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「へぇ~。業者に頼むんじゃねぇんだな」
と、と、と畳の上を跳ねながら、黒が物珍しげに宛名ラベルを貼った小箱を眺める。
品名はジャム。
昼に郵便局に持って行く予定の商品だ。
「あの…商品だから。カラスって…衛生面がちょっと…あれでしょ?」
「は?何言ってんだ。オレっちがそこらの野カラスと一緒のはずねぇだろ。奴らは雑菌やら寄生虫やらがくっついてるから、頻繁に水浴びやら砂浴びしてるけどな。オレっちは見た目がカラスってだけでカラスとは違う」
どういう意味だろうか。
作業の手を止めて、ゆっくりと黒に向き直る。
「篁さんに毎日洗ってもらってるってこと?」
「ちげぇよ。オレっちたち使い魔ってやつは、動物とはちと違う。そこらのカラスに会話ができると思うか?」
私は頭を振る。
「喋れる鳥ってぇのは、あれは芸だな。人間が教える、まさに鸚鵡返しだ。上手く喋れたら褒められ、おやつを貰えるから、飼い馴らされた”話す鳥”は必死こいて言葉を覚えるんだ」
「黒は違うの?」
「違うなぁ。オレっちは使い魔って言ったろ?使い魔ってぇのは、見た目は動物だが、精霊に近いんだ。本来、形がねぇんだよ。オレっちは暁央に召喚されて、カラスの形になったってわけだ」
精霊といえば、ピーターパンに登場するティンカーベルを思い出すけど、黒にはその要素は皆無だ。愛らしさもなければ、羽ばたく度にキラキラとした鱗粉ぽいものも舞うことがない。
「昨今は例の映画の影響で、フクロウが多いかなぁ。その前は、やっぱアニメ映画の影響で黒猫。昔も黒猫はいたことはいたが、圧倒的にカラスが多かったんだ」
黒は器用に右の翼で嘴の下に触れる。人間なら顎に手をやる仕草かもしれない。
「でも、あいつらは使い物になんねぇ」
「どうして?」
「街中にフクロウなんて飛んでみろ。目立って仕方ねぇ!白いフクロウなんて森ん中でも目立つ。だから、使い魔の多くは、全国津々浦々に分布するカラスが妥当なんだ。猫は移動速度や距離がなぁ…。諸々を考えれば、カラスが優秀だろ」
胸を張る黒は、カラスであることに誇りと矜持を持っているらしい。
「要所要所で姿を変えることは出来ないの?」
「出来ねぇよ」
呆れた目つきが私を見据える。
小馬鹿にしている顔つきなのが分かる。
「オレっちたちは、召喚されて、初めて動物の形になるんだ。どんな姿になるかは、召喚する奴の想像力によって決まる。頭ん中で、一番最初に思い浮かべた動物になるんだ」
「一番最初の動物?人はダメなの?」
「ダメじゃねぇけど、人間の形を維持する魔力を与えることができる奴はいねぇよ。暁央ですら無理だな。死ぬんじゃねぇか?」
「……それじゃあ、ミミズとかだったら?」
「そういうバカはいる。ミミズじゃねぇが、オレっちが知る限りじゃモグラとかブタとかニワトリとかだ。使えねぇよな」
黒は嘆息して、鳥とは思えぬ動作で畳の上に腰を落ち着けた。脚を私の方へ向け、体が後方へ倒れないように翼で支えている。
「暁央はパワフルで賢い子供だったからな。普通は、親から何度も召喚する動物のイメージを頭に叩き込まれるんだ。そうやって準備して、10才くらいで召喚の儀ってやつをする。召喚は精神力を使うからやり直しが利かねぇ。失敗したら終わりの一発勝負。実際、使えねぇ使い魔を持て余す魔法使いや魔女は少なくねぇからな」
黒は目を眇め、「だが」と硬い声を出した。
「暁央は違う。あいつは何の予備知識もなく、ほんの4才でオレっちを召喚した」
「他の子は10才なのに?」
「そうだ。篁家嫡男として、まさに天才だ。御家安泰。万々歳って感じだったんだが、あの年で反抗期を迎えちまった」
黒は深々とため息を吐き、すたっと立ち上がる。と、と、と私の傍に跳ねて来て、じっとりと私を見上げた。
それから右の翼を、ぴたり、と私のお腹に当てる。
「で、何週目くらいだ?」
「え?何が?」
「何って、出来たんだろ?ガキが」
「は!?そんなわけないでしょ!そういう関係でもないし!」
恥ずかしさと怒りで顔が熱くなる。
乱暴に黒の翼を払い、仰け反るように「赤の他人!」と絶叫する。
「何言ってんだ。図星か?顔が赤いぞ?」
「そりゃ赤くなるわよ!怒りでね!カラスだか使い魔だか知らないけど、羞恥心くらい持ちなさいよ!妊娠していない女性に、妊娠してるなんていうのはセクハラだし、デリカシーなさすぎ!」
思わず下腹部に手を当てる。
少しお腹が盛り上がってるけど、これは座っているせいだ。居住まいを整え、背筋を伸ばせば、お腹の弛みもなくなった。
「嘘は言うなよな。だったら、なんで暁央を住まわせてる?理由は、暁央が”通ひ男”だからだろ?あいつならひとっ飛びだ。で、ガキが出来た暁央が焦って家出なんて暴挙に出た。そっちの方が、よっぽど筋が通る」
「そうかも知れないけど全然違う。篁さんがうちの納屋に落下して、壊したの。それを建て直すまで、ここにいるのよ。言っとくけど、手だって握らせてないんだから」
四つん這いになって黒を睨みつければ、黒は丸々と目を見開いて、「グワァ」と嘴を開けた。
