東雲色のロマンス

海子

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10.I always love you

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 その夜、フランクとケイティは、相談の結果、やはり、レティシアをマクファーレンの家で、休養させようということになった。
ただ、レティシアがいなくなる分、ケイティの負担は増えるわけで、フランクとしては、今度は、ケイティが倒れてしまわないかが、心配だった。
ケイティは、しばらくのあいだぐらい、私ひとりで何とかするわと、言い張ったのだが、金銭的な負担は増えるが、何よりも君の身体が大切だから、という、ケイティの身体を案じるフランクの強い希望で、通いの家政婦を探して、雇うことに決まった。
が、結局、レティシアが、頑として、聞き入れなかった。
一日休んですっかり良くなったから、休暇は必要ない、昨日みたいなことのないように、体調にも気を付ける、と言って、翌朝は、早朝からいつものように働き始めた。 
ケイティは、私たちの言うことを聞いて、向こうでしばらくゆっくりしていらっしゃいと、何度も勧めたのだが、レティシアは、笑って、取り合わなかった。
ただ、レティシアのその表情が、昨日に比べて随分明るかったので、昨夜、リックとうまく話せたのだと、察しがついた。
そして、ああ、なるほど、と、ケイティは、思い当たった。
レティシアが、マクファーレンの家へ行かないというのは、もちろん私に気を遣っている、ということもあったに違いないが、マクファーレンの家へ行ってしまえば、今のように、頻回にリックとは会えなくなってしまうから、と、気づいた。 
それで、ケイティは、方法を改めた。
家事の負担を減らすため、アンディとデイヴを一週間、マクファーレンの家へ託したのだった。
そのケイティの提案に、フランクの両親は、かわいい孫たちが屋敷に来るとあって、大歓迎し、アンディも、優しく、たっぷりと甘やかしてくれる、祖父母の家で過ごすことに、大喜びだったのだが、デイヴは、仏頂面だった。 
「レティシアも、一緒に行く」 
そう言って、ずいぶんと手こずらせたが、最後は皆に宥めすかされ、半泣きになりながらも、マクファーレンの家からの迎えの馬車に、乗って行った。
それで、レティシアもケイティも、少しばかり、家事の負担が軽減し、ほっと一息のつける一週間となった。
そして、レティシアが倒れた夜、リックと話し合った時から、少しずつレティシアの中にも、変化が生まれていた。 
これまで、左肩の烙印の件は、誰にも話せるはずがないと、思っていた。
そう、思い込んでいた。
でも、今は、リックに、話さなければならない、と思うようになっていた。 
ひょっとしたら・・・、もしかしたら、リックなら、肩に刻まれる、百合の烙印のことを知っても、きちんと事情を話せば、変わらないままでいてくれるのではないか、そう思った。
レティシアの心に、信頼の芽が、息吹き始めていた。 
リックは、どうしても、私が必要なのだと言ってくれた。 
ありのままの、レティシアでいいと、受け入れてくれた。 
その全てを包み込むような愛情に、応えたいと思うようになった。 
当然、迷いもあった。 
拒絶される恐怖も、ぬぐえなかった。
リックは、受け入れてくれるだろうか。 
私が、罪人であることを知っても、愛していると言ってくれるだろうか・・・。 
けれども、もし、リックとの将来を、望むのなら、勇気を持って、告げなくてはならないと思った。 
あなたは、修道女となって、ここで神に仕えて暮らすことで、何かから逃げようとしているのではありませんか?
レティシアの脳裏に、聖ラファエラ女子修道院の院長の言葉が、幾度となく、甦って来る。 
修道院長様は、立ち向かいなさいと、言っておられた。
自分が傷つくことを恐れて、逃げるのではなく、人生に、立ち向かいなさいと、いっておられたのだわ。 
リックが、私を拒絶したら、その時は、聖ラファエラ女子修道院へ帰る時・・・。 
ただ、それは、少し不遜な気がした。
恋に破れたから、修道院へ帰るというのは、神に対して、不敬だと言われても仕方なかった。 
けれども、レティシアの帰る場所は、聖ラファエラ女子修道院しかなかった。 
それに、修道院長は、レティシアを迎え入れてくれるような気がした。
おかえりなさいと、迎え入れてくれるような気がした。 
逃げずに、しっかり向きあった私を、修道院長様は、きっと、認めてくださる。 
レティシアは、そんな気がした。 



