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7.Passionate
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翌日の昼前、レティシアは、窓から、そうっと、ホイットマン製造会社の事務所の中を覗いた。
ブラッドと、もう一人、中年の男がいて、机に向かっていたが、リックの姿はなかった。
今日は、会社にはいないのかしら・・・。
レティシアがそう思った時、デイヴが、スカートの端を掴んで引っ張った。
「お利口に、デイヴ」
「リックに、お昼届けに来たんでしょ?早く届けに行こうよ」
「待って、デイヴ!」
と、ドアへ進み始めたデイヴを慌てて引き留めようとした時、窓枠にレティシアの身体が触れて、ガタンと物音を立てた。
中にいた、ブラッドと、中年の男が、振り向いた。
ブラッドが、こちらへ向かってきたが、外に立っているのが、レティシアだと分かると、笑顔になった。
「昨日は、どうも。リックに、何か用事が?」
と、ブラッドは、ドアを開けた。
「みんな忙しい、ごめんなさい。私、ただ、お昼、作って来た。これ、リックに」
と、レティシアは、腕にかけた籠から包みを取り出して、ブラッドに差し出した。
「これは、僕が渡したんじゃ、値打ちが半減するよ。呼んでくる、待っていて」
と、ブラッドは笑いながら、事務所の裏口から、奥へと行った。
いくらもしないうちに、リックが姿を現した。
リックは、黒く汚れた顔と手を布で拭いながら、事務所を通り抜けて表へ出て来た。
「どうしたんだ、急に?」
リックは、驚きを隠せなかった。
リックの身体からは、石炭と鉄の匂いがした。
「突然、ごめんなさい。お昼、作って来た」
「お昼?」
レティシアは、手に持った包みを、リックに差し出した。
リックが包みを開けると、豚もも肉の塊に、詰め物をしてオーブンで焼いた、スタッフド・ポークを挟んだサンドイッチが、並んでいた。
きっと忙しいから、簡単に食べられるものがいいだろうと考えて、少々乱暴かもしれないとは思ったが、レティシアは、パンでスタッフド・ポークを挟んだ。
「昨日、トライアルのことも、色々、ブラッドさんに、聞いた。お昼も、食べてないって」
「それで、わざわざ作って来てくれたのか?」
レティシアは、小さく頷いた。
「そっちはそっちで、聞き分けのないチビが、四人もいるんだ。俺のことまで、気にしなくていい」
「聞き分けのない、チビじゃないよ」
と、レティシアのスカートの陰から、デイヴがしかめっ面を見せた。
「何だ、いたのか」
「いえ、リックの言う通り。アンディとデイヴ、風邪気味。ケイティ、お家いなさい言った。アンディ、お家に残ったけど、デイヴ、聞かなかった」
そう言われて、デイヴは鼻をすすりながら、レティシアのスカートの陰に引っ込んだ。
レティシアは、改めてリックに向き直ると、
「リック、土曜日の勉強、もういらない」
そう、告げた。
「何?」
「勉強は、もう、いらない。私、話すの、大丈夫。だから、もういい。その変わり、毎日、昼食、届ける」
「昼飯を?」
「ケイティも、そうした方がいいって。ちゃんと、食べない、良くないって」
「どいつもこいつも、心配性だな」
レティシアは、リックのその言葉に、首を横に振った。
「いいえ、私、届ける。お昼、ちゃんと食べる、大事」
「毎日だと、結構な手間だぜ。それに、届けてもらっても、俺は他所へ行って、ここにいないこともある」
リックにそう言われると、勝手な思い込みでお節介をしたのではないかと、レティシアは、急に気持ちが下を向いた。
「ごめんなさい、私、勝手なことした・・・」
リックは、口に手を当ててしばらく考えていたが、じゃあ、こうしようかと、口を開いた。
「昼飯がいる時は、朝、ここへ来る前に、フランクの家のドアに、紐を結んでおく。紐がなければいらない」
リックとしても、毎日、昼のひと時だけでも、レティシアと顔を合わせるとなると、励みになった。
「朝、忙しい、大丈夫?」
「一筋、道を変えるだけだ。ほとんど通り道さ」
リックが、そう答えた時、事務所の中から、ブラッドが顔を出した。
「リック、寒いから、中で話したらどうだ?」
「いえ、もう、用事、済んだ。私、帰る」
