ホワイトノクターン

海子

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10.令嬢の悲恋

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 それから数時間経った午後七時、王宮の一室には、ラ・フォートリエ王宮府長官、ゴダール侍従長、マルロー内務大臣、デュ・コロワ前侍従長、ポーシャール公爵他数名、そしてマティルダが、呼び集められた。 
フィリップに座ることを許されたのは、マティルダだけで、あとは横一列に全員が並んで立たされた。 
十二月の午後七時と言えば、外はすっかり闇に包まれていたが、一同が集まる一室には、灯りが一際明るく灯され、険しい表情のフィリップが、一同の前に立ち、今回の件に関しての、追及を始めた。 



 「ある些細な出来事から、不審が生じ、デュエム財務大臣に命じて、君たちの策略を調べさせた。君たちに言い逃れは出来ない。君たちは、国王という立場の私を欺き続けた。これは謀反であり、その罪は、重大だ」 
謀反、と言う言葉に、全員、肝を冷やした。
投獄、断頭台、という言葉が頭を掠めた。
「首謀者は?」 
おずおず、躊躇いがちに、デュ・コロワ前侍従長と、マルロー内務大臣が手を上げた。
「やはり、君たちか」
突き刺さるようなフィリップの視線に、デュ・コロワ前侍従長とマルロー内務大臣は、項垂れた。 
「オジェ女官長を退かせ、未婚の、若い婦人を女官長の職に就ける辺り、おかしいとは思っていた。私に妃候補を近づけたかと、一度は疑ってみたが、君たちが、私とマティルダを積極的に取り持つ訳でもないから、私の思い違いらしいと、考えを改めた。以前、王宮に刺客が入り込んでいるという騒ぎが起きた時にも、デュ・コロワ前侍従長は、マティルダの身を、酷く案じていた。私とマティルダが護衛を少し遠ざけて話していた時、私はともかくマティルダにまで厳しく注意するのを、訝しく思った。今思えば、あれは、マティルダがイーオン国王の姪で、ベレスフォード公爵令嬢だったからだったわけだ。 ただ、マティルダが女官長の職に就いてから、時代にそぐわない仕来りを取りやめ、新たな試みがいくつもあった。だから、私は、マティルダという婦人を女官長の座に就けたのは、王宮の古い体制の見直しに、君たちが積極的に取り組みだしたと、評価をしていたというのに、どうやら私が間違っていたらしい。成程、今思えば、あれだけ私の結婚に関心を持ちながら、この一年半、私とマティルダの仲を知らぬはずはないのに、悠長にしていたのは、最初から、こうなることがわかっていたということか」
滅多に怒ることのないフィリップだけに、そして、感情的ではないだけに、その怒りの落ち着く先に予想が付かず、みな、背筋が冷たいものが走った。 
「畏れながら・・・、陛下」 
フィリップは、発言者、ラ・フォートリエ王宮府長官をじろりと睨んだ。
「畏れながら、陛下、我々が陛下に内密で、イーオンから、マティルダ様をお招きしたことは、心よりお詫び申し上げます。しかしそれは、ユースティティア王家への忠心によるものでございます。ご説明するまでもありませんが、ユースティティアには、御正室もお世継ぎも、存在しません。もし今、陛下の身に万が一のことがあれば、どのようなことになると、お考えですか?王宮は混乱し、政治不安を招き、乱世が訪れるやもしれません。かつてのように、外国に侵略される事態を、引き起こすかもしれないのです。そのことは、私も、デュ・コロワ侍従長も、何度も陛下にご進言申し上げました。けれども、我々がどう申し上げても、陛下は、聞く耳を持っては下さらなかった。そして、お世継ぎ問題は棚上げされたまま、時間だけが、過ぎていきました。我々としては、一刻の猶予もならなかったのです。その我々の焦りを、ご理解してはいただけませんか?」 
それは、ラ・フォートリエ王宮府長官個人の意見ではなく、その場に集う者たちの意見でもあった。
フィリップは、黙った。 
そして、しばらく、その場をいくらか歩いた後、決意を固め、 
「世継ぎはいらない。いずれ、王制は廃止する」 
そう告げた。
「陛下!」 
「いずれ、王制は廃止する。以前から、私はそう決めている」 
「では、何故、私たちに、そのように仰っては下さらなかったのですか?」 
長らくフィリップの一番近い場所で接してきた、デュ・コロワ前侍従長でさえ、その真意を聞いたことはなかった。
「反発は、必至だ。まだ、具体的に何も進んでいない状況で、君たちに話したところで、受け入れてもらえるとは考えていなかった。王宮に、余計な混乱を招きたくはなかった」 
「陛下が、御正室をお迎えにならなかったのは、そのような理由があったからなのですか?」 
「いや・・・、それは少し事情が違う。確かに、世継ぎを設けることに積極的ではなかったのは、いずれ主権を議会へ移譲するつもりで、必要性を重視しなかったせいだが、結婚を先延ばしにしていたのは、もっと別の、個人的な理由だ。その理由について、君たちに話すつもりはない。マティルダにだけ、打ち明けるつもりだ」 
フィリップは、マティルダへ視線を向けた。
マティルダは、心配そうに、そして気遣うような表情を浮かべ、ずっと成り行きを見守り続けていた。
「勘違いしないでもらいたいのだが、私は、君たちが、今回のようなことを企てたこと自体を、憤っているわけではない。私が憤っているのは、君たちが、他国の国王の意図に従って、他国の令嬢を迎え入れたことだ」
「と、申しますと?」 
ラ・フォートリエ王宮府長官は、フィリップの発言を聞いて、陛下は今回の件について、何か誤解をしているのでは、と思い始めた。
「我が国とイーオンは同盟関係にあり、友好国だ。しかし、イーオンが一方的に、我が国と縁戚関係を築こうとするのは、間違っている。私の結婚問題に付け込んで、ユースティティアの家臣を抱き込み、妃候補を送り込んで来るとあっては、両国の信頼関係に著しく傷がつく。君たちの主君はいつから、イーオン国王になった?これは、ユースティティアへの忠心ではなく、反逆だ」 
「お、お待ちください、陛下」 
そのフィリップの酷い思い違いに、ラ・フォートリエ王宮府長官以下一同は、慌てた。 
「陛下は、酷い・・・、恐ろしい思い違いをされております。デュエム財務大臣の調べには、誤りがあります」
「誤り?」 
「畏れながら、今回の企てに、イーオン国王は、何の働き掛けもなさってはおられません。言うなれば・・・、今回の企ての、本当の首謀者は、デュ・コロワ前侍従長でも、マルロー内務大臣でもなく、先代のサヴァティエ公爵でございます」 
「サヴァティエ公爵?」
「さようでございます。今回の企ては全て、先代サヴァティエ公爵のご指示によるものです」 
「それについては、私が・・・」 
と、ラ・フォートリエ王宮府長官に変わり、マティルダが声を上げた。 
「陛下、今、ラ・フォートリエ王宮府長官が申しました通り、今回の企てに、イーオン国王は、何の働き掛けも致しておりません。むしろ、亡きサヴァティエ公爵の遺言ともいうべき言葉に従って、このブルークレール宮殿へと旅立つ私を、気遣い、心配し、一度は引き止められたほどです。このことは、イーオン国王の名誉のために、申し上げておきたいと思います」 
「正直、私には、君たちの言っていることが、理解できない。今回の件が、亡きサヴァティエ公爵と、一体どんな関係がある?」 
マティルダは、少しお時間を頂きたく存じます、と、部屋を離れ、しばらくして戻って来た時には、少々色あせた、一通の手紙を持参していた。
「今から十年前に、私が受け取った、先代サヴァティエ公爵からの手紙でございます」 
そして、フィリップへと差し出した。 



