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6.クリスマスの出来事
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レティシアは、二時間以上が経つのに、無言のまま椅子に座って、時折、ジンジャービールを舐めるように口に含む、暗い眼をしたジミーを、そっと盗み見た。
レティシアの傍らでは、八時近くになって、もうそろそろお暇しなければ、というローズと、いやクリスマスはまだまだこれから、何か、簡単で美味しいものを作ろう、帰りは、リックが送って行くから大丈夫、というアダムの押し問答が繰り広げらていた。
レティシアは、しばらく声をかけるのをためらっていたが、
「ジミー、そろそろ、家、帰らない?」
と、声をかけた。
みなの視線が、一斉にレティシアを向いた。
ジミーは答えずに、ジンジャービールのグラスを握っていた。
「みんなもう、帰る。ジミーも、帰る」
ジミーは、レティシアの片言のフォルティスの言葉が、妙に鼻についた。
グラスを握る手に、ぎゅうっと、力がこもった。
「お母さん、ジミー、待ってる」
ジミーは、グラスを手ではじいた。
ほとんど液体の入ってなかったグラスは、真横に飛んで粉々に砕けた。
その時、ジミーは、強張った表情のレティシアの左胸に、ブローチを見つけた。
上品に輝く、その真珠のブローチが、クリスマスの、男からの・・・、つまり、リックからの贈り物に違いないということは、容易に想像がついた。
どうしようもない怒りが、こみ上げてきた。
「あんたみたいな幸せな女に、俺の気持ちがわかってたまるか!つべこべ、口出すんじゃねえ」
ジミーは、レティシアに向かって、大声で怒鳴った。
ひどい剣幕だった。
「いい加減にしろよ、クソガキ」
リックが、ソファから立ち上がった。
「そうだ、ジミー、レティシアに謝るんだ」
「何だって・・・、こんな・・・、畜生!」
と、喚いて、ジミーが立ち上がり、椅子を蹴飛ばした時だった。
「私、赤ちゃん、産んだこと、ある」
レティシアが、静かに、ぽつりと、呟いた。
全員が一斉に、レティシアを振り返った。
ジミーは、その言葉の意味が掴めずに、怪訝な表情で、レティシアを見つめた。
「私、赤ちゃん、産んだことある。本当は、赤ちゃん、産んだけど、生まれなかった。赤ちゃん、いなくなった」
「レティシア・・・」
ローズが、口元を押さえた。
「私、四年間、修道院にいた。でも、その前の記憶、全然、ない。どこで、何してたか、わからない。気が付いたとき、胸にけがして、修道院にいた。赤ちゃん、いなくなったことだけ、覚えてる」
誰も、口を挟むものはなかった。
「赤ちゃんのお父さん、わからない。結婚していたか、好きな人いたか・・・、もしかしたら、そういうことして・・・、お金もらってたのかもしれない」
レティシアの唇が、小刻みに震えた。
「もう話さなくていい、レティシア」
「私、春に、修道院に、帰る。私、修道院に帰る理由、たくさんある。ひとつじゃない。でも、正しく生きたいから、修道院に帰る、それ、理由のひとつ。今は、私、ひとりじゃない。みんないる。でも、いつか、みんな、いなくなって、私、ひとり。その時、私、どうする?」
割り込むリックに譲らず、レティシアは、話を続けた。
「私、結婚しない。結婚できない理由ある。私、いつか、ひとり。今は、幸せ。みんないてくれる。アダムも、ローズも、リックも、ケイティも、フランクさんも、四人の子どもたちも、いてくれる。でも、いつか、みんな、いなくなって、私、仕事ない、お金ない、若くない、その時、もし、優しい男の人いたら・・・、ジミーのお母さんみたいに、するかもしれない。ジミーのお母さん、もしかしたら、年を取った、私」
レティシアの瞳から、涙があふれた。
「レティシア・・・」
ローズが、いたわる様に、レティシアの肩を抱いた。
「ジミー、お母さんのところ、帰って」
ジミーは、押し黙ったままだった。