「ちょうど昼休憩の時間だから、気を遣わなくていい。入れよ」
と、リックも促した。
レティシアが断るより前に、デイヴが、たたっと、事務所の中へ走った。
それで、事務所の中に、おずおずとレティシアも足を踏み入れた。
事務所の中で、机に向かっていた、五十歳近い、少々後頭部の薄い男が、眼鏡の奥から物珍しそうな目で、入って来たレティシアとデイヴを眺めた。
「父さん、リックの彼女、レティシアだよ。リックに、昼食を届けに来たんだって」
ブラッドは、笑って、レティシアを、エドガー・ホイットマンに紹介した。
エドガーは、へえ、とさらに物珍しそうな眼で、レティシアを眺めた。
レティシアが、そこで、皆の思い違いを解くのは、勇気がいった。
だから、ただ曖昧に笑っていた。
リックは、デイヴを親友の息子だと紹介し、レティシアはその親友の家で、手伝いをしているのだと話した。
リックは、すっかり冷めきったお茶をどこからか持ってきて、自分の机につき、早速、レティシアが作って来たサンドイッチを、食べ始めた。
「美味い」
二口ほど頬張って、口の周りについたソースを指で拭いながら、リックは、そう言った。
「嘘」
「何故?」
「リック、バッカスで、アダムのお料理、食べる。アダムのお料理、うんと美味しい」
「アダムと、お前の料理は比べられない。このサンドイッチは、何ていうか・・・」
「愛情たっぷりだって、おかあさんが言ってた」
すかさず、デイヴが口をはさんだ。
「チビ助、中々、冴えてる」
話を聞いていた、エドガーも、ブラッドも、可笑しそうに笑った。
レティシアは、赤くなって俯いた。
「そうしていると、本当の、家族みたいだね」
ブラッドが、微笑ましい三人を見つめて、そう言った。
ブラッドのその言葉で、レティシアは、ふと我に返った。
レティシアの目の前では、デイヴが、サンドイッチを頬張るリックに、あれこれ、楽しそうに話しかけていた。
そう・・・、いつか、リックにも、奥さんや、子供が、できる。
そして、家族の団欒が、リックとその家族を、包むのだろう。
レティシアの脳裏に、腕に子供を抱いたリックが、妻に向かって、優しく話しかける姿が、浮かんだ。
リックを見上げて笑う、幸せそうな妻の顔は・・・、レティシアの知らない女性だった。
その幻影を振り切るように、
「デイヴ、もう帰る。本当に、もう帰る。みなさん、お邪魔して、ごめんなさい」
と、レティシアは、少し硬い表情で、デイヴを促した。
「リック、お嬢さんとチビちゃんに、奥の、見せてやったら、どうだ?」
エドガーが、食事を終えたリックに、事務所の奥を指さしながら、そう言った。
「いいですか?」
リックの眼に、輝くものがあった。
「ああ、かまわんよ」
笑いながら、エドガーは、気さくにそう言った。
気難しいところもあるエドガーが、そう言うということは、エドガーも、レティシアに、好感を持ったに違いなかった。
リックに連れられて、事務所の裏口を抜け、作業場へ向かうデイヴは、一体何があるのだろうという、好奇心を抑えることは出来なかった。
レティシアは、もしかして、とよぎるものがあったが、それはまさしく現実のものとなった。
事務所の奥は、ずっと木塀で覆われていて、想像よりもはるかに広く、庇のある場所には、大小さまざまな工具と、部品と思われる鉄の塊も、並んでいた。
中央には大きな円を描いて、レールが敷かれていた。
そして、そのレールの上に、車輪を付けた、大きな車体があった。
これこそ、これまでの輸送方式に革命を起こし、安価な大量輸送を実現、あらゆる産業を大きく前進させるに不可欠な、蒸気機関車だった。
大勢の人を乗せて、長い距離を走ると言うから、レティシアは、もっと圧倒的で巨大な物体をイメージしていた。
けれども、今、目の前に現れた車体は、大きく、存在感はあるものの、細部は緻密で、精巧で、技術の集約が見て取れた。
蒸気機関車は、上へ向かって、長い煙突が伸びる機関車本体に、火室に投入する石炭と、水を積載した、燃料運搬車両が、接続されていた。
機関車本体は、前方の大きな動輪と、後方の小さな動輪で、支えられ、機関車本体の両側には、動輪を駆動するシリンダーが、火室のすぐ後ろにある、キャブ(運転席)の近くに、斜めに設置してあった。
