東雲色のロマンス

海子

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15.A boy

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 九月末、レティシアが、結婚を前提にリックとお付き合いしていると、ギャレット食料品店に報告へ行った頃、フランク・マクファーレンの自宅では、ちょっとした事件が起きていた。 
事件の主人公は、フランク、ケイティの次男、デイヴィット・マクファーレン、つまりはデイヴで、事の始まりは、九月末のある朝、食卓についた家族を前にして、ケイティが、そう遠くない将来、リックとレティシアが婚約し、結婚することになるだろうと、報告したことだった。 
デイヴは、まだ四歳だったが、結婚の最も重要な点について、十分理解していた。
つまり、レティシアが、リックと結婚すれば、自分はレティシアと結婚する権利が剥奪されてしまうという点を、デイヴは、完璧に理解していたのだった。
それは、デイヴにとって、どうしても認めることのできない事態だった。 
レティシアが、リックのために毎日、昼食を作って、持って行っていることを、当然デイヴは、知っていた。 
それが、愛情たっぷりの昼食だということも、知っていた。 
けれども、その愛情は、優しいレティシアが、自分たち兄弟に示してくれている愛情と、同じものだと思っていた。
それが、特別な愛情だったと知らされて、デイヴは、酷いショックを受けた。
何故なら、デイヴは、いつかレティシアを花嫁にすると、ずっと以前から決めていたからだった。



 母、ケイティからの報告に、四歳のデイヴの小さな心は、大きな傷を負った。
レティシアの結婚を、父フランクも母ケイティも、兄弟たちも、笑顔で祝福し、当のレティシアも、頬をうっすらと赤く染めて、嬉しそうに微笑んでいた。
最も、二歳の双子の弟、ギルとウォルトが、レティシアとリックが結婚するという意味を、わかっているとは思えなかったが、それでも、たどたどしい口で、おめでとう、レティシア、と繰り返すのだから、デイヴとしては、本来、味方であるべき兄弟たちまでもが、敵に回ったような気がして、裏切られたような気分になった。
けれども、デイヴはこのまま諦めるわけにはいかなかった。
自分の女が、他の男にかすめ取られようとしているのに、指を加えて眺めているのは、デイヴのプライドが許さなかった。
しかも、レティシアをかすめ取ろうとしているのが、世界初の蒸気機関車の開発に関わった男で、機械好きのデイヴが、両親以外では、最も尊敬と信頼を寄せているリックなのだから、その衝撃は計り知れなかった。 
デイヴは最初、レティシアに、リックとの結婚を取りやめるように、忠告しようとした。 
けれども、それは、男らしくないような気がした。 
自分とレティシアの間に割り込んできたのは、リックなのだから、リックに立ち向かうべきなのだ。
男同士で、話をつけるべきだ。 
そう考えたデイヴの頭に浮かんだのは、決闘の二文字だった。



 四歳のデイヴが、何故、決闘などという難しい言葉を知っているのかといえば、先日、三つ年上の遊び仲間チャーリーが、家の本棚から持ち出した、一冊の本を眼にしていたからだった。 
本は、大人向きの小説で、その内容は、デイヴには一向に分からなかったが、ところどころに、挿絵が描かれていて、その中に、ピストルを構えた男たちが、向かい合って立つ挿絵があった。
「こういうの決闘って言うんだぜ。ピストルを持った男がさ、一対一の勝負に挑むんだ。バン、バン、バンって」 
チャーリーは、指を使って、ピストルを撃つ真似をした。 
デイヴは、その時、決闘が、とても恐ろしいものだと思った。 
けれども、何か譲れないもののために、戦いに挑む者を、勇者だ、とも思った。 



