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まれびとの社(二部)
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ぽよん…ぽよん…、と山から転がり落ちて来たのは、車のタイヤくらいある人の頭部だ。
禿頭に黒髭。達磨そっくりの顔貌は厳つく、血走った目玉と憤怒を湛えた口元は、百歩譲っても穏やかな性質には見えない。頭部というだけで嫌悪感があるのに、何の前触れもなく山から転がり落ちて来るなんて恐怖でしかない。
いや……予告されていても怖い。
でも、だからといって殺して良い理由にはならない。だって、転がり落ちて来ただけなんだから。
それを考えると、達磨頭も運が悪かった。
落下地点に、よりにもよって気性の激しい神様がいたんだから。
手足のない達磨頭に急ブレーキは無理だ。
達磨頭を目視した須久奈様は、分かりやすく機嫌を急降下させた。
ずん、と空気が重くなって、ぞぞぞ…、と怖気が肌を撫で上げる。「ひぅ」と情けない声を零したのは鬼頭さんで、日向さんは顔色をなくして私に抱き着いた。
「俺の視界に入るな…塵芥がっ!」
地を這うような不機嫌な声が、軌道修正が間に合わなかった達磨頭を容赦なく蹴り飛ばした。
サッカーボールではないので、蹴られた瞬間の鈍く、重たく、何かが拉げるような打撃音に場が凍り付く。
生理的な嫌悪感と恐怖を抱く音に、ぞわりと全身の毛が逆立った。
鬼頭さんは「ひぃ!」と短い悲鳴を上げて反射的に年神様に抱きつき、日向さんは達磨頭が何かしらの攻撃を受けたとしか把握できなかったようだけど、生々しい現場を見せられて今にも卒倒しそうだ。
平然としているのは、達磨頭を蹴り飛ばした張本人と年神様だけ。
年神様は鬱陶しそうに鬼頭さんを払い除けて、「須久奈」とため息を落とした。
「もう少し穏便に出来ないのかい?」
「……たぶん…殺してない…から穏便だ」
「穏便というのは、暴力を振るわないということだよ?」
年神様の言葉に、須久奈様はぷいっとそっぽを向いた。
苦言を呈されて不貞腐れているみたいだけど、私としては神様の間で意見が割れたことに、ほっとする。これで年神様が「良くやった」なんて言ったら恐怖でしかない。
たぶん、母たちはこういう須久奈様の畏ろしさを、直感的に感じ取っているのだろう。
私はちゃんと優しいところも知っているから、むやみやたらに畏怖の念は抱かない。そういうところが、神直日神から「図太い」と言われる所以な気がしないでもない。
須久奈様は仏頂面のまま腰を屈めると、乱れた裾を叩くようにして正し始めた。年神様の苦言はまるっと無視するらしい。
年神様は苦笑して、達磨頭が転がり落ちて来た斜面を見上げた。
「それにしても、神籟町から離れたとは言え、あからさまに妖怪が出るとは驚いたよ。しかも、私たちの目の前を横切るなんてね」
「横切るのが変なんですか?」
「…い、一花……あれらは本能的に神の気配を察する…。本来、神の目には触れないように生きるモノたちだ」
なのに、2柱もいる前へ飛び出した。
私も達磨頭が転がり落ちて来た山へと向き直る。
強い日差しを遮るほど鬱蒼とした杉林は、猛暑日一歩手前の暑ささえ涼しく感じる。それが天然の涼なのか、悍ましさからの寒気なのかは判断がつかない。そもそも山の奥は、なんの障りがなくても不気味に見えたりする。達磨頭が飛び出して来たのでなおさらだ。
ただ、薄暗さはあっても、不穏な澱みは見られない。盛りが過ぎて、少しだけトーンダウンしたセミが鳴いているし、涼やかなヒグラシの声も聞こえる。
