圏ガク!!

はなッぱち

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圏ガクの夏休み

反省室での過ごし方

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 その日は小吉さんの鼾と霧夜氏がページを捲る音を聞きながら眠った。翌朝、勤勉な小吉さんを見送り、二度寝は回避し反省文に取りかかった。コピー用紙が丸々一束ある訳で、反省の言葉を片っ端から書き連ねても大した量にならず、仕方がないので、昔書かされた読書感想文の内容を思い出して、それらしいモノを書き続けていると、霧夜氏からそれまでの成果の提出を求められた。

 最初の方に書いていた反省文を読み終わると、霧夜氏は困ったように笑って「随分と手慣れていますねぇ」と痛い所を突いてきた。そして、読書感想文まで一通り読み終えた氏は、少し難しい顔をしながら、鉄格子越しにオレを見た。

「夷川君、『読書感想文』ではなく、本の内容は覚えていますか?」

 妙な言い方をされて一瞬分からなかったが、何かを盗用したのかと暗に問われているのだと気付き、慌てて弁解をする。

「すいません。それ、別に誰かが書いた文を真似た訳じゃなくて、自分で書いたのを思い出して書きました。その、小学校や中学の時にやらされたものを」

「いえ、大丈夫ですよ。そう疑っている訳ではないんです」

 言い訳にしか聞こえないオレの言葉を霧夜氏はピシャリと遮った。

「ただ、どうにも……これを書いたのは君なのでしょうが、どこにも……夷川君の気持ちが見えなかったもので。本当の君の感想が聞いてみたいなと思ったんです」

 本当のオレの感想。それはきっと、母さんが全て書き直せと言って破り捨てた、オレ一人で書いた最初の草稿の事だろうな。

「これは単なる私の趣味ですから、別に採点をするつもりはありません。だから、君が面白くないと思えば『つまらない』と、たった一言で終わらせてもいいんですよ」

 穏やかに微笑する霧夜氏は、黙ったままのオレをジッと見つめてくる。

「さっき、君は『やらされた』と言いました。その時は、授業の課題だったのでしょうが、今は違います。私は模範的な感想が聞きたい訳ではないのです」

 差し出されたのは古い一冊の本。表紙には中学の教科書に載っていた、有名な小説のタイトルが読み取れた。

「誰も文句など言いません。ただ純粋に自分の気持ちと向き合って下さい」

 オレが本を受け取ると、霧夜氏は自分の読書を再開させるべく、靴音を響かせながら席へと戻ってしまった。

 手元に残った本へ視線を落としながら、小さく溜め息を吐く。要するに、数時間かけて書いた反省文に丸ごと駄目出しを食らった訳だ。正攻法では全く通用しない雰囲気の霧夜氏から、謹慎期間の短縮を勝ち取るのは極めて困難だろう。もう諦めて期限いっぱいまで、独房生活を満喫してやろうかなと少し頭を過ぎったが、ベッドには足を向けずオレも机へ戻った。

 女神到着までに反省室を出る。稲継先輩の自業自得でもあるが、ここに入る事になった原因の半分はオレにある。出来る事があるなら全力でやるまでだ。そう気合いを入れ、渡された本に目を通すべく読書を開始したのだが、オレにはその作品の面白さは理解出来ず、ものの数分で机に突っ伏した。

 霧夜氏は自分の気持ちと向き合えと言っていたが、何度も意識を失いつつ読み進めるオレの心にある気持ちは一つだった。今すぐ挙手をして「チェンジ」と叫びたかったが、これ以上心証を悪くするのは避けたくて必死で読み進める。この段階で丸二日を要した。

 そこから、頭の中をこねくり回して感想文らしきモノを書き上げるのに丸一日。成果を手渡すと、それと交換に新しい本を差し出してくる霧夜氏を見た時、この圏ガクらしさが欠片もない老紳士の中に鬼を垣間見た。

 謹慎期間中のみならず、この夏休み中、この独房から脱出する事は無理かもしれない……そんな絶望感すら漂い出した四日目の昼。ようやく霧夜氏は胸ポケットから反省室の鍵を取り出してくれた。

 食事に風呂それから便所へ行く時は(それぞれの部屋に便器はあるが、本を読む場所で排泄音を聞きたくないとの事で)もれなく檻を開けてくれていたが、その時は霧夜氏に促され反省室を出る。オレに続いて稲継先輩も釈放してくれるものと思っていたが、何故か霧夜氏は通路の奥へは足を向けず、地上への階段を上り始めた。

「夷川君、付いて来て下さい」

 稲継先輩はどうなるのだろうと、立ち止まり背後を気にしていたが、相変わらずの健脚で地上に出た霧夜氏に呼ばれ、慌てて階段を駆け上がる。オレが付いて来たのを確認すると、またカツカツと競歩を始めるので、小走りに駆け寄り併走した。

「少し怒られてしまいましてねぇ」

 どこへ行くのか、稲継先輩は出してくれないのか、オレが尋ねる前に霧夜氏は歩く速度からは想像出来ない穏やかさで先に口を開いた。

「第二図書室の片付けを橘君に頼んだのですが、あまりの惨状に開いた口が塞がらないようだったので、事情を説明すると、君らを連れて来るよう言われました」

 女神は既に圏ガクに到着しているらしい。釈放されたのは女神からのご指名があったから、か。

「あの、それだったら稲継先輩も連れて行くべきだと思います。半分はあの人にも責任がありますから」

 チャンスを逃さず、霧夜氏に稲継先輩の釈放を進言すると、氏は足を止めて困った顔をこちらに向けた。

「反省室に入っただけでは反省した事にはなりません」

 まさかあの阿呆は何一つ反省文を提出していないのか? 

