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圏ガクの夏休み
後輩の気遣い
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いい事をして清々しい気分で食堂に戻ると、女神の姿は既になかった。霧夜氏に聞けば、女神は奉仕活動組のバスと入れ違いに下山するとの事でまだ車庫にいるらしいが、追いかける理由もないので、氏に勧められたお茶を啜りながら小吉さんの帰りを食堂で待った。ついでに女神が授けてくれたパンで早めの夕食を済ませ、明日への英気を養った。美味しいは正義。
畑仕事をしてきたと言う泥だらけの小吉さんと一緒に風呂に入り、心頭を滅却し夕食にも同席し(女神のパンがなければ発狂ものの苦行)仲良く地下の反省室に戻って就寝した。
いつ眠っているのかと心配になる霧夜氏に、夜中だけでもオレらの監督役を交代すると担任が声をかけていたが「まだ読み足りないので」の一言でバッサリと断っていた。
どれだけ読めば気が済むのか、読書家の感覚はまるで理解出来ないが、徹夜で反省文を書き散らかす気らしい稲継先輩を見て、満足そうに頷いていたので、担任の申し出を断ったのは、案外それが理由なのかもしれないなと詮無い事を思った。
そんな訳で、オレと小吉さんがぐっすり眠っている間に稲継先輩の反省は霧夜氏に認められ、晴れて女神の元で第二図書室の復旧に尽力する事となった。
きっと夢にまで見た再会だったに違いない。徹夜のせいで目の下にうっすら隈が見えたが、無駄に血色のいい顔をしている稲継先輩と連れだって、女神が待つ図書室へと向かった。だと言うのに目的の部屋を前にして、いきなり方向転換をし「小便だ」と言うなりオレの制止を無視して逃げ出しやがった。
このまま見捨て先に女神と謁見する訳にもいかず、後を追いかけるかと前途多難な一日を思いダラダラと足を動かしていると、便所から出て来た稲継先輩は余裕すら表情に滲ませる頼もしい姿を見せてくれた。
緊張で腹でも下したのかと思い大丈夫かと声をかけたら、何をバカな事を言ってやがると言いたげな視線が返ってくる。
「一発抜いてきたから問題ない」
問題ない所か大問題だった。妙にスッキリした顔してると思ったら、本当にスッキリさせてきていた。
「これで少々の事があろうと、おれは耐えられる。女神が乳さらけ出して迫ってきても、冷静に対処できる」
この童貞の頭の中では、どんな妄想が開花しているのか……そんな想定をする時点で冷静とは対極に居る事に気付け! 本当に少しだけだが、親近感を抱いてしまった自分が恥ずかしい。
「よし、行くぞ」
さっきまでシコっていたであろう手で髪を撫でつけ、不良マンガのワンシーンのように颯爽と歩き出す稲継先輩の肩を掴んで待ったをかける。
こんな状況じゃあなければ即座に一歩引いて道を開けたくなる、そんな相手を射竦める眼光を向けられたが、オレは一歩も引かずに口を開いた。
「第二図書室の扉を開く前に、下の窓を閉めた方がいいと思うよ、稲っち」
注意だけして先に図書室へ歩き出すと、全く気付いていなかったらしく背後で慌てる気配が、オレに出し抜かれると更に慌て勢いよくズボンのチャックを引き上げる音が聞こえた。
待て待てと小声で追いかけて来る稲っちを完全無視して、オレは第二図書室の扉を開いた。
「………………」
そして、稲っちが追いつく前に再び扉を閉めた。
期待していた嬉しいハプニングの代表例を引き当てたのだが、一瞬視界に映った女神の姿に頭の処理能力が全く追いついてこなかった。
