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第五章 強き北風の再起
5-6 虚無の冬 ……ヤンネ
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冬の日。雪が揺れている。
否──揺れているのは自分だ。何もかもが覚束ぬまま、ただ虚無を漂っている。この白いだけの雪の中で、何かに縋ろうと彷徨い続けている。
降り続く雪が、体を、意識を蝕む。
体中が痛かった。父の拳は、怪我の後遺症など一切感じさせない、純然たる暴力だった。
体の痛みに加え、心も痛かった。その痛みの根源が何なのかは、考えたくなかった。
そして、思い出したかのように吹きつけた突風で、目が覚めた。
目覚めると、女の子がいた。
ヤンネよりも幼いその少女は、お湯に浸した布で、ヤンネの体を拭いていた。
目覚めに気づいた少女が、小さく悲鳴を上げ、後退る。
見慣れない顔。だが、どこかで見た覚えのある顔──侍従ではないし、従軍娼婦でもなさそうである。身なりこそやつれた囚人服だが、その顔つきや体つきは、いかにも上流階級という乙女に見えた。
「誰だ……?」
寝台から上体を起こし、声をかける。しかし少女は、顔を引きつらせたまま、幕舎の隅で震えている。
「ゴメンよ……。怖がらせるつもりはなかったんだ……」
どうしていいかわからず、とりあえず謝る。しかし、困るヤンネをよそに、少女は幕舎から走り去ってしまった。
朦朧とする意識の隅で、風の音が鳴り響く。幕舎の外の吹雪が吹き荒れるたび、痣だらけの体が、軋み、痛む。
少女が去ってしばらくすると、無数の足音がどたどたと押し寄せてきた。
「ヤンネ! やっと起きたのかよ!」
子供のように声を弾ませ、コッコがやってくる。
コッコが寝台の横で膝をつき、拳を前に突き出してくる。ヤンネも、反射的に拳を合わせる。仲間内でのいつもの挨拶が済むと、コッコは嬉しそうに笑った。
「親父殿に歯向かうなんて、何考えてんだよ! 殺されるんじゃないかって冷や冷やしてたんだぜ!」
いきなり、幕舎が賑やかになる。
コッコに続き、副官のサミ、同年代の戦友たちと、言葉を交わす。みな、顔を見合わせ、喜んでいる。蜂蜜酒が杯に注がれ、ちょっとした宴会も始まる。
しかしヤンネは、自らが仕出かしたことを思い出し、気まずさを覚えていた。久しぶりに会う仲間たちと、どう向き合っていいのか考えてしまった。
ヤンネが顔を伏せる横で、会話を途切れさせぬように気を使ったのか、仲間たちが近況を話し始める。
キャラモン軍団長殺害未遂事件は、帝国軍内でも相当な騒ぎになっていたようである。
父オッリの処刑、並びに騎兵隊への処罰を訴えるキャラモン軍団長は、軍司令部にまで請願書を提出し、厳罰を求めた。
当然、軍司令部も事態を重く見た。だが、最終的には皇帝グスタフ三世の一言で、全て仲裁されたらしい。
「それでさ、キャモランの野郎が、殺されそうになったから助けてーって泣きついて、陛下が何て返事したと思う? 『それでこそ、我が強き北風だ!』 だってさ。皇帝陛下って、脳みそまで筋肉で出来てんのかな?」
明るく話すコッコが、大仰な動きでグスタフ三世のものまねをする──真なる黒竜、北限の征服者、燃える心臓の男──みな、絵画で見るか、パレードで遠巻きでしか見たことがないにも関わらず、似ていると笑い合っている。
