神様の許嫁

衣更月

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まれびとの社(二部)

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 細い林道の脇。
 林業関係者が駐車スペースとして利用しているのか、その場だけ雑草が抜かれ、踏み固められた茶色い地面がむき出しになっている。
 広さとしては軽トラック2台分ほどで、車の切り返しスペースでもあるらしく、幾つものタイヤ痕が弧を描くように刻まれている。
 脇道と言われているのは、このスペースの奥にあった。
 ぱっと見は草むら。
 つる草を忍ばせた背の高い草が、杉の木々の間にわっさわっさと茂っている。
 鬼頭さんは脇道と言うけど、これは脇道ではなく獣道だ。作ったのが動物ではなく人だとしても、茫々とした草を足で払っただけ。なんとなく人が出入りした雰囲気を微妙に残しただけの、道と言うには憚られる隙間だ。
 しかも、草むらに一歩踏み込めば、小さな虫が舞い上がった。
 耳に聞こえてくるのは、ブ~ン、ブ~ン、と嫌な羽音だ。
 よく見れば、白黒縞模様の見知った形をしている。
 虫よけスプレーを全身に振りまいたとは言っても、やぶ蚊は服の上からもグサグサと刺してくるバイタリティがあるので厄介だ。
 でも、私と違って神様たちは蚊に刺されないらしい。やぶ蚊が3柱を避けているように見える。やぶ蚊がターゲットに定めたのは私と鬼頭さんだ。特に鬼頭さんは虫よけスプレーを使っていないのか、足元にやぶ蚊が群がっている。
 鬼頭さんの後ろを歩く神直日神と年神様には0匹なのに…。
「惟親たちはどうしたんだ?」
 神直日神の問いに、鬼頭さんは手でやぶ蚊を払いつつ振り返った。
「この先で待ってます」
 そう答えつつ、鬼頭さんはザッ、ザッと草を踏み潰す。
 後ろに続く私たちに配慮して、少しでも歩きやすく道を広げているのだと思う。ただ、葉の裏っ側に隠れていたやぶ蚊が、一斉にブ~ンと飛び始めたのには顔が引き攣ってしまった。
 両手でぱたぱたとやぶ蚊を追い払いながら、年神様の背中を追う。
 配置としては、鬼頭さんを先頭に神直日神、年神様、私、須久奈様の順になる。
 神様に挟まれた配置は安心感しかないし、殿しんがりが須久奈様というのも心強い。
 緩やかな斜面を奥へと進むと、しばらくして「カァカァ」とカラスが鳴いた。
 視線を頭上に向ければ、案内してくれていたカラスが杉の枝先に止まってこちらを見下ろしている。
 カラスと目が合うと、これ以上は案内できないとばかりに「ガァアガァア!」と濁声を張り上げ、飛び去った。
 カラスの言葉は分からないと言っていた須久奈様が、「役目を終えたみたいだな」とぽつりと言う。
 動物は人より色々と敏感なのだから仕方ない。
 恐らく、ここより先は危険地帯なのだと本能で悟ったのだろう。
 操られ、死んだ仲間もいたのだからなおのことだ。
「お待たせ」
 鬼頭さんの声で、大神さんと日向さんと合流できたのが分かった。
「おいおい。まさかソレが道って言うんじゃないだろうな?」
 不満げな神直日神の声に、思わず足元を見てしまう。
 これですら道とは言えないのに、これ以下になるのかと思うと怖気が走る。
 前を歩く年神様の後ろから、ひょこっと顔を出してソレ・・を確認してみた。
 茫々と茂った草むらが、熊笹の群生に取って代わっている。
 草むらよりも背が高く、私の胸の近くまである。しかも、どこに道があるのか分からない。
 必死に目を凝らすと、僅かに隙間があるような気もする。道というより、誰かが熊笹に飛び込んで強引に突破したような隙間とも言えない痕跡だ。