作業着に着替える最中だったらしく、シャツを脱ごうとしている瞬間をオレは目撃してしまったのだ。そう、稲っちの妄想を半分現実にしたような女神の姿、女神の女神たる証、あの魅惑のおっぱいがさらけ出されていたのだ。服の上からでも分かる巨乳は、なんとさらしがきつく巻かれていた。
神々しいまでの大きさだと崇めていた胸が、さらしで押し潰されている状態のものだったなんて……ショックでオレは茫然自失する。あの無粋な布きれの下に隠された本来のおっぱいはどうなっているのか、考えただけでも立ち竦んでしまう事実に、稲っちへの暴言を全て訂正した。
否、オレもそれくらい備えておくべきだった。稲継先輩を見習って、オレも一回オナっておくべきだった。
「オレも便所に行ってきます」
善は急げと、その場を後にする。立ち位置をタッチ交代とばかりに押しつけ、来た道を小走りに駆けていると、背後から扉が開く音と「ノックくらいせんか!」女神の怒声、スパーンという快音に「ありがとうございまっすッ!」身代わりにされた稲っちの嬉しそうな声が聞こえてきた。
さすがにシコる気にはなれず、下半身が治まるのを待って図書室に戻ると、既に二人は黙々と作業を始めていた。女神の着替えを目撃した時、ちょうどシャツで視線が遮られていたので、偶然覗いてしまったのがオレだという事はバレてはおらずホッとしたが、軽く挨拶を済まして作業に参加すると、前日までの気さくな雰囲気はどこへやら、剣呑な空気が流れていた。
その原因は一目瞭然。着替えを覗かれた女神が怒っている……のではなく、ガチガチに緊張した稲継先輩の発する妙な殺気のせいだった。
「整理し終わった本を箱詰めしたいんだが、そこにある段ボール箱を組み立ててくれないか」
オレらに向かって女神が声をかけてくれたと言うのに、稲継先輩ときたら「ウッス」と愛想もクソもない返事しかせず、その眉間には不満を示すように深々と皺が刻まれている。片付けを手伝わされてる体だが、元はと言えばオレらが本の山を崩壊させたのが原因で、女神にわざわざ手伝って貰っていると言うのに一体何様のつもりなのか。
隙を見てケツを蹴り上げてやろうと思ったのだが、段ボールの組み立てが雑な稲継先輩を見かねて、女神がレクチャーを始めたのでオレは黙って割り振られた仕事、本の選別をしながら二人を見守る。
「運搬途中で底が抜けたら大変だからな。底はしっかりとガムテープで固定しておいてくれ。少しくらいなら構わないが、あまり大きくズレるのは駄目だ。こんな、ふうに、テープもギリギリで切るんじゃなくて、余裕を持たせて余った分は側面に貼り付ける」
至近距離で手取り足取りじゃないが、それに近いレクチャーだ。見ている方が無駄にドキドキしてしまう。稲っちは愛想のない返事すら出来ず、コクコクと必死に頷いていた。それを見ると、固い表情だった女神も、ふわっと口元を綻ばせて「頼んだぞ」と稲っちの肩を叩いた。そして、そのまま立ち上がった女神は、車に忘れたビニール紐を取って来ると言い部屋を出て行く。
痛みの伴わないスキンシップに震えるくらい感動しているらしく、その背中は小刻みに揺れている。ちょっとからかってやろうと近づくと、オレの接近に気付いたらしい稲継先輩は肩越しに振り返り「クソッ、情けねぇ」と積年のライバルを前に膝を付いたスポーツ選手のような声で呟いた。
「乳が揺れるのを目撃とかマジでヤバイぜ。女神が帰ってくる前に抜いてこねぇーと」
幻覚見てるよ、この人。あの状態の乳が揺れる訳ねーだろ! とツッコミたいが必死で押さえ込み、落ち着きのない童貞を注意する。
「稲継先輩なんですか、女神に対するあの態度は。緊張するのは分かりますけど、ちょっとは頑張ってでも明るく受け答えしましょうよ」