達磨頭が転がって来た以外は、不審な点は見当たらないように思う。
でも、神様の目には違うらしい。
2柱とも渋い表情だ。
「途中で異変を察し、何かから逃げたのかな?」
須久奈様は口をへの字にしながら、「恐らく…」と年神様に同意する。
「い…い、一花に…汚物を見せた…」
汚物…。
「…お俺の…一生の不覚だ…」
悄然とした声に、ちょっと恐怖を感じる。
つまり、私の視界に入ろうとする妖怪は、害が有る無しに関わらず片っ端から排除してるって告白に聞こえるからだ。
「須久奈様。初めて妖怪を見ましたけど、別にトラウマ……精神的に滅入って悪夢に魘されれそうとかはないですよ?むしろ、少し気持ちが上がりました」
初見には優しくない妖怪だったけど…。
宥めるように、須久奈様の背中を摩る。
と、須久奈様の頬に朱が差した。機嫌が持ち直したのか、僅かばかりに口角も上がる。
「そ、そうか。い一花が楽しいなら…良い」
「一花ちゃん。妖怪の代表格がそこにいるの忘れてないかな?」
年神様が苦笑しながら、ちょん、と指さしたのは蹲ったままに震えている鬼頭さんだ。
ひたすら「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」をエンドレスに呟いている。なぜ謝っているのか不明だけど、そういう人なんだろうと思うことにしている。
「鬼頭さんは鬼かもしれませんが、人に近い気がして…。ひと目で妖怪って分かったのは初めてなんです」
「私たちから見ると、明らかに人間ではないのだけどね。一花ちゃんは視覚に頼りすぎているのかな?」
年神様は朗らかに笑い、「行こうか」と、怯え続ける鬼頭さんの背中を軽く叩くと車一台分の幅しかない林道を横切った。
道は舗装されているけど、殆ど車が通らないのは明白で、あちこちが罅割れている。
ここまでの足は鬼頭さんの黒光りする大きな車だ。
その車は、小さな鳥居の並ぶスペースに止まっている。小さな鳥居がある場所は、十中八九、ゴミの不法投棄場所である。そこに鳥居を置くと、多くの人が罪悪感を抱えてゴミを持ち帰る効果があるそうだ。
なぜゴミを捨てるのか理解できない。言葉は悪いけど、度し難いバカだ。そんなバカも、深層心理に神様への畏怖はあるらしい。
この場所も、小さな鳥居が効果を上げている。
さらに元不法投棄場所だけあって、車一台分のスペースがあったのは光明だ。
「一花ちゃん…」
血の気の失せた顔が、「何があったの…?」と周囲を探る。
「須久奈様が、あの達磨頭の妖怪を蹴り飛ばしたんです…。怖がらせてごめんなさい」
「大丈夫です。ちょっと…急な展開でびっくりしてしまっただけで…」
日向さんは言って、胸を撫でながら深呼吸を繰り返した。それから少し思案した後、「大神さんも容赦しないんですよ」と苦笑する。
あのクールなイケメンが!?と思わずにいられない。
「そうなんですか?見えませんね。なんというか、当たらず触らず関知せずって感じに見えます」
「淡々としている分、びっくりさせられることが多いかもしれません」
日向さんは苦笑する。
それから「行きましょう」と、年神様の背中を追いかけた。
私たちの後ろには須久奈様が続き、殿をびくつく鬼頭さんが担う。
向かうは山の中。
濃厚な杉の香りと、湿った腐葉土の匂い。一歩足を踏み込めば、葉陰から羽虫が舞い上がり、落ち葉の隙間を縫うようにムカデが逃げる。
ヘビがいませんように。
祈りながら、道なき道を進む。
茫々と生えた下草と、密集して生える針葉樹林の閉塞感の中、とりあえず何かを探す。何か、というのは忌み物に関係するような物だ。
ここにはいない神直日神と大神さんも、朝早くから川守村で探し物をしているはずだ。
