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第三章 十一月の受難
再会3
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このタイミングで犯人が捕まったのは本当に運が良かった。
ルナの素性に関して探りを入れられたら、もっと面倒なことになっていただろう。
欲を言えば、もっと早くに捕まってほしかったが。
「ねえ、あの子どうなった? 梨奈ちゃんて子」
私は先程から気になっていたことを林に訊いた。
「元気だそうです。
もう、ご家族と合流してんじゃないすか」
部屋全体にホッとした空気が流れる。
林は面倒臭そうな口調ながら、一応は敬語であった。
取り調べの終盤で私にビビった手前、今さら態度を変えられないのだろう。
「ちょっと、お兄さん。
いつになったら帰らせてくれるのよ」
気怠げな冴子さんが鋭い言葉を浴びせるも、林は例によって全て「さぁせん」で通している。
梨奈ちゃんの家族の、これまでを思う。
私は一晩ルナと引き離されただけでも生きた心地がしなかった。
それが一ヶ月以上……。
まして、実の親なら。
想像するだけで胸が痛む。
本当に良かった。
あとは、とにかく眠いだけだ。
耐えられず、汚い長机に突っ伏した。
「僕の証言で、すぐに別人だと分かったはずです。
これだけ拘束時間が長かった理由を説明していただきたい」
佐山がキビキビと林を問い質している。
それは私も知りたい。岩崎家と連絡がつかない間、警察は裏で何をしていたのか。
「上に聞いてくれ」という林に、佐山は「あなたが把握していることを話せばいい」と詰め寄った。
突っ伏したまま聞いた彼の声は、珍しく尖っていた。
***
林によれば、きっかけは第三者からの情報提供だった。
道代のことだ。
最小限の内偵を済ませ、小山内・林コンビが私の部屋へ赴いた。
部屋にはルナがいた。
刑事二人は梨奈ちゃんだと判断、これで事件解決だと思われた。
ところが。
梨奈ちゃんの家族と、全く連絡が取れない。
実はこの時、梨奈ちゃんの母親は心労がたたって倒れ、入院していたのだ。
警察との連絡調整が二の次になるのは当然である。
一ヶ月以上、手がかりすら発見できない警察への不信感もあっただろう。
事件以来、岩崎家へのバッシングがインターネット上を騒がせている。
すぐ傍にいながら赤ちゃんを拐われるなど有り得ないと。
最も酷いのは誘拐狂言説だ。
赤ちゃんは両親によって既に殺害され、何処かに遺棄されているというのである。
意地の悪い記者からそれを聞かされた梨奈ちゃんの母親は、その場にくずおれた。
母親の入院を知らされていない警察は、戸惑いながらもルナを施設へ一時的に預け、私の取り調べを続けた。
いずれ岩崎家とも連絡がつくだろう。
その間に、私の自白を取ってしまおうと。
それくらい、警察全体が事件解決という空気に染まっていた。
一方、残された佐山も聴取を受けている。
佐山は、
「九月二十五日夜から翌朝にかけ、隣室から赤ちゃんの泣き声が聞こえていた。
翌日苦情を入れた」
と証言した。さらに、
「苦情を入れた際、具体的な騒音対策を聞くため部屋に上がって赤ちゃんを見た」
とも言っている。
これが二十六日のことだ。
事件の起こった二十七日より前にルナと関わった第三者。
極めて重要な彼の証言は、「容疑者と親しいから」という理由で裏取りされることはなかった。
つまり、揉み消されたのである。
そんな中、冴子さんが署に連行される。
彼女は、騒ぎを起こした理由についてこう説明した。
「大家が嘘の証言で友人を貶めようとしている」、
「自分が苦情を入れたのは事件より前の筈だ」と。
苦情を入れた際には佐山とも顔を合わせている。
警察側は、これも親しい者同士の口裏合わせだと聞き流したが、同じ時間帯に取り調べを受けていた私が息を吹き返し始めた。
すぐに落とせるだろうと踏んでいた容疑者が、やけに的を射たことを言う。
捜査陣に一点の迷いが生じた。
そうこうする内、ようやく岩崎家と連絡がつく。
数名の捜査員が、ルナを連れて確認に走った。
母親は言った。
「梨奈じゃない」
捜査陣は慌てふためいた。