女神は気さくで話しやすい人だと思う。少々バカな事を言っても笑って許してくれそうな、大人の余裕がある人なのだから、当たって砕けるくらいでぶつかればいいと……思ったのだが、覗き込んだ先に見た稲継先輩の股間に出来たでっかいテントを目の当たりにして考えを改めた。
やっぱりこの人は図書室の隅っこの方で、本棚の影に隠れながら、遠目で女神を見ている方が幸せかもしれない……本人にとっても、女神にとっても。
オレのアドバイスに「どうしろって言うんだ」と怒り出したので、とりあえず女神の前でも真っ直ぐ立てるようにして来いと的確に指示を出す。渋々トイレに向かった稲継先輩を見送り、どうしたものかと頭を悩ませる。
「てか、なんでオレがこんな必死で頭使ってんだ」
そう気が付き、一人唸るのを止め、後は稲っち本人に男気を見せて貰おうと頭を切り換える。改めてグルリと室内を見回し、その半分以上の崩壊を招いた身としては、申し訳ない気持ちもあったが、一日や二日で片付く量ではないのだ。今日くらい、オレが抜けても大丈夫だろう。
方針が決まり、せめて二人が帰ってくるまでに少しでも作業を進める為、せっせと手を動かした。十分ほどでビニール紐やらハサミなどの道具を手に女神が帰還。女神を見送ってから便所を出たのか、その直後にすっきりした顔の稲継先輩も戻ってきた。
オレのアドバイスを聞き入れたのか、段ボール箱作りを出しにして、不器用なりに女神に話しかけ始めた稲継先輩を見届け、作戦を開始する。
「痛っ! は、腹が、腹が痛い」
芝居は大袈裟でなければ見ている人に伝わらない。オレはわざとらしく大声を出して、腹を抱えて蹲った。
すぐさま駆けつけてくれた女神に顔を見られないよう体を丸め込み、これまた大袈裟に呻いてみせる。
「大丈夫か? 自分で立てるか?」
心配そうな声に向かって、震える手を上げ「便所に行ってきてもいいですか」と息も絶え絶えに伝える。これに駄目だと答えられる人間はそうはいない。退出の許可を頂き、ついでに部屋で少し休んでもいいかと尋ねると、そちらも問題なく承諾してくれた。
図書室を出る時、チラリと稲継先輩の方へ視線をやる。不安そうにこっちを見ていた奴と目が合ったので、激励する代わりにニヤリと笑って見せてやった。腹痛が仮病だと悟った稲継先輩は、何か言いたげに立ち上がったが、状況がしっかり伝わった事を確認出来たので、問答無用に扉を閉めて童貞を野に解き放ってやった。
「ま、変な事にはならないだろう。最悪、悲鳴が聞こえてきたらダッシュで戻ればいいや」
多分その悲鳴は、女神ではなく稲継先輩のものだろうが。
全く気にならないと言えば嘘になるが、人の恋路にあれこれ勝手に悩むのは止めて、時間を潰せる場所へと足を向ける。
無人の校舎の最上階。部活便も出発した後なので、山センもいないだろう冷蔵庫で一人、海外ドラマの見逃した回を見ようかなと思ったが、自然とポケットから鍵を取り出し、先輩の部屋へと戻ってしまった。
日差しが照り付けだしたせいで、部屋は蒸し風呂、一直線に窓へと向かい全て全開にする。乾いた風が流れ込み、暑さが少しだけマシになった。
小さな冷蔵庫から野菜ジュースを取り出そうとしたのだが、久し振りにあの健康を害する甘さを摂取したくなって毒ジュースに手を伸ばす。
「うわっ、これは酷い。酷い味だ」
一吸いして、その甘さに口を歪める。先輩が辛そうな表情でストローを咥えていたのを思い出して苦笑してしまう。先輩の野菜ジュースのおかげか、いや圏ガクでの食生活全般のおかげかな。オレの味覚が正常に戻って、いつの間にか舌が毒ジュースの甘さを受け付けなくなっていた。
