パーフェクトワールド

出っぱなし

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 その夜、彼は興奮しすぎて寝付くことが出来なかった。

 昼過ぎにのろのろと起き出し、遅いブランチを食べた。
 そして、クローゼットを開け、中に入っている服を眺めた。
 しかし、すぐに閉じ、愛車のクロスバイクにまたがり出かけた。

 外に出ると、何かに舞台を整えられているかのように晴天だった。
 夏らしい入道雲があり、日がさんさんと彼の高揚感を煽っていた。
 あぶらぜみたちも、これまでの土の中の7年間の全てを賭けるようにさかっている。

 彼もまた落ち着くことが出来ず、心臓の鼓動が高鳴る一方だった。
 こんな気分になったのは、一体いつぶりのことだろうか?
 多分、恋に恋する中学の頃かも知れない。
 いや、もしかしたら、初めてのことか?

 近くのショッピングモールに到着し、すぐに浴衣売り場へと直行した。
 色々な柄の浴衣がずらりと並んでいる。
 しかし、彼はファッションとは別世界にいるので、どれがいいのかさっぱりと分からなかった。

 結局、母親のような店員の進められるままにすぐに着替え、帯を締めた。
 黒地に朝顔のようなピンク色の花が咲いているデザインで、おそらく無難なのだろう。
 浴衣のさらさらとした肌触りが爽涼感を誘う。
 そのまま買ってしまった。

 とりあえず、これで完璧だ。
 一度家に帰って、着替えた服を投げ捨てた。
 そして、待ち合わせ場所である名鉄某駅に向かった。

 しかし、待ち合わせ時間にはあまりにも早すぎた。
 花火を見に行くにはまだまだ日が高い。

 それでも、彼はぼんやりと待ち続けた。
 時間というものの概念を忘れてしまうほど、性欲がほとばしっているようだ。

 いつの間にか西日が差し始め、浴衣を着たカップルや家族連れが増え始めた。
 彼はベンチの上であぐらをかいた態勢から微動だにしなかった。

 だが、ついに彼は立ち上がった。

 彼女の姿はまだ目に入ってはいなかったが、この中にいるということを動物的本能で嗅ぎ取ったかのようだった。
 その場で押し倒してしまうのではないかという程、発情したケモノが彼の中でよだれを垂らしているのを感じる。

 しかし、一瞬にしてこの好色なケモノは、空腹感を満たされた虎のようにおとなしくなってしまった。
 つまり、彼女の浴衣姿を見ただけでオルガズムに達してしまったかのように、性欲が満たされてしまったのだ。

 彼は立ち上がったはずのベンチに、いつの間にか腰を抜かしたかのように座り込んでいた。
 僕は大和撫子という単語は、知識としては当然知っている。
 しかし、改めて目で見て体感したこの瞬間、この単語の真の意味がついに分かった。

「あれ、早かったね? まだ約束の時間には早いと思うけど。どうしたの、そんな顔して。もしかして、似合ってない?」

 彼女は心配そうに聞いた。
 この男は一体どんなバカ面をぶら下げているのだろうか。

「え、いや、全然そんなことないよ。逆だって。似合いすぎててびっくりしただけだって」

 そう聞いて彼女は澄み切った笑顔になった。

「ありがとう。お世辞でも言われるとうれしいよ」

 彼はお世辞じゃないと言おうと口を開いたが、言葉が出てこなかった。

 それにしても、彼女は内側から滲み出てくるような自分自身の美しさに気が付いていないのだろうか?
 間違いなく、気付いていないだろう。

 今までに彼女に出会った男たちは何をしていたんだ?
 いや、責めることなど出来ない。
 きっと、彼のように圧倒されてしまっただけだ。
 まあ、フランス人だったら気の利いたことを簡単に言えるのだろうけど。

「ほら、ぼうっとしてないで行きましょう」

 彼女はまだバカ面をぶら下げている彼を促した。
 彼はやっと、抜かしていた腰の神経をつなげ、立ち上がった。
 そして、彼女と連れ立って歩いていった。

 駅から花火を見る場所まで歩いていく途中にある屋台で、焼きそばやたこ焼きを簡単に食べながらゆっくりと向かった。

 彼はこの花火大会のことは良く分かっている。
 当然河川敷は人でごった返している。
 かといって、人の少ない場所では良く見えない。
 それならば、どうすればよいか。

 近くのマンションにお邪魔させてもらうのだ。
 本来はオートロックで外部の人間は入ることはできないが、入る方法などいくらでもある。
 もっとも、それは誰にも教える気はない。
 そんなことをしたら、無用心になってそこに住む人たちの迷惑じゃないか。
 まあ、大方の人は少し考えれば、すぐに分かると思うが。

 彼女は何度も彼を止めようとしていた。
 しかし、彼は大丈夫だと言って聞かず、結局彼女も彼に従った。

 すんなりと屋上にやってくると、すでに何人か来ていて話をしていた。
 彼らがやってきた瞬間、その何人かはこっちを振り向いたが、すぐに話に戻った。

 このように堂々としていれば、自分たちの知らない住人か、どこかの部屋の客としか思われない。
 この日がイベントだから尚更だ。
 しかし、悪く言えば、マンションというところはそれだけ人間関係が希薄だということになる。

 彼と彼女は行儀良く黙って待っていた。
 そして、一発目の花火が大輪の花のように夜空に咲いた。

 彼女を見ると、小さくわあっと言うように素直に感動していた。
 彼はこの場所が相変わらず良く見えて、ホッと胸をなで下ろした。

 マンションの住人たちも、花火が上がり始めたことがわかり、続々と屋上に集まってきた。
 人々は日々の辛さを忘れるかのように花火を楽しんでいた。
 そして、花火が上がるたびに人々はそれぞれ好きな歓声を上げていた。

 彼は一人だけ、花火に照らされる彼女の横顔に見とれていた。
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