朝食後、神直日神たちは鬼頭さんの運転で川守村の手前まで送られて行ったのだ。場所は、あの動画にあった倒木のところ。2人の目的は、社の残骸。破片でもいいので、まれびとの痕跡を探すのだと言っていた。
途方もない作業だと思う。
で、私たちは光の柱を見た凡その地点にいる。
大きく外れてはないと思うけど、ピンポイントに来れたかと聞かれれば自信がない。
例えピンポイントに来れたとしても、須久奈様の見立てでは既に場所を移しているだろうとのことだ。恐らく、あの現象が最後の移動手段だとも言っていた。須久奈様が苦々しく口元を歪めていたので、その後の移動手段は高木神様が封じていると推測する。
「さっきの達磨頭は、私たちが目指す場所から逃げて来たんですかね?」
「可能性はあるかな」
年神様は腰に手を当て、周囲を探りながら「何処から来たかは分からないけどね」と嘆息する。
「雷がいっぱい落ちてたから、落雷の跡が目印になりませんか?」
ドドンと落雷の激しい音はしなかったと思うけど、あれだけ雷が降り注いでいたのだ。地上が無傷とは思えない。
「百花ちゃんも見たんだったね」
年神様は足を止めて振り返る。
「はい。私と百花ちゃんと須久奈様で見ました」
こくりと頷いて答えれば、年神様は顎を摩りながら頭上を見上げた。
「現世と常世のものの判別がつかないのが一花ちゃんだけなら、その雷は現実の雷だったんだろうけど、百花ちゃんの目も一花ちゃんと同じなら前提が壊れるよね。久瀬家の目は厄介そうだから」
「………舟と同じってことですか?」
「そう」
年神様がにこりと微笑む。
「それで、答えを教えてくれるかい。須久奈」
ざっ、ざっ、と下草を踏み鳴らしながら、須久奈様が私の隣に並んだ。
顔を隠していた袖口が、ゆるゆると下がれば、口元が見事に歪んでいる。
それが答えなのだろう。年神様は「なるほどね」と頷いて、肩を竦めた。
「ちょっと疑問なんですけど。さっき達磨頭がいましたよね?で、忌み物はヒルコノミコト様の可能性が高くて…ヒルコノミコト様は捨てられたけど神様。そんなヒルコノミコト様かもしれない忌み物の近くに妖怪って出るんですか?さっき、須久奈様は妖怪は神様を避けるって言いましたよね。川守村の動画にも妖怪は映ってませんでした。鬼頭さんも須久奈様に怯えてるだけで、この場所に恐怖を抱いているわけじゃないですよね?」
鬼頭さんに振り向けば、鬼頭さんは須久奈様をチラ見しながらかくかく頷く。
「だったら鬼頭くんに先頭を歩かせよう。彼が恐怖を感じる方向へ行けばいいのだから」
鬼より鬼なことを年神様が言う。
「…それが良い」と須久奈様が同意してしまえば、反論できる人材は皆無だ。
鬼頭さんはテレビで見たチワワみたいに目を潤ませ、小刻みに震えている。
可哀想すぎる…。
「あの。この近辺に、他に神様はいないんですか?」
せめても他の神様との遭遇リスクを取り払うべく訊いてみる。
須久奈様は首を傾げ、年神様は「直日とは距離があるし…」と考え込んだ。
「八百万となると、私たちには分からないね」
「い…一花。あ、あれらは突如生まれ、消えていく者どもなんだ。お俺たちは関知していない。だから…他がいるかは…分からない…」
「突然生まれるんですか?」
「た、例えば…つ、付喪神。あれは…長い月日を経た道具が…魂を持ち、神格化する…。だが、道具である故に…壊れたら終わりだ…。ヤサカのような者は…信仰心で生き長らえている。し、信仰心を失えば…消える。そういう…不安定なものなんだ」
「つまり、突然生まれたり、突然死んじゃったりするから、八百万の神様を探し当てることはできないってことですか?」