もったいないの精神で、チビチビと飲み進めるが限界が近くなり、オレはジュースから目を逸らすように机に突っ伏した。
ひんやりと冷たい机に頬を預けて目を瞑ると、学校を囲む森にいる虫の声だけが聞こえて、夏休みが始まってから……いや、圏ガクに来てからあまり感じる事のなかった孤独を実感した。
こんな山奥で、寝起きする場所ですら四人部屋なのだ。誰もいない場所なんて、そうそう存在しない。
「あいつらどうしてるかな」
同室の奴らの顔が思い浮かぶ。由々式は家でネトゲでもやってるんだろうと想像出来るが、皆元と狭間はどうしているのか全く分からなかった。
家族や家の事情は、大なり小なり皆持ち合わせている。だから、気にはなっても一歩踏み込むような真似はしなかった。ウザイと思われるのも面倒だし、オレ自身が人に知られたくない事情持ちだからな。
思考停止にぶつかり、頭の中をリセットする。考えたくない事には蓋をするのが一番だ。そう思えば思う程にソレは膨らんでいく。
スポーツバッグにねじ込んだ夏休みの仕送りとしては破格の金。あいつらが言い出しそうな言葉が、次々と頭の中に溢れかえり、目を瞑ったまま机に額をぶつけてストップをかけた。額が鈍く痛んで、ようやく下らない言葉の渦から抜け出せた。
一人は駄目だ。考えなくていい下らない事が、勝手に頭の中を埋めていくから質が悪い。そう気付き改めて、小吉さんたちの存在が有り難く感じた。夏休みに入ってからずっと、一緒にいてくれた小吉さん、はた迷惑だけど山センや稲継先輩、あと矢野君も。
腹も立つけど……こんな事を思うのは甚だ不本意だが、毎日がすごく楽しい。香月らの事を差し引いても、十分おつりがあるくらいには。
「こんな楽しい夏休みは初めてだ」
机から体を起こし、目の前にかけられたカレンダーを見つめる。
「こんな楽しくて、こんな寂しい夏休み初めてだ」
一人が当たり前だった去年までとは比べものにならないくらい楽しいのに……ふとした瞬間に寂しさがオレの中で沸き上がって、一人だと押さえが効かず、あっと言う間に溢れてしまう。
「先輩……寂しいよ」
先輩がいないのが、堪らなく寂しい。
畑仕事をしてきたと言う泥だらけの小吉さんと一緒に風呂に入り、心頭を滅却し夕食にも同席し(女神のパンがなければ発狂ものの苦行)仲良く地下の反省室に戻って就寝した。
いつ眠っているのかと心配になる霧夜氏に、夜中だけでもオレらの監督役を交代すると担任が声をかけていたが「まだ読み足りないので」の一言でバッサリと断っていた。
どれだけ読めば気が済むのか、読書家の感覚はまるで理解出来ないが、徹夜で反省文を書き散らかす気らしい稲継先輩を見て、満足そうに頷いていたので、担任の申し出を断ったのは、案外それが理由なのかもしれないなと詮無い事を思った。
そんな訳で、オレと小吉さんがぐっすり眠っている間に稲継先輩の反省は霧夜氏に認められ、晴れて女神の元で第二図書室の復旧に尽力する事となった。
きっと夢にまで見た再会だったに違いない。徹夜のせいで目の下にうっすら隈が見えたが、無駄に血色のいい顔をしている稲継先輩と連れだって、女神が待つ図書室へと向かった。だと言うのに目的の部屋を前にして、いきなり方向転換をし「小便だ」と言うなりオレの制止を無視して逃げ出しやがった。
このまま見捨て先に女神と謁見する訳にもいかず、後を追いかけるかと前途多難な一日を思いダラダラと足を動かしていると、便所から出て来た稲継先輩は余裕すら表情に滲ませる頼もしい姿を見せてくれた。
緊張で腹でも下したのかと思い大丈夫かと声をかけたら、何をバカな事を言ってやがると言いたげな視線が返ってくる。
「一発抜いてきたから問題ない」
