圏ガク!!

はなッぱち

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新学期!!

寮長の決意

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「じゃあ……入れますよ」

「あぁ、頼む」

 覚悟を決めて更に一歩、寮長に近寄ると、何を考えているのか目を閉じやがった。きっとコンタクトを入れやすいようにだろうが、顎をやや上に向ける仕草は、完全にアレだった。

「まだか?」

 まるでキスを待っているような顔でそう言われると、無意識に大きく喉が鳴って思わず一歩退いてしまった。

「あの……なんで、目ぇ閉じてんですか? 今から目玉にレンズはめ込むんですよ」

 寮長はオレの声に反応して、小さく睫を震わせ眉を顰める。

「目を開けて待つのは苦手だ。全てお前に任せる。お前のタイミングで開いて入れて欲しい。……操にはそうして貰っていた」

 性悪、超過保護っ! てか、本気で純粋培養されたお坊ちゃんなんだな、この人。よく今日まで圏ガクで生きてこられたもんだ。

 よく見ると肘掛けに置いた手が、強く握り拳を作っていた。溜め息が出た。

 改めて、指先にコンタクトレンズを構える。空いている方の手をシャツで軽く拭って、ゆっくりと寮長の瞼に触れた。薄い瞼を果物の皮でも剥くように開かせ『これでいいのか、大丈夫か?』と思いながらも、黒目に被せるようレンズを乗せ、そっと指を離す。

「……もう片方も頼む」

 調整するように、二度三度まばたきを繰り返した寮長は、また両目を瞑り顎を上げた。その様子に安堵して、残った方も同じように繰り返し、他人の目を使ってコンタクトレンズの初体験を無事に完了した。

 両目共にしっかりとレンズを装着した寮長は、緊張から解かれた自分の手に視線を落とした後、こちらに顔を向けた。

「……お前は、そんな顔をしていたのだな、夷川」

 真っ直ぐオレを見て、何故か驚いた表情を浮かべる寮長。実に失礼な反応だが、何をやっても絵になるような奴から言われると、まともに返す言葉がなかった。

「……こんな顔で悪かったな」

 どんな顔だと思っていたのやら。無事に寮長の視界を復活させるという大役を終え、オレはベッドに腰を下ろす。車椅子の寮長と同じ高さで正面から向き合うと、しっかり焦点の合った目とぶつかった。

「気を悪くしたか? すまない、意外だったのでな。きれいな目をしているなと思っただけだ。他意はない」

 きれいな目をしているな? 聞き慣れない言葉に思わず「はぁ?」と後輩にとって命取りな受け答えをしてしまう。まあ、寮長はいきなり人を殴ったり蹴ったりしないだろうが。

「何か言いたそうだな。言いたい事があるならば聞こう、どうした?」

 直接の暴力に訴える事をせずとも伝わる不穏な雰囲気。オレの相槌は寮長の機嫌を損ねるのに十分な効果を発揮した。

「あぁー……冗談ですよね。すいません、笑い損ねました」

 不本意ながら軽く頭を下げる。馬鹿にするなら、もっと分かりやすい言い回しを使え。金持ちの学校とかでは、こんな頭の痛くなるような嫌味を言い合っているのかと思うと反吐が出る。文字通り住んでる世界が違うと、妙に納得してしまった。

「おかしな事を言う。お前には何が冗談に聞こえたんだ」

 こっちは納得したのに、寮長は不機嫌そうに顔を顰めながら詰問してくる。

 他人の目玉に触れるという異常事態を挟み、先輩や手帳の事にしか意識が向かなかった状態から脱し、後輩という自覚で目の前の底の知れない上級生との距離感が正常に戻ったのに、真面目に相手するのが面倒になってきた。

「目がきれいとか、男相手に言う台詞じゃねぇだろ。いや男とかそれ以前の問題だ。女口説く時でも止めといた方がいいと思いますよ」

 冗談にしか思えないくっさい台詞でも、寮長が言うと笑えないから質が悪いのだ。いやもしかして……女はそういうの好きなのかな。歯の浮くような台詞でも、こう浮き世離れした感じが素敵みたいな流れになるんだろうか。