キャブとは言うものの、そこは、運転席も、屋根もない、オープンデッキだった。
機関車本体に接続された、燃料運搬車両には、前方に燃料となるべき石炭が、そして後方に水槽タンクとなる樽が、横向きに設置され、ここから給水をしていた。
「リック、これが・・・」
「そうだ、俺たちの蒸気機関車、インスパイア号だ」
車体の横には、インスパイア号と刻まれたプレートが、誇らしげに輝いていた。
「うわお、すっげえ・・・」
デイヴは、ケイティが聞いていたなら、間違いなく聞きとがめられたに違いない言葉で、その感嘆を現した。
昼休みとあって、他の従業員たちは、蒸気機関車からは少し離れたところで、暖を取りつつ昼食をとっていた。
「触ってもいい?」
蒸気機関車に近づいたデイヴは、きらきらとした眼を、リックに向けた。
蒸気機関車は、リックと同じ、鉄と、石炭の匂いがした。
リックは、デイヴを抱き上げた。
デイヴは、少し緊張した様子で、その車体に、そっと腕を伸ばして、触れた。
「うわあ、機関車だ・・・。蒸気機関車だ!」
デイヴのその興奮した声を耳にして、休憩中の従業員たちが、笑った。
これが、リックの、夢。
これが、蒸気機関車・・・。
レティシアは、その果てしない未来を予感させる存在に、言葉を失っていた。
「俺たちは、何としても、こいつを、走らせる。来年の秋、ブリストンと、タリスを結んで走るのは、この、俺たちの蒸気機関車だ」
その堂々とした、蒸気機関車の存在に圧倒される、レティシアの耳元で、リックは力強く言った。
そのリックに、
「リック、私、四月のトライアルが終わったら・・・」
レティシアは、伏し目がちに、そう切り出した。
「トライアルが終わったら、お前に話がある」
修道院へ戻りますという、レティシアの言葉を遮って、リックは、そう言った。
「リック・・・」
「トライアルに勝って、ブリストンとタリスを走る蒸気機関車に、お前を乗せる。それが、俺の夢だ」
はっきりそう言い切るリックに告げる言葉を、レティシアは知らなかった。
この人は、何て、強いのだろう。
その強さは、何て、人を・・・、私を、こうまで、魅了するのだろう。
レティシアは、目の前の、人一倍気の強い、強い意志の籠る黒い瞳に惹きつけられて、そのまま眼を離すことが出来なかった。
ブラッドと、もう一人、中年の男がいて、机に向かっていたが、リックの姿はなかった。
今日は、会社にはいないのかしら・・・。
レティシアがそう思った時、デイヴが、スカートの端を掴んで引っ張った。
「お利口に、デイヴ」
「リックに、お昼届けに来たんでしょ?早く届けに行こうよ」
「待って、デイヴ!」
と、ドアへ進み始めたデイヴを慌てて引き留めようとした時、窓枠にレティシアの身体が触れて、ガタンと物音を立てた。
中にいた、ブラッドと、中年の男が、振り向いた。
ブラッドが、こちらへ向かってきたが、外に立っているのが、レティシアだと分かると、笑顔になった。
「昨日は、どうも。リックに、何か用事が?」
と、ブラッドは、ドアを開けた。
「みんな忙しい、ごめんなさい。私、ただ、お昼、作って来た。これ、リックに」
と、レティシアは、腕にかけた籠から包みを取り出して、ブラッドに差し出した。
「これは、僕が渡したんじゃ、値打ちが半減するよ。呼んでくる、待っていて」
と、ブラッドは笑いながら、事務所の裏口から、奥へと行った。
いくらもしないうちに、リックが姿を現した。
リックは、黒く汚れた顔と手を布で拭いながら、事務所を通り抜けて表へ出て来た。
「どうしたんだ、急に?」
リックは、驚きを隠せなかった。
リックの身体からは、石炭と鉄の匂いがした。
「突然、ごめんなさい。お昼、作って来た」
「お昼?」
レティシアは、手に持った包みを、リックに差し出した。
リックが包みを開けると、豚もも肉の塊に、詰め物をしてオーブンで焼いた、スタッフド・ポークを挟んだサンドイッチが、並んでいた。
きっと忙しいから、簡単に食べられるものがいいだろうと考えて、少々乱暴かもしれないとは思ったが、レティシアは、パンでスタッフド・ポークを挟んだ。
「昨日、トライアルのことも、色々、ブラッドさんに、聞いた。お昼も、食べてないって」
「それで、わざわざ作って来てくれたのか?」
レティシアは、小さく頷いた。
