魔法使いの約束

衣更月

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 夜が明ければ一面の銀世界だった。
 北国のような積雪ではないけど、九州では薄っすらと積もっただけで交通機関はパニックになる。山間部でも5cm積もれば十分に大雪の範囲だ。
 天気予報では、山間部の積雪は5~10cmと報じていた。それを考えると、5cmで済んだことはラッキーだったと思う。恐らく、夜明け前に風が止み、僅かながらに日が射し込んだお陰だろう。
 空を覆う墨色の雲は、所々に青空を覗かせている。そこから零れる光りが、水分を多分に含んだ雪をゆっくりと融かしているようだ。
 ただ、この静けさも一時的だという。
 再び、元日にかけて全国的に大荒れになるのだと、気象予報士が繰り返し注意を促していた。
 何しろ、昨夜の吹雪によって運行に支障をきたした路線もあれば、落雷による停電、街路樹が倒れて駐車中の車を直撃…と、死傷者こそ出ていないけど被害は多数あがっている。
 帰省ラッシュに直撃した爆弾低気圧は、沖縄県を除く全国で被害を齎しているそうだ。
 九州でもあの吹雪だったのだ。北国の被害はかなりのものだろう。
 その警戒が、まだ解けない。
 昨夜と同様の風がまた吹くのかと思うと不安になる。
「雪は止んだけど凍ってそう…」
 庭木の枝に積もった雪に触れれば、ぱさ、と足下に落ちた。新雪の柔らかさはないが凍ってはいない。それが一転、地面に積もった雪になれば違って来る。特に門を抜け、アスファルトの坂道は見るからに危険だ。薄氷が張っている箇所もある。
 朝早くに出かけて行った篁さんの足跡が、途中で滑っている。慌てたように道の端へ進路を切り、慎重に歩を進めた様子がコミカルで面白い。
「嬢ちゃん!」
 呼ばれて、屋根の上を見上げる。
 鬼瓦の上に、黒が止まっている。
「瓦と雨樋、確認したぜ。破損してる箇所はねぇよ。家は無事だ」
 それにホッとする。
「ありがとう。黒のお陰で助かったわ」
「気にすんな」
 黒は得意満面で頷くと、「暁央の様子見てらぁ」と飛び去った。
 ぼ~っとしている暇はない。
 再び天気が荒れる前に、他にもチェックしておく必要がある。
 正面から見上げた家は、まだらに雪を積もらせている。瓦が黒いせいか、あっという間に雪解けした屋根に目立つのは、細い枝や枯葉だ。強風で飛んで来て、瓦に凍り付いたらしい。雪が融けて天気が持ち直せば、乾いた風に乗って屋根から落ちるだろう。雨戸にも歪みはなく、午後からの嵐も乗り切れそうだ。
 はぁ、と毛糸の手袋に息を吐きかけ、その手をつきつきと痛む耳に当てる。2枚重ねの靴下を通しても爪先がじんじんと痛み、冷気を吸い込む度に鼻の奥がずきずきする。
 雪が融けつつあっても寒いものは寒い。
 ざく、ざく、と表面が凍った雪を踏みしめ、車庫の周囲をチェックする。上部は黒が点検してくれているので、私が確認することは多くない。壁に破損個所がないか、車に傷はついていないか、雑多に置かれた農具は散乱していないか。
 ひと通り確認すれば、次は畑だ。
 篁さんが対処した瓦礫は無事だけど、畑の霜よけビニールが所々捲れあがっている。ビニールの下の野菜は白菜と大根だ。
 畑で作る野菜は、白菜と大根と決まっている。夏になればトマトとキュウリ、ナスが追加される。
 他の野菜も作ってみたけど、祖父母のように上手くいかなかった。
 結果、畑の面積に対して、栽培している野菜は少ししかない。
「天気が崩れる前にビニールを張り直さなきゃ」
 捲れたビニールを畑の中に戻す。
 対策強化をするには、畑仕事の格好をしてからだ。
 次いで、畑の周囲を囲う円錐形のテントに目を向ける。
 古い物干し竿を組み合わせ、茣蓙を巻き付けたテントは、冷害対策を施す金柑の木だ。金柑の木は7本。これからが本番の冬果実だけど、冷害で枯れることもあるし、霜害で実が傷むこともある。
 暴風で倒れては、冷害以前の問題だ。
 根元の雪を払い、実が落ちていないか、枝が折れていないかを確認する。
 とりあえず無事だ。
 来年から収穫量が増えれば、ジャムと甘露煮の出荷数も増える。金柑だけに頼ってはいないけど、確実に冬の主力は金柑だ。
 大きな問題がないことに、ほっと安堵の息が漏れる。
 それが聞こえたのか、ざくざくと足音を立て、「金柑は無事みたいだね」と声をかけらた。
「畑のビニールは俺がやるよ…。飛ばないように、補強しとく」
 振り向けば、首の後ろに手を当て、消沈した面持ちで視線を泳がせている篁さんがいた。絵に描いたような反省顔だ。