そう訊けば、須久奈様は「そう…」と頷く。
「長々と…千年以上…存在している者は把握しているが……多くはない」
「ヤサカ様もですか?」
「ヤサカで…500年前後だろう…。あ、あそこに腰を据えてから…250年足らず…だと思う。よく覚えてない…。ヤサカのように…社持ちとして神格化した者は、その地を離れることが出来なくなるからな…」
「え!?何百年もあそこにいるんですか!?」
それは酷い。
「…社持ちとは…そういうものだ」
てっきり神様は神様の居場所を把握しているのかと思ったけど違った。
鬼頭さんの憂いを払うつもりが、不安の種を蒔いただけに終わった。
「そ…それで、この辺りの神に…何の用があるんだ?」
須久奈様が腰を屈め、じっと顔を覗き込んでくる。
そして、前髪の隙間から見えた双眸を「はっ!」と見開いた。
「そ、そうか…い、一花。有象無象の神を…駒にしようと言うんだな…。俺たちは動かずに、成果を待てばいい。目から鱗が落ちた。よ、よし…神を捕まえよう…」
「いえ、そんな恐ろしいこと一言も言ってません」
今にも駆け出しそうな須久奈様の着物を掴む。
「私は、事情を知らない神様が、鬼頭さんを襲わないかが心配なんです」
これに鬼頭さんが飛び跳ねた。
今まで八百万の神様にまで気が回らなかったのだろう。へっぴり腰で周囲を探り、日向さんの肩にしがみついている。
「私たちがいるから大丈夫じゃないかな。例え鬼でも、私たちの同行者に攻撃するような者は早々いないよ」
年神様の言葉に、ほっと胸を撫でる。
鬼頭さんもへっぴり腰のまま、「良かった…」と両手をこすり合わせている。
「…分かったなら、さっさと行け」と、鬼頭さんを追い立てるのは須久奈様だ。ぶつぶつと、鬼頭さんを餌に釣れた神様を駒にするようなことが聞こえるので油断できない。
たぶん、年神様にも聞こえてるんだろうけど、素知らぬ顔をしている。
鬼頭さんは諦念の表情ながらにびくびくしつつ、斜面を登り始めた。
禿頭に黒髭。達磨そっくりの顔貌は厳つく、血走った目玉と憤怒を湛えた口元は、百歩譲っても穏やかな性質には見えない。頭部というだけで嫌悪感があるのに、何の前触れもなく山から転がり落ちて来るなんて恐怖でしかない。
いや……予告されていても怖い。
でも、だからといって殺して良い理由にはならない。だって、転がり落ちて来ただけなんだから。
それを考えると、達磨頭も運が悪かった。
落下地点に、よりにもよって気性の激しい神様がいたんだから。
手足のない達磨頭に急ブレーキは無理だ。
達磨頭を目視した須久奈様は、分かりやすく機嫌を急降下させた。
ずん、と空気が重くなって、ぞぞぞ…、と怖気が肌を撫で上げる。「ひぅ」と情けない声を零したのは鬼頭さんで、日向さんは顔色をなくして私に抱き着いた。
「俺の視界に入るな…塵芥がっ!」
地を這うような不機嫌な声が、軌道修正が間に合わなかった達磨頭を容赦なく蹴り飛ばした。
サッカーボールではないので、蹴られた瞬間の鈍く、重たく、何かが拉げるような打撃音に場が凍り付く。
生理的な嫌悪感と恐怖を抱く音に、ぞわりと全身の毛が逆立った。
鬼頭さんは「ひぃ!」と短い悲鳴を上げて反射的に年神様に抱きつき、日向さんは達磨頭が何かしらの攻撃を受けたとしか把握できなかったようだけど、生々しい現場を見せられて今にも卒倒しそうだ。
平然としているのは、達磨頭を蹴り飛ばした張本人と年神様だけ。
年神様は鬱陶しそうに鬼頭さんを払い除けて、「須久奈」とため息を落とした。
「もう少し穏便に出来ないのかい?」
「……たぶん…殺してない…から穏便だ」
「穏便というのは、暴力を振るわないということだよ?」