驚愕の顔…と言ったところだ。
「あんた…危機管理能力って言葉知ってるか?」
「知ってるわよ…」
「初めて会った、得体の知れねぇ男を住まわせるなんて、どんなお人好しだ?それともバカか?男を知らねぇ箱入りか?暁央を舐めてんのか?」
カラスに説教されたら、恥ずかしくて穴に埋まりたくなるし、言い訳もできない。
あの時は、あれが最善だと思ったのだ。でも、今なら悪手だったと分かる。
私は世間知らずの田舎娘だ。
「暁央は草食系で、ほぼほぼ枯れてたとしても、一応は男だ。なんかのタイミングで、男としてのスイッチが入るか知れねぇ。あいつに迫られたら、あんた逃げられねぇぞ?なんせ魔法使いなんだ」
ごくり、と唾を嚥下する。
羞恥に赤らんでいた頬の熱が、すぅ…と冷めた。
「確かに……よく知りもしない人を泊めたのは軽率だった…。もしかして…危険人物?」
「今さらかよ」
黒は言って、「カッ」と唾を吐き捨てる仕草をする。
実際に唾は出ず、羽が一枚落ちただけだ。
「あいつ、奥手っつうか、草食っつうか…。童貞じゃねぇとは思うけど…童貞なのか?30まで童貞だと魔法使いになるんだぞ?」
黒はぶつぶつと言って、「いや、あいつは魔法使いか」と笑った。
「じゃ、賢者になるな!」と、両翼をばたつかせて転げるように笑う。
このカラスは口が悪いだけじゃなくて、性格も捻くれてそうだ。
と、パチン、と音がしたかと思った瞬間、黒の姿は掻き消えた。「ガァ!」と濁声が聞こえた方へと目を向ければ、窓の外の椿に逆さに引っかかっている。驚愕と怒りの顔が、こちらに向いている。黒の視線を辿って振り返れば、憤怒で顔を赤らめた篁さんが立っていた。
いつ帰って来たのか、全く気付かなかった。
襖を開け、廊下に佇んだ篁さんは農作業後の薄汚れた姿のまま、黒を睨んでいる。
「お帰りなさい」
声をかければ、篁さんの毒気が急速に萎む。
「あ…ただいま。車、ありがとう」
照れ臭そうに視線を泳がせ、首の後ろに手を当てながら頭を下げた。
「黒がごめんね…。本当に、ごめん」
「別に構いませんよ。魔法使いのこと知れたし。篁さんがパワフルな魔法使いで、優秀だったのは分かりました」
「子供の頃は持て囃されたのは確かだけど、”十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人”だよ」
少なくとも、魔法使いはただの人ではない。
篁さんは「えっと…」と、視線を足元に落とす。
「今さらだけど…誰にも言わないでくれるかな?その…魔法のこと」
「言いませんよ。言ったところで、誰も信じません。それどころか病院を勧められるかも」
とん、と頭を指させば、篁さんは苦笑する。
それから真剣な表情になった。
「御厨さんに話したいことがある」
畏まり、緊張に強張った篁さんに、私は「はい」と頷いた。
しゃ、しゃ、しゃ、と生姜をすりおろす。
小鍋に500mlの水を注ぎ、すりおろした生姜、蜂蜜とレモン汁を足す。私は甘めが好きだけど、篁さんの好みがイマイチ分からないので、蜂蜜は大匙1杯から2杯の間くらいが無難だと思う。レモン汁は少量垂らすだけのアクセントだ。
祖母は片栗粉を少し入れてとろみを出していたけど、今回は無しにする。
コンロの火を点け、スプーンでゆっくりとかき混ぜながらひと煮立ちさせれば、生姜湯の完成だ。
火を止め、マグカップに生姜湯を注いだのを見計らったように、シャワーを浴びた篁さんが台所に入って来た。
草臥れた紺地のトレーナーと黒いパンツという野暮ったい格好なのに、濡れ髪にタオルを引っ掛け、髪を拭く仕草はそこはかとなく色っぽい。
うん。顔が良い。
「洗濯機、借りてるよ」
ドアを閉める前に、篁さんは廊下に振り返る。
洗濯機のある脱衣所の方から、ゴゥン、ゴゥン、と洗濯機が回る音がする。作業着が1着しかないので、その都度、洗濯しなければならないのだ。
「昼からの作業はしないんですか?」
「今日は設計図と、必要な材料の確認をしようと思って」
篁さんはタオルを肩に落とし、椅子に腰かけた。それから生姜湯の注がれたマグカップを覗き込み、「甘い生姜の香りがする」と鼻をすんすんと動かす。
「甘いのが嫌いじゃなければいいけど…」
篁さん用に、市販のスコーンを小皿に載せる。トッピングするのは、自家製いちごジャムだ。「どうぞ」と置けば、篁さんは「甘党なんだ」とはにかんだ。
「このジャム、果肉がごろごろして、パンに塗るような硬めテクスチャじゃないんだね」
「パンに塗るより、何かにトッピングするのがオススメです。コンフィチュールに近いんですよ」
篁さんはスコーンを摘まみ、たっぷりとジャムを付けて頬張った。
「美味い!」と、嬉しい反応だ。
「俺の知ってるジャムじゃない」
よほどお腹が減っていたのか、スコーンをぺろりと完食する。トッピングしたジャムも、お皿に僅かな筋を残すくらいだ。
生姜湯を啜り、「お腹があったまる」と相好を崩す。
まだ物足りなさそうな顔をしているけど、直に昼食の時間だ。ここは我慢してもらうしかない。
私も生姜湯をひと口啜り、両手でカップを掴んだままに「話ってなんですか?」と本題を切り出した。