 決闘。
何と、男らしい、それでいて、誇らしい響きを持った言葉なのだろう。
デイヴは、決闘という言葉が、大いに気に入った。 
レティシアを、取り戻すには、リックと決闘し、勝利を収めるしかない。 
そして、決闘と言えば、やはり武器は、ピストルだ。 
問題は、そのピストルをどこから手に入れるかだった。
しかし、デイヴは、すぐに思い出した。 
数カ月前、祖父母の屋敷に遊びに行った時、アンディとの庭での遊びに飽きて、祖父ロナルドの書斎に入ったことがあった。
ロナルドは机に向かって、何か書き物をしていたが、書斎に入ってきたデイヴを咎めだてるようなことはなく、おお、デイヴ、こっちへおいで、と、眼を細めて、膝の上に抱き上げた。 
その時、机の、鍵のかかった一番上の引き出しが、デイヴの眼に止まった。
「おじいちゃま、どうして、この引き出しには、鍵がかかっているの?」 
「この引き出しには、大切なものが、入っているんだよ」
「大切なものって、なあに?」
「ピストルさ」 
「ピストル?」 
デイヴは、目を丸くして驚いた。
「ははっ、驚いたか?心配しなくていい。使うことはまずない。護身用だからな」 
「護身用って?」 
「身を守るため、ってことだ。万一、盗賊が押し入ってくるようなことがあれば、家族の身を守らなければならん。グレイスや、お前さんたちをね」 
デイヴは、その数カ月前の祖父との会話を思い出したのだった。 



 リックは、盗賊ではない・・・。 
けれども、デイヴは思い直した。 
いや、やはりリックは盗賊だ。 
自分の知らぬ間に、レティシアを盗み去っていこうとするのだから。 
事情を話せば、おじいちゃまは、きっと、僕にピストルを貸してくれる。 
そうだ、僕は、盗賊を追い払うんだ!
「お母さん、僕、リックと決闘する」 
デイヴは、母に高らかにそう宣言した。
「決闘?一体、どうして?」 
「理由は話せない。女には話せない。お母さんといえど、話せないんだ、とても残念だけれど」
「かまわないけれど、お洋服は、破かないようにしてね。この前も、兵隊ごっこで、お袖を破いたでしょう。また、そんなことになったら、もう洋服は作りませんからね」
デイヴは、母が、真に受けてくれないことが、口惜しかった。
デイヴは思った。
もう女なんか、どうだっていい。 
これは、男同士の対決なんだ。
けれども、デイヴは、実際、決闘をするためにどうすればいいのか、わからなかった。 
本当なら、フランクに相談すればよかったのだが、争いごとを好まない父に相談すれば、不本意な形で手打ちにされてしまう可能性があった。
デイヴとしては、それだけは避けなければならなかった。
どのように諭されたとしても、レティシアを譲るわけにはいかなかった。
悩んだ挙句、デイヴは、大人には絶対内緒だよ、と、固く口留めしたうえで、チャーリーに打ち明け、どうするべきか相談した。 
デイヴにしてみれば、チャーリーは三つ年上なだけあって、何かいい知恵を持っているに違いないと、思ったからだった。



 相談したのは、間違いではなかった。 
チャーリーは、デイヴに教えてくれた。
決闘には、まず、果たし状が、必要なのだと。 
そこで、もうすぐ五歳になるデイヴは、しばらく前から、母ケイティが、時折アンディと自分に教えてくれる文字を、苦労して綴り、チャーリーにも手伝ってもらって、果たし状を書き上げた。
そして、デイヴは、いつものように仕事終えて、夜、家にやって来たリックに、その果たし状を突きつけた。 
その時、デイヴは、口には出さなかったが、リックが、いつもより早く来てくれてよかったと思った。
何故なら、リックの来るのがあと数十分遅かったなら、デイヴはもうベッドの中で、眠りに落ちるという失態を、犯したに違いなかった。
寝間着姿で、決闘相手に果たし状を渡すというのは、デイヴにとっても予想外だったが、恰好を構っていられる場合でもなかった。 
ともかく、デイヴは、リックに、果たし状を渡すことに成功した。 
その様子を、何とも言えない顔で見つめていたケイティと、レティシアだったが、レティシアは、他の三人の子供たちを寝かしつけるために、寝室へ上がって行った。



