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第三章 十一月の受難

浮上3

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 小山内が目を剥いた。
 通報者が明かされることなどないだろうが、彼の様子は認めているも同然だった。


 「あーあ、あんなの信じちゃって。
 失態ね」


 「俺は何も言っとらんだろう」


 「あのオバサン、超いい加減よ。
 アパートじゃ有名」


 小山内は再び黙り込み、手の甲で額の汗を拭う。

 私は、あの時の挟間道代のニヤついた顔を思い出していた。
 スーパーのレジに続く列で、ジロジロと見てきた。

 あの後、通報したのか。
 または既に通報済みで、私がいつ捕まるか気にしていたのかもしれない。


 「佐山って人に聞いた方が早いって。
 どこかで事情聴取してるんでしょ?」


 佐山は証言しているはずだ。主に、について。
 小山内が渋面を作る。


 「親しい者の証言は参考にならん」


 周囲からは“親しい関係”に見えるのかしら。
 こんな時だが少々こそばゆい。

 それはさておき、小山内も苦しい言い訳を続けるものだ。
 取り敢えず裏を取るのが警察の仕事だろうが。


 「私は苦情を言われてる立場よ」


 そう。
 佐山が私の部屋に来るのは、元を正せばピーコのためだ。


 「あの時間に部屋に上がり込んどいて何が苦情だ」


 「な、じゃあ複数の証言があればどう?」


 やや狼狽えたのは小山内のせいではない。
 私の部屋で佐山との間に起こったを思い出したからである。


 「ルナの泣き声で、私は二人から苦情を受けたわ。
 佐山さんと、真上の辻島さんから」


 冴子さんの名前を出すと、小山内の片眉が動いた。


 「因みに、それは九月のお昼前」


 「その辻島という女性もだ。随分仲が良いようじゃないか。
 口裏を合わせる時間はあったろう」


 小山内は待っていたように指を突き出してくる。

 “女子会”のことだ。
 余計なことだけ調べてある。


 「さらに一日前の。友人に」


 「だから口裏合わせてんだろう!」


 「紙オムツとか買ってもらったの。
 お金、まだ返してなくてね。
 彼女、多分レシートくらい保管してるわ」


 ルナが現れたのは九月二十五日。
 私は麻由子に助けを求めた。

 二十六日。
 昼前に、佐山と冴子さんから苦情が入る。
 佐山は私の部屋に上がり、ルナの世話を手伝うと言った。

 その日の夕刻、挟間道代が確認にやって来る。
 冴子さんが道代にも苦情を入れたからだ。
 道代は嫌味を言った後、乳母車を置いていった。

 
 ララマートへ買い出しに出る。
 例の乳母車にルナを乗せて。
 事件が起こったのは、この日だ。


 つまり。
 事件より前に、複数の人間がルナと関わっている。


 「あんたたち、ババアの話しか聞いてないじゃん」


 思い込みの激しい大家。
 自発的に乳母車を貸し出してきた癖に。

 小山内は、顔を真っ赤にして「自分の立場を考えろ」と言った。
 が、目が泳いでいる。
 痛いところを突かれたのは間違いなかった。


 アパートの入居者全員に聞き込みをすれば、ルナの夜泣きが始まった時期は早々に明らかになるだろう。
 壁の薄いアパートのこと。
 迷惑に感じたのは、佐山や冴子さんだけではないはずだ。

 まったく、大家・挟間道代のいい加減さには恐れ入る。
 梨奈ちゃんにそっくりのベビーを見て舞い上がったとしても、だ。

 そして最も浅はかなのが、道代の証言を精査できなかった警察である。

 何故か岩崎家と接触できていないらしいことといい、明るみに出れば問題になることばかりではないか。



 「小山内しゃん」


 ふざけた呼び方をしたのは私ではない。
 戸口に、情けない顔で林がポツンと立っている。


 「何だ! ……ほあ!?」


 苛々と立ち上がり、林から何かの報告を受けた小山内は素っ頓狂な声を上げた。

 岩崎家と連絡がついたのだろうか。
 それにしては妙な反応だが。

 小山内が頭を抱えてフラついた。


 「お、小山内さーんっ!」


 茶番か。

 悲壮感もあらわに叫んだのは無論私ではない。
 林である。

 フラついた小山内は、そのまま事務机に手をついた。


 「帰っていいぞ」


 「えぇ?」


 疲労困憊の刑事二人を見比べる。

 釈放は願ってもないが、何で急に。
 正当に捜査されれば、これでもかという証拠がたくさんある。
 ぎゃふんと言ってほしかったのに。

 小山内は、やや頼りなくなりつつある頭髪を掻きむしり、ヤケクソのようなため息をついた。



 「本物が保護されたとよ」
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