 熊笹の手前には、相変わらず無表情なクールイケメン大神さんが立っている。その横に、顔色の悪い日向さんが控える。気持ちは分かる。カラスが去った辺りから、やぶ蚊の存在を忘れてしまうほど、空気が澱み始めたので、間違いなくその影響だ。
 日向さんの目にはどう映っているのかは分からないけど、熊笹の向こうが微かに靄がかって見える。考えたくはないけど、この先は今以上のものなんだろう。つまり、ゴール間近。
 神様から威圧を向けられたことのある経験者としては、怖くはあるけどまだ平気なラインではある。例えるなら、お化け屋敷の入り口に立った時の緊張感と言ったところかな。
 そろそろと熊笹の前に立つと、唐突に頭の中で真っ赤な危険信号が点滅した。
 お化け屋敷の入り口に立っていたのに、急にお化け屋敷の真ん中に落とされた感覚だ。
 いきなり本番真っただ中。
 本能がヤバいと悲鳴を上げている。
 思わず須久奈様に抱き着いたのは仕方ないと思う。須久奈様はニチャニチャ笑ってるけど、その下手糞な笑顔を無視できるほどには熊笹の向こうが怖い。
「あ~…ここが境になってんな~」
 神直日神がヒュ~っと口笛を吹いた。
 年神様も「見事なものだね」と感心しきりだ。
「この先で間違いないでしょうが…」
 大神さんが言葉を濁しながら、顔面蒼白の日向さんに目を向ける。
 いつ卒倒してもおかしくない顔色だ。胸の前で組んだ手は小刻みに震えているし、瞬きも忘れた双眸はじっと足元の草を見ている。
 私よりよほど耐えている。
 そそそ、と須久奈様から離れて、「日向さん」とそっと肩に手をおけば、びくりと日向さんは体を跳ね上げた。
 触れたのが私と分かると、途端に瞳に涙の膜が張る。
「い…一花ちゃん…」
 少しぎこちない笑みに、私もめいっぱい笑顔を返す。
「日向さん」
 すっと指さすのは、たった今、やぶ蚊と格闘してきた獣道だ。
「1人で戻れる?戻ったら、うちのお父さんがいるから車に乗せてもらって。須久奈様の加護付きだから安全なんです」
「一花…ちゃん…?」
「日向さんは頑張ったと思う。ここまでで十分ですよ。私はほら、高木神様の試練?テスト?みたいだから抜けるのはできないけど。須久奈様の加護は人一倍ついてるので、ここにいる誰よりも一番安全なんです。だから、日向さんは引き返しても大丈夫ですよ」
 笑顔で胸を張ってみる。
 怖いものは怖いし、できるなら回れ右で退散したいというのが本音だけど…。
「え?」と言ったのは日向さんだけで、その他はそれが妥当だろうと頷いている。ただ、鬼頭さんだけが私と同じ心境らしいのは分かった。
「望海。ここから先はお前では無理だ。引き返せ」
 その戦力外通告を、鬼頭さんが羨ましそうに見ている。
 私も羨ましいと思う。
「い…一花も戻るか?俺が連れて行こうか?」
「ダメですよ。高木神様が怖いです。たぶん、この場以上に怖いことになります。須久奈様は、めいっぱい私に加護を注いで下さい」
「案外、早々に気絶した方が楽かもな~」
 神直日神が声を弾ませ、「気絶するなら今だぞ」と煽ってくる。
 思わずジト目で見てしまうのは仕方ない。
 改めて日向さんに向きなおれば、日向さんは「ごめんなさい」と頭を下げた。
「気にしないで下さい。無理なのは無理なんだから。私だって、須久奈様の加護がなければ逃げ帰ってます。それに、回収は大神さんがしてくれるってことなので、私は同行するだけ。見届け人です」
「まぁ、一花ちゃんは回収を見守っていた方が良いだろうね。高御産巣日神様が何を求めているのか分からない以上、脱落するのは好ましくないね」
「…や、やっぱり殺そう…あいつ…ムカつくよな」