 リビングのソファに座ったリックは、デイヴの手渡した紙を広げると、綴りの間違いを、七つ指摘した。
不覚だった。 
決闘相手に、綴りの間違いの指摘を受けるとは。
だが、そんなことにひるむ、デイヴィット・マクファーレンではなかった。
「僕からの、決闘の申し込みだとわかればいいんだ、リック。理由は、そこに書いてあるだろう」 
デイヴは、毅然として、言い放った。
正直、リックには、渡された紙に、何が書いてあるのか、はっきりわかったわけではなかった。 
綴りも酷かったが、その前に、形を成していない文字もあったのだから。 
ただ、レティシア、結婚という文字はかろうじて読み取れたので、どうやら俺がレティシアと結婚することへの抗議らしいということは、想像がついた。
「さあ、もう気が済んだでしょう、デイヴ。上へあがって早く寝なさい」
「お母さん、これは、男と男の大切な話なんだ。口出ししないで」 
「何を言っているの。いい加減にしないと、本当に怒るわよ」
「デイヴの言う通りだ、ケイティ。これは男同士の話だ。ちょっと下がっててくれ」 
リックが真顔でそう言うので、ケイティも、内心呆れつつ、その場をリックに譲った。 
デイヴは、そのリックの受け答えに、大いに気をよくした。 
デイヴからの果たし状を受け取ったリックが、万一笑いだすようなことがあったら、先週、アンディと、チャーリーと編み出したばかりの新技、ヘビーストームキックをお見舞いするつもりだった。 
おとといの夕飯前、ケイティに、ヘビーストームキックを初披露したアンディが、誤って椅子に脛をひどく打ち付けて、大きなあざを作ったことから、ヘビーストームキックは、ケイティから固く禁じられていたのだったが、こういう場合、そんな約束は、守らなくていいと思った。 



