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3、躾という名の体罰
しおりを挟むしばらく空を眺めた後、馬車に乗り込んで邸へと帰る。
邸に到着し玄関を開けると、すぐに「奥様がお呼びです」と、リビングに行くように使用人に言われた。言われた通り、リビングに行くと、義母とサンドラは楽しそうに話をしていた。
「お呼びでしょうか?」
二人は私に気付くと、指をさして大笑いした。
「あははははっ! 今日、学園は楽しかったでしょう? 私を怪我させたモニカは、学園中の人気者になれた! 誰だっけ、あの……モニカの親友のバカ女! すっかり信じちゃって、笑いを堪えるのが大変だったわ!」
自分を信じてくれた人を、バカ女呼ばわり……。エイリーンに同情するつもりは一切ないけれど、サンドラには人の心なんて分からない。笑い過ぎて涙を浮かべながら人を馬鹿にするサンドラの方こそ、滑稽に思える。腕に巻いていた包帯をするすると外し、その包帯を私に向かって投げつけた。
「こんなもんに騙されるなんて、ほんと単純。それ、捨てておいて。もう部屋に戻っていいわ」
今日のことを笑いながらバカにするだけのために、私は呼ばれたようだ。
包帯を拾い、部屋に戻ろうとすると……
「待ちなさい。台の上にうつ伏せになりなさい」
義母の声に、身体が硬直する。うつ伏せになれということは、ムチで打たれることを意味している。何が義母の地雷を踏んだのか……私は、「お呼びでしょうか?」としか口にしていない。理由などなく、ただ義母の機嫌が悪かっただけなのかもしれない。
言われた通り、素直にうつ伏せになる。
拒否すれば、使用人が次々にムチで打たれることになる。私一人で済むのなら、それが一番いい。
「お母様、今日は回数少なめにしてね。明日も学園があるのだから、怪我をしていたら私のせいにされかねないわ」
自分が使った手を、私も使うのではと思っているようだ(サンドラの怪我は嘘だったけれど)。助けを求められるのなら、とっくにそうしている。それが出来ないから、今こうしてうつ伏せになっている。
「大丈夫よ、モニカだって腐っても侯爵令嬢。貴族らしい歩き方くらい、心得ているわ。それに、これは躾よ。手加減なんてしないわ」
義母のストレス発散を、躾だと言い切る。
確かに私は、どんなに痛くても、それを他人に悟られたことはない。誰かに知られたところで、助けてもらえるわけではないからだ。躾だと言い張り、父が揉み消す。そして、私の代わりに使用人がムチで打たれることになるだろう。だから私は、必死で痛みを堪え続けている。
バーディ侯爵代理を、父以外に任せられる人はいない。母の親族は辺境伯が多く、王都で侯爵代理をすることが出来ない。父の親族なら可能だが、皆父のように自分のことしか考えない人だらけ。要するに、このまま我慢し続けるしか道がない。
けれど、ただ耐えているわけではなかった。義母やサンドラ、父にされたことは全て記録してある。いつかなにかの役に立てば……そう思って記録を始めたが、一年後にはそれが証拠になる。自分がしたことの責任は取るべきだ。
義母は楽しそうに、私をムチで打つ。この痛みには、慣れることは出来そうにない。必死に耐えている私を見ながら、サンドラは口元に笑みを浮かべている。
ムチは、特注品だ。少し短めに作ってあり、ムチの扱いに不慣れでも、ピンポイントで狙ったところに当てる事が出来る。そして、私が今うつ伏せになっている台も特注品だ。ムチ打ちをするためだけに作られた。
一回……二回……三回……痛いなんて言葉では、言い表せない程の激痛が走る。あまりの痛みに、気を失いそうになるのを必死に耐えていた。
十回……今日は、十回で終わった。
終わるとすぐに、私には興味がなくなる。さっさと部屋に戻るように言われ、使用人から化膿止めの薬を渡される。辛そうに顔を歪める使用人に、『顔に出してはダメ』と目で合図を送る。
物置部屋に戻ると、一気に力が抜けてその場にへたり込む。足の裏は更にぐしゃぐしゃになっていて、ヒリヒリしているのかジンジンしているのかズキズキしているのか……痛みの種類も分からないほど色々な痛みが押し寄せてくる。
今日は、もう動けそうにない。その場に横になると、意識が遠のいて気を失った。
気が付くと、朝になっていた。
井戸に行こうとドアを開けると、部屋の前にパンが乗せられたトレイが置いてあった。ノックの音にも気付かずに、眠っていたようだ。しかも、ドアの前で眠って居たのだから、ドアが開くはずもなく、仕方なく部屋の前に置いていったのだろう。