問題ない所か大問題だった。妙にスッキリした顔してると思ったら、本当にスッキリさせてきていた。
「これで少々の事があろうと、おれは耐えられる。女神が乳さらけ出して迫ってきても、冷静に対処できる」
この童貞の頭の中では、どんな妄想が開花しているのか……そんな想定をする時点で冷静とは対極に居る事に気付け! 本当に少しだけだが、親近感を抱いてしまった自分が恥ずかしい。
「よし、行くぞ」
さっきまでシコっていたであろう手で髪を撫でつけ、不良マンガのワンシーンのように颯爽と歩き出す稲継先輩の肩を掴んで待ったをかける。
こんな状況じゃあなければ即座に一歩引いて道を開けたくなる、そんな相手を射竦める眼光を向けられたが、オレは一歩も引かずに口を開いた。
「第二図書室の扉を開く前に、下の窓を閉めた方がいいと思うよ、稲っち」
注意だけして先に図書室へ歩き出すと、全く気付いていなかったらしく背後で慌てる気配が、オレに出し抜かれると更に慌て勢いよくズボンのチャックを引き上げる音が聞こえた。
待て待てと小声で追いかけて来る稲っちを完全無視して、オレは第二図書室の扉を開いた。
「………………」
そして、稲っちが追いつく前に再び扉を閉めた。
期待していた嬉しいハプニングの代表例を引き当てたのだが、一瞬視界に映った女神の姿に頭の処理能力が全く追いついてこなかった。
作業着に着替える最中だったらしく、シャツを脱ごうとしている瞬間をオレは目撃してしまったのだ。そう、稲っちの妄想を半分現実にしたような女神の姿、女神の女神たる証、あの魅惑のおっぱいがさらけ出されていたのだ。服の上からでも分かる巨乳は、なんとさらしがきつく巻かれていた。
神々しいまでの大きさだと崇めていた胸が、さらしで押し潰されている状態のものだったなんて……ショックでオレは茫然自失する。あの無粋な布きれの下に隠された本来のおっぱいはどうなっているのか、考えただけでも立ち竦んでしまう事実に、稲っちへの暴言を全て訂正した。
否、オレもそれくらい備えておくべきだった。稲継先輩を見習って、オレも一回オナっておくべきだった。
「オレも便所に行ってきます」
善は急げと、その場を後にする。立ち位置をタッチ交代とばかりに押しつけ、来た道を小走りに駆けていると、背後から扉が開く音と「ノックくらいせんか!」女神の怒声、スパーンという快音に「ありがとうございまっすッ!」身代わりにされた稲っちの嬉しそうな声が聞こえてきた。
さすがにシコる気にはなれず、下半身が治まるのを待って図書室に戻ると、既に二人は黙々と作業を始めていた。女神の着替えを目撃した時、ちょうどシャツで視線が遮られていたので、偶然覗いてしまったのがオレだという事はバレてはおらずホッとしたが、軽く挨拶を済まして作業に参加すると、前日までの気さくな雰囲気はどこへやら、剣呑な空気が流れていた。
その原因は一目瞭然。着替えを覗かれた女神が怒っている……のではなく、ガチガチに緊張した稲継先輩の発する妙な殺気のせいだった。
「整理し終わった本を箱詰めしたいんだが、そこにある段ボール箱を組み立ててくれないか」
オレらに向かって女神が声をかけてくれたと言うのに、稲継先輩ときたら「ウッス」と愛想もクソもない返事しかせず、その眉間には不満を示すように深々と皺が刻まれている。片付けを手伝わされてる体だが、元はと言えばオレらが本の山を崩壊させたのが原因で、女神にわざわざ手伝って貰っていると言うのに一体何様のつもりなのか。
隙を見てケツを蹴り上げてやろうと思ったのだが、段ボールの組み立てが雑な稲継先輩を見かねて、女神がレクチャーを始めたのでオレは黙って割り振られた仕事、本の選別をしながら二人を見守る。