そして混乱のさなか、あの一報が入る。
万引き犯の女が連れているベビーが、梨奈ちゃんにそっくりだと──。
ルナの素性に関して探りを入れられたら、もっと面倒なことになっていただろう。
欲を言えば、もっと早くに捕まってほしかったが。
「ねえ、あの子どうなった? 梨奈ちゃんて子」
私は先程から気になっていたことを林に訊いた。
「元気だそうです。
もう、ご家族と合流してんじゃないすか」
部屋全体にホッとした空気が流れる。
林は面倒臭そうな口調ながら、一応は敬語であった。
取り調べの終盤で私にビビった手前、今さら態度を変えられないのだろう。
「ちょっと、お兄さん。
いつになったら帰らせてくれるのよ」
気怠げな冴子さんが鋭い言葉を浴びせるも、林は例によって全て「さぁせん」で通している。
梨奈ちゃんの家族の、これまでを思う。
私は一晩ルナと引き離されただけでも生きた心地がしなかった。
それが一ヶ月以上……。
まして、実の親なら。
想像するだけで胸が痛む。
本当に良かった。
あとは、とにかく眠いだけだ。
耐えられず、汚い長机に突っ伏した。
「僕の証言で、すぐに別人だと分かったはずです。
これだけ拘束時間が長かった理由を説明していただきたい」
佐山がキビキビと林を問い質している。
それは私も知りたい。岩崎家と連絡がつかない間、警察は裏で何をしていたのか。
「上に聞いてくれ」という林に、佐山は「あなたが把握していることを話せばいい」と詰め寄った。
突っ伏したまま聞いた彼の声は、珍しく尖っていた。
***
林によれば、きっかけは第三者からの情報提供だった。
道代のことだ。
最小限の内偵を済ませ、小山内・林コンビが私の部屋へ赴いた。
部屋にはルナがいた。
刑事二人は梨奈ちゃんだと判断、これで事件解決だと思われた。
ところが。
梨奈ちゃんの家族と、全く連絡が取れない。
実はこの時、梨奈ちゃんの母親は心労がたたって倒れ、入院していたのだ。
警察との連絡調整が二の次になるのは当然である。
一ヶ月以上、手がかりすら発見できない警察への不信感もあっただろう。
事件以来、岩崎家へのバッシングがインターネット上を騒がせている。
すぐ傍にいながら赤ちゃんを拐われるなど有り得ないと。
最も酷いのは誘拐狂言説だ。
赤ちゃんは両親によって既に殺害され、何処かに遺棄されているというのである。
意地の悪い記者からそれを聞かされた梨奈ちゃんの母親は、その場にくずおれた。
母親の入院を知らされていない警察は、戸惑いながらもルナを施設へ一時的に預け、私の取り調べを続けた。
いずれ岩崎家とも連絡がつくだろう。
その間に、私の自白を取ってしまおうと。
それくらい、警察全体が事件解決という空気に染まっていた。
一方、残された佐山も聴取を受けている。
佐山は、
「九月二十五日夜から翌朝にかけ、隣室から赤ちゃんの泣き声が聞こえていた。
翌日苦情を入れた」
と証言した。さらに、
「苦情を入れた際、具体的な騒音対策を聞くため部屋に上がって赤ちゃんを見た」
とも言っている。
これが二十六日のことだ。
事件の起こった二十七日より前にルナと関わった第三者。
極めて重要な彼の証言は、「容疑者と親しいから」という理由で裏取りされることはなかった。
つまり、揉み消されたのである。
そんな中、冴子さんが署に連行される。
彼女は、騒ぎを起こした理由についてこう説明した。
「大家が嘘の証言で友人を貶めようとしている」、
「自分が苦情を入れたのは事件より前の筈だ」と。
苦情を入れた際には佐山とも顔を合わせている。
警察側は、これも親しい者同士の口裏合わせだと聞き流したが、同じ時間帯に取り調べを受けていた私が息を吹き返し始めた。
すぐに落とせるだろうと踏んでいた容疑者が、やけに的を射たことを言う。
捜査陣に一点の迷いが生じた。
そうこうする内、ようやく岩崎家と連絡がつく。
数名の捜査員が、ルナを連れて確認に走った。
母親は言った。
「梨奈じゃない」
捜査陣は慌てふためいた。
そして混乱のさなか、あの一報が入る。
万引き犯の女が連れているベビーが、梨奈ちゃんにそっくりだと──。
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