年神様の言葉に、須久奈様はぷいっとそっぽを向いた。
苦言を呈されて不貞腐れているみたいだけど、私としては神様の間で意見が割れたことに、ほっとする。これで年神様が「良くやった」なんて言ったら恐怖でしかない。
たぶん、母たちはこういう須久奈様の畏ろしさを、直感的に感じ取っているのだろう。
私はちゃんと優しいところも知っているから、むやみやたらに畏怖の念は抱かない。そういうところが、神直日神から「図太い」と言われる所以な気がしないでもない。
須久奈様は仏頂面のまま腰を屈めると、乱れた裾を叩くようにして正し始めた。年神様の苦言はまるっと無視するらしい。
年神様は苦笑して、達磨頭が転がり落ちて来た斜面を見上げた。
「それにしても、神籟町から離れたとは言え、あからさまに妖怪が出るとは驚いたよ。しかも、私たちの目の前を横切るなんてね」
「横切るのが変なんですか?」
「…い、一花……あれらは本能的に神の気配を察する…。本来、神の目には触れないように生きるモノたちだ」
なのに、2柱もいる前へ飛び出した。
私も達磨頭が転がり落ちて来た山へと向き直る。
強い日差しを遮るほど鬱蒼とした杉林は、猛暑日一歩手前の暑ささえ涼しく感じる。それが天然の涼なのか、悍ましさからの寒気なのかは判断がつかない。そもそも山の奥は、なんの障りがなくても不気味に見えたりする。達磨頭が飛び出して来たのでなおさらだ。
ただ、薄暗さはあっても、不穏な澱みは見られない。盛りが過ぎて、少しだけトーンダウンしたセミが鳴いているし、涼やかなヒグラシの声も聞こえる。
達磨頭が転がって来た以外は、不審な点は見当たらないように思う。
でも、神様の目には違うらしい。
2柱とも渋い表情だ。
「途中で異変を察し、何かから逃げたのかな?」
須久奈様は口をへの字にしながら、「恐らく…」と年神様に同意する。
「い…い、一花に…汚物を見せた…」
汚物…。
「…お俺の…一生の不覚だ…」
悄然とした声に、ちょっと恐怖を感じる。
つまり、私の視界に入ろうとする妖怪は、害が有る無しに関わらず片っ端から排除してるって告白に聞こえるからだ。
「須久奈様。初めて妖怪を見ましたけど、別にトラウマ……精神的に滅入って悪夢に魘されれそうとかはないですよ?むしろ、少し気持ちが上がりました」
初見には優しくない妖怪だったけど…。
宥めるように、須久奈様の背中を摩る。
と、須久奈様の頬に朱が差した。機嫌が持ち直したのか、僅かばかりに口角も上がる。
「そ、そうか。い一花が楽しいなら…良い」
「一花ちゃん。妖怪の代表格がそこにいるの忘れてないかな?」
年神様が苦笑しながら、ちょん、と指さしたのは蹲ったままに震えている鬼頭さんだ。
ひたすら「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」をエンドレスに呟いている。なぜ謝っているのか不明だけど、そういう人なんだろうと思うことにしている。
「鬼頭さんは鬼かもしれませんが、人に近い気がして…。ひと目で妖怪って分かったのは初めてなんです」
「私たちから見ると、明らかに人間ではないのだけどね。一花ちゃんは視覚に頼りすぎているのかな?」
年神様は朗らかに笑い、「行こうか」と、怯え続ける鬼頭さんの背中を軽く叩くと車一台分の幅しかない林道を横切った。
道は舗装されているけど、殆ど車が通らないのは明白で、あちこちが罅割れている。
ここまでの足は鬼頭さんの黒光りする大きな車だ。
その車は、小さな鳥居の並ぶスペースに止まっている。小さな鳥居がある場所は、十中八九、ゴミの不法投棄場所である。そこに鳥居を置くと、多くの人が罪悪感を抱えてゴミを持ち帰る効果があるそうだ。