「運搬途中で底が抜けたら大変だからな。底はしっかりとガムテープで固定しておいてくれ。少しくらいなら構わないが、あまり大きくズレるのは駄目だ。こんな、ふうに、テープもギリギリで切るんじゃなくて、余裕を持たせて余った分は側面に貼り付ける」
至近距離で手取り足取りじゃないが、それに近いレクチャーだ。見ている方が無駄にドキドキしてしまう。稲っちは愛想のない返事すら出来ず、コクコクと必死に頷いていた。それを見ると、固い表情だった女神も、ふわっと口元を綻ばせて「頼んだぞ」と稲っちの肩を叩いた。そして、そのまま立ち上がった女神は、車に忘れたビニール紐を取って来ると言い部屋を出て行く。
痛みの伴わないスキンシップに震えるくらい感動しているらしく、その背中は小刻みに揺れている。ちょっとからかってやろうと近づくと、オレの接近に気付いたらしい稲継先輩は肩越しに振り返り「クソッ、情けねぇ」と積年のライバルを前に膝を付いたスポーツ選手のような声で呟いた。
「乳が揺れるのを目撃とかマジでヤバイぜ。女神が帰ってくる前に抜いてこねぇーと」
幻覚見てるよ、この人。あの状態の乳が揺れる訳ねーだろ! とツッコミたいが必死で押さえ込み、落ち着きのない童貞を注意する。
「稲継先輩なんですか、女神に対するあの態度は。緊張するのは分かりますけど、ちょっとは頑張ってでも明るく受け答えしましょうよ」
女神は気さくで話しやすい人だと思う。少々バカな事を言っても笑って許してくれそうな、大人の余裕がある人なのだから、当たって砕けるくらいでぶつかればいいと……思ったのだが、覗き込んだ先に見た稲継先輩の股間に出来たでっかいテントを目の当たりにして考えを改めた。
やっぱりこの人は図書室の隅っこの方で、本棚の影に隠れながら、遠目で女神を見ている方が幸せかもしれない……本人にとっても、女神にとっても。
オレのアドバイスに「どうしろって言うんだ」と怒り出したので、とりあえず女神の前でも真っ直ぐ立てるようにして来いと的確に指示を出す。渋々トイレに向かった稲継先輩を見送り、どうしたものかと頭を悩ませる。
「てか、なんでオレがこんな必死で頭使ってんだ」
そう気が付き、一人唸るのを止め、後は稲っち本人に男気を見せて貰おうと頭を切り換える。改めてグルリと室内を見回し、その半分以上の崩壊を招いた身としては、申し訳ない気持ちもあったが、一日や二日で片付く量ではないのだ。今日くらい、オレが抜けても大丈夫だろう。
方針が決まり、せめて二人が帰ってくるまでに少しでも作業を進める為、せっせと手を動かした。十分ほどでビニール紐やらハサミなどの道具を手に女神が帰還。女神を見送ってから便所を出たのか、その直後にすっきりした顔の稲継先輩も戻ってきた。
オレのアドバイスを聞き入れたのか、段ボール箱作りを出しにして、不器用なりに女神に話しかけ始めた稲継先輩を見届け、作戦を開始する。
「痛っ! は、腹が、腹が痛い」
芝居は大袈裟でなければ見ている人に伝わらない。オレはわざとらしく大声を出して、腹を抱えて蹲った。
すぐさま駆けつけてくれた女神に顔を見られないよう体を丸め込み、これまた大袈裟に呻いてみせる。
「大丈夫か? 自分で立てるか?」
心配そうな声に向かって、震える手を上げ「便所に行ってきてもいいですか」と息も絶え絶えに伝える。これに駄目だと答えられる人間はそうはいない。退出の許可を頂き、ついでに部屋で少し休んでもいいかと尋ねると、そちらも問題なく承諾してくれた。