途端に、篁さんのリラックスした雰囲気が影を潜めた。眉尻を下げた情けない顔が、生姜湯を見つめている。どう話を切り出すべきか、あれこれと考えているのだろう。
沈黙が1分ほど続き、意を決したように篁さんが背筋を伸ばして私を見た。
「魔法使いについて、知ってもらいたいと思って…」
「はい」と、私も居住まいを正す。
「誤解してほしくないのは、俺たちは物語の中の魔法使いとは違うってこと。誰かに危害を加えるような魔法は使わない。逆に、誰かを助ける魔法も使わない」
「人命救助でも?」
篁さんはしばし考えこんだ後、「ケースバイケースかな」と言った。
「魔法使いだとバレないのであれば助けるけど、バレるリスクがある時は見守ることしかできない」
なんだか胸の奥がモヤモヤする。
人を助ける力があるのに、それを使わず見捨てるなんて、とても薄情に思える。
そう思っていたのが表情に出たのか、篁さんは寂しそうに笑った。
「魔法使いは、秘匿された存在なんだ。世界に一定数いるんだけど、数は多くない。昔は多くいたんだけどね」
「数が減ったから、秘密なんですか?」
「数が減った原因が、魔法を秘匿とする要因になったんだ」
「原因?」
「魔女狩り」
そのひと言に、薄情な魔法使いという考えが消し飛んだ。
思い返せば、篁さんの秘密が露見した時も、魔女狩りについて触れていた。あの時は、真剣に取り合わず、それどころか揶揄われたと感じた。
魔法使いだと証明された後は、ひたすら魔法に魅入ってしまい、魔女狩りのフレーズは頭から消えていた。
魔女狩りは、歴史に明るくない私でも知っている。小説、映画、マンガ。あらゆる方面で登場する題材だ。魔女狩りの主な犠牲者は女性。少数ながら男性も犠牲になっているが、魔女狩りというだけあって、圧倒的に犠牲者の多くは女性だった。
私刑に法的な手続きはない。
誰かの妬み嫉み、反感を買って、「あいつは魔女だ」と密告されれば死刑となった。宗教的な側面と、女性迫害の面を持って、数万人が火刑、絞首刑に処された。
中世ヨーロッパで行われたイメージが強いけど、実際は世界中で行われているし、途上国では現在進行形で私刑が遂行されているとテレビで見た。
それなのに、私はちっぽけな正義の物差しで、傲慢とさえ思える考えで篁さんを見てしまった。
羞恥心を抱いて俯けば、篁さんは手首を翻し、生姜湯を指さした。くいっと手首を翻せば、カップの底に残った僅かな生姜湯が、無重力という自由を得て宙に浮いた。
大小様々な琥珀色の円い玉が、ふわふわと私と篁さんの間を漂う。
魔法の特等席だ。
このショーには種も仕掛けもない。
篁さんは人差し指で天井をさし、ゆっくりと反時計回りに指を回し始めた。その指示に従い、無秩序に浮揚していた玉が、篁さんの指の動きに合わせて小さな太陽系を形作る。
「すごい…」
「でも、多くの人たちは、この力を怖いと思うんだよ」
「悪い魔法使いなら…怖いかも。でも、篁さんは違うでしょ?なにより、魔法使いでなくても、怖い人、危ない人は一定数いますよね?」
「そうだね」
篁さんは苦笑して、くるくると回していた指先をカップに向けた。それに倣い、生姜湯の太陽系は隊列を為してカップの底に戻って行く。
「でも、世間一般は魔法使いを危険分子と見なしているんだ。それには力に対する妬みもあるよね。公平じゃない。だから魔法使いは危険だ。私たちの知らない所で、何をするか分からないぞ、てね。困った人たちに尽くした良い魔法使いも、悪意あるデマを吹聴されれば、やがて多くの賛同を得て私刑の対象になるんだ」
反論の言葉が見つからない。
魔法使いでなくても、SNSで炎上の火種を嬉々としてばら撒く人は一定数いる。成功者を妬み、他人の不幸を見て喜ぶ。みんな底辺で苦労を背負っていなければならないと、嫉妬心が見ず知らずの人たちを攻撃するのだ。
魔法使いの場合、それが死刑宣告となる。
「そんな最悪の事態を避けるために、魔法使いは魔法協会に所属しなければならない。協会に所属した魔法使いは、個人情報を登録され、行動を監視される。まぁ、監視と言っても、引っ越しとか海外旅行先を申請するようなお役所仕事だけどね」
「それとは別に、ちゃんとした役所にも行くんですよね?」
「そうだよ。税金だって払ってる」
「窮屈じゃないですか?窮屈っていうか…面倒っていうか…二度手間?」
「いや」と、篁さんは頭を振る。
「俺たちは、自分たちの立ち位置を理解しているからね。魔女狩りの歴史を知っている。この時代に於いても、どこかの国では私刑が行われたと耳にする。だからこそ、慎重にならないといけない」
篁さんは生姜湯を飲み干し、上唇についた生姜の繊維を舐めとった。
「俺たちは厳粛な法の下で管理されているんだ」
「法律って、魔法使い専門の?」
「協会が、その専門機関にあたるんだ。役所と警察と裁判所を一緒くたにしているような感じでね。幹部は古来から日本にいる魔法使いの家系が担ってる。その一角が、篁家なんだ」
篁さんは言って、落胆したように項垂れる。
「うちは両親ともに公務員でね。協会と二足の草鞋で、人間社会にも溶け込んでるんだ。多くの魔法使いがそうだよ。堅実に生活している。子供の時は、マジシャンになれば一攫千金の有名人だ、なんて言ってる子も多いけどね。大人になれば、そんな危ない橋を渡る者はいない」