「そっちはそっちで、聞き分けのないチビが、四人もいるんだ。俺のことまで、気にしなくていい」
「聞き分けのない、チビじゃないよ」
と、レティシアのスカートの陰から、デイヴがしかめっ面を見せた。
「何だ、いたのか」
「いえ、リックの言う通り。アンディとデイヴ、風邪気味。ケイティ、お家いなさい言った。アンディ、お家に残ったけど、デイヴ、聞かなかった」
そう言われて、デイヴは鼻をすすりながら、レティシアのスカートの陰に引っ込んだ。
レティシアは、改めてリックに向き直ると、
「リック、土曜日の勉強、もういらない」
そう、告げた。
「何?」
「勉強は、もう、いらない。私、話すの、大丈夫。だから、もういい。その変わり、毎日、昼食、届ける」
「昼飯を?」
「ケイティも、そうした方がいいって。ちゃんと、食べない、良くないって」
「どいつもこいつも、心配性だな」
レティシアは、リックのその言葉に、首を横に振った。
「いいえ、私、届ける。お昼、ちゃんと食べる、大事」
「毎日だと、結構な手間だぜ。それに、届けてもらっても、俺は他所へ行って、ここにいないこともある」
リックにそう言われると、勝手な思い込みでお節介をしたのではないかと、レティシアは、急に気持ちが下を向いた。
「ごめんなさい、私、勝手なことした・・・」
リックは、口に手を当ててしばらく考えていたが、じゃあ、こうしようかと、口を開いた。
「昼飯がいる時は、朝、ここへ来る前に、フランクの家のドアに、紐を結んでおく。紐がなければいらない」
リックとしても、毎日、昼のひと時だけでも、レティシアと顔を合わせるとなると、励みになった。
「朝、忙しい、大丈夫?」
「一筋、道を変えるだけだ。ほとんど通り道さ」
リックが、そう答えた時、事務所の中から、ブラッドが顔を出した。
「リック、寒いから、中で話したらどうだ?」
「いえ、もう、用事、済んだ。私、帰る」
「ちょうど昼休憩の時間だから、気を遣わなくていい。入れよ」
と、リックも促した。
レティシアが断るより前に、デイヴが、たたっと、事務所の中へ走った。
それで、事務所の中に、おずおずとレティシアも足を踏み入れた。
事務所の中で、机に向かっていた、五十歳近い、少々後頭部の薄い男が、眼鏡の奥から物珍しそうな目で、入って来たレティシアとデイヴを眺めた。
「父さん、リックの彼女、レティシアだよ。リックに、昼食を届けに来たんだって」
ブラッドは、笑って、レティシアを、エドガー・ホイットマンに紹介した。
エドガーは、へえ、とさらに物珍しそうな眼で、レティシアを眺めた。
レティシアが、そこで、皆の思い違いを解くのは、勇気がいった。
だから、ただ曖昧に笑っていた。
リックは、デイヴを親友の息子だと紹介し、レティシアはその親友の家で、手伝いをしているのだと話した。
リックは、すっかり冷めきったお茶をどこからか持ってきて、自分の机につき、早速、レティシアが作って来たサンドイッチを、食べ始めた。
「美味い」
二口ほど頬張って、口の周りについたソースを指で拭いながら、リックは、そう言った。
「嘘」
「何故?」
「リック、バッカスで、アダムのお料理、食べる。アダムのお料理、うんと美味しい」
「アダムと、お前の料理は比べられない。このサンドイッチは、何ていうか・・・」
「愛情たっぷりだって、おかあさんが言ってた」
すかさず、デイヴが口をはさんだ。
「チビ助、中々、冴えてる」
話を聞いていた、エドガーも、ブラッドも、可笑しそうに笑った。
レティシアは、赤くなって俯いた。
「そうしていると、本当の、家族みたいだね」
ブラッドが、微笑ましい三人を見つめて、そう言った。
ブラッドのその言葉で、レティシアは、ふと我に返った。
レティシアの目の前では、デイヴが、サンドイッチを頬張るリックに、あれこれ、楽しそうに話しかけていた。
そう・・・、いつか、リックにも、奥さんや、子供が、できる。
そして、家族の団欒が、リックとその家族を、包むのだろう。
レティシアの脳裏に、腕に子供を抱いたリックが、妻に向かって、優しく話しかける姿が、浮かんだ。
リックを見上げて笑う、幸せそうな妻の顔は・・・、レティシアの知らない女性だった。
その幻影を振り切るように、
「デイヴ、もう帰る。本当に、もう帰る。みなさん、お邪魔して、ごめんなさい」
