圏ガク!!

はなッぱち

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圏ガクの夏休み

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 予想外に増えた労働力の燃料を確保する為、オレたちが向かったのは、村で唯一のパン屋さんだった。『梅川製パン』というレトロな看板が上げられている、この村の規模から考えると大きすぎると思われるその店からは、焼きたてパンのいい匂いがこれでもかと漂っている。

「色々な施設に卸してるお店だから、今回みたいな多少の無理も頼めるの。味も悪くないしね。確か、君たちの購買で売ってる総菜パンもここから仕入れてるはずよ」

 補習期間中に先輩と狭間のおかげでありつけた総菜パンの味を思い出し、朝食の期待値が上がる。

 開店前なのか店内の棚はどれも空っぽで、香ばしい匂いは店の奥から続いているようだ。好奇心から少し覗いてみると、パンを置く棚のような場所に、焼き上がったばかりの大きな食パンがずらりと並び、その横には何種類もの総菜パンや菓子パンが見えた。

 村主さんが店の奥に呼びかけている横で、オレと小吉さんは目の前の光景から目が背けられなくなっていた。「カレーパンだ」と呟く小吉さんの目はキラキラと輝き、ヨダレでも垂らしかねない勢いで口が半開きになっている。そこまでじゃあないと思いたいが、前に食べた時の味が頭の中を駆け巡っているオレも似たような状態だろう。

「やきたてのパンをご馳走してあげたい所だけど、急だったからね。全員分を用意出来るのはサンドウィッチだけだったの」

 ごめんなさいね、と申し訳なさそうな顔をする村主さんを前に、オレと小吉さんは慌てて誘惑を振り払う。美味しい物の前では、とことん無力な自分を情けなく思いつつも、必死で剥がさなければすぐに視線が店の奥へと向いてしまう……パンの匂いに完敗だった。

「小夜ちゃん、結構な量あるけど一人で運べるかい?」

 取り繕うのを諦めて、場を満たす至福の匂いを堪能していると、店の奥からパンを入れるケースを抱えたおっさんがのそりと出て来た。レジカウンターにケースをドンと置くと、たぬきみたいな腹をしたおっさんは、表情の分かりにくい能面みたいな顔をオレらに向ける。

「坊主ら、小夜ちゃんの手伝いか?」

 村主さんがそうだと答える前に、小吉さんが元気よく挨拶をし「手伝いです」と答えると、おっさんの口端は凶悪な吊り上がり方をして、気の弱いオレの隣に居る先輩は、ヒッと声を上げて硬直してしまった。

 パンケースの中には、購買で見かけるのとは違った、ちょっと豪華なサンドウィッチがずらりと並んでいた。購買のは、生野菜はキュウリくらいしか挟まっていないのだが、今日の朝食にはレタスやトマトがしっかりと見える。

 村主さんに促され、ケースを積み込み、しっかりゴム紐で固定すると、自転車は手押し車と化してしまった。改めて積んだケースを眺めると、十人以上の大所帯になったとは言え、かなりの量だった。

 準備を終え店内に戻ると、カウンターにはパック牛乳が置かれていた。数は十五くらいだろうか、こちらはビニール袋一つに収まっている。

「悪いな、今、店の車は全部出払っちまってて運んでやれない」

 牛乳を小吉さんに手渡しながら、おっさんは気の毒そうな顔をしていた。商売とは言え、無理を言ったのはこちらだろうに「大丈夫です」と答える小吉さんを見る目は、申し訳なさそうにショボショボしている。

 ちょっと待ってろと、店の奥に引っ込んだおっさんの背中を見送り、何とはなしに店の外へ視線をやると、たまたま外を通りかかった住人と目が合ってしまった。小吉さんを見習い大声で挨拶……は、ハードルが高くて無理そうだったので軽く会釈をしたのだが、あからさまに視線を逸らされてしまった。朝っぱらから嫌なモノを見た、そう顔に書かれているようだった。

「あまり気にしなくていいからね」

 オレのふて腐れた態度に気付いたのか、村主さんが苦笑しながら声をかけてくれる。

「あんな人ばっかりじゃないから……ね」

 村主さんは、そう言いながら器用に視線だけを店の奥へと向けた。

「ほれ、駄賃だ。食っていけ。旨いぞ」

 戻って来たおっさんの手にはトレーがあり、その上にパンが三つ乗っていた。それを見て「カレーパンだ!」とテンションがMAXになる小吉さん。いただきますと手を合わせると、躊躇なしにパンを掴んだので、オレも慌てて手を合わせる。

 村主さんとおっさんは、遠慮の欠片もないオレたちを笑いながら見ていたが、触れたパンの柔らかさに感動して、それどころではなかった。一口かぶって気付いたが、このカレーパン、ただのカレーパンではなかったのだ。なんと中に半熟の卵が入っている豪華版のカレーパンだった。