「そういえば、篁さんは仕事は?」
「俺は大学を出て、普通の会社に入って、営業に回されて、肌に合わずに辞めたんだ。今は無職」
あっけらかんと笑う。
「両親ともに真面目だから怒ってね。だったら協会で働けと。年も年だから長男として嫁を貰って跡継ぎを儲けろと見合い話まで出て来て、疲れちゃったんだ」
「で、家出した?」
「そう」
泣き笑いの顔で頭を掻く姿は、枯れた中年男だ。
「情けない話、自分が何をしたいのか分からないんだ。大学も、なんとなく行ってたくらいだから。履歴書に特技は魔法って書けるわけないしね。資格も運転免許しかない」
そう言いながらも、篁さんの口元が僅かに綻ぶ。
「でも…農業は好きかも。昨日今日で何が分かるんだって言われそうだけど、営業に比べたら肌に合ってるなって思ったよ。辛いのは、早起きと筋肉痛くらいかな?」
「若菜さんは厳しいけど、世話好きで、竹を割ったような性格だから」
「そうなんだ。人使いは荒いけど、ちゃんとこちらのペースを見てる。無理難題は要求しないし、分からないことがあれば嫌な顔一つせずに教えてくれる」
「前の職場は違ったんですか?」
「違った」と、篁さんは自嘲する。
「新人教育はあってないようなもの。残業の日々だったし、何か訊くと面倒臭そうな対応をされる。しかも言葉足らずの説明だから、まるでミスを誘導しているみたいなんだ。毎日、何度も頭を下げたよ。新人が育つ環境じゃなかった。俺は頑張って勤めていた方だよ。殆どが1年足らずで辞めて行ったからね」
「ブラックですね」
思ったままを口にすれば、篁さんは「そうだね」と頷く。
「意外と我慢強いんですか?」
「俺に限らず、魔法使いは我慢強いよ。歴史が歴史だから、目立たず、弱音を吐かず…が染みついているんだ」
それを聞くと、魔法への憧れは萎んでしまう。妬みすら沸かない。
「あ…でも…。篁さんって、空を飛んで来たんですよね?しかも絨毯で。すごく目立つじゃないですか。矛盾しますよ」
「ちゃんと見えない魔法を使ってたからセーフだよ」
篁さんは唇を尖らせ、首を窄める。
誤って落っこちたのだからバツも悪そうだ。
「パワフルな魔法使いなのに、どうして落ちたんですか?」
「汚れても良いように体操着を着てただろ?」
「それが?」
「まず、カーペットで飛ぶのに力を使う。ベールは目隠しの魔法なんだけど、かなり力を使う。薄着だったから、防寒の魔法をかけるのにも力を使う。それに、夜通し飛んで眠かったし…腹も減って…。集中力が切れてたんだ…」
体操着で良かった、と篁さんは苦笑する。
「なんだか、落っこちる前提で体操着を着てたみたいですね」
「まぁ…そうだね。最悪を想定して、体操着を着たのは事実かな…」
「防寒の魔法を使わなければ、余計な力は使わなかったのに」
「一番は空腹と集中力が切れたことだよ。魔法の発動は、想像の力でもあるからね」
篁さんは言って苦笑する。
「あの…訊いてもいいですか?」
「なに?」
「もし魔法を使っているのを見られたらどうなるんですか?SNSで拡散とかされたら大変でしょ?」
「魔法の存在は、ずっと隠し通せてきた訳じゃないよ。その度に、何かしらの目くらましスクープをでっち上げるんだ。ツチノコが出たぞ、UFOから宇宙人が出てきたぞ、とかね。今はSNSで拡散されても、フェイクで誤魔化せるから、意外と昔ほど情報操作は難しくないんだ」
もしかすると、昔からあるツチノコや各地の湖にいる〇ッシ―系は、魔法協会の情報操作なのだろうか。そうだとすれば、ちょっぴりショックだ。
「魔法使いは色々な所で働いているけど、出版社系列に多いんだよ。次いで、警察や法律事務所関連だね。どれもこれも”やりたい仕事”ではなく、自衛手段の1つ。もしくは、協会側からの要請で働いているんだ。いつでも不祥事を揉み消せるように」
言葉は悪いけどね、と篁さんは眉尻を下げた。
それだけ、魔法使いは精神を摩耗させながら生きているのだ。魔女狩りという残酷な歴史のせいで。
「魔法を見られた人はどうなるんですか?」
「捕まる。それから諮問会議が開かれ、裁判になる。なぜ使ったのか、どういう状況で使ったのか、被害者はいるのか、それらを精査されるんだ。悪質な場合は懲役刑。情状酌量がある場合は禁固刑や30日未満の拘留。もしくは1ヵ月の地域貢献活動や罰金刑だね」
「弁護士とかもいるんですか?」
「いるよ。ちゃんと公平に行うんだ」
そう言って、篁さんは立ち上がった。
「以上が、御厨さんに聞いてもらいたかった魔法使いの全てだよ」
だから口外するなとも、記憶を操るような魔法を繰り出すこともない。
篁さんは空になったマグカップとお皿を流し台に持って行き、「冷た!」と大袈裟に叫びながら食器を洗う。
誠実で優しい魔法使いだ。
「私は篁さんのこと怖くないですよ?」
篁さんの背中に向けて言う。
篁さんは背中を丸め、気恥ずかしそうに肩を揺らした。
「ありがとう…」
顔は見えないけど、真っ赤に染まった耳は隠しきれていない。それがなんだか可愛くて、私は微笑んだ。