なぜゴミを捨てるのか理解できない。言葉は悪いけど、度し難いバカだ。そんなバカも、深層心理に神様への畏怖はあるらしい。
この場所も、小さな鳥居が効果を上げている。
さらに元不法投棄場所だけあって、車一台分のスペースがあったのは光明だ。
「一花ちゃん…」
血の気の失せた顔が、「何があったの…?」と周囲を探る。
「須久奈様が、あの達磨頭の妖怪を蹴り飛ばしたんです…。怖がらせてごめんなさい」
「大丈夫です。ちょっと…急な展開でびっくりしてしまっただけで…」
日向さんは言って、胸を撫でながら深呼吸を繰り返した。それから少し思案した後、「大神さんも容赦しないんですよ」と苦笑する。
あのクールなイケメンが!?と思わずにいられない。
「そうなんですか?見えませんね。なんというか、当たらず触らず関知せずって感じに見えます」
「淡々としている分、びっくりさせられることが多いかもしれません」
日向さんは苦笑する。
それから「行きましょう」と、年神様の背中を追いかけた。
私たちの後ろには須久奈様が続き、殿をびくつく鬼頭さんが担う。
向かうは山の中。
濃厚な杉の香りと、湿った腐葉土の匂い。一歩足を踏み込めば、葉陰から羽虫が舞い上がり、落ち葉の隙間を縫うようにムカデが逃げる。
ヘビがいませんように。
祈りながら、道なき道を進む。
茫々と生えた下草と、密集して生える針葉樹林の閉塞感の中、とりあえず何かを探す。何か、というのは忌み物に関係するような物だ。
ここにはいない神直日神と大神さんも、朝早くから川守村で探し物をしているはずだ。
朝食後、神直日神たちは鬼頭さんの運転で川守村の手前まで送られて行ったのだ。場所は、あの動画にあった倒木のところ。2人の目的は、社の残骸。破片でもいいので、まれびとの痕跡を探すのだと言っていた。
途方もない作業だと思う。
で、私たちは光の柱を見た凡その地点にいる。
大きく外れてはないと思うけど、ピンポイントに来れたかと聞かれれば自信がない。
例えピンポイントに来れたとしても、須久奈様の見立てでは既に場所を移しているだろうとのことだ。恐らく、あの現象が最後の移動手段だとも言っていた。須久奈様が苦々しく口元を歪めていたので、その後の移動手段は高木神様が封じていると推測する。
「さっきの達磨頭は、私たちが目指す場所から逃げて来たんですかね?」
「可能性はあるかな」
年神様は腰に手を当て、周囲を探りながら「何処から来たかは分からないけどね」と嘆息する。
「雷がいっぱい落ちてたから、落雷の跡が目印になりませんか?」
ドドンと落雷の激しい音はしなかったと思うけど、あれだけ雷が降り注いでいたのだ。地上が無傷とは思えない。
「百花ちゃんも見たんだったね」
年神様は足を止めて振り返る。
「はい。私と百花ちゃんと須久奈様で見ました」
こくりと頷いて答えれば、年神様は顎を摩りながら頭上を見上げた。
「現世と常世のものの判別がつかないのが一花ちゃんだけなら、その雷は現実の雷だったんだろうけど、百花ちゃんの目も一花ちゃんと同じなら前提が壊れるよね。久瀬家の目は厄介そうだから」
「………舟と同じってことですか?」
「そう」
年神様がにこりと微笑む。
「それで、答えを教えてくれるかい。須久奈」
ざっ、ざっ、と下草を踏み鳴らしながら、須久奈様が私の隣に並んだ。
顔を隠していた袖口が、ゆるゆると下がれば、口元が見事に歪んでいる。
それが答えなのだろう。年神様は「なるほどね」と頷いて、肩を竦めた。