マティルダ・アグネス・ベレスフォード公爵令嬢


 マティルダ様、面識のない私から、突然このような手紙を受け取られて、随分、驚かれていることでしょう。 
生涯の伴侶となるべき最愛の婚約者を失って、今、あなたが、絶望の中にあることは、よく存じ上げています。 
そして、あなたが、俗世を離れる決心であるということも。
しかし、どうか、その決心を取り下げ、私の願いを聞き入れていただきたいのです。



 単刀直入に、申し上げます。 
ユースティティアのフィリップ国王の妃に相応しい方は、あなたしかおられません。
イーオン国王の姪御であらせられるあなたを、ユースティティア王妃として、お迎えする日が、必ずやって来るものと、私は確信しております。
しかし、その日を迎えるまでに、いましばらく時間を必要とするでしょう。
何故なら、フィリップ国王陛下におかれては、今、まだその時ではないからです。
陛下はースティティア復興に全身全霊で臨み、年若いせいもあって、自身の結婚問題には、まだ考えが及ばないのです。
そして、女性に関しましては、少々晩熟なところがおありです。
ご自分のお立場を考え、滅多に本心を明かされないせいで、その理由は明らかではありませんが、何か、心に深い傷を負われているようにも、見受けられます。
フィリップ国王陛下は、何事にも柔軟であらせられるのですが、一方で、ご自分の納得のいかないことに関しては、絶対にお認めにはならない頑固な一面をお持ちです。
ご自身の結婚についてもその通りで、ご自分が納得しない限り、周囲がどう勧めたところで、首を縦には振らないでしょう。 
本来ならば、一刻も早いご成婚と、お世継ぎの誕生が望ましいのですが、我々からしてみれば少々困ったことに、フィリップ国王陛下は、婦人の色香に関心をお示しにならず、急かせる程、逆効果になるようです。
陛下にとって、若さや美しさは、優先すべき事項ではないのです。
私もこの歳になるまで、数多の男と女を見て参りましたが、陛下のような方は、知性と内面を愛し、御自身が心から信頼し、尊敬できる婦人でなければ、惹かれることがありません。 
けれども、一度、心に決めた婦人は、どこまでも愛し抜かれる方です。
誠実で、真心のあるユースティティアの国王です。
今、失意の底にいる、あなたの心を救うことができるのは、ユースティティアの、フィリップ国王しかおりません。
しかし、ユースティティア再建に力を注がれるフィリップ国王陛下が、ユースティティア王妃を迎えるには、もう少々、時間が必要になると思われるのです。 
ですから、その間に、深い哀しみの中にあるマティルダ様には、少しでもお心を癒していただき、ユースティティア王妃になるべく、心づもりをしていただきたいのです。
しかし、期限を設けずに、お待ちいただくのは、落ち着かないことと思います。 
ですから、陛下が、二十八歳になった時に、まだおひとりであった場合、私の腹心の部下が、あなたをお迎えに上がります。 
イーオンを離れ、おひとりで、ユースティティアへ来られることには、ご不安も大きいと思いますが、マティルダ様が、フィリップ国王陛下とお気持ちを育んでいけるよう、書き記した手紙を、王宮の者に託しておきます。 