 そんな嬉しいサプライズがすっかり腹の中へと消える頃には、我ながら単純だなと思うのだが、さっき抱いたなんとも言えない不快感もきれいになくなっていた。

 朝食を調達後、公民館に戻ると、歯抜け共はだいぶ復活しており、柄の悪さを全開にしてオレらを出迎えた。背後に木刀を構えた教師が居るおかげで、いきなり絡んで来る事はなかったが、小吉さんを問答無用で泣かせる視線を村主さんにまで向けたのが、奴らの運の尽きだった。

「さすが男の子ね。すっかり元気は回復したみたいだし、頑張って貰いましょうか」

 礼儀知らずな学生に恐らく腸が煮えくり返っているであろう村主さんは、昨日とは打って変わってオレらに容赦なく仕事を課した。仕事内容は小吉さんが言っていた通り、雑草の生い茂った空き地の整備、草刈りだった。

 炎天下での草刈り作業は地獄だった。慣れない内は仕方無い、そんな言い訳すら許さない、厳しい駄目出しの連続で、食事を人質に絞れるだけ労力を絞り上げられ、結果午前中のノルマが達成された頃には、手も足もガクガクで朝と変わりないのは小吉さんのみ。

 残留一年はオレも含めて全員、文句の一つも口に出せず、戻って来た公民館の机に突っ伏していた。

 引率の教師と村主さんが監督役を務める奉仕作業では、歯抜け共に絡まれる心配はなさそうなのが唯一の救いだな。一緒にいてくれる小吉さんに迷惑かけないで済むのは、本当にありがたい。睨まれただけで泣いてしまう人なのだ。ケンカとは無縁な所にいて欲しいと切実に思う。

 時計の針が正午をしっかり回った頃、同じようにずっと炎天下で作業していた村主さんが、微塵の疲れも見せずに食事の準備が出来たと、オレたちを呼びに来てくれた。食事は実習室に用意してあるらしく、重い体を引きずりながら、昨日と同じ部屋へ向かうと、階段途中からいい匂いが鼻孔をくすぐり、にわかに場が活気づく。

 その日の献立は、なんとハンバーグ。昨日と同じく争奪戦を繰り広げながら、無駄に賑やかな昼食となった。美味しい物で腹を満たすと、人間素直になるのか、山センと小吉さんに倣い歯抜け共もしっかりと頭を下げて感謝を示していたのは意外だった。

 昨日のダメージが抜けないのか、矢野は稲継先輩と同じく学校に残ったらしく、今日は姿を見かけなかった。

 地獄のハーレムを運営する山センは『彼女たち』への手土産として、歯抜け共にも課外活動のお誘いを熱心にしているなーと思っていたら、見事勧誘に成功したのか公民館を出て行く山センの後ろに数名の残留一年の姿が見えた。一緒に成り行きを(面白半分に)見守っていたオレと小吉さんは、その後ろ姿に合掌して笑った。

 午後からは、昨日と同じく自由時間……とはいかず、会議室にて夏休みの課題をやらされた。木刀で素振りをする教師が目の前に居るせいか(私語をする奴らがいないおかげで無駄に集中出来る環境だったのだ)課題はやたらと捗った。

 夕食のつまみ食いは出来なかったが、間食としてケーキみたいなおやつまで用意されていて、胃袋的には大満足な一日だった。

 学校への帰り道、初の奉仕作業での心地良いとは言い難い特大の疲れが、激しい揺れのバスですら眠気を呼び、オレは知らず小吉さんにもたれて爆睡してしまった。オレだけでなく、恐らく小吉さん以外はもれなく同じ状態だっただろう……いや、山センの生け贄になった奴はもっと悲惨かな。昨日の矢野と同じ状態で戻って来たからな。精も根も尽き果てた姿は、遺恨のある相手であろうと憐れに思え、ちょっと複雑な気持ちになった。

 昨日と同じくらいの時間に学校へ戻ると、奉仕作業に出ていたオレらは、早々に風呂に入った。自分の汗と雑草の臭いを石けんで洗い流す。正直、人の口を便所代わりにしようとした奴らの前で服を脱ぐのは、多少なりとも不安に思う所はあったが、引率だった野村も一緒だったので心置きなく湯を浴びた。本当は疲れ切った体を熱めの湯で癒やしたかったが、夏場は湯船に湯を張らないので、風呂桶に溜めた湯を頭から被る事で我慢する。

 夕食後、日はすっかり落ちたが、帰りのバスで眠ったせいか、昨日みたいにすぐに眠気はやって来なかった。山センたちは海外ドラマの続きを冷蔵庫で見ていたが、昨日早めに眠ったせいか数話見逃してしまったオレは、ドラマの展開について行けず面白くないので、眠たくなるまで先輩の部屋で過ごす事にした。香月たちに汚された部屋を片付けようと思ったのだ。

 圏ガクに来て、すっかり馴染みのなくなった鍵を取り出し、部屋に入るとムワッと昼間の熱気が籠もっていたのか、押し寄せる蒸し暑さに回れ右しそうになる。

「部屋の片付けか?」

 無意識に冷蔵庫へ戻ろうとしたオレを引き止めてくれたのは、どこから補充してきたのかトマトを抱えた小吉さんだった。事情を話すと、付き合ってくれると言うので、二人で部屋の片付けをする事になった。
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