「ちょっと疑問なんですけど。さっき達磨頭がいましたよね?で、忌み物はヒルコノミコト様の可能性が高くて…ヒルコノミコト様は捨てられたけど神様。そんなヒルコノミコト様かもしれない忌み物の近くに妖怪って出るんですか?さっき、須久奈様は妖怪は神様を避けるって言いましたよね。川守村の動画にも妖怪は映ってませんでした。鬼頭さんも須久奈様に怯えてるだけで、この場所に恐怖を抱いているわけじゃないですよね?」
鬼頭さんに振り向けば、鬼頭さんは須久奈様をチラ見しながらかくかく頷く。
「だったら鬼頭くんに先頭を歩かせよう。彼が恐怖を感じる方向へ行けばいいのだから」
鬼より鬼なことを年神様が言う。
「…それが良い」と須久奈様が同意してしまえば、反論できる人材は皆無だ。
鬼頭さんはテレビで見たチワワみたいに目を潤ませ、小刻みに震えている。
可哀想すぎる…。
「あの。この近辺に、他に神様はいないんですか?」
せめても他の神様との遭遇リスクを取り払うべく訊いてみる。
須久奈様は首を傾げ、年神様は「直日とは距離があるし…」と考え込んだ。
「八百万となると、私たちには分からないね」
「い…一花。あ、あれらは突如生まれ、消えていく者どもなんだ。お俺たちは関知していない。だから…他がいるかは…分からない…」
「突然生まれるんですか?」
「た、例えば…つ、付喪神。あれは…長い月日を経た道具が…魂を持ち、神格化する…。だが、道具である故に…壊れたら終わりだ…。ヤサカのような者は…信仰心で生き長らえている。し、信仰心を失えば…消える。そういう…不安定なものなんだ」
「つまり、突然生まれたり、突然死んじゃったりするから、八百万の神様を探し当てることはできないってことですか?」
そう訊けば、須久奈様は「そう…」と頷く。
「長々と…千年以上…存在している者は把握しているが……多くはない」
「ヤサカ様もですか?」
「ヤサカで…500年前後だろう…。あ、あそこに腰を据えてから…250年足らず…だと思う。よく覚えてない…。ヤサカのように…社持ちとして神格化した者は、その地を離れることが出来なくなるからな…」
「え!?何百年もあそこにいるんですか!?」
それは酷い。
「…社持ちとは…そういうものだ」
てっきり神様は神様の居場所を把握しているのかと思ったけど違った。
鬼頭さんの憂いを払うつもりが、不安の種を蒔いただけに終わった。
「そ…それで、この辺りの神に…何の用があるんだ?」
須久奈様が腰を屈め、じっと顔を覗き込んでくる。
そして、前髪の隙間から見えた双眸を「はっ!」と見開いた。
「そ、そうか…い、一花。有象無象の神を…駒にしようと言うんだな…。俺たちは動かずに、成果を待てばいい。目から鱗が落ちた。よ、よし…神を捕まえよう…」
「いえ、そんな恐ろしいこと一言も言ってません」
今にも駆け出しそうな須久奈様の着物を掴む。
「私は、事情を知らない神様が、鬼頭さんを襲わないかが心配なんです」
これに鬼頭さんが飛び跳ねた。
今まで八百万の神様にまで気が回らなかったのだろう。へっぴり腰で周囲を探り、日向さんの肩にしがみついている。
「私たちがいるから大丈夫じゃないかな。例え鬼でも、私たちの同行者に攻撃するような者は早々いないよ」
年神様の言葉に、ほっと胸を撫でる。
鬼頭さんもへっぴり腰のまま、「良かった…」と両手をこすり合わせている。
「…分かったなら、さっさと行け」と、鬼頭さんを追い立てるのは須久奈様だ。ぶつぶつと、鬼頭さんを餌に釣れた神様を駒にするようなことが聞こえるので油断できない。
たぶん、年神様にも聞こえてるんだろうけど、素知らぬ顔をしている。
鬼頭さんは諦念の表情ながらにびくびくしつつ、斜面を登り始めた。
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