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1、最悪の裏切り

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 愛する人と結婚をし、私は幸せな日々を送っていた。
 旦那様のグレッグ様は、優しく誠実な方で、いつだって私を一番に考えてくれる。仕事がお休みの日は、二人で出かけることが日課になっていた。今日も私達はオープンテラスのカフェで、街を眺めながらお茶を飲んでいた。
 
 「このお店、前から来たいと思っていました。連れて来てくださり、ありがとうございます」

 いつも私が行きたいところに連れて来てくれて、「エリスが楽しいなら、僕も楽しい」と言ってくれる。私のことを考えてくれる彼が、愛おしかった。

 「今、なにか聞こえなかったか?」

 「……なんだか、騒がしいですね」

 悲鳴のようなものが聞こえ、辺りを見渡す。すると、道の角を勢いよく曲がって来た馬車が、こちらに向かって迫って来ている!
 馬車には、馭者が乗っていない……馬が、暴走したようだ。
 ここから逃げなければ! そうは思っても、恐怖で足が動かない。そのまま真っ直ぐ、馬車がこちらに向かって突っ込んで来た!
 
 このままでは、グレッグ様に直撃してしまう。彼も私と同じで、恐怖から足が動かないようだった。

 「グレッグ様っ!!」

 恐怖よりも、グレッグ様を守りたいという気持ちが勝っていた。彼を勢いよく突き飛ばし、そのまま私は馬車にはねられて宙を舞った……

 そして、そのまま意識を失った。

 意識が薄れ行く中で、彼が私の名を呼ぶ声が聞こえた。
 良かった……彼は、無事みたい……



 ***

 
 
 ……私、生きてる……の?
 目を開けているつもりなのだけれど、辺りは真っ暗で何も見えない。今は、夜なのかもしれない。

 「誰かいる? 灯りを、つけてくれない?」

 「エリス!? 目を覚ましたのか!?」

 この声は、グレッグ様。
 ずっとついていてくれたのかと思うと、嬉しくなった。

 「グレッグ様、ご無事なのですね!」

 「ああ、君のおかげで僕は無事だよ! 暗いのは、目に包帯を巻いているからだ。良くなるまでは、不便だが我慢してくれ」

 目に包帯? 目を怪我したの?

 「そうなのですね……グレッグ様のお顔を見たかったのですが、我慢します」

 私は馬車にはねられ、テーブルの上に落下したのだそうだ。テーブルが真っ二つになり、カップが割れ、カップの破片が目に入ってしまい、医者が破片を取り除いた。グレッグ様はハッキリとは言わなかったけれど、私の目はもう、見えるようになることはないのだと悟った。それでも、彼が無事だったことを喜んでいた。

 それなのに……

 あれから、二ヶ月が経った。
 身体の痛みはすっかりなくなったけれど、視力は回復していない。一生見えるようにはならないと覚悟していたけれど、甘くみていた。真っ暗な闇の中にいるようで、部屋の中を歩くことさえ恐怖を感じる。誰かの手を借りないと、ベッドから動くことさえ出来なかった。
 食事をしても、視覚がないからか美味しく感じない。大好きだった絵画を見ることも、出来なくなってしまった。
 塞ぎ込むようになり、部屋からあまり出なくなった。そんな私に、彼は前と変わらず優しくしてくれている。彼に、重荷を背負わせたいわけじゃない……。光を失っても、私は生きている。愛する人も側に居てくれる。私は、前向きに生きる決意をした。
 事故から一年が過ぎた頃、やっと私は自分を取り戻し始めていた。邸の中なら一人で歩けるようになり、匂いや音を楽しめるようになった。


 「こんなところに居ると、風邪を引くぞ」

 庭のベンチに座っていると、グレッグ様が上着をかけてくれる。

 「ここが好きなんです。花の匂いが風で運ばれて来て、このベンチに座っていると心が癒されます」

 彼が隣に腰を下ろす気配がした。

 「それなら、もう少しここに居よう」

 こうして二人で過ごす時間が好き。彼となら、どんな困難でも乗り越えられる。そう思っていたのに、彼は違っていた……

 事故から一年二ヶ月が過ぎた頃、彼の変化に気付いた。
 あの事故から一度も、私達は夜を共にしていない。私のことを気遣ってくれているのだと、都合のいいように考えていた。彼が私に魅力を感じなくなったとは、思いたくなかったからだ。隠れて浮気されている分には、気付くことはなかっただろう。どんなに怪しくても、私は彼を信じてしまう。けれど、認めざるを得ないことが起こった。