「ジミー、寂しい。でも、アダムも、リックもいる。ジミーのお母さん、今、ひとり。ジミーより、お母さん、もっと寂しい」
ローズの傍を離れて、レティシアは、うなだれたままの、ジミーに近寄って、その腕にそっと手を置いた。
「ジミーのお母さん、ジミーいて、良かった。クリスマスに、お料理、持って帰ってくれる、いい子。お母さん、とても大きな幸せ。お母さん、本当は、気づいてる」
レティシアは、ジミーを励ます様にそういうと、
「みんな、ごめんなさい。クリスマスに、暗い気持ち。私、本当に、本当に、ごめんなさい。私、帰る。送りいらない、大丈夫」
と、涙を指で払い、部屋の隅に置いてあった鞄を、取った。
リックは、そのレティシアの腕を、掴んだ。
そして、
「出ていくのは、お前じゃない。そいつだ」
と、ジミーを睨んだ。
「そうだ、ジミー、レティシアに、ちゃんと謝るんだ」
アダムはそう言って、うなだれたままのジミーを、諭した。
辛かったわね、と抱きしめて、背中を擦ってくれるローズの優しさが、心に響いて、レティシアの瞳から、大粒の涙がこぼれた。
「悪かったよ・・・、八つ当たりして」
ぽつりと、ジミーが呟いた。
「俺、あんたが誰からも好かれて、幸せそうに見えて、腹が立ったんだ。本当に、悪かった。ごめん」
そのジミーの言葉を聞いて、こみ上げてくるものがあって、一層涙があふれ、レティシアを抱きしめる、ローズの服の胸のあたりが、涙で、ぐしょぐしょに濡れた。
結局、それで、クリスマスはお開きとなった。
帰り支度をし、みな、アダムの家を出た。
帰り際、ジミーがアダムに、
「これ、もらって行っていい?」
と、クリスマス料理の残りを、指さした。
「構わないが、残りものだぞ」
「残りものでいいんだよ、あんな奴」
そう言いながら、ジミーは、そっぽを向いた。
アダムは、ひどく、レティシアを心配していた。
まるで、傷ついた娘を、どうやって労わったらよいのかわからない、おろおろとする男親のようだった。
ただ、何度も、何度も、またバッカスにおいで、と。
うまいもの食わせてやるから、いつでも、バッカスにおいでと、誘った。
レティシアは、微笑んで頷いたつもりだったが、知らないうちに、涙が頬を伝っていた。
レティシアの傍らでは、八時近くになって、もうそろそろお暇しなければ、というローズと、いやクリスマスはまだまだこれから、何か、簡単で美味しいものを作ろう、帰りは、リックが送って行くから大丈夫、というアダムの押し問答が繰り広げらていた。
レティシアは、しばらく声をかけるのをためらっていたが、
「ジミー、そろそろ、家、帰らない?」
と、声をかけた。
みなの視線が、一斉にレティシアを向いた。
ジミーは答えずに、ジンジャービールのグラスを握っていた。
「みんなもう、帰る。ジミーも、帰る」
ジミーは、レティシアの片言のフォルティスの言葉が、妙に鼻についた。
グラスを握る手に、ぎゅうっと、力がこもった。
「お母さん、ジミー、待ってる」
ジミーは、グラスを手ではじいた。
ほとんど液体の入ってなかったグラスは、真横に飛んで粉々に砕けた。
その時、ジミーは、強張った表情のレティシアの左胸に、ブローチを見つけた。
上品に輝く、その真珠のブローチが、クリスマスの、男からの・・・、つまり、リックからの贈り物に違いないということは、容易に想像がついた。
どうしようもない怒りが、こみ上げてきた。
「あんたみたいな幸せな女に、俺の気持ちがわかってたまるか!つべこべ、口出すんじゃねえ」
ジミーは、レティシアに向かって、大声で怒鳴った。
ひどい剣幕だった。
「いい加減にしろよ、クソガキ」
リックが、ソファから立ち上がった。
「そうだ、ジミー、レティシアに謝るんだ」
「何だって・・・、こんな・・・、畜生!」
と、喚いて、ジミーが立ち上がり、椅子を蹴飛ばした時だった。
「私、赤ちゃん、産んだこと、ある」
レティシアが、静かに、ぽつりと、呟いた。
全員が一斉に、レティシアを振り返った。
ジミーは、その言葉の意味が掴めずに、怪訝な表情で、レティシアを見つめた。
