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3.シュヴァリエ<騎士> 前編

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 三月末、春とは名ばかりの、冷たい雨の降る朝、非番明けで出勤したヴィクトルは、朝一番、騎兵科本部から、呼び出しを受けた。 
前線で、何か大きく情勢が動いたと言う話は、耳にしていなかったが、急な呼び出しであったため、招集が早まったか、と、気を引き締めたヴィクトルだったが、呼び出しの理由は、招集ではなかった。 
ヴィクトルは呼び出された騎兵科本部で、上官から、すぐさま王宮へ向かうようにと、指示を受けた。 
王宮からの呼び出しに、心当たりのないヴィクトルは、一体、俺が、何の用件で、と、訝しく思ったが、詳しい話は、王宮で説明を受けるように、とのことだった。



 迎えの馬車は、ブルークレール宮殿の大きな門をくぐり、手入れの行き届いた広い前庭を進んだが、ヴィクトルが、妙だなと、首をかしげたのは、警備にあたる近衛兵の数が、いつもより、多いことだった。
馬車は、王宮の正面玄関を通り過ぎ、フィリップが即位後、ブルークレール宮殿に越してきた際、王宮内の一角に構えた私邸の前で止まった。
玄関で待機していた、侍従と思しき男が、よくおこしくださいました、どうぞ、こちらでございます、と、ヴィクトルを、案内する。 
案内された、広々とした室内の中央には、大きなテーブルがあり、正面に、フィリップが着座し、その両横には、ラ・フォートリエ王宮府長官、レオミュール国防大臣、マルロー内務大臣、デュ・コロワ侍従長、オジェ女官長、次の女官長となる二コル、そして、憲兵の制服を身に着けた、ヴィクトルの知らない男がずらりと並び、ヴィクトルを待ち受けていた。
その錚々たる顔ぶれに、簡単な話ではなさそうだと、すぐに察しはついた。 
ヴィクトルの敬礼に、上官にあたるレオミュール国防大臣は、入れと、応じ、フィリップに対する最敬礼には、よく来てくれたと、フィリップが笑顔で応じた。
「シャリエ大尉、早速なのだが、君に、ある仕事を頼みたい。事件の性質上、公には出来ないし、内密に進めて行かねばならないので、陛下の私邸へ来てもらった。詳細は、アルトー大尉にお願いしよう。シャリエ大尉、こちらが、ユースティティア国家憲兵隊の、ギュスターヴ・フィルマン・アルトー大尉。アルトー大尉、こちらが、先ほど話した、シャリエ大尉だ」 
ラ・フォートリエ王宮府長官が、互いをそう紹介した。 
憲兵の制服を身を包むアルトー大尉は、ヴィクトルと背丈、年恰好の変わらない男で、明るい髪色と、灰色の瞳を持ち、職務に忠実で、真面目そうな印象を与えた。 
ヴィクトルと握手を交わし、着席すると、アルトー大尉はすぐに話し出した。
「三日前、王都アルカンスィエルを流れる、ロメーヌ河下流にある下町シャルドンで、殺人事件が起きました」
「殺人ですか?」 
予想もしなかった話に、ヴィクトルは思わず問い返した。
「そうです、殺人事件です。事件当日の朝、シャルドンのアパートの大家、ドニ・クレスパンから、警察へ通報がありました。年明けからアパートの二階に住む、文筆業を名乗る男の行動に不審があるので、一度、調べてほしいと。男の名前は、マリウス・ルモワーヌ。二十代半ば、痩せ型で、どこか陰のある男だったそうです」
「大家が男に不審を抱いた理由は、何です?」 