 七月も終わりに近づいたお昼前、レティシアは、いつものように、リックの昼食を、籠に入れると、
「行ってきます」 
玄関から、二階のリビングにいるケイティに向かって、大きな声で言った。
気を付けて、いってらっしゃい、とケイティの声が聞こえた後、
「僕も行く」
と、二階から、デイヴが駆け下りて来た。 
「デイヴ、今日は、リックに大切なお話。来てはだめと、昨日言った」
「わかってるよ。あーあ、つまんないの」 
と、デイヴは、むくれた。
「その代わり、夕方、アンディも一緒に、ミルフェアストリートまで、買い物に行く。いいことあるかもしれない」 
「やったあ。アンディに話してくるよ。レティシア、早く行って来て」 
デイヴは、アンディ、アンディと、名前を呼びながら、階段を駆けあがって行く。
「デイヴ、行くのは夕方。いい?聞いてる?」 
レティシアは、二階へ向かってそう呼びかけたが、返事はなかった。
本当にせっかちな子、と苦笑しながら、レティシアは、玄関を出た。
レティシアが、いいことあるかもしれない、と言ったのは、買い物が終わったら、ローズの店に立ち寄って、キャンディを買ってあげるという意味で、これまで、レティシアと一緒に買い物に出ると、よくあることだったから、デイヴには、すぐにその言葉の意味が、わかったのだった。
レティシアは、ホイットマン製造会社へ向かって歩き始めたが、今日は、いつもとは違う緊張があった。
とても大切な話があるから、今夜、来てほしいの。 
そうリックに、話すつもりだった。 
レティシアは、今夜、肩に刻まれる烙印のことを、打ちあけるつもりだった。 
受け入れてもらえても、受け入れてもらえなくても・・・、話さなければ。 
すっかり慣れた、ホイットマン製造会社までの道を行き、あと少しで着くという時、 レティシアは、ふうっと、息を吐いて、覚悟を決めた。
額に汗がにじむのは、七月の陽気のせいだけではなかった。 
前方に、見慣れたホイットマン製造会社が、目に入った。
と同時に、事務所の前に群がる数十人の人々も、目に入った。
レティシアは、驚いた。 
「一体、何・・・?」 
と、レティシアは、思わず、口に出た。
ホイットマン製造会社の事務所に群がるのは、ほとんどが男だったが、中には、女の姿もあった。 
レティシアは、様子をうかがう様に近づいたが、事務所のドアの前では、大勢の人々が中を覗き込んでいて、とても、通してもらえそうには、なかった。 
しばらく、人々の後ろの方で待っていたものの、みなそこを動く気配はなく、大勢の人々をかき分けて、事務所の中へ入るのは、中々勇気のいることだった。 
「あのう・・・」
レティシアは、思い切って、その場に集う人々のひとりに、声をかけた。
「大勢の人、何かあった?」 
「取材だよ」 
「取材?」
「今、新聞社の人たちが、世界初の蒸気機関車の取材に来ているんだ。みんな、野次馬さ。俺達もね」 
男は、そう言って、連れの男と笑った。
「会社の人、今、取材されてる?」 
「さっきまで、奥にある蒸気機関車の前で、説明をしていたよ。それから、事務所に戻って、ひとりひとり、取材されているみたいだ。ここからじゃ、中の様子は、わからないけど」 
確かに、事務所の入り口は人が押し寄せ、窓にも、少しでも、中の様子を伺おうと、大勢の人が、群がっていた。
レティシアは、籠の中の、昼食の包みを、見つめた。 
今日は、渡せないのかしら。 
レティシアは、落胆を覚えた。
その時、スペンサー氏、という言葉が聞こえて、レティシアは、はっ、と、顔を上げた。 
スペンサー氏・・・、リックのことだわ。
レティシアは、少し離れたところに立つ、二人組の男の会話に、耳を澄ませた。
二人組は、三十代後半に見える、白髪の多い男と、もうひとりは、同じ年恰好の、背の低い男だった。 
「だけど、スペンサー氏も、大した出世だよな。五年近く前まで、駅馬車の御者だっていうのに」 