 昨夜の件が原因なのは自明の理。昨夜は終始無言のままに部屋に引きこもり、今朝も言葉少なに朝食を平らげると、いそいそと外出して行った。
 黒に訊けば、勝手に暴走し、勝手に反省し、勝手に落ち込んでいたとのこと。
 叱る気力も萎えた。
「輝ちゃん。えっと……昨夜の事、謝らせて欲しくて…。言い訳になるかもしれないけど……」
 あの、その、としどろもどろな口調は、すっかり頼りない大人に戻っている。
 覇気のない目は、どんよりと曇りながら足元ばかりを見る。
 と、それを罰するかの如く、篁さんの頭上に雪の塊が落ちて来た。ごさ、と重い音がして、「暁央!」と黒が篁さんの頭上を掠め飛び、軒先巴に止まった。
 どうやら黒が雪塊を落としたようだ。
「うじうじしてんじゃねぇぞ!さっさと言っちまえ!俺の子供ガキ産んでくれってな」
 呵々と笑う黒の体が、あっという間に空の彼方に飛んで行った。
 自らの意思で飛んで行ったのではなく、強肩投手に投げ飛ばされたような消え方だ。
 篁さんを見れば、憤怒の顔で右手を翻している。
 大人げない。
「ここでは寒いので、中で話しませんか?」
 手を擦り合わせ、耳を温め、家を指さす。
「昨夜の話なら、私も聞きたいので」
 少し棘を含んだ物言いになってしまった。
 それに自己嫌悪を感じながら、そそくさと家へ向かう。
 雨戸を閉じたままの家は暗い。電気を点け、少し汚れてしまった手袋は下駄箱の上に置く。冷蔵庫の中のような寒さに身を震わせて手を洗い、台所のストーブを点火してようやく強張った筋肉が解れた。
 しばらくストーブの熱で手を温めてから、席に着く。
 遅れて、篁さんも着席した。
 その顔は、説教待ちの子供のように落ち着きがなく、そわそわと手許ばかりを見ている。まるで私を恐れているようで、傍から見れば誤解を受けそうな絵面に口の中が苦くなる。
「篁さん。別に私は怒っているわけじゃないですよ?」
 ため息混じりに言えば、篁さんは怖ず怖ずと視線を上げた。
 どんよりとした目が、疑心を込めて私を見ている。
「昨夜の事。怒っていないと言えば嘘になるけど、正直、怒りよりも疑問の方が大きいんです。なぜ、篁さんがあんな行動に出たのか戸惑ってます」
「ご…ごめん。気分を害したよね」
 しょんぼりと項垂れる姿に嘆息して、ゆるく頭を振る。
「驚いたのは確かです」
「ごめん…。あれじゃあ…暴行だって言われても仕方ないよな…」
 そこまでは言っていない。
 強引に手を引かれるままに家路についたけど、掴まれた手に痣が残るほど握られたわけでもない。むしろ、歩幅を合わせ、吹雪の盾になるように歩いてくれていた。
 卑屈な紳士に笑いそうになる。
「本当にごめん…。反省してる…」
「しばらく”ごめん”は禁止です。話が先に進みません」
 特大のため息をつけば、篁さんは「分かった…」と情けなく眉尻を下げた。
「もう一度訊きますね。どうして、急にあんなことを言ったんですか?」
 今までは”従兄”を頑張っていたはずだ。
 それが突如、カレシとして自己主張した挙句、先輩を”送り狼”と揶揄した。挑発といっても過言ではない、普段の卑屈な姿は欠片もなかった。
 不遜で自信過剰。
 あまりにも不自然な変貌に、疑問ばかりが頭に浮かんでしまう。
 私がじっと篁さんを注視していると、篁さんは「えっと…その…」と歯切れ悪く口を開いた。
「理由は…幾つかあるるんだ」
「やっぱり、何か理由があったんですね」
 実は篁家の教育は失敗していて、傲慢と謙虚の二重人格じゃないだろうか…という危惧は消えた。
 人知れず安堵の息を漏らす。
 篁さんはのろのろと頭を上げて、眉尻を下げた顔のまま私を見据えた。
「1つは…嫌だなと…思ったんだ」
「何が嫌だったんですか?先輩とは初対面ですよね?生理的嫌悪ってやつですか?」
「たぶん…」
 篁さんは口籠り、頬を赤らめた。
 そわそわと目が泳ぎ、耐えきれないとばかりに両手で顔を覆った。
「ひ、輝ちゃんが好きだって自覚したんだ!」
「え?誰が?」
「俺!」
 やけくそ気味に叫んだ篁さんにつられ、私まで恥ずかしさで頬が熱くなる。
 心臓がうるさいくらいに早鐘を打ち、胸の奥がネコジャラシで擽られてるみたいにむず痒い。頭の中で「好き」という単語がぐるぐると駆け巡っている。カレシいない歴年齢で、告白したこともされたこともない。噂でも「〇〇くん、輝のこと好きっぽいよ」という話も耳にしたことない。恋愛に発展しそうな男子はいなかったし、休日に一緒に遊ぶような男友達もいない。「好き」という単語に免疫がなくて、私も両手で顔を覆ってしまった。
 チ、チ、チと居間の壁掛け時計の秒針が、うるさく聞こえる。