それは竹を真っ二つに割ったような、あまりに乱暴な回答だった。しかし、王侯貴族や権力者というのは、得てして平民の常識の範疇を逸脱している。それが国家を統べる絶対的な権力者ともなれば、尚更なのだろう。
皇帝と会ったことのないヤンネにも、何となく、その人柄は想像できた。しかし、その返答は理解できなかった。
様々な異名を欲しいままにする、男の中の男。自ら剣を取って戦場を駆ける、生粋の武闘派。〈教会〉に弓引き、この〈大祖国戦争〉を主導する、対〈教会〉強硬派の筆頭。そして、〈黒い安息日〉を引き起こした、神をも恐れぬ冒涜的殺戮者──しかし、語られる皇帝の姿は、ヤンネにとっては遠い存在でしかない。
コッコのものまねが終わると、サミが話を本線に戻す。
今回の一件は、皇帝の鶴の一声で手打ちにこそなったが、何の罰則もないわけはなかった。
父は処刑こそ免れたものの、営倉での禁固が科せられた。極彩色の馬賊の兵員も連帯責任で謹慎が科せられたが、こちらは野営地内での軟禁らしく、ある程度の自由はあるようだった。ヤンネ自身に関しては、特に罰則はなかった。
「ただ、戦利品の大半はキャモラン軍団長に接収されちまった。それでも、反逆罪の連座で死刑とかにならずに済んだのは、運がよかったのかな?」
コッコに代わり、サミが落ち着いた声で話す。しかし、すぐにコッコが横槍を入れる。
「安心しろよ! 捕まえた女たちはみんな残ってるからよ! お前も元気になったら好きな女抱けよ!」
コッコは相変わらず明るかったが、捕虜の女たちにとっては、引き続き地獄でしかないだろうと思った。
ヤンネの周りで、仲間たちの雑談が盛り上がっていく。外で吹き荒れる吹雪と相まって、幕舎の中は騒音状態に陥っている。
そんなすし詰めの幕舎に、さらに人がやってくる。
「あぁ、よかった。目が覚めたんだね」
なよなよとした文官が、人混みをかき分けて入ってくる。赤毛のカツラを被ったエイモット幕僚長が、朗らかな笑みを浮かべる。
エイモット幕僚長は、キャモラン軍団長の部下ではあるが、お飾り上司の下で、実質的に第三軍団を指揮する人でもある。軍司令部と細かく連絡を取り合うのもこの人で、ストロムブラード隊長ら現場士官たちにも信頼されている。
突然の上官の来訪に、ヤンネは上体を正し、敬礼した。
「いやいや、楽にしてて」
エイモット幕僚長が、寝台横の椅子に腰かける。
「君が身を挺してくれたおかげで、キャモラン軍団長も少しだけ溜飲を下げてくれたよ。それにしても、あのオッリ殿と互角に戦うなんて、君は本当に強いんだね。びっくりしちゃったよ」
明るく話すエイモット幕僚長は、本当に感心しているようにも見え、ヤンネは少し恥ずかしかった。
無能な指揮官と血気盛んな現場部隊の中間を取り持つ、難しい立場の人、という印象しかなかったので、その気さくな雰囲気は新鮮だった。ただ、ストロムブラード隊長と同じ四十代なのに、すでに髪は禿げ上がり、常時かつらを着用している。目尻の皺も老人のように深く、気苦労は多そうだった。
「動けるようになったら、育ての親のストロムブラード殿にお礼を言った方がいいよ。彼がひたすら頭を下げてくれたおかげで、お父さんは反逆罪で死刑にならずに済んだんだから」
エイモット幕僚長はそう言ったが、ヤンネは素直に感謝できなかった。
今まではあまり気にならなかったストロムブラード隊長の偏屈さが、ささくれのように引っかかる。
あんな馬面のハゲ野郎に跪き、頭を下げるくらいなら、最初から父を拘束し、止めていればよかったのだ。それなのに、傍観という危険を冒し、わざと事を荒立てるなんて、何を考えているのだろう?