図書室を出る時、チラリと稲継先輩の方へ視線をやる。不安そうにこっちを見ていた奴と目が合ったので、激励する代わりにニヤリと笑って見せてやった。腹痛が仮病だと悟った稲継先輩は、何か言いたげに立ち上がったが、状況がしっかり伝わった事を確認出来たので、問答無用に扉を閉めて童貞を野に解き放ってやった。
「ま、変な事にはならないだろう。最悪、悲鳴が聞こえてきたらダッシュで戻ればいいや」
多分その悲鳴は、女神ではなく稲継先輩のものだろうが。
全く気にならないと言えば嘘になるが、人の恋路にあれこれ勝手に悩むのは止めて、時間を潰せる場所へと足を向ける。
無人の校舎の最上階。部活便も出発した後なので、山センもいないだろう冷蔵庫で一人、海外ドラマの見逃した回を見ようかなと思ったが、自然とポケットから鍵を取り出し、先輩の部屋へと戻ってしまった。
日差しが照り付けだしたせいで、部屋は蒸し風呂、一直線に窓へと向かい全て全開にする。乾いた風が流れ込み、暑さが少しだけマシになった。
小さな冷蔵庫から野菜ジュースを取り出そうとしたのだが、久し振りにあの健康を害する甘さを摂取したくなって毒ジュースに手を伸ばす。
「うわっ、これは酷い。酷い味だ」
一吸いして、その甘さに口を歪める。先輩が辛そうな表情でストローを咥えていたのを思い出して苦笑してしまう。先輩の野菜ジュースのおかげか、いや圏ガクでの食生活全般のおかげかな。オレの味覚が正常に戻って、いつの間にか舌が毒ジュースの甘さを受け付けなくなっていた。
もったいないの精神で、チビチビと飲み進めるが限界が近くなり、オレはジュースから目を逸らすように机に突っ伏した。
ひんやりと冷たい机に頬を預けて目を瞑ると、学校を囲む森にいる虫の声だけが聞こえて、夏休みが始まってから……いや、圏ガクに来てからあまり感じる事のなかった孤独を実感した。
こんな山奥で、寝起きする場所ですら四人部屋なのだ。誰もいない場所なんて、そうそう存在しない。
「あいつらどうしてるかな」
同室の奴らの顔が思い浮かぶ。由々式は家でネトゲでもやってるんだろうと想像出来るが、皆元と狭間はどうしているのか全く分からなかった。
家族や家の事情は、大なり小なり皆持ち合わせている。だから、気にはなっても一歩踏み込むような真似はしなかった。ウザイと思われるのも面倒だし、オレ自身が人に知られたくない事情持ちだからな。
思考停止にぶつかり、頭の中をリセットする。考えたくない事には蓋をするのが一番だ。そう思えば思う程にソレは膨らんでいく。
スポーツバッグにねじ込んだ夏休みの仕送りとしては破格の金。あいつらが言い出しそうな言葉が、次々と頭の中に溢れかえり、目を瞑ったまま机に額をぶつけてストップをかけた。額が鈍く痛んで、ようやく下らない言葉の渦から抜け出せた。
一人は駄目だ。考えなくていい下らない事が、勝手に頭の中を埋めていくから質が悪い。そう気付き改めて、小吉さんたちの存在が有り難く感じた。夏休みに入ってからずっと、一緒にいてくれた小吉さん、はた迷惑だけど山センや稲継先輩、あと矢野君も。
腹も立つけど……こんな事を思うのは甚だ不本意だが、毎日がすごく楽しい。香月らの事を差し引いても、十分おつりがあるくらいには。
「こんな楽しい夏休みは初めてだ」
机から体を起こし、目の前にかけられたカレンダーを見つめる。
「こんな楽しくて、こんな寂しい夏休み初めてだ」
一人が当たり前だった去年までとは比べものにならないくらい楽しいのに……ふとした瞬間に寂しさがオレの中で沸き上がって、一人だと押さえが効かず、あっと言う間に溢れてしまう。
「先輩……寂しいよ」
先輩がいないのが、堪らなく寂しい。
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