36 / 130
第二章 十月の修羅場
修羅場3
しおりを挟む
「ご苦労様。ユイカさんに何て言い訳して出て来たの?」
「どうでもいいだろ」
「その慌てようじゃ、何か勘付かれてるでしょうね」
「……」
「もうすぐ赤ちゃんが生まれるって時に。
ユイカさんも可哀想」
憐れむように言ってやると、昌也がハッと顔を上げた。
表情がみるみる内に険しくなっていく。
「お前まさか……わざとユイカに近づいたのか!」
私のことをどこまで嫌な女に落とすつもりなのか。
未練がましい女が大切な家庭を壊しに来たとでも?
そんなパワーがあったら、どれだけ良かっただろう。
「偶然よ。あんたにそこまで執着ないって。
自惚れちゃって馬鹿じゃないの?」
昌也の口元が、わなわなと歪んだ。
怒ってる。
どうして昌也が怒るんだろう。
怒る権利があるのは私でしょ。
「私に言いががりつける暇があるなら、自分のことを何とかしたら?
入籍、してないんでしょ」
昌也がピクリと肩を震わす。
険しかった目の色が、初めて迷うように揺れた。
「知らないの? ユイカさんが悩んでるの。
健気にあんたを信じてるみたいだけど」
それきり沈黙が訪れる。
悠に一分近くは経っただろうか。
「……のせいだろうが」
ボソッと低い音がした。
初め、それが昌也の声だと認識できなかった。
「お前のせいだろうが!」
その声は怒号に変わる。
昌也は鬼のように目を剥いていた。
ルナが、くしゅくしゅと泣き出した。
昌也は少し声を落としたものの、ルナには目もくれない。
「お前、別れる時ゴネてたろ?
お陰で身動き取れなかったんだよ。逆恨みされても困るしな」
私は疫病神か。
何と身勝手な言い様だろう。言葉を失う。
ユイカさんが来月出産予定と分かっていれば、あとは簡単な計算。
昌也とユイカさんの間に新しい命が吹き込まれたのは、私たちがまだ一応付き合っていた頃である。
ベビー・アレルギーの影響で、私が昌也を否定してしまったことは確かだ。
でも、昌也は知らない。私がどれだけ苦しんだか。
私が苦しんでいる間に、ベビーはすくすく育っていた。
ユイカさんのお腹の中で。何も知らずに、ぬくぬくと。
目の前が滲んでいく。昌也の姿も周りの景色も混ぜこぜになった。
違う。悲しいんじゃない。これは悔し涙だ。
乳母車の籐製のカゴに、涙がボタッと染み込んだ。
ルナが身じろぎする気配がする。
クリアになった視界の真ん中で、昌也はうんざりしたような顔をしていた。
泣きたくて泣いてるんじゃない。
昌也は、いつも何も分かっていない。
「ホント変わらないわね、あんたは。全部人のせい……!」
往来だからと抑えていた声は、感情の爆発とともに荒々しくアスファルトに反響する。
気色ばむ昌也を遮って、私は続けた。
「あんたって昔からそう。
自分の覚悟の無さを人のせいにしてんじゃないわよ!!」
図星か。昌也がグッと詰まった。
その時──。
「思ったより早く帰りましたね」
明らかに他者が入り込む余地などない凍った空間に、異物が割り込んできた。
常に、己のスタンスを変えることがない者。
佐山だった。
「どうでもいいだろ」
「その慌てようじゃ、何か勘付かれてるでしょうね」
「……」
「もうすぐ赤ちゃんが生まれるって時に。
ユイカさんも可哀想」
憐れむように言ってやると、昌也がハッと顔を上げた。
表情がみるみる内に険しくなっていく。
「お前まさか……わざとユイカに近づいたのか!」
私のことをどこまで嫌な女に落とすつもりなのか。
未練がましい女が大切な家庭を壊しに来たとでも?
そんなパワーがあったら、どれだけ良かっただろう。
「偶然よ。あんたにそこまで執着ないって。
自惚れちゃって馬鹿じゃないの?」
昌也の口元が、わなわなと歪んだ。
怒ってる。
どうして昌也が怒るんだろう。
怒る権利があるのは私でしょ。
「私に言いががりつける暇があるなら、自分のことを何とかしたら?