「私、赤ちゃん、産んだことある。本当は、赤ちゃん、産んだけど、生まれなかった。赤ちゃん、いなくなった」
「レティシア・・・」
ローズが、口元を押さえた。
「私、四年間、修道院にいた。でも、その前の記憶、全然、ない。どこで、何してたか、わからない。気が付いたとき、胸にけがして、修道院にいた。赤ちゃん、いなくなったことだけ、覚えてる」
誰も、口を挟むものはなかった。
「赤ちゃんのお父さん、わからない。結婚していたか、好きな人いたか・・・、もしかしたら、そういうことして・・・、お金もらってたのかもしれない」
レティシアの唇が、小刻みに震えた。
「もう話さなくていい、レティシア」
「私、春に、修道院に、帰る。私、修道院に帰る理由、たくさんある。ひとつじゃない。でも、正しく生きたいから、修道院に帰る、それ、理由のひとつ。今は、私、ひとりじゃない。みんないる。でも、いつか、みんな、いなくなって、私、ひとり。その時、私、どうする?」
割り込むリックに譲らず、レティシアは、話を続けた。
「私、結婚しない。結婚できない理由ある。私、いつか、ひとり。今は、幸せ。みんないてくれる。アダムも、ローズも、リックも、ケイティも、フランクさんも、四人の子どもたちも、いてくれる。でも、いつか、みんな、いなくなって、私、仕事ない、お金ない、若くない、その時、もし、優しい男の人いたら・・・、ジミーのお母さんみたいに、するかもしれない。ジミーのお母さん、もしかしたら、年を取った、私」
レティシアの瞳から、涙があふれた。
「レティシア・・・」
ローズが、いたわる様に、レティシアの肩を抱いた。
「ジミー、お母さんのところ、帰って」
ジミーは、押し黙ったままだった。
「ジミー、寂しい。でも、アダムも、リックもいる。ジミーのお母さん、今、ひとり。ジミーより、お母さん、もっと寂しい」
ローズの傍を離れて、レティシアは、うなだれたままの、ジミーに近寄って、その腕にそっと手を置いた。
「ジミーのお母さん、ジミーいて、良かった。クリスマスに、お料理、持って帰ってくれる、いい子。お母さん、とても大きな幸せ。お母さん、本当は、気づいてる」
レティシアは、ジミーを励ます様にそういうと、
「みんな、ごめんなさい。クリスマスに、暗い気持ち。私、本当に、本当に、ごめんなさい。私、帰る。送りいらない、大丈夫」
と、涙を指で払い、部屋の隅に置いてあった鞄を、取った。
リックは、そのレティシアの腕を、掴んだ。
そして、
「出ていくのは、お前じゃない。そいつだ」
と、ジミーを睨んだ。
「そうだ、ジミー、レティシアに、ちゃんと謝るんだ」
アダムはそう言って、うなだれたままのジミーを、諭した。
辛かったわね、と抱きしめて、背中を擦ってくれるローズの優しさが、心に響いて、レティシアの瞳から、大粒の涙がこぼれた。
「悪かったよ・・・、八つ当たりして」
ぽつりと、ジミーが呟いた。
「俺、あんたが誰からも好かれて、幸せそうに見えて、腹が立ったんだ。本当に、悪かった。ごめん」
そのジミーの言葉を聞いて、こみ上げてくるものがあって、一層涙があふれ、レティシアを抱きしめる、ローズの服の胸のあたりが、涙で、ぐしょぐしょに濡れた。
結局、それで、クリスマスはお開きとなった。
帰り支度をし、みな、アダムの家を出た。
帰り際、ジミーがアダムに、
「これ、もらって行っていい?」
と、クリスマス料理の残りを、指さした。
「構わないが、残りものだぞ」
「残りものでいいんだよ、あんな奴」
そう言いながら、ジミーは、そっぽを向いた。
アダムは、ひどく、レティシアを心配していた。
まるで、傷ついた娘を、どうやって労わったらよいのかわからない、おろおろとする男親のようだった。
ただ、何度も、何度も、またバッカスにおいで、と。
うまいもの食わせてやるから、いつでも、バッカスにおいでと、誘った。
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