と、と、と畳の上を跳ねながら、黒が物珍しげに宛名ラベルを貼った小箱を眺める。
品名はジャム。
昼に郵便局に持って行く予定の商品だ。
「あの…商品だから。カラスって…衛生面がちょっと…あれでしょ?」
「は?何言ってんだ。オレっちがそこらの野カラスと一緒のはずねぇだろ。奴らは雑菌やら寄生虫やらがくっついてるから、頻繁に水浴びやら砂浴びしてるけどな。オレっちは見た目がカラスってだけでカラスとは違う」
どういう意味だろうか。
作業の手を止めて、ゆっくりと黒に向き直る。
「篁さんに毎日洗ってもらってるってこと?」
「ちげぇよ。オレっちたち使い魔ってやつは、動物とはちと違う。そこらのカラスに会話ができると思うか?」
私は頭を振る。
「喋れる鳥ってぇのは、あれは芸だな。人間が教える、まさに鸚鵡返しだ。上手く喋れたら褒められ、おやつを貰えるから、飼い馴らされた”話す鳥”は必死こいて言葉を覚えるんだ」
「黒は違うの?」
「違うなぁ。オレっちは使い魔って言ったろ?使い魔ってぇのは、見た目は動物だが、精霊に近いんだ。本来、形がねぇんだよ。オレっちは暁央に召喚されて、カラスの形になったってわけだ」
精霊といえば、ピーターパンに登場するティンカーベルを思い出すけど、黒にはその要素は皆無だ。愛らしさもなければ、羽ばたく度にキラキラとした鱗粉ぽいものも舞うことがない。
「昨今は例の映画の影響で、フクロウが多いかなぁ。その前は、やっぱアニメ映画の影響で黒猫。昔も黒猫はいたことはいたが、圧倒的にカラスが多かったんだ」
黒は器用に右の翼で嘴の下に触れる。人間なら顎に手をやる仕草かもしれない。
「でも、あいつらは使い物になんねぇ」
「どうして?」
「街中にフクロウなんて飛んでみろ。目立って仕方ねぇ!白いフクロウなんて森ん中でも目立つ。だから、使い魔の多くは、全国津々浦々に分布するカラスが妥当なんだ。猫は移動速度や距離がなぁ…。諸々を考えれば、カラスが優秀だろ」
胸を張る黒は、カラスであることに誇りと矜持を持っているらしい。
「要所要所で姿を変えることは出来ないの?」
「出来ねぇよ」
呆れた目つきが私を見据える。
小馬鹿にしている顔つきなのが分かる。
「オレっちたちは、召喚されて、初めて動物の形になるんだ。どんな姿になるかは、召喚する奴の想像力によって決まる。頭ん中で、一番最初に思い浮かべた動物になるんだ」
「一番最初の動物?人はダメなの?」
「ダメじゃねぇけど、人間の形を維持する魔力を与えることができる奴はいねぇよ。暁央ですら無理だな。死ぬんじゃねぇか?」
「……それじゃあ、ミミズとかだったら?」
「そういうバカはいる。ミミズじゃねぇが、オレっちが知る限りじゃモグラとかブタとかニワトリとかだ。使えねぇよな」
黒は嘆息して、鳥とは思えぬ動作で畳の上に腰を落ち着けた。脚を私の方へ向け、体が後方へ倒れないように翼で支えている。
「暁央はパワフルで賢い子供だったからな。普通は、親から何度も召喚する動物のイメージを頭に叩き込まれるんだ。そうやって準備して、10才くらいで召喚の儀ってやつをする。召喚は精神力を使うからやり直しが利かねぇ。失敗したら終わりの一発勝負。実際、使えねぇ使い魔を持て余す魔法使いや魔女は少なくねぇからな」
黒は目を眇め、「だが」と硬い声を出した。
「暁央は違う。あいつは何の予備知識もなく、ほんの4才でオレっちを召喚した」
「他の子は10才なのに?」
「そうだ。篁家嫡男として、まさに天才だ。御家安泰。万々歳って感じだったんだが、あの年で反抗期を迎えちまった」
黒は深々とため息を吐き、すたっと立ち上がる。と、と、と私の傍に跳ねて来て、じっとりと私を見上げた。
それから右の翼を、ぴたり、と私のお腹に当てる。
「で、何週目くらいだ?」
「え?何が?」
「何って、出来たんだろ?ガキが」
「は!?そんなわけないでしょ!そういう関係でもないし!」
恥ずかしさと怒りで顔が熱くなる。
乱暴に黒の翼を払い、仰け反るように「赤の他人!」と絶叫する。
「何言ってんだ。図星か?顔が赤いぞ?」
「そりゃ赤くなるわよ!怒りでね!カラスだか使い魔だか知らないけど、羞恥心くらい持ちなさいよ!妊娠していない女性に、妊娠してるなんていうのはセクハラだし、デリカシーなさすぎ!」
思わず下腹部に手を当てる。
少しお腹が盛り上がってるけど、これは座っているせいだ。居住まいを整え、背筋を伸ばせば、お腹の弛みもなくなった。
「嘘は言うなよな。だったら、なんで暁央を住まわせてる?理由は、暁央が”通ひ男”だからだろ?あいつならひとっ飛びだ。で、ガキが出来た暁央が焦って家出なんて暴挙に出た。そっちの方が、よっぽど筋が通る」
「そうかも知れないけど全然違う。篁さんがうちの納屋に落下して、壊したの。それを建て直すまで、ここにいるのよ。言っとくけど、手だって握らせてないんだから」
四つん這いになって黒を睨みつければ、黒は丸々と目を見開いて、「グワァ」と嘴を開けた。
驚愕の顔…と言ったところだ。
「あんた…危機管理能力って言葉知ってるか?」
「知ってるわよ…」
