるで英雄と対面したように、きらきらとした瞳でジャレッド団長を見上げている。姿勢は崩さないし、イヴァンのように抱っこも要求しないけど、尻尾は正直だ。ぶぉんぶぉんと元気がいい。
 あぁ…可愛い。
 愛らしい兄弟の登場で、震え上がった心がほっこりする。
 貴族は恐ろしいけど、貴族の子供は可愛い。
 嘘か誠か、キャトラル王国の令息は5才になるまで女の子として育てられるのだとか。理由は、男の子の方が病気に罹りやすく、女の子より死亡率が高いから。魔除けというか、ゲン担ぎというか。メリンダ曰く、「王族含め上級貴族の嫡男は命を狙われやすいからね。させない目晦ましよ」と事も無げに言っていたので、改めて貴族怖いと思ったものだ。
 帝国では、そんな魔除けは必要ないらしい。
 兄弟ともに揃いのリボンタイと、膝が隠れるくらいキュロットの正装だ。
 頬が緩むのを止られない。
「お初にお目にかかります。タイラー・クロムウェルです」
 頬を赤らめた自己紹介に、私は腰を折り、目線を合わせて目礼を返す。
「初めまして。第2騎士団で治癒士をしています。イヴ・ゴゼットです」
「イヴ様はまほう使いと聞いています!それも、この国では珍しいちゆまほう。見せてもらえないでしょうか…?」
 少しそわそわと、ジャレッド団長の顔色を伺いながらのお願いが、また筆舌に尽くし難いほど可愛い!
「タイラー様。私は平民なので様は不要ですよ。イヴと呼んで下さい。あと、私の魔法は怪我人がいなければ何も変化は起こりません」
 せいぜい薄っすら光るくらいか。
「それなら大丈夫です!」
 ふんすと鼻息を吐いて、「イヴァン」とジャレッド団長の腕に収まる弟を見上げた。
「あい!」
 もぞもぞ動き出したイヴァンが降ろされると、イヴァンはキュロットの裾を軽くめくり、赤らんだ膝小僧を出した。
 血は出ていないけど、瘡蓋もできていない。数時間内に負った怪我に見える。
 というか、傷口を洗っただけで治療の跡がない。
「どうされたのですか?」
「ひる、ころんだ!」
 お兄ちゃんの真似だろうか。
 イヴァンも「ふんす」と鼻を鳴らし、胸を張った。
 ジャレッド団長を見上げると、しょっぱい顔をしている。
「痛くないですか?」
 行儀が悪かろうが、床に膝をついてイヴァンの顔を覗き込む。
 円い金色の瞳が少し迷いを見せ、答えを逡巡した後に「しゅこし…」と舌足らずに答えた。のも束の間、勢いよく頭を振ると、「ボクはつおいからイタくない!」と胸を張る。
 男は泣くな!というのが公爵家の教育方針なのかな。
「でも、怪我は治しておきましょうね」
 小さな膝に手を翳す。
 仄かな光で傷が癒えていくと、兄弟揃って「ふぉおおお!」と声を上げた。むちむちの頬を赤らめ、タイラーは拳を握り、イヴァンは「なおった!」とぴょんぴょん飛び跳ねる。
「イヴァン。行儀よくするのではなかったのですか?」
 苦笑を孕んだ声が、はしゃぐイヴァンを優しく注意した。
 振り向けば、プラチナブロンドの美女が嫣然と微笑んでいる。
 すらりとした長身に、男性のロマンを詰め込んだようなボンキュッボン!
 貴族女性は拷問器具コルセットを使いメリハリボディになるのだと、メリンダが遠い目をして語っていた。
 でも、彼女はコルセット未着用だと思う。
 これは女の勘なのだけど、天然ものの体だ。なのに、胸は零れそうなほど大きいし、ウエストは細い。
 ワイン色のイブニングドレスも、上品に、けれど恵まれた体型を披露するデザインとなっている。
「イヴ」
 呆然としていたら、ジャレッド団長に声をかけられてしまった。
 慌てて立ち上がると、美女が微笑んだ。
 女神かな。
「初めまして。ヴィヴィアン・キャシディ・クロムウェルですわ」
「妻だ」
 そう言ったのは、いつの間にいたのかハワード団長だ。
 銀糸の刺繍で彩られた紺色のウエストコートに、クラバットの結び目で煌びやかに輝くブローチ。白金プラチナのブローチに散りばめられているのは、少し緑がかった金色の宝石だ。
 宝石の種類は分からないけど、ちらりと見た奥様の瞳と同じ輝きをしているのが分かる。
「ようやく会えたね。ゴゼットさん」
 目も眩む微笑の衝撃よりも!
 妻と言った?
 子供を産んで、その体形!?
 驚愕しつつ、目の前の美男美女に頭が混乱する。
「ははははは初めましてっ…イヴ・ゴゼットと申しましゅ」
 噛んだ!
 緊張と恥ずかしさで、額に薄っすらと汗が滲む。
 何が不敬かも分からず、目を逸らすことも、俯くこともできない。万事休す。
「まぁ、緊張するなという方が難しいかもしれないが、まずは座りなさい」
 鷹揚なハワード団長と、優しく頷くヴィヴィアン様。
 ジャレッド団長に肩を撫でられ、私は小さく頷きながら席に戻った。
 私の正面には、恐ろしいことにハワード団長が座った。
 ジャレッド団長の前にヴィヴィアン様が座り、その横に兄弟が使用人の手によって着席させられる。
「義姉上、ご無沙汰しております」
「あら、よく言うわ。帰って来ても、挨拶する間もなく、すぐに戻ってしまうじゃない」
 ジャレッド団長を茶化すような口調で、ヴィヴィアン様がころころと鈴を転がすように笑う。
 ハワード団長も「色々と忙しいのだろう」と、意地の悪い笑みを口元に刷く。
 ジャレッド団長は素知らぬ顔だ。
 そわそわと3人を見渡しても険悪さはないので、身内のじゃれ合いなのだろう。
「ああ、ゴゼットさん」
「は…はい」
「客人がいる場合、マナーが未熟な子供たちは別室で食事をとるのだけど、今日は特別ということで了承してほしい」
 貴族ならではのルールを曲げたのは、恐らく私のためなのだろう。
 子供たちの傍らには侍女が1人ずつ付き、イヴァンが落ち着きをなくしてカトラリーに手を伸ばす度、侍女が丁寧に説明している。
 微笑ましくも分かりやすい説明に耳を傾けつつ、私は大きく頷いた。
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