と、レティシアは、少し硬い表情で、デイヴを促した。
「リック、お嬢さんとチビちゃんに、奥の、見せてやったら、どうだ?」
エドガーが、食事を終えたリックに、事務所の奥を指さしながら、そう言った。
「いいですか?」
リックの眼に、輝くものがあった。
「ああ、かまわんよ」
笑いながら、エドガーは、気さくにそう言った。
気難しいところもあるエドガーが、そう言うということは、エドガーも、レティシアに、好感を持ったに違いなかった。
リックに連れられて、事務所の裏口を抜け、作業場へ向かうデイヴは、一体何があるのだろうという、好奇心を抑えることは出来なかった。
レティシアは、もしかして、とよぎるものがあったが、それはまさしく現実のものとなった。
事務所の奥は、ずっと木塀で覆われていて、想像よりもはるかに広く、庇のある場所には、大小さまざまな工具と、部品と思われる鉄の塊も、並んでいた。
中央には大きな円を描いて、レールが敷かれていた。
そして、そのレールの上に、車輪を付けた、大きな車体があった。
これこそ、これまでの輸送方式に革命を起こし、安価な大量輸送を実現、あらゆる産業を大きく前進させるに不可欠な、蒸気機関車だった。
大勢の人を乗せて、長い距離を走ると言うから、レティシアは、もっと圧倒的で巨大な物体をイメージしていた。
けれども、今、目の前に現れた車体は、大きく、存在感はあるものの、細部は緻密で、精巧で、技術の集約が見て取れた。
蒸気機関車は、上へ向かって、長い煙突が伸びる機関車本体に、火室に投入する石炭と、水を積載した、燃料運搬車両が、接続されていた。
機関車本体は、前方の大きな動輪と、後方の小さな動輪で、支えられ、機関車本体の両側には、動輪を駆動するシリンダーが、火室のすぐ後ろにある、キャブ(運転席)の近くに、斜めに設置してあった。
キャブとは言うものの、そこは、運転席も、屋根もない、オープンデッキだった。
機関車本体に接続された、燃料運搬車両には、前方に燃料となるべき石炭が、そして後方に水槽タンクとなる樽が、横向きに設置され、ここから給水をしていた。
「リック、これが・・・」
「そうだ、俺たちの蒸気機関車、インスパイア号だ」
車体の横には、インスパイア号と刻まれたプレートが、誇らしげに輝いていた。
「うわお、すっげえ・・・」
デイヴは、ケイティが聞いていたなら、間違いなく聞きとがめられたに違いない言葉で、その感嘆を現した。
昼休みとあって、他の従業員たちは、蒸気機関車からは少し離れたところで、暖を取りつつ昼食をとっていた。
「触ってもいい?」
蒸気機関車に近づいたデイヴは、きらきらとした眼を、リックに向けた。
蒸気機関車は、リックと同じ、鉄と、石炭の匂いがした。
リックは、デイヴを抱き上げた。
デイヴは、少し緊張した様子で、その車体に、そっと腕を伸ばして、触れた。
「うわあ、機関車だ・・・。蒸気機関車だ!」
デイヴのその興奮した声を耳にして、休憩中の従業員たちが、笑った。
これが、リックの、夢。
これが、蒸気機関車・・・。
レティシアは、その果てしない未来を予感させる存在に、言葉を失っていた。
「俺たちは、何としても、こいつを、走らせる。来年の秋、ブリストンと、タリスを結んで走るのは、この、俺たちの蒸気機関車だ」
その堂々とした、蒸気機関車の存在に圧倒される、レティシアの耳元で、リックは力強く言った。
そのリックに、
「リック、私、四月のトライアルが終わったら・・・」
レティシアは、伏し目がちに、そう切り出した。
「トライアルが終わったら、お前に話がある」
修道院へ戻りますという、レティシアの言葉を遮って、リックは、そう言った。
「リック・・・」
「トライアルに勝って、ブリストンとタリスを走る蒸気機関車に、お前を乗せる。それが、俺の夢だ」
はっきりそう言い切るリックに告げる言葉を、レティシアは知らなかった。
この人は、何て、強いのだろう。
その強さは、何て、人を・・・、私を、こうまで、魅了するのだろう。
レティシアは、目の前の、人一倍気の強い、強い意志の籠る黒い瞳に惹きつけられて、そのまま眼を離すことが出来なかった。
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