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お見舞い
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治癒魔法は万能ではない。
怪我は治せても、病には効かない。それから衰えた筋力や体力を回復させることもできない。
筋肉を自在に鍛えられたら、誰もが理想の体型を手に入れられる。鍛錬せずとも騎士は全員マッチョだ。
治癒魔法とは、あくまで怪我を治すだけの魔法だ。
出来るのはせいぜい筋肉痛を癒すことくらいになる。
ということで筋肉の衰えた私は、歩くとよろめき、階段を上り下りするだけで息が切れる。当然、薬の調合は出来ない。薬草を碾く体力がないのだ。
正確には、碾いている途中で体力が尽きるのが怖い。
中途半端に中止できる作業ではないので、今はヴァーダト家のレシピノートを頭に詰め込む。
古いレシピノートは持ち出せなかったので、手元にあるのは祖母のレシピになる。
祖母のレシピは、代々のレシピの欠点を発見し、補い、改良を進めた謂わば完成形だ。
聖属性の祖父と二人三脚で薬を作っていたので、祖父が亡くなった晩年には不完全なままのレシピを多く残した。
当時の私は祖父の代わりが出来るほどの力はなかったので、祖母は無念だっただろう。
聖属性のレベルが上がった頃には、祖母は薬を調合するには老いすぎていた。目が弱り、震える手で薬匙を扱うことが困難となっていたから、祖母はレシピの完成を私に託した。
不完全なレシピばかりを集めたレシピノートには、震えた文字が幾つもヒントを残している。
何が悪いのか、改善するにはどの薬草を組み入れればいいのか。何パターンものレシピが、”配合を変えて試してみるのも良い”とか”薬草は鮮度次第で効能が変わるよ”などといったアドバイス共に記されている。
あの頃は力不足だったし、薬草の種類や効能を覚えるだけで四苦八苦していた。
今は毒草こそ扱えないけど、多くの薬草を学び、自分で調合する機会も増えてきた。
1ページ、1ページ、ノートを捲ると、改めて祖母の遺志を継ぎたいという気持ちが溢れてくる。
「まずは痛み止めは作りたいな」
痛み止めが普及していれば、1週間の安静も必要なかったかも。
でも、残念なことに、レシピノートにある痛み止めの多くは毒草を使用している。
ままならない。
それでも後学のために、痛み止めのレシピに目を通す。
と、下からドアの開閉音に続いて、「こんにちは!」と良く通る女性の声が聞こえた。
聞き覚えがあるような…ないような…?
ノートを閉じて、「よっこいせ」と立ち上がる。
「今行きまぁす!」
声を張り上げて、よたよたと歩く。
筋肉の衰えた足で歩く時は注意が必要だ。自分が思っている以上に足が上がらないので、何でもないところで爪先を引っかけて転んでしまうのだ。
実際、昨日は早々に転びそうになってジャレッド団長に抱えられた。
こんこんと説教されて、殆どをジャレッド団長の腕の中で過ごすはめになったのは恥ずかしい記憶だ。
今朝もジャレッド団長が抱えようとするので、なんとか治療院に逃げ込んだところなのだ。
あの過保護はなんなのだろう…。
手すりに掴まり、よたよたと階段を下りてる途中で、「あ」と声が出た。
「カリーさん」
第3騎士団でお世話になったカリーが、柳眉を八の字にして「体調はどうかしら?」と私に手を差し出した。
エスコート…という意味だと思う。
恐縮しつつ、カリーの手を借りて階段から降りる。
「ご無沙汰してます。その…体調を訊くってことは、もしかして話が伝わってますか?」
「ええ。平民同士の諍いではなく、加害者が貴族令嬢という醜聞は、目撃者も多かったことから社交界にも噂が広まっていると聞きましたわ」
うひゃ~。
社交界というだけで、心臓が縮み上がる。
それにしても貴族は耳聡い。
「もう大丈夫なのかしら?」
カリーに丸椅子を進めつつ、私も座る。
「クロムウェル公爵家で療養させてもらって、傷も癒えました。寝たきりだったので、今は衰えた筋力と体力の回復に努めてます」
「寝たきりでしたの!?何日?」
「えっと…1週間です。5日くらいは身動きするだけで一苦労だったんです。体内の魔力が乱れて上手く治癒ができなかったのもあって、何をするのも手を貸して貰ってました。それでも地道な治癒で、少しずつ改善していて、7日目の朝に完治させました。医師からもお墨付きをもらいましたよ」
「1週間は長いですわね…」
「私も1週間でこんなに筋肉が落ちるとは思いませんでした」
6日の夕刻にディアンネの手を借りて庭園に行ってみたけど、10分ほどでベッドに戻ったくらいだ。
あの庭園はじっくりと時間をかけて散策を楽しむべきだろう。もう行くことはないけど。
「筋肉は鍛えるのは時間がかかるけど、痩せるのはあっという間なのよ。騎士団の中にも、季節性の風邪が悪化して2週間療養していた騎士が、ひょろりとして戻って来たことがあったわね」
カリーは言って、なぜか私をぎゅっと抱きしめた。
騎士だから筋肉質かと思ったハグは、とても柔らかくて優しくて、すごく良い匂いがする。
「えっと…あの…?」
「怖い思いをさせたわ。イヴさん、どうか獣人を嫌いにならないで下さいませ」
「嫌いになんてなりませんよ!人族だって同じです。良い人もいれば悪い人もいる。獣人との違いはありません!」
最初は、怪力の獣人に恐怖を抱いてしまうかもと恐れた。
でも、ディアンネの甲斐甲斐しい介護のお陰もあって、獣人に対する恐怖心は芽生えることはなかった。
「カリーさんもですけど、私の周りは良い人ばかりですから。数人の嫌な人と遭遇したくらいで、獣人を一緒くたしませんよ」
「ありがとう」
とんとん、と私の背中を叩いて、カリーが体を離す。
「あの…それで、カリーさんはなぜ第2に?お仕事ですか?」
「グレン団長がイヴさんの見舞いに行くというので同行を願い出たのです」
「グレン団長も来られているんですか」
「そろそろ来る頃ですわ。ほら、噂をすれば。足音が近づいてますでしょう?」
耳に手を当て、音を拾い集めるように首を傾げたカリーを真似て、私も耳に手を当て口を噤む。
当然、足音なんて聞こえるわけがない。
「この癖のある歩き方はグレン団長ですわ。少し蟹股で、踵を擦るように歩くので分かりやすいのよ」
んん?
まったく分からない。
「ほら、よく耳を澄ませてごらんなさい」
ふふ、と微笑んでいたカリーの顔が、じわじわと赤らんでいく。
ささっと姿勢を正したカリーは、頬に手を添え、落ち着きなく視線を膝へと落とした。
カリーが気になりつつも、私の耳にも聞こえてきた靴音に意識が傾く。ザ、ザ、と軍靴が地面を踏みしめる力強い音だ。カリーが言うような癖は分からないけど、まっすぐに治療院へと歩んで来た靴音は、止まることなくドアを開いた。
「イヴ。何をしている?」
耳に手を添え、体を傾げている私にジャレッド団長が眉宇を顰めている。
その後ろから、「思ったより元気そうだ」とグレン団長がニカッと白い歯を見せた。
「グレン団長。ご無沙汰してます」
慌てて立ち上がる。
ただそれだけなのに、ジャレッド団長が慌てて体を支えるので驚いた。カリーも驚愕の表情で凝視しているし、グレン団長に至っては膝を叩いて笑っている。
「急に立つ奴があるか!」
怒られる意味が分からないけど、怖いので反射で「すみません」と謝ってしまう。
「兄貴。イヴの怪我は完治してるんだろ?ついでに、骨折箇所は足じゃないって聞いてるぜ?」
「寝たきりで筋肉が弱っている。昨日も躓いて怪我をするところだったんだ」
イライラと吐き捨てながら、ジャレッド団長の手が私の肩を「座れ」と押す。
ここで抗ってても仕方ないので、グレン団長にぺこりと頭を下げて座った。座ってしまうと、2メートル超えの兄弟とスレンダーなカリーに囲まれ、なんとも言えない圧迫感を覚える。
「んでも、筋力が衰えてるっていうなら、歩いてでも回復させるのが先じゃないのか?過保護にしても回復が遅れるだけだろ?」
「急ぐ必要はない!」
ぴしゃり、とグレン団長の意見が跳ね除けられた。
グレン団長は苦笑いだ。
「やっぱ先祖返りじゃないのか?」
「先祖返り…!?」
カリーは瞠目して、ジャレッド団長と私を交互に見る。
何か大事が起きたって感じだけど、当事者っぽい私は蚊帳の外だ。
「あの、先祖返りってなんですか?」
「そのまんまの意味。獣人のご先祖様の形質が蘇るってことだな。珍しい事例だが、古代種では稀に見られるそうだ。うちは大伯母がソレだ」
ご先祖の形質…。
なぜか口を噤んでいるジャレッド団長を見上げれば、そわそわと目が泳いでいる。
「耳とか尻尾が生えるんですか?」
野性味あふれる美丈夫に耳と尻尾が生えたところで、野生レベルが上がるだけでプラスにはならない。
カリーに耳と尻尾が生えたなら可愛いと思う。
そんな妄想をしながらカリーを見上げると、カリーは頬を染めながら胸の前で手を組んでいる。うっとりと蕩けた瞳は、なぜか私に向いている。
「なになに?イヴは耳と尻尾が生えてほしいの?」
グレン団長は嬉しそうに、耳に見立てた両手を頭に乗せる。
王子様タイプのイケメンでも、耳と尻尾は受け付けない。
「いえ…いらないです」
「まぁ、男に獣耳があってもなぁ。だが、カリーはネコ科ユキヒョウだから、もふっと肉厚の耳で可愛いだろうな」
グレン団長の言葉に、カリーの顔がすんと真顔になった。
それからカリーは私の前で腰を下ろして、私の手を握る。グレン団長には向けない優しい顔が、「これで安心ですわね」と微笑む。
何が安心なのか分からず首を傾げてしまう。
「今後、イヴさんを害する者はいなくなりますわ」
「後ろ盾の話ですか?」
思わず苦笑してしまう。
「それはあったんです。ジャレッド団長から公爵家の紋章が刻まれた指輪をお借りしてたんですけど、それが火に油だったらしくて…。私が盗んだって思われたんです。せっかくの後ろ盾が意味をなさず……申し訳なさでいっぱいです」
「はぁああああ!?」
カリーの口から輩みたいな声が出た!
グレン団長も額に手を当て、「待て待て待て、意味分からん」と呻いている。
ジャレッド団長は牙を剥きながら、「それでイヴの指が折られた」と怒りの再燃だ。これにグレン団長も同調して牙を剥いた。
「信じられませんわ…。貴族令嬢が暴力沙汰というのも信じられないというのに、クロムウェル公爵家に弓を引くような真似をするなんて…!」
「父上はスカーレンの件で留守にしていたな。それじゃあ、イヴの件で動いているのは兄上?」
グレン団長が探るようにジャレッド団長を見れば、ジャレッド団長は「ああ」と頷いた。
「兄上が対処しているのか」と、グレン団長が苦笑する。
「イヴは兄上に会ったのか?」
「はい。えっと…とても神々しい人でした」
素直な感想にジャレッド団長は渋面を作り、グレン団長は大口を開けて大笑いした。
「兄上は見た目がアレだから、誰もが温良な聖人君主と思っているが、公爵家の長兄が温良であるはずがない。神々しいとは正反対の性格だ。何より、狼の本質は愛情深さにある。身内の攻撃を決して許さない。公爵家の紋を穢したのだら、尚のこと、容赦はしないだろうな」
すごく怖い。
カリーも「加害者一族、終わりましたわね」と緩く頭を振る。
「自業自得。娘の教育を放棄した結果だろ。普通に教育を施していれば、暴力沙汰を起こすような令嬢には育たない」
「ですわね」
グレン団長とカリーが息ぴったりに肩を竦めた。
「イヴさん。しっかりと体力をつけて下さいな。元気になったら、わたくしがクロムウェル領を案内しますわ。クロムウェル領は広いですから、おすすめしたい場所がたくさんありますの」
「本当ですか?私、カスティーロと第3しか行ったことなくて」
「ええ。約束します。デートしましょうね」
ふふ、と笑ったカリーに、ジャレッド団長が「おいっ!!」と咆哮した。
怪我は治せても、病には効かない。それから衰えた筋力や体力を回復させることもできない。
筋肉を自在に鍛えられたら、誰もが理想の体型を手に入れられる。鍛錬せずとも騎士は全員マッチョだ。
治癒魔法とは、あくまで怪我を治すだけの魔法だ。
出来るのはせいぜい筋肉痛を癒すことくらいになる。
ということで筋肉の衰えた私は、歩くとよろめき、階段を上り下りするだけで息が切れる。当然、薬の調合は出来ない。薬草を碾く体力がないのだ。
正確には、碾いている途中で体力が尽きるのが怖い。
中途半端に中止できる作業ではないので、今はヴァーダト家のレシピノートを頭に詰め込む。
古いレシピノートは持ち出せなかったので、手元にあるのは祖母のレシピになる。
祖母のレシピは、代々のレシピの欠点を発見し、補い、改良を進めた謂わば完成形だ。
聖属性の祖父と二人三脚で薬を作っていたので、祖父が亡くなった晩年には不完全なままのレシピを多く残した。
当時の私は祖父の代わりが出来るほどの力はなかったので、祖母は無念だっただろう。
聖属性のレベルが上がった頃には、祖母は薬を調合するには老いすぎていた。目が弱り、震える手で薬匙を扱うことが困難となっていたから、祖母はレシピの完成を私に託した。
不完全なレシピばかりを集めたレシピノートには、震えた文字が幾つもヒントを残している。
何が悪いのか、改善するにはどの薬草を組み入れればいいのか。何パターンものレシピが、”配合を変えて試してみるのも良い”とか”薬草は鮮度次第で効能が変わるよ”などといったアドバイス共に記されている。
あの頃は力不足だったし、薬草の種類や効能を覚えるだけで四苦八苦していた。
今は毒草こそ扱えないけど、多くの薬草を学び、自分で調合する機会も増えてきた。
1ページ、1ページ、ノートを捲ると、改めて祖母の遺志を継ぎたいという気持ちが溢れてくる。
「まずは痛み止めは作りたいな」
痛み止めが普及していれば、1週間の安静も必要なかったかも。
でも、残念なことに、レシピノートにある痛み止めの多くは毒草を使用している。
ままならない。
それでも後学のために、痛み止めのレシピに目を通す。
と、下からドアの開閉音に続いて、「こんにちは!」と良く通る女性の声が聞こえた。
聞き覚えがあるような…ないような…?
ノートを閉じて、「よっこいせ」と立ち上がる。
「今行きまぁす!」
声を張り上げて、よたよたと歩く。
筋肉の衰えた足で歩く時は注意が必要だ。自分が思っている以上に足が上がらないので、何でもないところで爪先を引っかけて転んでしまうのだ。
実際、昨日は早々に転びそうになってジャレッド団長に抱えられた。
こんこんと説教されて、殆どをジャレッド団長の腕の中で過ごすはめになったのは恥ずかしい記憶だ。
今朝もジャレッド団長が抱えようとするので、なんとか治療院に逃げ込んだところなのだ。
あの過保護はなんなのだろう…。
手すりに掴まり、よたよたと階段を下りてる途中で、「あ」と声が出た。
「カリーさん」
第3騎士団でお世話になったカリーが、柳眉を八の字にして「体調はどうかしら?」と私に手を差し出した。
エスコート…という意味だと思う。
恐縮しつつ、カリーの手を借りて階段から降りる。
「ご無沙汰してます。その…体調を訊くってことは、もしかして話が伝わってますか?」
「ええ。平民同士の諍いではなく、加害者が貴族令嬢という醜聞は、目撃者も多かったことから社交界にも噂が広まっていると聞きましたわ」
うひゃ~。
社交界というだけで、心臓が縮み上がる。
それにしても貴族は耳聡い。
「もう大丈夫なのかしら?」
カリーに丸椅子を進めつつ、私も座る。
「クロムウェル公爵家で療養させてもらって、傷も癒えました。寝たきりだったので、今は衰えた筋力と体力の回復に努めてます」
「寝たきりでしたの!?何日?」
「えっと…1週間です。5日くらいは身動きするだけで一苦労だったんです。体内の魔力が乱れて上手く治癒ができなかったのもあって、何をするのも手を貸して貰ってました。それでも地道な治癒で、少しずつ改善していて、7日目の朝に完治させました。医師からもお墨付きをもらいましたよ」
「1週間は長いですわね…」
「私も1週間でこんなに筋肉が落ちるとは思いませんでした」
6日の夕刻にディアンネの手を借りて庭園に行ってみたけど、10分ほどでベッドに戻ったくらいだ。
あの庭園はじっくりと時間をかけて散策を楽しむべきだろう。もう行くことはないけど。
「筋肉は鍛えるのは時間がかかるけど、痩せるのはあっという間なのよ。騎士団の中にも、季節性の風邪が悪化して2週間療養していた騎士が、ひょろりとして戻って来たことがあったわね」
カリーは言って、なぜか私をぎゅっと抱きしめた。
騎士だから筋肉質かと思ったハグは、とても柔らかくて優しくて、すごく良い匂いがする。
「えっと…あの…?」
「怖い思いをさせたわ。イヴさん、どうか獣人を嫌いにならないで下さいませ」
「嫌いになんてなりませんよ!人族だって同じです。良い人もいれば悪い人もいる。獣人との違いはありません!」
最初は、怪力の獣人に恐怖を抱いてしまうかもと恐れた。
でも、ディアンネの甲斐甲斐しい介護のお陰もあって、獣人に対する恐怖心は芽生えることはなかった。
「カリーさんもですけど、私の周りは良い人ばかりですから。数人の嫌な人と遭遇したくらいで、獣人を一緒くたしませんよ」
「ありがとう」
とんとん、と私の背中を叩いて、カリーが体を離す。
「あの…それで、カリーさんはなぜ第2に?お仕事ですか?」
「グレン団長がイヴさんの見舞いに行くというので同行を願い出たのです」
「グレン団長も来られているんですか」
「そろそろ来る頃ですわ。ほら、噂をすれば。足音が近づいてますでしょう?」
耳に手を当て、音を拾い集めるように首を傾げたカリーを真似て、私も耳に手を当て口を噤む。
当然、足音なんて聞こえるわけがない。
「この癖のある歩き方はグレン団長ですわ。少し蟹股で、踵を擦るように歩くので分かりやすいのよ」
んん?
まったく分からない。
「ほら、よく耳を澄ませてごらんなさい」
ふふ、と微笑んでいたカリーの顔が、じわじわと赤らんでいく。
ささっと姿勢を正したカリーは、頬に手を添え、落ち着きなく視線を膝へと落とした。
カリーが気になりつつも、私の耳にも聞こえてきた靴音に意識が傾く。ザ、ザ、と軍靴が地面を踏みしめる力強い音だ。カリーが言うような癖は分からないけど、まっすぐに治療院へと歩んで来た靴音は、止まることなくドアを開いた。
「イヴ。何をしている?」
耳に手を添え、体を傾げている私にジャレッド団長が眉宇を顰めている。
その後ろから、「思ったより元気そうだ」とグレン団長がニカッと白い歯を見せた。
「グレン団長。ご無沙汰してます」
慌てて立ち上がる。
ただそれだけなのに、ジャレッド団長が慌てて体を支えるので驚いた。カリーも驚愕の表情で凝視しているし、グレン団長に至っては膝を叩いて笑っている。
「急に立つ奴があるか!」
怒られる意味が分からないけど、怖いので反射で「すみません」と謝ってしまう。
「兄貴。イヴの怪我は完治してるんだろ?ついでに、骨折箇所は足じゃないって聞いてるぜ?」
「寝たきりで筋肉が弱っている。昨日も躓いて怪我をするところだったんだ」
イライラと吐き捨てながら、ジャレッド団長の手が私の肩を「座れ」と押す。
ここで抗ってても仕方ないので、グレン団長にぺこりと頭を下げて座った。座ってしまうと、2メートル超えの兄弟とスレンダーなカリーに囲まれ、なんとも言えない圧迫感を覚える。
「んでも、筋力が衰えてるっていうなら、歩いてでも回復させるのが先じゃないのか?過保護にしても回復が遅れるだけだろ?」
「急ぐ必要はない!」
ぴしゃり、とグレン団長の意見が跳ね除けられた。
グレン団長は苦笑いだ。
「やっぱ先祖返りじゃないのか?」
「先祖返り…!?」
カリーは瞠目して、ジャレッド団長と私を交互に見る。
何か大事が起きたって感じだけど、当事者っぽい私は蚊帳の外だ。
「あの、先祖返りってなんですか?」
「そのまんまの意味。獣人のご先祖様の形質が蘇るってことだな。珍しい事例だが、古代種では稀に見られるそうだ。うちは大伯母がソレだ」