私に用意される夕飯のパンは、持って来る時に義母がチェックしている。このパンを持ち帰ってしまったら、今日の夕方まで食事抜きになる。だから使用人は、持ち帰らずに置いていってくれた。
日にちが経ってカチカチになったパンでも、私にとっては唯一の食事。カリカリと音を立てながら、ゆっくり崩してパンを食べる。食べ終わると、井戸に行き、水を汲んでくる。
昨日はあのまま眠ってしまったから、急いで髪を洗い、身体を拭く。
足を水につけると、声にならない悲鳴をあげる。傷口がしみて、今までにない痛みが襲って来る。すぐに冷やさなかったことで、悪化してしまったようだ。
化膿止めの薬を塗り、昨日サンドラから捨てるように言われた包帯を巻く。少しクッションがあるだけで、歩くのがだいぶ楽になった。
学園は、昨日と同じだった。
ヒソヒソと私の噂話をしながら、こちらを見ている。救いのない生活に、気が狂いそうになる。
あとたった一年……いいえ、あと一年もこんな生活を続けなければならない。必死に正気を保ち、耐え続けるしか私には道がない。
「モニカ様って、誰とでも夜を共にするんですって」
「私も聞いたわ! それが理由で、ルーファス様に婚約を破棄されたそうよ」
ヒソヒソだけでなく、堂々と聞こえるように悪口を言う人達も居る。どうやら、昨日なかった噂まで流れているようだ。
その噂は、サンドラが流した噂ではないと思った。サンドラは、ルーファス様が自分を選んだのだと自慢したいはず。私が浮気をしたから、サンドラを選んだなんて筋書きは望まない。
昨日エイリーンが言っていた、『これで終わりだと思わないことね!』という言葉は、このことだったのかもしれない。けれど、噂が増えたところで誰も話しかけては来ないのだから、変わりはない。でもまさか、エイリーンが嫌がらせみたいな噂まで流すとは思わなかった。
学園に入学してすぐに、エイリーンと友達になった。誰とでもすぐ仲良くなれる彼女は、いつも明るくて、見ていると私まで元気になれた。
あの頃は母も生きていて、幸せな毎日だった。母が亡くなって、父や義母、サンドラと暮らすようになってから、私の人生は変わってしまった。それでも、エイリーンと話すと元気をもらえていたのだけれど、今回のことで全てを失ってしまった。
門から校舎までの道が、長く感じる。そう思いながら重い足を一歩づつ進めていると、サンドラとルーファス様が仲良く登校して来た。
馬車から降り、二人は見つめ合う。その姿を見ていると、胸がチクチクと痛む。ルーファス様の隣に居るのは、私なのだとずっと思って来た。彼が私から離れて行くなんて、思いもしなかった。
サンドラの腕には、新しい包帯が巻かれている。折れた腕が、一日でくっつくはずはないのだから、しばらくは包帯を巻くつもりなのだろう。昨日、包帯を外して見せたのは、私に見せつける為だったようだ。
「モニカか……。まさか、お前がこんな卑劣な真似をするとは思っていなかった。もしまた、サンドラを傷付けたら許さないからな」
私に気付いたルーファス様は、私を心底軽蔑した目で見ている。分かっていたことだけれど、彼もサンドラを信じた。涙が溢れ出しそうになるのを、必死に堪える。泣いたって、何も変わらない。否定しても、信じてくれるはずがない。
ルーファス様の後ろで、サンドラは私に怯えている演技をしている。邸での彼女とは、まるで別人のよう。こんなに演技が上手いのだから、信じてしまうのも無理はないのかもしれない。
「……お幸せに」
何も言い返さず、それだけを口にしてその場を去る。何も言えなかったのではなく、何も言わなかった。もう彼は、私の婚約者ではない。もう彼は、私の知っている彼ではないのだから。
校舎に入ってすぐ、足が動かなくなった。
痛みがあるから……ではなく、教室に行きたくなかった。本当は、強い人間ではない。これまで耐えて来られたのは、自分らしくいられる場所があったから。それまで失ってしまった私に、あと一年も耐えるだけの気力が残されているのか……
教室に行くのをやめて、いつもの白いベンチに座り、池を眺める。
しばらくすると、生徒達の声が聞こえなくなった。授業が、始まったようだ。初めて、授業をサボってしまった。
すごく静かで、まるでこの世界に私しか居ないように感じる。そうなったら、楽なのに……そんなことを考えてしまうほど、追い詰められていた。
「このまま、消えてしまえればいいのに……」
そう呟くと……
「それは、困るな。今ここで、急に君が消えてしまったら、俺は毎日悪夢にうなされそうだ」
後ろから声が聞こえた。
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