 ぶつぶつと、須久奈様が不穏なことを口にする。
「須久奈。敵う相手ではないよ」
「惟親経由で…あの莫迦に依頼すればいい…」
「バカ?」
 誰のこと?と首を傾げると、須久奈様は忌々しげに「大国主命」と言う。
「嫌ってるのに依頼するってことか?」
 神直日神も首を傾げている。
 でも、須久奈様は仄暗い笑みで頷いた。
「…と、共倒れしてくれれば…清々する」
 神様とは思えないセリフだ。
 神直日神は「共倒れはないだろうけど、あいつは死ぬだろうな」と楽しげに笑う。その隣で、年神様は頭が痛いとばかりに額に手を添えている。大神さんは無言だけど、鬼頭さんと同じドン引きした目だ。
「とりあえず、日向さんはうちの車に行って下さい」
 困惑気味の日向さんを促せば、日向さんはこくこく頷き、「気を付けてね」と私の手を握ってから引き返して行った。
 その後ろ姿を、鬼頭さんが羨ましそうに見送っている。
「そんじゃ行くか~」
「あ……あの、殿を務めたいのですが…」
 すっと小さく手を挙げたのは鬼頭さんだ。
 シャツの色が変わるくらいにびっしりと汗を掻き、八の字眉毛の下で目がぎょろぎょろと周囲を探っている。恐怖と緊張が、今にも限界点を突破しようとしているようだ。
「一花ちゃんが反対でなければ、鬼頭くんが殿でも良いと思うよ」
「私は殿はイヤなので鬼頭さんで大丈夫です」
「い…一花は後ろは嫌なのか?」
「須久奈様には分からないと思いますが、ホラー映画って大体が後ろの人から消えていくんですよ。定番です」
「ひぃ!!」
 鬼頭さんは涙目で背後を確認している。
「あ~確かに、こいつみたいなのが、真っ先に惨殺されるよな~」
 さすが情報通の神直日神。
 死亡フラグを理解している。
「ま、どっちにしろこいつじゃ役には立たないだろ?」
「あ…ああ、この鬼は役に立たない…。せいぜい一花の盾くらいにはなればいいが………い、いざとなった、この鬼を囮に一花を逃がそう…」
 へへへ、と笑う須久奈様は意地が悪い。
 いざという時は、鬼頭さんを囮にする前に私を抱えて逃げるくせに。いや、逃げずに須久奈様自らが手を下す可能性の方が現実的だ。
「んじゃ、先頭は俺と惟親な。あとは適当にってことで、さっさと終わらせようぜ~」
 さすが禍を正す神様。
 なんの躊躇もなく熊笹の群生に踏み込んで行く。
 見た目はチャラいのに、その背中が頼もしく見えるから不思議だ。
「い、一花。て…手、つなぐか?」
「繋ぎます」
 大きな手は安心感がある。
 そうして決まった並びは、神直日神と大神さんの後ろを年神様、私たちが続き、殿が鬼頭さんとなった。 
 ザッ、と熊笹の群生に一歩踏み出せば、ほんの僅かに残っていた余裕が霧散する。
 ああ、これは…ダメなやつ。
 空気が淀み、頭が重くなる。口元には薄い膜が張られたような息苦しさを感じ、足は泥濘に囚われたように重い。しかも、歩いても歩いても熊笹の群生に終わりが見えない。
 本当に現実なのか疑わしいほどに一面が熊笹だ。
 周囲は静寂に満ちていて、鳥の囀りどころか虫の羽音も聞こえない。ザザ、ザザ、と熊笹を掻いて進む音だけが耳について、恐怖のあまりに前を歩く年神様のベルトを掴んでしまった。
 年神様は驚いて振り返っただけで、苦情はない。ひとつ苦笑を落として、気にせず前を歩いてくれる。
 右手は須久奈様、左手は年神様だ。
 鉄壁だと思う。
 神様が3柱いることは心強くはあるけど、怖いものは怖い。
 特に須久奈様は足音を立てずに歩くから、手を繋いでいながら、本当に後ろにいるのか不安になる。
 よくぞこんな場所を静かに歩けるものだ。