恩人でもある養父に対し、初めて嫌悪のような感情を抱く。そんな自分自身にヤンネは困惑し、苛立った。
不機嫌になったのに気づいたのか、エイモット幕僚長が顔色を窺うように、また人当たりのよい笑顔を見せる。
「二人とも、第三軍団、ひいては帝国軍の大事な戦力です。戦時で気が立っているのもわかるけど、今後は内輪揉めなどの軽率な行動は控えるように。それから、軍団長への不敬罪も。普段から胃が痛い立場なのに、これ以上のゴタゴタが続くと、敵に殺される前に過労死しちゃうよ」
うまいことを言ったという顔をして、エイモット幕僚長が笑う。しかし、赤毛のかつらの隙間から流れる汗は、拭いても拭いても流れ落ちていた。
一通り話が済むと、仲間たちとエイモット幕僚長は去っていき、再び少女が戻ってきた。
嵐のような賑やかさが消え、また吹雪が哭き始める。
ヤンネは従者を呼ぶと、少女について訊ねた。
彼女は〈教会七聖女〉の元侍女で、父の戦利品ではあったが、多少医術の知識があったため、世話役に加えているとの話だった。
自分よりも幼い従者、それも女性が医学的な知識を備えていることに、ヤンネは素直に驚いた。
〈帝国〉と比べると、〈教会〉は総じて教育水準が高いと聞く。実際、〈教会七聖女〉やその近習は、孤児院や身分の低い出身者が多いらしい。〈帝国〉と文化が違うとはいえ、女性でも騎士になれるなど、身分格差が少ない社会構造が〈教会〉には根づいているようだった。
ヤンネは怖がらせぬように、恐る恐る少女を見た。少女は相変わらず怯えていたが、逃げ出す様子はなかった。
しばらくして、思い出した。あの夜、父に簀巻きにされ、挙句、捨て置かれていた少女である。
「君、名前は?」
「……シャナロッテ」
おずおずと答えるシャナロッテに、ヤンネは微笑んだ。しかし、少女はまだ怯えている。
「シャナロッテ。ありがとう」
怯えるシャナロッテは、何も答えなかった。
ヤンネは寝台に横になると、目を閉じた。
また、雪が揺れる。
同じ神を信じているはずなのに、どこで差が生まれたのか、ヤンネは不思議に思った。
〈教会七聖女〉──本来、〈神の依り代たる十字架〉の信徒は、信仰の導き手たる彼女らを奉り、崇拝しなければならない。しかし、同じ神の御名の許、〈教会〉と〈帝国〉は戦争を繰り広げている。
様々な世界が、脳裏を過る──〈帝国〉、〈教会〉。皇帝、第六聖女。強き北風、騎士殺しの黒騎士。極彩色の馬賊、黒騎兵、月盾騎士団。
疲れた──そして、考えるのを止めた。なぜなら、答えがないのはわかりきっている。
冬の日。吹雪が哭く。体は、意識は、ただひたすらに虚無を彷徨う。
否──揺れているのは自分だ。何もかもが覚束ぬまま、ただ虚無を漂っている。この白いだけの雪の中で、何かに縋ろうと彷徨い続けている。
降り続く雪が、体を、意識を蝕む。
体中が痛かった。父の拳は、怪我の後遺症など一切感じさせない、純然たる暴力だった。
体の痛みに加え、心も痛かった。その痛みの根源が何なのかは、考えたくなかった。
そして、思い出したかのように吹きつけた突風で、目が覚めた。
目覚めると、女の子がいた。
ヤンネよりも幼いその少女は、お湯に浸した布で、ヤンネの体を拭いていた。
目覚めに気づいた少女が、小さく悲鳴を上げ、後退る。
見慣れない顔。だが、どこかで見た覚えのある顔──侍従ではないし、従軍娼婦でもなさそうである。身なりこそやつれた囚人服だが、その顔つきや体つきは、いかにも上流階級という乙女に見えた。
「誰だ……?」
寝台から上体を起こし、声をかける。しかし少女は、顔を引きつらせたまま、幕舎の隅で震えている。
「ゴメンよ……。怖がらせるつもりはなかったんだ……」
どうしていいかわからず、とりあえず謝る。しかし、困るヤンネをよそに、少女は幕舎から走り去ってしまった。
朦朧とする意識の隅で、風の音が鳴り響く。幕舎の外の吹雪が吹き荒れるたび、痣だらけの体が、軋み、痛む。
少女が去ってしばらくすると、無数の足音がどたどたと押し寄せてきた。
「ヤンネ! やっと起きたのかよ!」
子供のように声を弾ませ、コッコがやってくる。
コッコが寝台の横で膝をつき、拳を前に突き出してくる。ヤンネも、反射的に拳を合わせる。仲間内でのいつもの挨拶が済むと、コッコは嬉しそうに笑った。
「親父殿に歯向かうなんて、何考えてんだよ! 殺されるんじゃないかって冷や冷やしてたんだぜ!」
いきなり、幕舎が賑やかになる。
コッコに続き、副官のサミ、同年代の戦友たちと、言葉を交わす。みな、顔を見合わせ、喜んでいる。蜂蜜酒が杯に注がれ、ちょっとした宴会も始まる。