「初めて会った、得体の知れねぇ男を住まわせるなんて、どんなお人好しだ?それともバカか?男を知らねぇ箱入りか?暁央を舐めてんのか?」
カラスに説教されたら、恥ずかしくて穴に埋まりたくなるし、言い訳もできない。
あの時は、あれが最善だと思ったのだ。でも、今なら悪手だったと分かる。
私は世間知らずの田舎娘だ。
「暁央は草食系で、ほぼほぼ枯れてたとしても、一応は男だ。なんかのタイミングで、男としてのスイッチが入るか知れねぇ。あいつに迫られたら、あんた逃げられねぇぞ?なんせ魔法使いなんだ」
ごくり、と唾を嚥下する。
羞恥に赤らんでいた頬の熱が、すぅ…と冷めた。
「確かに……よく知りもしない人を泊めたのは軽率だった…。もしかして…危険人物?」
「今さらかよ」
黒は言って、「カッ」と唾を吐き捨てる仕草をする。
実際に唾は出ず、羽が一枚落ちただけだ。
「あいつ、奥手っつうか、草食っつうか…。童貞じゃねぇとは思うけど…童貞なのか?30まで童貞だと魔法使いになるんだぞ?」
黒はぶつぶつと言って、「いや、あいつは魔法使いか」と笑った。
「じゃ、賢者になるな!」と、両翼をばたつかせて転げるように笑う。
このカラスは口が悪いだけじゃなくて、性格も捻くれてそうだ。
と、パチン、と音がしたかと思った瞬間、黒の姿は掻き消えた。「ガァ!」と濁声が聞こえた方へと目を向ければ、窓の外の椿に逆さに引っかかっている。驚愕と怒りの顔が、こちらに向いている。黒の視線を辿って振り返れば、憤怒で顔を赤らめた篁さんが立っていた。
いつ帰って来たのか、全く気付かなかった。
襖を開け、廊下に佇んだ篁さんは農作業後の薄汚れた姿のまま、黒を睨んでいる。
「お帰りなさい」
声をかければ、篁さんの毒気が急速に萎む。
「あ…ただいま。車、ありがとう」
照れ臭そうに視線を泳がせ、首の後ろに手を当てながら頭を下げた。
「黒がごめんね…。本当に、ごめん」
「別に構いませんよ。魔法使いのこと知れたし。篁さんがパワフルな魔法使いで、優秀だったのは分かりました」
「子供の頃は持て囃されたのは確かだけど、”十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人”だよ」
少なくとも、魔法使いはただの人ではない。
篁さんは「えっと…」と、視線を足元に落とす。
「今さらだけど…誰にも言わないでくれるかな?その…魔法のこと」
「言いませんよ。言ったところで、誰も信じません。それどころか病院を勧められるかも」
とん、と頭を指させば、篁さんは苦笑する。
それから真剣な表情になった。
「御厨さんに話したいことがある」
畏まり、緊張に強張った篁さんに、私は「はい」と頷いた。
しゃ、しゃ、しゃ、と生姜をすりおろす。
小鍋に500mlの水を注ぎ、すりおろした生姜、蜂蜜とレモン汁を足す。私は甘めが好きだけど、篁さんの好みがイマイチ分からないので、蜂蜜は大匙1杯から2杯の間くらいが無難だと思う。レモン汁は少量垂らすだけのアクセントだ。
祖母は片栗粉を少し入れてとろみを出していたけど、今回は無しにする。
コンロの火を点け、スプーンでゆっくりとかき混ぜながらひと煮立ちさせれば、生姜湯の完成だ。
火を止め、マグカップに生姜湯を注いだのを見計らったように、シャワーを浴びた篁さんが台所に入って来た。
草臥れた紺地のトレーナーと黒いパンツという野暮ったい格好なのに、濡れ髪にタオルを引っ掛け、髪を拭く仕草はそこはかとなく色っぽい。
うん。顔が良い。
「洗濯機、借りてるよ」
ドアを閉める前に、篁さんは廊下に振り返る。
洗濯機のある脱衣所の方から、ゴゥン、ゴゥン、と洗濯機が回る音がする。作業着が1着しかないので、その都度、洗濯しなければならないのだ。
「昼からの作業はしないんですか?」
「今日は設計図と、必要な材料の確認をしようと思って」
篁さんはタオルを肩に落とし、椅子に腰かけた。それから生姜湯の注がれたマグカップを覗き込み、「甘い生姜の香りがする」と鼻をすんすんと動かす。
「甘いのが嫌いじゃなければいいけど…」
篁さん用に、市販のスコーンを小皿に載せる。トッピングするのは、自家製いちごジャムだ。「どうぞ」と置けば、篁さんは「甘党なんだ」とはにかんだ。
「このジャム、果肉がごろごろして、パンに塗るような硬めテクスチャじゃないんだね」
「パンに塗るより、何かにトッピングするのがオススメです。コンフィチュールに近いんですよ」
篁さんはスコーンを摘まみ、たっぷりとジャムを付けて頬張った。
「美味い!」と、嬉しい反応だ。
「俺の知ってるジャムじゃない」
よほどお腹が減っていたのか、スコーンをぺろりと完食する。トッピングしたジャムも、お皿に僅かな筋を残すくらいだ。
生姜湯を啜り、「お腹があったまる」と相好を崩す。
まだ物足りなさそうな顔をしているけど、直に昼食の時間だ。ここは我慢してもらうしかない。
私も生姜湯をひと口啜り、両手でカップを掴んだままに「話ってなんですか?」と本題を切り出した。
途端に、篁さんのリラックスした雰囲気が影を潜めた。眉尻を下げた情けない顔が、生姜湯を見つめている。どう話を切り出すべきか、あれこれと考えているのだろう。