 もう少し、先頭を行く神直日神のようにバサバサバキバキ騒々しく歩いてほしい。まぁ、神直日神は道を作るために、騒々しく歩いてくれているんだろうけど…。
 そわそわと後ろに振り返り、須久奈様がいることにほっと胸を撫でる。
「ど、どうした?怖いなら…抱っこするか?」
「あ、いえ。すごく静かだから、本当について来てるのか不安で……」
 そこまで言って、違和感に気づいた。
 須久奈様は足音を立てずに歩く。たまに衣擦れが聞こえるくらいで、気配自体が希薄だ。
 でも、最後尾にいる鬼頭さんは違うと思う。
 神様じゃなくて鬼だからか、普通の人と変わらないような音を立てる。山中を駆け回った時は、ドタドタと騒々しい音を立ててついて来ていた。
 静かすぎる。 
 私が立ち止まれば、引っ張られるようにして年神様が止まり、当然須久奈様も足を止める。
「一花ちゃん?」
「い、一花…やっぱり怖いのか?」
 年神様は首を傾げ、須久奈様はなにやら嬉しそうに声を弾ませる。
 そろりと年神様のベルトから手を離し、今にも抱き着いてきそうな須久奈様を制して、その後ろを覗いてみる。
 …いない。
 血の気の引いた私に気付いたのか、須久奈様も首を傾げながら後ろに振り返る。
「…鬼がいないな」
「本当だね。鬼頭くんがいないね」
「に、逃げたんじゃないか?」
「逃げるわけないじゃないですか!そんな人じゃないですよ」
「ああ…人間じゃないな。鬼だ」
「そういう意味じゃないです!」
 どしどしと地団駄を踏めば、「どうした?」と神直日神たちも立ち止まる。
「あ?新はどうしたんだ?逃げたのか?」
 神直日神が須久奈様と同じこと言う。
「いえ。新が仕事を放棄して無責任に逃げることはありません」
 大神さんも困惑顔で周囲を見渡している。
 私が”後ろの人から消えていく”なんて言ってしまったからだろうか。それがフリ・・となり、現実となってしまったのなら…。
 神直日神が”こいつみたいなのが、真っ先に惨殺されるよな~”と恐ろしいことを言っていたのも不安を煽る。
「もしかして…車に忘れ物したとか?」
 絞り出すように言ってみたけど、取りに戻るほど必要な物はないはずだ。
 だって、これはピクニックじゃないんだから…。
 不安いっぱいに須久奈様を見上げれば、須久奈様は周囲を見渡しながら、すんすんと鼻を動かしている。
「…血の臭いは…ない」
 安心する場面だろうけど、そこはかとなく怖いセリフだ。
「も、もしかすると…異物として弾き出されたのかもしれないな」
「異物?」
「あ、あれは鬼だからな。…ここでは異物だ」
 どういうことだろう?
 年神様に視線を向ければ、年神様が苦笑しながらも説明してくれる。
「蛭子の領域に入ったということだよ。神域に成り損なった結界の一種だね。結界とは不浄を退ける線引きという意味。”道切り”という風習があるだろう?そのようなものだね。鬼頭くんは人を喰らってはいないけど、生粋の鬼という種族だからね。私たちにとって、鬼は存在自体が不浄とされるんだよ。だから、結界が反応して鬼頭くんを弾き出したのではないか、と須久奈は言いたいんだ」
「い一花も、恐怖を感じるだろ?」
 なるほど。
 神域と言われると、この恐怖心も理解できる。
「この結界は、ヒルコノミコト様が張ったということですよね」
「そうだね。だから、人間の通過をヨシとしているんだよ。蛭子は人間を介して禍を振り撒きたいようだしね」
 ヒルコノミコトの怨念は、数千年の時を経ても尚、薄まることはないらしい。
 それが恐ろしい。
 けれど、同じくらいに悲しいとも思った。
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