「ホイットマン親子の実績は、お墨付きだが、鉄道会社も、スペンサー氏の功績を、高く評価しているんだって。弟が、そう話していた」 
背の低い男は、弟がホイットマン製造会社の従業員なのか、事情に詳しそうだった。
レティシアは、その会話を聞いて嬉しくなった。
リックの活躍を耳にすることは、自分の事のようにうれしかった。
けれども、背の低い男が発した次の言葉で、レティシアの微笑みは、消えた。
「首都タリスの紡績会社の社長、ボーモント氏が、スペンサー氏を娘婿にって、ずいぶんご執心らしいぜ」 
「ボーモントって言えば、大きな会社じゃないか」 
「娘のダイアナ嬢は、二十歳。美しさもさることながら、教養があって、人柄も素晴らしいそうだ。自慢の娘の結婚相手に、数ある縁談の中から、わざわざ、スペンサー氏を選ぶ当たり、ボーモント氏も、随分、入れ込んでいるようだ」 
「スペンサー氏は、幸運な男だね。これで、将来が約束されたようなものだな。羨ましいよ」
「スペンサー氏は、ホイットマン製造会社に投資する、マクファーレン商会とつながりが深い。マクファーレン商会の経営者、ジェフリー・マクファーレンが、この話に随分と乗り気だそうだ」 
「そりゃあ、そうだ。マクファーレン氏としても、タリスの紡績会社と繋がっておいて、損はない。何としてでも、まとめたい縁談だろう」 
それから、その二人組の男の会話は、別の話題へと移って行った。
リックに、縁談・・・。 
相手は、タリスの大きな会社の、お嬢さん・・・。 
そのお嬢さんと結婚すれば、リックの将来が約束される。 
マクファーレン氏も、随分と乗り気で・・・。 
そこまで考えると、レティシアは、踵を返した。 
もうそのまま、そこにいることは、出来なかった。
レティシアは、小走りになった。
少しでも早く、その場所から離れたかった。 
リックに縁談。 
リックに、良家のお嬢さんと、縁談・・・。 
お嬢さんは、お金持ちで、若くて、美しくて、教養があって、優しくて・・・、全てを兼ね備えた人。 
街路を駆けながら、レティシアの瞳に、涙がこみ上げて来た。 
ふと、前を見ると、 口笛を吹きながら、上機嫌で行き過ぎる、小柄な男がいた。 
ジミーだった。 
ジミーの方も、レティシアに気づいたが、ばつの悪そうな顔をして、いけねっと、小さく呟いた。 
気まずそうにするあたり、ジミーは、バッカスを仕事中に抜け出して、博打に興じていたに違いなかった。
「よう、レティシア。リックのところへ、行ってたのか?」
それでも、ジミーは、自分の方から、レティシアに声をかけて来た。 
「どうしたんだ。元気ないじゃないか。泣いているのか?」 
「ジミー・・・」 
レティシアの瞳から、じわっと涙が、こぼれ出した。
「うわあ、どうしたんだ、何があったんだ、レティシア。リックのことか?とにかく、泣き止んでくれよ。俺が、泣かせたと思われるだろ」 
ジミーは、人目が気になって、きょろきょろと周囲を見回した。 
レティシアは、しゃくりを上げて、顔を歪めて、泣きだした。
「レティシア、泣き止んでくれよ、頼むよ。そうだ!この先にさ、うまいフィッシュアンドチップスを食わせる露店が、あるんだよ。今、俺、懐具合がいいんだ。おごってやるよ。揚げたてで、サクサクしてて、美味いんだぞ。だから・・・、なあ、頼むよ、泣き止んでくれよお・・・」 
そう言って、ジミーは何とか、なだめようとしたが、レティシアの涙は止まらなかった。
その場に立ちすくんだまま、涙を拭い続けていた。
そのレティシアを、ジミーは、困り顔で、そして、心配そうに見つめていた。 
レティシアの涙が落ち着いて、一緒に歩き出せるようになるまでの長い時間、ジミーは、レティシアの傍を離れることはなかった。 

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