ご先祖の形質…。
なぜか口を噤んでいるジャレッド団長を見上げれば、そわそわと目が泳いでいる。
「耳とか尻尾が生えるんですか?」
野性味あふれる美丈夫に耳と尻尾が生えたところで、野生レベルが上がるだけでプラスにはならない。
カリーに耳と尻尾が生えたなら可愛いと思う。
そんな妄想をしながらカリーを見上げると、カリーは頬を染めながら胸の前で手を組んでいる。うっとりと蕩けた瞳は、なぜか私に向いている。
「なになに?イヴは耳と尻尾が生えてほしいの?」
グレン団長は嬉しそうに、耳に見立てた両手を頭に乗せる。
王子様タイプのイケメンでも、耳と尻尾は受け付けない。
「いえ…いらないです」
「まぁ、男に獣耳があってもなぁ。だが、カリーはネコ科ユキヒョウだから、もふっと肉厚の耳で可愛いだろうな」
グレン団長の言葉に、カリーの顔がすんと真顔になった。
それからカリーは私の前で腰を下ろして、私の手を握る。グレン団長には向けない優しい顔が、「これで安心ですわね」と微笑む。
何が安心なのか分からず首を傾げてしまう。
「今後、イヴさんを害する者はいなくなりますわ」
「後ろ盾の話ですか?」
思わず苦笑してしまう。
「それはあったんです。ジャレッド団長から公爵家の紋章が刻まれた指輪をお借りしてたんですけど、それが火に油だったらしくて…。私が盗んだって思われたんです。せっかくの後ろ盾が意味をなさず……申し訳なさでいっぱいです」
「はぁああああ!?」
カリーの口から輩みたいな声が出た!
グレン団長も額に手を当て、「待て待て待て、意味分からん」と呻いている。
ジャレッド団長は牙を剥きながら、「それでイヴの指が折られた」と怒りの再燃だ。これにグレン団長も同調して牙を剥いた。
「信じられませんわ…。貴族令嬢が暴力沙汰というのも信じられないというのに、クロムウェル公爵家に弓を引くような真似をするなんて…!」
「父上はスカーレンの件で留守にしていたな。それじゃあ、イヴの件で動いているのは兄上?」
グレン団長が探るようにジャレッド団長を見れば、ジャレッド団長は「ああ」と頷いた。
「兄上が対処しているのか」と、グレン団長が苦笑する。
「イヴは兄上に会ったのか?」
「はい。えっと…とても神々しい人でした」
素直な感想にジャレッド団長は渋面を作り、グレン団長は大口を開けて大笑いした。
「兄上は見た目がアレだから、誰もが温良な聖人君主と思っているが、公爵家の長兄が温良であるはずがない。神々しいとは正反対の性格だ。何より、狼の本質は愛情深さにある。身内の攻撃を決して許さない。公爵家の紋を穢したのだら、尚のこと、容赦はしないだろうな」
すごく怖い。
カリーも「加害者一族、終わりましたわね」と緩く頭を振る。
「自業自得。娘の教育を放棄した結果だろ。普通に教育を施していれば、暴力沙汰を起こすような令嬢には育たない」
「ですわね」
グレン団長とカリーが息ぴったりに肩を竦めた。
「イヴさん。しっかりと体力をつけて下さいな。元気になったら、わたくしがクロムウェル領を案内しますわ。クロムウェル領は広いですから、おすすめしたい場所がたくさんありますの」
「本当ですか?私、カスティーロと第3しか行ったことなくて」
「ええ。約束します。デートしましょうね」
ふふ、と笑ったカリーに、ジャレッド団長が「おいっ!!」と咆哮した。
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そんなある日、死んだはずの前妻が屋敷に現れ、主人公を追い出そうとしてきた。前妻いわく、血の繋がった母親の方が、継母よりも価値があるのだという。主人公が言葉に詰まったその時……。
血の繋がらない母と娘が家族になるまでのお話。
この作品は、小説家になろうおよびエブリスタにも投稿しております。
扉絵は、管澤捻さまに描いていただきました。
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