「稲継君の態度は反省が見て取れない……と、言わざるを得ないのです。彼なりに何か考えがあっての事かもしれませんが」

 何を考えてんだ、あの人は! こっちは少しでも早く反省室を出られるよう必死になっていたと言うのに……女神直々のご指名を見送るような真似しやがって。

「稲継君からは後で話を聞くつもりでいます。老体に地下室暮らしは堪えますのでね」

 今すぐ何か理由をつけて反省室へ戻り、稲継先輩に助言をしてくるべきだろうか。意地を張らずに反省の意思を見せろと。

「ですから、夷川君には頑張って貰いますよ。稲継君の分もしっかり彼女を手伝って下さいね」

 戻るべきか迷っていると、それを見透かすように霧夜氏が有無を言わさぬタイミングで声をかけてきた。そして話は終わったとばかりに、氏が再び廊下を爆歩し始めたので、置いて行かれないよう足を動かした。

 図書室に着くと、霧夜氏は数冊の本を手に取り、女神が作業中らしい第二図書室には顔も出さずにとんぼ返りされた。一人取り残されたオレは、氏の背中を見送り一瞬呆けてしまったが、いつまでも廊下で突っ立っている訳にもいかず、少し緊張しながらも扉に手をかけた。

 失礼しますと声をかけながら中に入ると、オレと稲継先輩が作り上げた本の海が何カ所か断ち割られ、床に敷かれたブルーシートが僅かながら覗いていた。そして、オレが立っている場所からでは見えないが、奥の方で誰かが動く気配がしている。作業に没頭中なのか、こちらには全く気付いて貰えず、どう声をかけようか迷っていると、ひょっこり女神が立ち上がった。

「ん……もう来ていたのか。先生は?」

 額の汗を肩にかけたタオルで拭いながら振り返り、オレを見つけた女神が、霧夜氏の所在を聞いてきたのでありのまま伝えると、苦笑しながら「そうか」と頷き、こちらに近づいて来た。

 緊張とは別の原因が心臓を鳴らす。こんな背の高い女の人を間近で見るのは初めてで、まずスケールに圧倒された。

 先輩の方が高いだろうが、それに近いものがある。後ろ髪は短いが何故か耳にかけられたサイドの髪は胸元まで垂れるほど長い。年齢は分かりづらく二十代後半から三十代前半といった所か。予想していたより年上だった。美形である事は確かだが、単純に美人とするにはクセのある顔立ちで、歌劇の男役などが似合いそうな雰囲気だ。化粧っ気もない。

「一人だけか? もう一人はどうした?」

 一歩近づく度にオレの視界を埋めにくる迫力に思わず生唾を飲み込む。小吉さんが言っていた『女神に讃えられる』正にその姿を目の当たりにして、なんか色々な所がショートしかかっている。

 デカイ。とにかく大きい。それが見てくれと言わんばかりにオレの視線の先にババーンとあるのだ。大きいは正義だ。大は小を兼ねる。

「おい、人の話を聞いているのか」

 パンと目の前で手を叩かれ、我に返る。見上げる先には女神の不機嫌そうな顔。

「すいません、えーっと、もう一人ですよね。あー、多分、遅れて来ます」

 圧倒的な圧迫感に視線が泳ぎまくる。てか、こう胸を中心に視線が行ったり来たりしてしまって、非常にマズイ。

 小吉さんの言葉に嘘はなかったな。この巨乳を前にしてアマゾネスなどと言える山センの感性は、やはり常人のそれとは違うのだろうと妙に納得してしまったのだが、見れば見るほどに、オレの大事な何かが女神に奪われているような気持ちに陥る。これはヤバイ。稲継先輩の事を笑っていられなくなる。

 心ここにあらずなオレに呆れたのか、女神は盛大に溜め息を吐いた。そして、更に一歩近づくと、スッとオレの方へすらりと長い手を伸ばしてきた。

「…………なに、してるんですか?」

 ポンポンと頭でも撫でるように、いきなりケツを触られて体が硬直した。ついでに言うと、化粧っ気がないのに、ふわっと香る女神の匂いに一気に自分の体温が上がるのを自覚する。

「いやなに、大した事ではないよ。尻の厚みを確認していただけだ」

 稲継先輩を差し置いて、オレはどうなってしまうのか! 期待と不安で頭がまともに働かなくなった頃、今度はオレの肩をポンと叩き「少しジッとしていろ」と女神は耳元で囁いた。

「尻に気合いを入れろ、吹っ飛ぶぞ」

 背後に回った女神の意味不明なかけ声が聞こえた次の瞬間、スパーンという乾いた音と共にオレは強烈な痛みに文字通り飛び上がった。両足が地面から離れるほどの衝撃がケツを襲ったのだ。ケツが横にも割れたんじゃないかと思う程の痛みで、オレは無様に床で蹲る。
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