 最後に、若いご婦人に向けて、少々申し上げにくいことではありますが、マティルダ様のご心配を払拭できればと思い、書き記しておきます。
フィリップ国王陛下のお傍に上がって、交際が始まったとしても、フィリップ国王陛下が、マティルダ様にとって不本意な形で、マティルダ様ご自身を望まれることはないので、その点のご心配はありません。
陛下は、そういう方ではないのです。 
マティルダ様さえ、お許しにならなければ、ご自分から攻勢にはまいりません。
自分で言うのも障りがありますが、私のようなその方面を謳歌した者からしますと、何とも、お気の毒なご性分です。
最も、臆病と捉えるか、清廉と捉えるかは、マティルダ様ご自身ですが。
こう書き記すと、婦人に興味が持てないのではと、別の心配もおありでしょうが、これもご心配はありません。 
あのような方に限って、晴れてご成婚の暁には、しつこい・・・、失礼、随分情熱的なものです。
――ご体調を整えて、お輿入れください。


 本当ならば、マティルダ様のお輿入れをこの眼で見たいところですが、残念ながら、私は、婚礼衣装を纏ったあなたを、眼にすることはないでしょう。 
いえ、それどころか、お目にかかることも、叶いません。 
病に侵された私に、残された時間は、そう多くはないからです。 
それでも、あなたが、ユースティティアの王妃となられて、フィリップ国王陛下と一緒に、国民の祝福を受ける姿が、私の瞼には映ります。
マティルダ様、どうか、その私の最後の希望を、お聞き入れくださるよう、何卒お願い申し上げます。                      
                           
                 アルフォンス・ジュール・ド・サヴァティエ 


 「頭痛がしてきた」 
フィリップは手紙に眼を通し、マティルダに返すと、眉間にしわを寄せ、頭を抑えた。 
フィリップから手紙を受け取ったマティルダの頬が赤いのは、手紙の最後の部分にフィリップが眼を通したからに違いなかった。
「国王陛下・・・」 
「・・・もういい。今夜は、みなもう下がっていい」 
ラ・フォートリエ王宮府長官が口を開くのを、フィリップは阻んだ。
どうしたものかと、戸惑う一同だったが、 
「今夜は、君たちと、話す気がなくなった。正直、呆れて、開いた口が塞がらない」 
フィリップにそう言われて、各々深くお辞儀をし、部屋を退出しかけた。
けれども、
「陛下・・・」 
退出する際、そう声を上げたのは、デュ・コロワ前侍従長だった。
「その、陛下・・・」 
侍従長を務めていた頃よりも、幾分肉付きの良くなったデュ・コロワ前侍従長は、少々躊躇いがちに、口を開いた。
「どう申し上げて良いのか分かりませんが・・・、私は、やはりサヴァティエ公爵のご指示に従って、良かったのだと思います」 
デュ・コロワ前侍従長は、言葉を選びつつ、続けた。
「陛下の計らいで、私は今、ブロンピュール宮殿に勤めていますが、陛下のお傍で勤めていた時とはまた違う、充実した日々を送っています。手を携えて人生を歩む、愛すべき人が傍にいるせいで・・・」 
デュ・コロワ前侍従長の頬は、少々赤かった。
「もちろん、陛下と私では、立場が全く違います。今後、王制の見直しがあったのだとしても、私はやはり王室の存続はなされるべきで、陛下にその責任があると考えます。しかし、そのお立場を別にしても、愛する人と一緒に人生を歩むと言うことは、素晴らしいことです。私が陛下にこのようなことを申し上げるのは、本当に不思議なのですが・・・。この一年半、国王陛下が、マティルダ様とお気持ちを育んで来られたことは、ゴダール侍従長から伝え聞いておりました。それを聞いて、本当に、良かったと、愛し愛されることを、知らぬままでなかったことを、本当に嬉しく思ったのです。余計なことだとは思いましたが・・・、どうしても、お伝えしておきたいと思いました」
そういって、デュ・コロワ前侍従長は、穏やかに微笑み、お辞儀をし、退出していった。
それは、ブルークレールで侍従長として勤めていた頃には、フィリップが、一度も見たことのない表情だった。 

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