入籍、してないんでしょ」
昌也がピクリと肩を震わす。
険しかった目の色が、初めて迷うように揺れた。
「知らないの? ユイカさんが悩んでるの。
健気にあんたを信じてるみたいだけど」
それきり沈黙が訪れる。
悠に一分近くは経っただろうか。
「……のせいだろうが」
ボソッと低い音がした。
初め、それが昌也の声だと認識できなかった。
「お前のせいだろうが!」
その声は怒号に変わる。
昌也は鬼のように目を剥いていた。
ルナが、くしゅくしゅと泣き出した。
昌也は少し声を落としたものの、ルナには目もくれない。
「お前、別れる時ゴネてたろ?
お陰で身動き取れなかったんだよ。逆恨みされても困るしな」
私は疫病神か。
何と身勝手な言い様だろう。言葉を失う。
ユイカさんが来月出産予定と分かっていれば、あとは簡単な計算。
昌也とユイカさんの間に新しい命が吹き込まれたのは、私たちがまだ一応付き合っていた頃である。
ベビー・アレルギーの影響で、私が昌也を否定してしまったことは確かだ。
でも、昌也は知らない。私がどれだけ苦しんだか。
私が苦しんでいる間に、ベビーはすくすく育っていた。
ユイカさんのお腹の中で。何も知らずに、ぬくぬくと。
目の前が滲んでいく。昌也の姿も周りの景色も混ぜこぜになった。
違う。悲しいんじゃない。これは悔し涙だ。
乳母車の籐製のカゴに、涙がボタッと染み込んだ。
ルナが身じろぎする気配がする。
クリアになった視界の真ん中で、昌也はうんざりしたような顔をしていた。
泣きたくて泣いてるんじゃない。
昌也は、いつも何も分かっていない。
「ホント変わらないわね、あんたは。全部人のせい……!」
往来だからと抑えていた声は、感情の爆発とともに荒々しくアスファルトに反響する。
気色ばむ昌也を遮って、私は続けた。
「あんたって昔からそう。
自分の覚悟の無さを人のせいにしてんじゃないわよ!!」
図星か。昌也がグッと詰まった。
その時──。
「思ったより早く帰りましたね」
明らかに他者が入り込む余地などない凍った空間に、異物が割り込んできた。
常に、己のスタンスを変えることがない者。
佐山だった。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。
梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。
あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。
その時までは。
どうか、幸せになってね。
愛しい人。
さようなら。
【完】あの、……どなたでしょうか?
桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー
爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」
見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は………
「あの、……どなたのことでしょうか?」
まさかの意味不明発言!!
今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!!
結末やいかに!!
*******************
執筆終了済みです。
〖完結〗私が死ねばいいのですね。
藍川みいな
恋愛
侯爵令嬢に生まれた、クレア・コール。
両親が亡くなり、叔父の養子になった。叔父のカーターは、クレアを使用人のように使い、気に入らないと殴りつける。
それでも懸命に生きていたが、ある日濡れ衣を着せられ連行される。
冤罪で地下牢に入れられたクレアを、この国を影で牛耳るデリード公爵が訪ねて来て愛人になれと言って来た。
クレアは愛するホルス王子をずっと待っていた。彼以外のものになる気はない。愛人にはならないと断ったが、デリード公爵は諦めるつもりはなかった。処刑される前日にまた来ると言い残し、デリード公爵は去って行く。
そのことを知ったカーターは、クレアに毒を渡し、死んでくれと頼んで来た。
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
全21話で完結になります。
冤罪から逃れるために全てを捨てた。
四折 柊
恋愛
王太子の婚約者だったオリビアは冤罪をかけられ捕縛されそうになり全てを捨てて家族と逃げた。そして以前留学していた国の恩師を頼り、新しい名前と身分を手に入れ幸せに過ごす。1年が過ぎ今が幸せだからこそ思い出してしまう。捨ててきた国や自分を陥れた人達が今どうしているのかを。(視点が何度も変わります)
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
【完結】忘れてください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。
貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。
夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。
貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。
もういいの。
私は貴方を解放する覚悟を決めた。
貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。
私の事は忘れてください。
※6月26日初回完結
7月12日2回目完結しました。
お読みいただきありがとうございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる