圏ガク!!

はなッぱち

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新学期!!

我慢の時

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 もろに食らってしまったせいで、まともに身動きが取れない。股間を押さえ床を這いつくばり、呻きながら芋虫のようにエレベーターを目指す。

 朗報のおかげか、はたまた金的の痛みが感情を吹っ飛ばしたのか、溢れ出ていた涙はピタリと止まった。まあ、感情とは別の理由で目が滲んでいる訳だが、丁度良い隠れ蓑になるだろう。金的の痛みは男が泣いていい理由の一つだからな。

 エレベーターにまでたどり着く頃には、なんとか立ち上がる事が出来た。来た時と同様にカードキーをかざし、先輩の元へと急ぐ。一階で三年に出くわしてしまったが、絡まれる前に新館を飛び出した。

 戻って来たという事は、どこかへ行っていたのだろう一秒でも早く先輩に会いたくて、オレは校舎ではなく、その先、車庫のある方へと走る。

 基本的に校外へ出る時は、引率教師の運転する車やバスに乗らなければならない。先輩は夏休みに徒歩で戻って来ていたが、あれは例外だ。徒歩で校外に出る事は校則で禁止されている。

「先輩!」

 真っ直ぐ車庫へ向かう途中に、オレはその姿を見つけて大声で叫んだ。校舎の自室に戻るつもりなんだろう、覇気のない足取りの先輩が目の前に居た。

 股間の痛みを無視して全力で走るが、いくら呼びかけても、疲れているのか先輩はオレの声に気付いていないようだった。それでも、オレは先輩が目の前に、手の届く所に居る事が嬉しくて、思い切りその体に飛び付いた。

「先輩、どこ行ってたんだよ、すげぇ心配したんだぞ!」

 人目も気にせず、オレは先輩に抱きつき、その胸に顔を埋める……つもりだった。

「せん、ぱい?」

 反射的に伸ばした手が、砂利に押しつけられ痛い。手だけでなくケツも同じく痛い。

 何が起こったのか分からなかった。

 見上げると先輩が辛そうな顔で、オレを見下ろしている。無造作に突き出された先輩の手を見つめると、先輩も同じく自分の手を見つめた。

「すまん、そういうつもりじゃ……いや……悪い」

 先輩は気まずそうにモゴモゴ言いながら、手を差し伸べてくれる。そこでようやく、先輩に突き飛ばされたんだと理解した。

「こっちこそ、ごめん。いきなり飛び付いたりして、その、ごめん、驚かせたよな」

 差し出された手を握ると、先輩の手が一瞬、怯えるように震える。

『お前は金城が手を離した事すら気付いていないのだな』

 会長の声が頭に浮かんで、振り払われそうな気配に、オレは自然と握る手に力を込めた。

「補習だと思ってたのに、学校にいなくて心配したんだぞ。どこ行ってたの?」

 責める口調にならないよう、慎重に言葉を選ぶ。先輩の答えは返ってこない。握ったままの手がじっとり汗ばむ。

「……まあ、ちゃんと夕食の前には帰って来たし問題ねぇか。先輩、腹減ってる? すぐ食堂に行くなら、オレ先に部屋行って待って」

「すまん……セイシュン」

 先輩の部屋で待ってると言い終わる前に、酷く落ち込んだ声がオレの名前を呼んだ。
 返事をせず、顔も上げずに握った手を見つめていると、オレの手に先輩の手がソッと重ねられた。

「すまん、今は一人にしてくれないか」

 オレの指を外そうとする先輩の手に抗って、全力の握力を披露してやる。

「いやだ。せんぱいの、そばにいる」

 先輩の手を離したくなくて、意味などないと分かっていても、会長の言葉を覆したくて意地になった。

「セイシュン」

 顔を上げなくても分かる。声を聞けば、どんな表情を浮かべているのか分かってしまう。

「一人で……考えたい事があるんだ。……頼む」

「オレ、静かにしてるから……先輩の邪魔しないように、大人しく隅の方にいるから」

 懇願する為に顔を上げて、一瞬で後悔に突き落とされ溺れた。先輩を心底困らせているんだなと実感させられ、オレはじっとりと湿った手をゆっくり開く。

「すまん」

 オレが手を離すと、先輩は少しだけ笑おうとして失敗した。いつもやるみたいに、オレの頭へ伸ばそうとした手に気付いて、何かを握り潰すように拳を震わせる。

 今この場で引き止める事を諦めたオレを置いて、先輩はしっかりした足取りで校舎へと歩いて行った。

「一人にしてやるのは、今だけだからな」

 少しは気力が戻ったらしい先輩の姿を見送り、オレは自分の不甲斐なさを棚上げにして、気持ちを切り替えた。

 先輩とは逆方向、先輩が来た道をたどるように歩き出す。砂利を踏みしめながら、車庫へと向かう。途中、面識のない三年と数人すれ違った。そいつらを捕まえて吐かせるという選択肢もあったが、確実性に欠けると思いスルーした。

 車庫にたどり着くと、思った通り一人の教師が怠そうに喫煙所でタバコを吹かしていた。誰であろうと声をかけるつもりだったが、ありがたい事に休日労働に駆り出されていたのはオレの担任だった。

「先生、聞きたい事があるんですが、いいですか」

 教え子が近寄ってくるのに気がついた担任は、オレの用件を予想出来たのだろう、あからさまに溜め息を吐きながらも「なんだ?」と先を促してくれた。

「今日、何の引率をしていたんですか?」

 遠回しに尋ねると、担任は嫌そうな顔で「一年のお前には関係ない」と投げやりに言った後、銜えていたタバコを灰皿に投げ捨てた。

「金城の事だろ」

 それ以外に理由はない。素直に返事をすると、オッサンは何かを吐き出すみたいに低く唸りだした。

「お前、金城には会ったか。そうか……何か言ってたか?」

 先輩とのやり取りを担任に伝える。一人にして欲しいと言われた事を。何も話してくれなかった事を。

 言った後に後悔した。担任の目から迷いが消えてしまった。次に何を言われるか、悟ってしまったオレは、担任より先に口を開く。

「昨日まで普通だったんです。それが、急にあんな落ち込んで、手が震えるくらい動揺するなんて、おかしいじゃないですか! 一体何があったんですか!」

 考えなしに次々に言葉が出て来る。冷静に状況を探ろうと思っていたのに、まるで怒鳴るような勢いで、自分の声が頭に響いた。

「先輩は今日、どこに連れて行かれて、何をされたんですか!」

 担任に掴み掛かりそうになる体は、中で感情が荒れ狂っているせいか、気を抜くと震え出しそうだ。

「お前に話してやれる事はない」

 それを押さえる為に、体の芯に力を込めていたが、担任の簡潔な言葉がオレの集中を断ち切った。

「金城本人に話す意思がないなら、おれはその意思を尊重したいと思う。だから、お前に教えてやれる事はない」

 手が震える、足が膝が震える、震えているような気がする。奥歯を噛みしめていないと歯が鳴りそうで笑える。

「夏休みに」

 頭の中で荒れ狂っていた感情を飲み下し、腹におさめる。そのせいで体は情けないくらい震えているが、頭の隅に追いやられていた冷静さは取り戻せた。

「夏休みに来ていた、名前は知らないけど、あの人たちと関係ありますよね」

「…………」

 沈黙する担任の目は、オレの推測を肯定していた。

「夷川」

 担任の声は不思議と穏やかだった。あぁ、普段オッサンの顔なんかまじまじと見る事ないから気付かなかったが、夏休みに出来た傷痕がいまだに痛々しく残っていた。

「お前が金城に何かしてやりたいと思う気持ちは……おれも分かる」

 嫌な感じだ。担任も同じ気持ちなんだと分かってしまった。目の前の教師が、食って掛かって倒せばいい相手じゃないと分かってしまった。

「でもな、今は一人にしてやれ。金城の気持ちが落ち着くまで、黙って待っててやれ」

 まるで『一緒に待とう』と言われているような気がした。オレは嗚咽が漏れないよう下唇を噛んで、小さく「はい」と頷く事しか出来なかった。
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