しかしヤンネは、自らが仕出かしたことを思い出し、気まずさを覚えていた。久しぶりに会う仲間たちと、どう向き合っていいのか考えてしまった。
ヤンネが顔を伏せる横で、会話を途切れさせぬように気を使ったのか、仲間たちが近況を話し始める。
キャラモン軍団長殺害未遂事件は、帝国軍内でも相当な騒ぎになっていたようである。
父オッリの処刑、並びに騎兵隊への処罰を訴えるキャラモン軍団長は、軍司令部にまで請願書を提出し、厳罰を求めた。
当然、軍司令部も事態を重く見た。だが、最終的には皇帝グスタフ三世の一言で、全て仲裁されたらしい。
「それでさ、キャモランの野郎が、殺されそうになったから助けてーって泣きついて、陛下が何て返事したと思う? 『それでこそ、我が強き北風だ!』 だってさ。皇帝陛下って、脳みそまで筋肉で出来てんのかな?」
明るく話すコッコが、大仰な動きでグスタフ三世のものまねをする──真なる黒竜、北限の征服者、燃える心臓の男──みな、絵画で見るか、パレードで遠巻きでしか見たことがないにも関わらず、似ていると笑い合っている。
それは竹を真っ二つに割ったような、あまりに乱暴な回答だった。しかし、王侯貴族や権力者というのは、得てして平民の常識の範疇を逸脱している。それが国家を統べる絶対的な権力者ともなれば、尚更なのだろう。
皇帝と会ったことのないヤンネにも、何となく、その人柄は想像できた。しかし、その返答は理解できなかった。
様々な異名を欲しいままにする、男の中の男。自ら剣を取って戦場を駆ける、生粋の武闘派。〈教会〉に弓引き、この〈大祖国戦争〉を主導する、対〈教会〉強硬派の筆頭。そして、〈黒い安息日〉を引き起こした、神をも恐れぬ冒涜的殺戮者──しかし、語られる皇帝の姿は、ヤンネにとっては遠い存在でしかない。
コッコのものまねが終わると、サミが話を本線に戻す。
今回の一件は、皇帝の鶴の一声で手打ちにこそなったが、何の罰則もないわけはなかった。
父は処刑こそ免れたものの、営倉での禁固が科せられた。極彩色の馬賊の兵員も連帯責任で謹慎が科せられたが、こちらは野営地内での軟禁らしく、ある程度の自由はあるようだった。ヤンネ自身に関しては、特に罰則はなかった。
「ただ、戦利品の大半はキャモラン軍団長に接収されちまった。それでも、反逆罪の連座で死刑とかにならずに済んだのは、運がよかったのかな?」
コッコに代わり、サミが落ち着いた声で話す。しかし、すぐにコッコが横槍を入れる。
「安心しろよ! 捕まえた女たちはみんな残ってるからよ! お前も元気になったら好きな女抱けよ!」
コッコは相変わらず明るかったが、捕虜の女たちにとっては、引き続き地獄でしかないだろうと思った。
ヤンネの周りで、仲間たちの雑談が盛り上がっていく。外で吹き荒れる吹雪と相まって、幕舎の中は騒音状態に陥っている。
そんなすし詰めの幕舎に、さらに人がやってくる。
「あぁ、よかった。目が覚めたんだね」
なよなよとした文官が、人混みをかき分けて入ってくる。赤毛のカツラを被ったエイモット幕僚長が、朗らかな笑みを浮かべる。
エイモット幕僚長は、キャモラン軍団長の部下ではあるが、お飾り上司の下で、実質的に第三軍団を指揮する人でもある。軍司令部と細かく連絡を取り合うのもこの人で、ストロムブラード隊長ら現場士官たちにも信頼されている。
突然の上官の来訪に、ヤンネは上体を正し、敬礼した。
「いやいや、楽にしてて」
エイモット幕僚長が、寝台横の椅子に腰かける。
「君が身を挺してくれたおかげで、キャモラン軍団長も少しだけ溜飲を下げてくれたよ。それにしても、あのオッリ殿と互角に戦うなんて、君は本当に強いんだね。びっくりしちゃったよ」
明るく話すエイモット幕僚長は、本当に感心しているようにも見え、ヤンネは少し恥ずかしかった。
無能な指揮官と血気盛んな現場部隊の中間を取り持つ、難しい立場の人、という印象しかなかったので、その気さくな雰囲気は新鮮だった。ただ、ストロムブラード隊長と同じ四十代なのに、すでに髪は禿げ上がり、常時かつらを着用している。目尻の皺も老人のように深く、気苦労は多そうだった。
「動けるようになったら、育ての親のストロムブラード殿にお礼を言った方がいいよ。彼がひたすら頭を下げてくれたおかげで、お父さんは反逆罪で死刑にならずに済んだんだから」
エイモット幕僚長はそう言ったが、ヤンネは素直に感謝できなかった。
今まではあまり気にならなかったストロムブラード隊長の偏屈さが、ささくれのように引っかかる。
あんな馬面のハゲ野郎に跪き、頭を下げるくらいなら、最初から父を拘束し、止めていればよかったのだ。それなのに、傍観という危険を冒し、わざと事を荒立てるなんて、何を考えているのだろう?