沈黙が1分ほど続き、意を決したように篁さんが背筋を伸ばして私を見た。
「魔法使いについて、知ってもらいたいと思って…」
「はい」と、私も居住まいを正す。
「誤解してほしくないのは、俺たちは物語の中の魔法使いとは違うってこと。誰かに危害を加えるような魔法は使わない。逆に、誰かを助ける魔法も使わない」
「人命救助でも?」
篁さんはしばし考えこんだ後、「ケースバイケースかな」と言った。
「魔法使いだとバレないのであれば助けるけど、バレるリスクがある時は見守ることしかできない」
なんだか胸の奥がモヤモヤする。
人を助ける力があるのに、それを使わず見捨てるなんて、とても薄情に思える。
そう思っていたのが表情に出たのか、篁さんは寂しそうに笑った。
「魔法使いは、秘匿された存在なんだ。世界に一定数いるんだけど、数は多くない。昔は多くいたんだけどね」
「数が減ったから、秘密なんですか?」
「数が減った原因が、魔法を秘匿とする要因になったんだ」
「原因?」
「魔女狩り」
そのひと言に、薄情な魔法使いという考えが消し飛んだ。
思い返せば、篁さんの秘密が露見した時も、魔女狩りについて触れていた。あの時は、真剣に取り合わず、それどころか揶揄われたと感じた。
魔法使いだと証明された後は、ひたすら魔法に魅入ってしまい、魔女狩りのフレーズは頭から消えていた。
魔女狩りは、歴史に明るくない私でも知っている。小説、映画、マンガ。あらゆる方面で登場する題材だ。魔女狩りの主な犠牲者は女性。少数ながら男性も犠牲になっているが、魔女狩りというだけあって、圧倒的に犠牲者の多くは女性だった。
私刑に法的な手続きはない。
誰かの妬み嫉み、反感を買って、「あいつは魔女だ」と密告されれば死刑となった。宗教的な側面と、女性迫害の面を持って、数万人が火刑、絞首刑に処された。
中世ヨーロッパで行われたイメージが強いけど、実際は世界中で行われているし、途上国では現在進行形で私刑が遂行されているとテレビで見た。
それなのに、私はちっぽけな正義の物差しで、傲慢とさえ思える考えで篁さんを見てしまった。
羞恥心を抱いて俯けば、篁さんは手首を翻し、生姜湯を指さした。くいっと手首を翻せば、カップの底に残った僅かな生姜湯が、無重力という自由を得て宙に浮いた。
大小様々な琥珀色の円い玉が、ふわふわと私と篁さんの間を漂う。
魔法の特等席だ。
このショーには種も仕掛けもない。
篁さんは人差し指で天井をさし、ゆっくりと反時計回りに指を回し始めた。その指示に従い、無秩序に浮揚していた玉が、篁さんの指の動きに合わせて小さな太陽系を形作る。
「すごい…」
「でも、多くの人たちは、この力を怖いと思うんだよ」
「悪い魔法使いなら…怖いかも。でも、篁さんは違うでしょ?なにより、魔法使いでなくても、怖い人、危ない人は一定数いますよね?」
「そうだね」
篁さんは苦笑して、くるくると回していた指先をカップに向けた。それに倣い、生姜湯の太陽系は隊列を為してカップの底に戻って行く。
「でも、世間一般は魔法使いを危険分子と見なしているんだ。それには力に対する妬みもあるよね。公平じゃない。だから魔法使いは危険だ。私たちの知らない所で、何をするか分からないぞ、てね。困った人たちに尽くした良い魔法使いも、悪意あるデマを吹聴されれば、やがて多くの賛同を得て私刑の対象になるんだ」
反論の言葉が見つからない。
魔法使いでなくても、SNSで炎上の火種を嬉々としてばら撒く人は一定数いる。成功者を妬み、他人の不幸を見て喜ぶ。みんな底辺で苦労を背負っていなければならないと、嫉妬心が見ず知らずの人たちを攻撃するのだ。
魔法使いの場合、それが死刑宣告となる。
「そんな最悪の事態を避けるために、魔法使いは魔法協会に所属しなければならない。協会に所属した魔法使いは、個人情報を登録され、行動を監視される。まぁ、監視と言っても、引っ越しとか海外旅行先を申請するようなお役所仕事だけどね」
「それとは別に、ちゃんとした役所にも行くんですよね?」
「そうだよ。税金だって払ってる」
「窮屈じゃないですか?窮屈っていうか…面倒っていうか…二度手間?」
「いや」と、篁さんは頭を振る。
「俺たちは、自分たちの立ち位置を理解しているからね。魔女狩りの歴史を知っている。この時代に於いても、どこかの国では私刑が行われたと耳にする。だからこそ、慎重にならないといけない」
篁さんは生姜湯を飲み干し、上唇についた生姜の繊維を舐めとった。
「俺たちは厳粛な法の下で管理されているんだ」
「法律って、魔法使い専門の?」
「協会が、その専門機関にあたるんだ。役所と警察と裁判所を一緒くたにしているような感じでね。幹部は古来から日本にいる魔法使いの家系が担ってる。その一角が、篁家なんだ」
篁さんは言って、落胆したように項垂れる。
「うちは両親ともに公務員でね。協会と二足の草鞋で、人間社会にも溶け込んでるんだ。多くの魔法使いがそうだよ。堅実に生活している。子供の時は、マジシャンになれば一攫千金の有名人だ、なんて言ってる子も多いけどね。大人になれば、そんな危ない橋を渡る者はいない」