 いつものように、庭のベンチに座っていると、くすくすと笑い声が聞こえた。最初は、使用人がおしゃべりをしているのだと気にしていなかった。
 次第に息遣いが荒くなり、キスをしているのだと分かった。かすかに聞こえた使用人の「旦那様……」という囁き声と、「愛している」という聞き覚えのある声。相手がグレッグ様なのだと確信した。小声で話せば気付かれないとでも思っているのか、私の近くで二人は激しくキスを交わしている。この状況があまりにもショックで、なんの反応も出来なかった。私が反応を示さないからか、二人は気付かれていないと判断し、余計に激しいキスを交わす。
 使用人の名前は、マチルダ。男爵令嬢で、私の親友だった。この邸に来た時、実家から一緒に来てもらった私の侍女だ。

 彼の裏切り……
 グレッグ様は、マチルダと浮気をしていた。二人の様子から、それは最近のことではないのだと分かる。裏切りに気付いても、何も言うことが出来なかった。それでも私は、彼の側に居たかったから。

 私が何も言わなかったからか、二人の行為はエスカレートしていった。
 部屋でソファーに座り、お茶を飲みながら寛いでいると、彼が訪ねてきた。マチルダも、一緒だ。

 シーツが擦れる音、ベッドが弾む音、激しい息遣い……二人は、私のベッドで愛し合っている。
 見えなくなったからか、聴覚が敏感になった。小さな音も、聞き取れるようになっていた。音だけで、今何が行われているのかが分かる。

 「……たまには、こうして二人の時間を持とう」

 彼は、行為を行いながら私と会話している。その言葉は、私に? それとも彼女に?
 愛する人が、目の前で他の女性と愛し合っている。こんな思いをする為に、私は生きているの?

 あれから二人は、何度も何度も何度も、私の目の前で行為を繰り返すようになっていた。それでも、いつか私の元に彼は戻って来てくれると信じてる。

 心が壊れてしまいそうな日々を懸命に耐えながら、さらに三ヶ月が過ぎた。
 相変わらず二人は、私の目の前で愛し合っている。私が反応しないから気付かれていないと思っているのか、気付かれても構わないと思っているのか、回数はどんどん増えて行った。
 グレッグ様に触れられたのは、いつが最後だったか……彼の温もりも思い出せなくなっていた。

 「エリス様、珍しいお茶が手に入ったのですが、いただきませんか?」

 マチルダが、上機嫌でお茶の準備を始めた。
 こんなに明るい声で話しかけられたのは、久しぶりだった。それは、罪悪感があるからだと思っていたのだけれど……

 「…………っ!!? ゴホッゴホッ!!」

 喉が、焼けるように熱い!!
 これは……毒!? 

 マチルダが用意したお茶を一口飲むと、まるで炎を飲み込んだかのような凄まじい痛みが走った。

 私を裏切ってグレッグ様と関係を持っただけでなく、私を殺そうというの!?

 「……ねえ、エリス。私ね、あなたが大嫌いだったの。侯爵家に生まれて、素敵な両親に愛されて育っただけでなく、グレッグ様と結婚するなんて……。でも今、グレッグ様は私を愛してるの! エリスが視力なんか失うから、彼が同情して別れてくれないのよ。だから、死んでよ」

 見えなくても分かる。私が苦しんでいる姿を見ながら、マチルダはきっと笑みを浮かべている。
 必死に耐えて来たのに、最後は殺されるなんて……。どうして、こんな目にあわなければならないの?

 苦しい……助けて……誰か……助けて…………グレッグ……様…………………………………………

 「ねえ、聞いているの? 一人で話して、私がバカみたいじゃない。そんなに血を吐いて、汚いなあ。エリス? …………もう死んじゃったの? あっけない」


 
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