「そうか……では言い直そう。お前の目は澄んでいて、僕としてはそれを好ましく思う」

「オレを口説いてどうすんだよ」

「はは、お前の冗談は笑えたよ」

 目が笑ってねぇよ。自分から振ってきたくせに怒るとか、住んでる世界が違っていても圏ガクで一年以上過ごせば皆同じか。

「手帳を見せてくれ。確認したい事がある」

 寮長は後輩を萎縮させる表情を消し、静かに手を差し出した。オレは黙って手帳を手渡す。会長と違い寮長は、手帳を先輩のじいちゃんの気持ちをなかった事にはしないと、確信があったので迷わなかった。

 静かにページを捲る音を聞く。手元ではなくオレも尽力した目元を見ながら。

 ほんの少し……手帳の内容を読み聞かせてくれるかもしれないと期待したが、寮長は一言も発せず、黙って手帳に視線を落とすだけだった。

 淡々と同じペースでページを捲っていた手がピタリと止まった。寮長が息を呑んだのが分かった。

 一瞬見ひらかれ、沈痛な色を浮かばせたのは、きっと最後のページ。先輩のじいちゃんが最後に書き残した言葉。

 呼吸を思い出すように、寮長は息を吐く。そして、残った余白をパラパラと簡単に確認して手帳を閉じた。

「手間をかけさせたな」

 フッと表情を和らげて寮長は手帳をオレへと戻した。

「おかげで迷いがなくなったよ」

 清々しいまでに完璧な美である寮長の微笑は、どうしてか真っ直ぐにこちらへ向けられている。一瞬、見惚れそうになったが、手の中の現実が理性を引き止めた。

「僕の気持ちは固まった。金城先輩が生まれてから、城井浩太郎が死ぬまでの間に注がれていた彼の想い、その全てを信用する」

 城井浩太郎を信用する、寮長はそう宣言した。

「先輩を……許すって事ですか?」

 オレが改めて聞き返すと、絵画のような男が僅かだけ人間臭い表情を見せた。

「僕自身の話をするならば、許すも許さないもない。僕は金城先輩に命を、人生を救われたのだからな」

 その言葉に胸や目が熱くなる。何かが零れ落ちてしまいそうなくらい。

「お前はどう考えているんだ。金城先輩はどうするべきだと思う?」

 寮長の問いにオレは震える声で、けれど迷いなく即答する。

「先輩には、自分の為に生きて欲しい。自分で望んで、生きて欲しい」

 熱い頬を伝って涙が落ちた。熱くなった胸が痛い。自分で口にした言葉がはね返って突き刺さった。

「恐らく、金城先輩は全てを知っている。きっと、理解してしまっている。自分が背負っている全てを認識している」

 寮長の表情も辛そうに歪む。

「金城先輩は、僕と操を助けた。捜し出して逃がしてくれた」

 寮長の呟く言葉の違和感に知らず体が反応する。縋るように視線を合わせると、絶望的な言葉が続いた。

「きっと、自分に助けられる誰かを捜していた。船を沈め、多くの人を殺める中でな」

 刑事のオッサンは『全て片付いている』と言った。先輩が関わった事件、それらの罪に問われる事はないという意味だろう。
 でも、ソレは確実にあるんだ。

 笹倉みたいなクズにだって罪悪感を抱いてしまうような人だ。きっと自分のしてきた事を全て……馬鹿みたいに全部抱えたままだ。

「僕らが望んでいる未来は、金城先輩にとって何より残酷な道だと思う」

 寮長に言われなくても分かる。会長に言われなくても分かる。

 先輩は……強い人ではない。オレが思っているより、繊細で、脆い。

「それでも、僕は信じようと思う。彼を愛し守ろうとした人の想いと、自分の直感を」

 寮長の手のひらが、オレの流れ続ける涙を塞き止めた。ひんやりとした感触が涙を吸い取ってくれたのか、壊れたように溢れていた涙が止まる。

「時間はまだある。悩め、夷川。ゆっくりでいい、手帳を読み解いて、自分が金城先輩に何をしてやれるか、考えろ」
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