「そういえば、篁さんは仕事は?」
「俺は大学を出て、普通の会社に入って、営業に回されて、肌に合わずに辞めたんだ。今は無職」
あっけらかんと笑う。
「両親ともに真面目だから怒ってね。だったら協会で働けと。年も年だから長男として嫁を貰って跡継ぎを儲けろと見合い話まで出て来て、疲れちゃったんだ」
「で、家出した?」
「そう」
泣き笑いの顔で頭を掻く姿は、枯れた中年男だ。
「情けない話、自分が何をしたいのか分からないんだ。大学も、なんとなく行ってたくらいだから。履歴書に特技は魔法って書けるわけないしね。資格も運転免許しかない」
そう言いながらも、篁さんの口元が僅かに綻ぶ。
「でも…農業は好きかも。昨日今日で何が分かるんだって言われそうだけど、営業に比べたら肌に合ってるなって思ったよ。辛いのは、早起きと筋肉痛くらいかな?」
「若菜さんは厳しいけど、世話好きで、竹を割ったような性格だから」
「そうなんだ。人使いは荒いけど、ちゃんとこちらのペースを見てる。無理難題は要求しないし、分からないことがあれば嫌な顔一つせずに教えてくれる」
「前の職場は違ったんですか?」
「違った」と、篁さんは自嘲する。
「新人教育はあってないようなもの。残業の日々だったし、何か訊くと面倒臭そうな対応をされる。しかも言葉足らずの説明だから、まるでミスを誘導しているみたいなんだ。毎日、何度も頭を下げたよ。新人が育つ環境じゃなかった。俺は頑張って勤めていた方だよ。殆どが1年足らずで辞めて行ったからね」
「ブラックですね」
思ったままを口にすれば、篁さんは「そうだね」と頷く。
「意外と我慢強いんですか?」
「俺に限らず、魔法使いは我慢強いよ。歴史が歴史だから、目立たず、弱音を吐かず…が染みついているんだ」
それを聞くと、魔法への憧れは萎んでしまう。妬みすら沸かない。
「あ…でも…。篁さんって、空を飛んで来たんですよね?しかも絨毯で。すごく目立つじゃないですか。矛盾しますよ」
「ちゃんと見えない魔法を使ってたからセーフだよ」
篁さんは唇を尖らせ、首を窄める。
誤って落っこちたのだからバツも悪そうだ。
「パワフルな魔法使いなのに、どうして落ちたんですか?」
「汚れても良いように体操着を着てただろ?」
「それが?」
「まず、カーペットで飛ぶのに力を使う。ベールは目隠しの魔法なんだけど、かなり力を使う。薄着だったから、防寒の魔法をかけるのにも力を使う。それに、夜通し飛んで眠かったし…腹も減って…。集中力が切れてたんだ…」
体操着で良かった、と篁さんは苦笑する。
「なんだか、落っこちる前提で体操着を着てたみたいですね」
「まぁ…そうだね。最悪を想定して、体操着を着たのは事実かな…」
「防寒の魔法を使わなければ、余計な力は使わなかったのに」
「一番は空腹と集中力が切れたことだよ。魔法の発動は、想像の力でもあるからね」
篁さんは言って苦笑する。
「あの…訊いてもいいですか?」
「なに?」
「もし魔法を使っているのを見られたらどうなるんですか?SNSで拡散とかされたら大変でしょ?」
「魔法の存在は、ずっと隠し通せてきた訳じゃないよ。その度に、何かしらの目くらましスクープをでっち上げるんだ。ツチノコが出たぞ、UFOから宇宙人が出てきたぞ、とかね。今はSNSで拡散されても、フェイクで誤魔化せるから、意外と昔ほど情報操作は難しくないんだ」
もしかすると、昔からあるツチノコや各地の湖にいる〇ッシ―系は、魔法協会の情報操作なのだろうか。そうだとすれば、ちょっぴりショックだ。
「魔法使いは色々な所で働いているけど、出版社系列に多いんだよ。次いで、警察や法律事務所関連だね。どれもこれも”やりたい仕事”ではなく、自衛手段の1つ。もしくは、協会側からの要請で働いているんだ。いつでも不祥事を揉み消せるように」
言葉は悪いけどね、と篁さんは眉尻を下げた。
それだけ、魔法使いは精神を摩耗させながら生きているのだ。魔女狩りという残酷な歴史のせいで。
「魔法を見られた人はどうなるんですか?」
「捕まる。それから諮問会議が開かれ、裁判になる。なぜ使ったのか、どういう状況で使ったのか、被害者はいるのか、それらを精査されるんだ。悪質な場合は懲役刑。情状酌量がある場合は禁固刑や30日未満の拘留。もしくは1ヵ月の地域貢献活動や罰金刑だね」
「弁護士とかもいるんですか?」
「いるよ。ちゃんと公平に行うんだ」
そう言って、篁さんは立ち上がった。
「以上が、御厨さんに聞いてもらいたかった魔法使いの全てだよ」
だから口外するなとも、記憶を操るような魔法を繰り出すこともない。
篁さんは空になったマグカップとお皿を流し台に持って行き、「冷た!」と大袈裟に叫びながら食器を洗う。
誠実で優しい魔法使いだ。
「私は篁さんのこと怖くないですよ?」
篁さんの背中に向けて言う。
篁さんは背中を丸め、気恥ずかしそうに肩を揺らした。
「ありがとう…」
顔は見えないけど、真っ赤に染まった耳は隠しきれていない。それがなんだか可愛くて、私は微笑んだ。
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