『謙信』

篠崎俊樹

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『謙信』

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 享禄三年一月二十一日、その男は、春日山城に生まれた。越後守護代長尾為景の四男として。そう、上杉謙信だ。幼名は、虎千代。ちょうど、越後が雪深い季節の、真っただ中であった。
 越後は大混乱中で、上杉家が治めてはいたものの、飾り物で、実際は、割拠状態であった。上杉家は関東管領の名家で、関東の後北条氏と通じ、関東の仕置きを担当していた。越後とて、例外ではなかった。謙信は当時、虎千代を称していたが、兄晴景が国を治める才覚がなく、度量とてないので、元服後、景虎を名乗り、下剋上を企てた。晴景を亡き者にするつもりでいたのだ。その絶好の時節は、天文十七年にやってきた。景虎を、守護代に擁立しようとする動きが広がり、越後の豪族楊北衆が、景虎を長尾家の当主としようと画策したのである、そこで、晴景は無能力者として、当主引退を勧告され、穏便に隠居を迫られ、景虎が春日山城に入城し、家督相続が完了する。十九歳の青年は、そのような若い年で、守護代となったのだ。
 また、当時の越後に影響力があったのは、室町幕府の十三代将軍足利義輝であった。義輝は、景虎を用心棒として頼り、越後国主の地位を安堵した。その後、一定の内乱等を経て、景虎は、二十二歳の若さで越後を統一する。これも、当時、暗黙裡に、武士に対して、権力を持っていた足利将軍家の力の賜物だ。
 越後を掌握した謙信が腐心したのは、甲斐の武田信玄との戦いであった。実に、五度にも亘る。川中島をめぐって、だ。信濃の要衝で、信玄はその地を、喉から手が出るほど、欲しがった。実際、信玄の権勢欲は異様なもので、泥炭地川中島に、繰り返し出兵し、信濃を併呑しに掛かった。また、信濃の豪族は、ほとんどが信玄の配下に組み込まれていて、謙信は――以下、こう呼称するが――、その豪族たちを助けるために、川中島に出陣し、援兵した。また、謙信は、関東管領職にこだわり、飾り物の管領に就任して、後北条氏を牽制した。また、謙信が、越前の一向一揆と戦う朝倉義景に援兵したのも、その古い、義侠心からだった。謙信は概して、昔気質の人間であった。関東管領や川中島利権、足利将軍家、そして、周辺の小豪族への援兵など、中央情勢とは程遠いものばかり、追い続けた。私は、謙信は、織田信長のように、新しい権力や、本当の意味での天下を見切ることができなかった、古い型式の武将だと踏む。また、実際、越後は、京から遠路だ。天下は取りづらい。
 また、重ねて言っておくと、謙信は、無益にも、何度も関東管領職を笠に着て、関東出兵を企てた。ここまで来ると、愚かの極みだ。後北条氏と戦うのは、無駄な時間と手間暇だった。それが分からなかった。ただただ、正義感と義侠心が成した業であり、ますます、天下取りから遠ざかる。また、京では、松永久秀や三好三人衆が、将軍義輝を誅殺する事件が起こり、ますます、将軍家の地位は失態・失墜した。そんな事実が、雪深いところにいる田舎大名には分からなかったようだ。
 謙信は、生涯を掛けて、越後から、越中、能登、飛騨などへ進出するにとどまった。そのうち、元亀四年七月、十五代将軍足利義昭が、信長によって、宇治槇島城を追われ、尊氏以来続いた室町幕府は滅亡する。また、長年の宿敵であった信玄も、労咳のため、病没し、周囲の状況は、刻々と変わりつつあった。
 越後の龍と謳われた謙信にとって、最晩年の戦いは、能登の平定や、一向一揆・旧幕府勢力・毛利輝元などと結んで、信長包囲網を作り、織田を、天下統一の道から、追い落とすことであった。しかし、この、時代錯誤的な、雪深い地の田舎大名に、それは叶わなかった。天正五年、謙信は、帰還した春日山城の厠で脳出血により倒れ、あえなく死去した。念願叶わぬ実力者――、それが上杉謙信その人であった。その後の天下が、中央情勢を上手く見た、織田信長の手に転がり込んだのは、いまさら、言うまでもない。
 最後に付記しておくと、謙信は時代錯誤であったこと、はなはだしい。北陸や関東だけを見て、畿内や中央の情勢に疎かった。そのことが仇となったのだ。実力を伴いながら、天下などとは程遠かった男、それが、幼名虎千代、成人後、数度名を変えた、上杉謙信その人だったのだ。
                                   (了)


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