「大家は、警察署を訪れる前夜、久しぶりに会った友人と酒を飲んでいて、帰宅が零時を過ぎたそうです。その際、暗い路地で、マリウスと男がもうひとり、外国語で真剣に話し込む姿を見かけました。文筆業だという男が、夜半、人目を避けた暗がりで、外国語で何かを熱心に話し込む姿に、大家のドニは、ひどく不審を覚えたようです。だから、警察に通報した。そうして、その日の午後、通報を受けた警察署の署員がふたり、グノー巡査とマレ巡査が、シャルドンにある、ドニのアパートを訪れました。職務質問のために、二階にあるマリウスの部屋に上がりましたが、マリウスの警戒心は強かったそうです。ようやく、マリウスはドアを開けましたが、グノー巡査は、胡散臭さを覚えました。警察官としての勘が、働いたようです。身元を確認しようと迫った時、隠し持った短剣で、首をこう・・・、確実に頸動脈を断ち切られました。死因は、失血死です」 
戦場で、何千人という相手を敵にし、倒してきたヴィクトルは、血にまみれた現場の惨状が、目に浮かぶようだった。 
「つまり、素人の仕業ではない、ということですか?」
「そうです。それが、我々の一致した見解です。ああまで見事に、確実に、人間を仕留めることは、一般人には不可能です」 
「君なら、容易いことかもしれないがね」 
戦場で成果を上げるヴィクトルへの称賛だったのか、レオミュール国防大臣が、そう口をはさんだ。 
「マリウスは、グノー巡査を刺し殺し、突然目の前で起こった惨劇に、驚くマレ巡査を突き飛ばして、逃走しました。そして、マレ巡査は、マリウスを追った。マリウスの誤算は、マレ巡査が、俊足だったということです。学生の頃、彼は、短距離走の選手でした。入賞経験もあります。そして、王都で生まれ育った彼には、土地勘がありました。貧民街に、マリウスを追い詰め、ピストルを向けた。逃げ切れないと睨んだマリウスは、身柄を拘束され、取り調べを受けて、自白することを、恐れたのでしょう。毒薬を仕込んだペンダントトップを、噛み千切りました。症状から、毒薬は、トリカブト由来のものだと思われます」
「トリカブト・・・」 
軍人という職務上、ヴィクトルは、多少、毒物に対する知識はあった。 
「ご存知かもしれませんが、トリカブトは、即効性があります。早ければ、マリウスのように服薬してから数十秒で、遅くとも二十分で死に至ります。自殺用に、強毒性のものを使用したのでしょう」 
「それで、マリウス・ルモワーヌの身元は、判明したのですか?」 
「家宅捜索後、押収物から判明しました。本名は、レオニード・イリイチ・サフチェンコ。スパイです。グラディウスのアレクセイ国王から、直接、フィリップ国王陛下の暗殺命令を、受けていました」
「つまり・・・、敵の狙いは、フィリップ国王陛下のお命だと?」 
「その通りです」 
そう答えるアルトー大尉の表情が、強張ったように、思えた。 
それで、ようやくヴィクトルは、何故、今この場所に、王宮府長官や大臣といった、錚々たる面々が集まっているのか、わかった。
レオミュール国防大臣、憲兵のアルトー大尉がこの場にいるということは、単なる殺人事件とは違うため、内務省管轄の警察から、国防省管轄の憲兵に、捜査権限が移ったのだということに違いなかった。
詳しい説明を、と促すヴィクトルに、アルトー大尉は応じた。
「マリウスの死後、マリウスの部屋には、警察の捜査が入りました。部屋には、文筆業らしい片鱗もありませんでした。マリウスは、王都アルカンスィエルに潜むスパイたちの、取りまとめ役だったようで、グラディウス本国からの指示報告、王都アルカンスィエルに潜むスパイたちとの相互連絡、そういった類の手紙や書類の証拠品が、多数押収されています。その中には、我々憲兵が以前から、目をつけていた者や、組織もありました。ですから、今、我々は、早急に、容疑者らの身柄確保に動いています。ただ、押収した物品の中に、考えられない、あってはならないものが、見つかりました。即刻、対処しなければならない事態です。直ちに、確保しなければならない存在があるのです。それが・・・、これです」 
アルトー大尉がヴィクトルに差し出したのは、王宮の詳細な見取り図、そして、一通の手紙だった。 


同志レオニード、吉報が遅れて申し訳ない。 
馬を仕留めるには、もう少々、時間がかかりそうだ。 
我々の守護神には、いましばらくのご辛抱をお願い申し上げたい。 
本当に機会はあったのだ。 
あと一歩で、馬を仕留めることができたのに!
ああ・・・、あの時、奴さえ、来なければ。
同志レオニード、夏までには、成果を上げることを約束する。 
必ず、馬は仕留める。 
金の無心には、心が痛む。
だけど、先立つものがなければ、我々の念願は、敵わない。
同志レオニード、どうか配慮を頼む。 
                      ドミトリー 


 手紙に眼を通したヴィクトルの瞳には、怒りがあった。 
フィリップの語源には、愛馬、アレクセイの語源には、守護という意味があり、この手紙で、馬はフィリップ国王、そして守護神というのは、アレクセイ国王を差していた。 
つまり、この手紙は、王宮に入り込んでいるドミトリーなる人物が、マリウスを名乗るレオニードに、フィリップの暗殺未遂を打ち明けていることに、他ならなかった。
「随分、失礼な話だと思わないか?アレクセイ国王が守護神で、私が馬扱いだとは。ドミトリーなる人物が判明したなら、ぜひ、善処するよう伝えてほしい」 
フィリップはそう言って、険悪な空気を少しでも和ませようとしたのだったが、場が和む気配は、皆無だった。 
「ドミトリーというスパイ、いえ、暗殺者が、偽名を名乗り、王宮に入り込んでいるのは間違いないでしょう。王宮の構造を外部へ漏らすことは、禁止です。一般市民が図面を所持していれば、それだけで、罪に問われる。その王宮内部の詳細な図面を持っているということは、敵が、王宮に入り込んで、自ら、調べ上げたのでしょう。王宮で働く者の数も、詳細に記してあります。そして、何よりも憂慮すべき点は、一度、フィリップ国王の暗殺に失敗していることを、仄めかす文言です」 

本当に機会はあったのだ。
あと一歩で、馬を仕留めることができたのに!
ああ・・・、あの時、奴さえ、来なければ。

 ドミトリーからの手紙に記されたその文言が、嘘だとは思えなかった。 
成果を誇張しているようにも、思えなかった。
「畏れながら、フィリップ国王陛下に、お心当たりはございませんか?どのような些細なことでも、構いません。何か、身の回りで、いつもとは違うと、感じられたことはないのでしょうか?」
ヴィクトルは、フィリップに向かって、そう問いかけた。
「三日前、事件直後に、報告が入ってから、ラ・フォートリエ王宮府長官、デュ・コロワ侍従長、オジェ女官長を交えて、もう何十回も、話合いを設けているが、私を含め、誰にも全く心当たりがない」
「陛下の日々のお暮らしぶりは、朝起きてから、お休みになるまで、侍従が、事細かに、記録しております。ここ二年程の記録を、全て確認しましたが、不審な出来事は、何も記されておりません」 
そう話すのは、デュ・コロワ侍従長だった。
「国王陛下御自身には、何のお心当たりもないと・・・」 
「そうです、陛下御自身の記憶にないのに、暗殺者の方は、手紙に暗殺を未遂したと記してあります。これは、絶対に看過できません。王宮で、何者かに成りすました、ドミトリーなる人物の身柄を、早急に捕えなくてはなりません」 
アルトー大尉の言葉には、憲兵の意地が滲んでいた。 
いつも以上に、王宮に配置された近衛兵の数が多かったのは、フィリップの身に迫る危機を、防ぐためだったのだと、ヴィクトルは納得した。 
「今、アルトー大尉の話から、事態はよく把握しました。しかし、何故、私が、この場に呼ばれたのかについては、まだ理解が及びません」 
その、ヴィクトルの問いに答えたのは、アルトー大尉ではなく、レオミュール国防大臣だった。
「君には、王宮で任務についてもらう」 
「王宮で?」 
「そうだ、これより、君の任務は、アルトー大尉と共に、王宮に潜むドミトリーなる人物を見つけ出し、捕らえることだ」 
「命令であれば、従います。しかし、理由をお聞かせください。本件の管轄は、国家憲兵隊です。彼らは、諜報活動に長け、特殊な訓練を積んでいる。しかも王宮には、優秀な近衛兵もいます。戦場において銃剣で戦う私が、適任であるとは思えません」
「君の着任を決定したのは、陛下御自身だ」 
レオミュール国防大臣のその発言に、ヴィクトルの視線は、フィリップを捕らえた。 
フィリップは穏やかに微笑んで、シャリエ大尉が抱く疑問は最もだ、と答えた。
「シャリエ大尉が抱く疑問は、最もだ。君の言う通り、確かに、憲兵や近衛の方が、今回の任務には適しているのだと思う。私は、彼らの力量を疑っているわけではない。だが、おそらくはきっと、君ほどの熱意を持って、今回の任務に尽くす者はないだろうと思っている」 
フィリップの眼差しに、ヴィクトルは、自分への深い信頼を、覚えた。 
クリスティーヌ王妃との間に、男の子が、三人もいるアレクセイ国王とは違って、今、フィリップに万一のことがあれば、潰えてしまうユースティティア王家だった。
そのような事態をもたらすことは、絶対に防がなくてはならなかった。
「君がいてくれれば心強い、ヴィクトル」 
国王からの厚い信頼が、ヴィクトルの胸を打たないはずは、なかった。 
「御意」 
ヴィクトルは、王命に身命を賭する覚悟を決めた。



 その後、ヴィクトルとアルトー大尉は、フィリップ国王の私邸の一部屋を与えられ、そちらへ場所を移した。 
ヴィクトルが、捜査の進捗状況をアルトー大尉に尋ねると、今は、王宮に仕える者全員の、身元を洗い出しているとの返答だった。
憲兵は今、老若男女、地位の高い低い、勤めの長い者、短い者、一切区別することなく、総力で、徹底的に、身元の確認にあたっていた。
王宮で勤める者は、当然、身分家柄の確かなものであり、下働きの者でも、確かな紹介状がなければ、王宮に仕えることはできなかった。 
身元に不備のあったものは、即刻、憲兵からの呼び出しを受け、詮議を受け、身元に確認がとれなければ、決して、身柄は解放されなかった。
アルトー大尉ひとりが、憲兵の制服姿で王宮内を歩いていたとしても、何か、用向きがあるのだろうとそう目立ちもしなかったし、今後起こりうる、緊急事態を考えれば、切れ味鋭いサーベルやピストルを、いつでも使えるように身に着けておいた方が、よかった。
けれどもさすがに、大勢の憲兵が制服で乗り込んで来れば、王宮で働く誰もが驚くことになると、憲兵たちは私服を着用していたが、それでも、王宮に勤める者は、見かけぬ顔が、憲兵だとすぐに気づいた。
王宮に、多数の憲兵が出入りし、王宮警備の近衛の数も増えるという異常事態に、王宮に仕える者たちは、一体何があったのだろうと、噂し合った。
ラ・フォートリエ王宮府長官から、事実を知るごく少数の上級職に対しては、箝口令が敷かれていたために、暗殺者が王宮内部に潜んでいる、という事実を知る者はなかったが、状況から、不審者が王宮に紛れ混んでいるらしい、と想像はついた。 
翌月、四月の半ばには、王宮で、フィリップ国王の即位記念式典があり、国賓や貴族たちが一斉に王宮に集まることになるため、不審者の排除に、万全の態勢で臨んでいるのだろうと、仕える者たちは推察したのだった。



 「シャルドンでの事件以降、王宮に仕える者の身元の洗い出しを、我々憲兵は、不眠不休で行っています。しかし、いくら先代国王までのお住まいである、絢爛豪華なブロンピュール宮殿とは違うと言っても、部屋数五百を超えるこのブルークレール宮殿に仕える者は、千人近くになります。その中から、たったひとりの敵を見つけ出すのです。並大抵のことではありません」 
アルトー大尉の顔は、疲労の色が濃かった。 
アルトー大尉もまた、シャルドンの事件以降、不眠不休に違いなかった。 
「だとしても、やるしかありません」
「シャリエ大尉・・・」
「逃げも、失敗も許されません。失敗は、つまり、陛下の死です、アルトー大尉」 
そこで、ヴィクトルは侍従を呼び、ブランケットを持って来るように、命じた。 
そして、侍従から手渡されたブランケットを、ヴィクトルは、アルトー大尉の胸に押し付け、懐中時計で時刻を確認しつつ、
「倒れることは、許されません。それは、職務放棄です。今、十一時を過ぎたところです。午後二時まで睡眠を。あなたも軍人なら、いつでも、どこででも、眠ることが出来るはずだ」 
そう告げた。
「シャリエ大尉は、これから何を?」 
「既に、憲兵が徹底的に捜索しているとは思いますが、自分の眼で、王宮内部に不審がないか、確認を。それから、憲兵たちの、身元確認作業の進捗状況を確認し、必要であれば、私も手伝います。ラ・フォートリエ王宮府長官が、作業に当たるあなたの部下に、私が今日から、一員に加わることを話しておくとのことですが、排他的な憲兵の事だ、私はよそ者扱いで、今後の務めに支障が出るでしょう。ですから、当面、私の行動は全て、アルトー大尉の指示を受けているということにしておきます。今日中に、あなたと、近衛隊長の大佐、そして私で、一度話し合いを持つ必要があるでしょう。我々軍人は、縄張り意識が強い。お互い、縄張り意識を捨てて、協力関係を築き、情報を共有しなくてはなりません」
「はっきり言いますね。だけど、中々鋭い。あなたの言うことは、当たっています」 
と、アルトー大尉は苦笑しつつ、
「しかし、あなたは私の部下ではありません。私とあなたは、協力関係にあります。部下には、私の方から、きちんと説明をしておきます。ですから、そろそろ、お互い、敬語はやめませんか、シャリエ大尉」
と、持ちかけた。 
ヴィクトルは笑って、
「そうだな、その方が、我々には相応しいようだ」 
そう答え、また後ほど、と、ドアを閉めた。 

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