 ケイティがリビングから離れて、デイヴは、リックとふたりきりになった。 
「まあ、そこへ座れよ」 
リックはデイヴに、ソファを促した。 
「食うか?」 
リックは、デイヴの前に、包みを差し出した。
夜、レティシアを訪れる際、時折、リックは、子供たちに差し入れをしていた。 
「こんなもので、僕が諦めると思ったら、大間違いだ」 
確かに、デイヴは、そんなもので、懐柔されなかった。
ただし、それは、リックの差し出した包みの中身が、ミルフェアストリートにある、ジェフリー伯父さんの経営する食料品店のキャンディだと、デイヴが知っていたからだった。
ジェフリー伯父さんには口が裂けても言えないけれど、伯父さんの店のキャンディは、そう美味しくない。 
デイヴは、そう思っていた。
駄菓子類を口にしないリックには、そのことが、わかっていなかった。
もし、リックの差し出したのが、ギャレット食料品店のキャンディだったら、その誘惑に勝てたかどうか、デイヴも、いささか自信がなかった。
ギャレット食料品店のキャンディは、砂糖とバターのまろやかな味わいが、口いっぱいに広がって、毎日の辛い出来事、つまり、双子の兄アンディより、文字を綴るのが下手くそなこと、喧嘩をして、どれほど双子の弟たちの方が悪くても、年上の自分が叱られがちになること、そういったことを、全て忘れさせてくれた。
「・・・そうか、悪かった」 
リックは、早々に、キャンディの入った包みを引っ込めた。 
「ところで、一応確認しておくが、この手紙は、俺とレティシアの結婚に対する抗議で、間違いないんだな」
「それは、手紙じゃない。果たし状だよ、リック」 
「それはまた、穏やかじゃないな」
「リックは、僕からレティシアを、奪おうとしているんだ。黙って見過ごすわけにはいかないよ」 
「お前の気持ちは、よくわかる」 
「じゃあ、レティシアを返してよ」 
「もちろんだ。お前になら、俺は、喜んでレティシアを譲る。だが、デイヴ、女ってのは、気の毒なことに、ある時期が来たら、結婚しないと、周りからうるさく言われ始める。心当たりはないか?」
そう言われて、デイヴには、すぐ思い当たることがあった。 
朝、デイヴが、アンディやチャーリーと中庭で遊んでいると、暇を持て余したデボラとモリーが、毎日のように家にやってきて、聞き上手なレティシアを相手に、女の生き方や、あるべき結婚について、くどくどと語ってみせた。
「確かに、リックの話は、間違ってないね」 
「だろう?レティシアも、早く片付かないと、標的になる。だが、お前は、レティシアと結婚するには、ちょっと若すぎる。何故って、男は女を食わせる必要がある。デイヴ、今、お前にそれができるか?」 
そう言われると、デイヴは、一気に自信がなくなった。 
レティシアが、アダムの作るフルーツケーキが大のお気に入りだと言うことを、デイヴはよく知っていた。
レティシアが、美味しそうにアダムのフルーツケーキを頬張る、幸せそうな姿は、とっても可愛く見えて、デイヴの小さな心のときめく時間でもあった。
けれど、今の自分では、レティシアに、アダムのフルーツケーキを買ってあげることすらできない。
「確かに、今の僕には無理だ」 
寝間着姿のデイヴは、しょんぼりと肩を落とした。
「落ち込むことはない。今、お前が感じている無力感は、大人になるまでに、男が必ず味わう。男は、その壁に何度もぶち当たる」 
「リックも?」 
「当然だ。俺も、お前と同じだった」 
「じゃあ、今、僕がどうすればいいか、わかる?」 
「もちろんだ。つまり、レティシアは、俺と結婚した方がいい。レティシアが、周囲のうるさい奴らから、結婚についてのおせっかいな忠告を受ける前に。だが、お前が大人の男になったら、今度は、お前がレティシアと結婚したらいい。俺は、お前のためだったら、最愛の女を譲る」 
「本当に?」
デイヴの顔が、明るく輝いた。
「俺が嘘を言うと思うか?男と男の約束だ」
リックは至って、真顔だった。
「僕、希望が出て来たよ」
「その年で、レティシアに眼をつけるとは、見どころがある。お前は、間違いなくいい男になる。俺が保証してやろう」 
「リック、僕、頑張るよ」 
デイヴの眼は、きらきらと輝いていた。
「将来有望な男と話せて、有意義だった。さあ、そろそろ、ベッドに行く時間だぞ。お前のかあさんが、怖い眼で睨んでる」 
リックは、リビングの入り口で、成り行きを見守るケイティに、眼を向けた。
子供を寝かしつけたレティシアも、リビングへ降りて来て、ケイティと一緒に、リックとデイヴを見守っていた。 
「わかったよ、リック。僕も、リックと話せて、有意義だったよ」 
有意義という言葉を、理解しているのかどうかは不明だったが、リックをまねて、デイヴはその大人の使う言葉を用いた。 
少し、大人に近づいたような気がした。 
「早く寝ろよ。それも、大人の男になる近道だ」 
「わかった、ベッドに入ったら、すぐ目をつぶるよ」 
デイヴは、自分の寝室へと続く階段を、駆けあがって行った。
そのデイヴの後を追いながら、
「私、時々、男の人がどうしようもなく、くだらなく思える時があるんだけど、賛成してくれる、レティシア?」 
ケイティが、呆れたように言った。 



 「あんなことを言って、大丈夫なの?」 
リビングに、リックとふたりになったレティシアは、咎めるように言った。
「俺は、チビ助のプライドを尊重してやったんだ。大人になるまでには、あいつも現実を知る」 
リックは、笑いながら、レティシアの腰を引き寄せる。
「もし、大人になっても、デイヴが、私と結婚するって言ったら、あなたはどうするの?」 
「その時は、ふたりで駆け落ちだ」 
リックは、笑ってそう言うと、レティシアに、唇を重ねた。

 
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