 しばしの沈黙の後、恥ずかしさから立ち直ったのは篁さんだ。立ち直ったというより、話を先に進めるために、止むを得ないといった感じだ。
 上擦った声は、羞恥心を引き摺っている。
「俺は…輝ちゃんから見ればおじさんだし…無職で…家出中で…甲斐性無しで…」
 自分の欠点を上げ連ねて、心にダメージを負ったらしい。
 ぐずぐずと鼻を啜った涙声が、「ヒモみたいな存在だし」と突っ伏した。
 このネガティブさも、所謂、教育の賜物なのだろうか。
 思わず、ふふっと笑い声が零れた。
「篁さん。情緒が不安定すぎます」
「そうかもしれないけど!…ダメな所を指折り数えたら、自分が情けなくなって…。こんなの10代の子から見たら、気持ち悪いおっさんじゃないか」
 自己嫌悪とばかり嘆いている。
 死んだ魚のような目だけど、顔は良い。体型だってモデルだ。若菜さん曰く、細マッチョだという。何より、パワフルな魔法使いだというのに、それらは篁さんの中で美点にはならないらしい。
「それでも…好きだなって。気付いたら目で追うようになった…」
 嘆き疲れたのか、少し自嘲するように笑う。
「めちゃくちゃガキみたいだけど…あの時、嫌だなって思ったんだ」
 篁さんはむず痒そうに唇を動かし、「あぁ!」と再び両手で顔を覆った。
「なんだ、本当に…はず!」
 ごん、ごん、と額を卓上に打ち付けている顔は見えないけど、耳は真っ赤だ。
「あの返事は…」
「待って!」
 篁さんは震えた息を吐きだして、ストップとばかりに私に制止の手を向ける。
「迷惑なのは分かってるし、ここに置いてもらってるのも厚意と理解してる。気持ち悪いって思われても仕方ない。ルール違反だ。でも、少し我慢してほしい。俺は絶対に輝ちゃんの嫌がることはしないから!」 
 早口に捲し立て、「あ…」と怖ず怖ずと頭を上げた。
 しょんぼりとした顔つきで私の顔色を窺っている。
「朝は…ご…」
 ごめんを呑み込んで、「反省してる」と頭を下げる。
「無視するようなことした。感じが悪かったよね。…本当に反省してる。だから…聞いて欲しいことがあるんだ」
 そういえば、篁さんは”幾つか””1つは”と話を切り出していた。だったら、2つ目があるということだ。
「はい」と頷けば、篁さんは頬の赤みを散らすように、2度ほど頬を軽く叩いた。
「今朝、下まで火災跡を見に行ったよ」
 ぎゅ、と胸の奥が苦しくなる。
「どうでした?」
「全焼。放水の影響で、辺りが凍結しているらしくてね。男手が集まって、スコップで氷を叩き割って融雪剤を巻いてたよ」
 家を失うのは、どの時期でも辛い。それでも、新年を迎えようという時期に放火で失うのは、”辛い”の一言で言い表せないほどの思いだろう。
「不幸中の幸いは、怪我人なし。他に、あの強風で飛び火した家はなかったということかな。最悪なのは、魔力の残滓があった…」
 重い口調が、魔法使いが犯人だと告げる。
 舛木さんたち自警団では捕まえられない。普通の警察にも難しいかもしれない。
 ぎゅっと下唇を噛み、しばしの沈黙の後に口を開く。
「不審者の噂は耳にしました?」
「ああ、昨夜の舛木さん?という人に会ったよ。まだ放火魔がうろついているかもしれないから、戸締り、家の周りの片づけをするように、と言われたよ」
「やっぱり…見つかってないんですね」
「彼らでは捕まえられない。その証拠が見つかったからね」
 篁さんは険しい表情だ。
 卓上で手を組み、組み合わせた親指を睨みつけている。
「この村は、良くも悪くも1個の集団みたいだ。全員が家族親族で形成されているような…ね」
「そうかも知れません。特に年配の人は、全ての住人を把握しててもおかしくないほどですよ」
 私が知っている住人は、同級生家族やお世話になっている人たちくらいだ。顔は知っているけど名前が分からなかったり、名前は聞いたことがあるけど顔は知らないといった人たちが多い。
 それが親世代、祖父母世代になると、集落全体を把握する。
 町内会、婦人会、老人会、子供会。強固な結びつきは、篁さんが言うように”1個の集団”だ。
「でも、それが田舎じゃないですか?」
「それがネックなんだ」
 篁さんは上目遣いに私を見て、どこか寂しそうに微笑する。
「昨夜の彼。輝ちゃんの先輩?」
「はい。小森先輩です」
「そう」と、篁さんが頷く。
「彼には近づかないようにしてほしい」
「え?」
「恐らく……彼が犯人だ。だから、彼らに犯人を見つけだすことは無理だよ」
 その言葉に、私は返す言葉を失った。
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