恩人でもある養父に対し、初めて嫌悪のような感情を抱く。そんな自分自身にヤンネは困惑し、苛立った。
不機嫌になったのに気づいたのか、エイモット幕僚長が顔色を窺うように、また人当たりのよい笑顔を見せる。
「二人とも、第三軍団、ひいては帝国軍の大事な戦力です。戦時で気が立っているのもわかるけど、今後は内輪揉めなどの軽率な行動は控えるように。それから、軍団長への不敬罪も。普段から胃が痛い立場なのに、これ以上のゴタゴタが続くと、敵に殺される前に過労死しちゃうよ」
うまいことを言ったという顔をして、エイモット幕僚長が笑う。しかし、赤毛のかつらの隙間から流れる汗は、拭いても拭いても流れ落ちていた。
一通り話が済むと、仲間たちとエイモット幕僚長は去っていき、再び少女が戻ってきた。
嵐のような賑やかさが消え、また吹雪が哭き始める。
ヤンネは従者を呼ぶと、少女について訊ねた。
彼女は〈教会七聖女〉の元侍女で、父の戦利品ではあったが、多少医術の知識があったため、世話役に加えているとの話だった。
自分よりも幼い従者、それも女性が医学的な知識を備えていることに、ヤンネは素直に驚いた。
〈帝国〉と比べると、〈教会〉は総じて教育水準が高いと聞く。実際、〈教会七聖女〉やその近習は、孤児院や身分の低い出身者が多いらしい。〈帝国〉と文化が違うとはいえ、女性でも騎士になれるなど、身分格差が少ない社会構造が〈教会〉には根づいているようだった。
ヤンネは怖がらせぬように、恐る恐る少女を見た。少女は相変わらず怯えていたが、逃げ出す様子はなかった。
しばらくして、思い出した。あの夜、父に簀巻きにされ、挙句、捨て置かれていた少女である。
「君、名前は?」
「……シャナロッテ」
おずおずと答えるシャナロッテに、ヤンネは微笑んだ。しかし、少女はまだ怯えている。
「シャナロッテ。ありがとう」
怯えるシャナロッテは、何も答えなかった。
ヤンネは寝台に横になると、目を閉じた。
また、雪が揺れる。
同じ神を信じているはずなのに、どこで差が生まれたのか、ヤンネは不思議に思った。
〈教会七聖女〉──本来、〈神の依り代たる十字架〉の信徒は、信仰の導き手たる彼女らを奉り、崇拝しなければならない。しかし、同じ神の御名の許、〈教会〉と〈帝国〉は戦争を繰り広げている。
様々な世界が、脳裏を過る──〈帝国〉、〈教会〉。皇帝、第六聖女。強き北風、騎士殺しの黒騎士。極彩色の馬賊、黒騎兵、月盾騎士団。
疲れた──そして、考えるのを止めた。なぜなら、答えがないのはわかりきっている。
冬の日。吹雪が哭く。体は、意識は、ただひたすらに虚無を彷徨う。
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