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第三章 戦火の幕間

3-8 白い闇  ……セレン

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 何もかもが白かった。

 セレンは、与えられた第六席に座った。純白のそれは、白い闇に溶けて消えた。

 何もかもが白い闇の中を、セレンは彷徨った。
 孤独だったし、寂しかった。しかし、ただひたすらに漂うのは、ほんの少しだけ気楽で、どこか心地よくもあった。

 白い闇に、〈教会〉の十字架旗がはためいている。
 偉大なる我が故郷。〈神の依り代たる十字架〉を、群衆が奉る──教皇、大司教、司祭。騎士、軍人、兵士。そして民衆──聖歌が、賛美歌が、荘厳なる楽隊の伴奏に合わせ、白い風となりこだまする。

 二百年前、古の〈教会七聖女〉は、軍旗と剣を手に、〈東からの災厄タタール〉を退け、故郷を、信仰を、人々を守った。黒竜の脅威が迫る今こそ、我らその再来とならん。

 セレンは天使の紋章が描かれた、白銀の甲冑をまとった。しかし、意識は浮遊し、足は地に着かず、体は底なしの白に溶けていく。

 誰か、手を握って──そう思って、白い闇に浮かぶ影に手を伸ばしても、指先は空を切るだけだった。

 この白い闇は、いつまで、どこまで続くのだろう?
 そう思った瞬間、唐突に、どす黒い染みが白い闇に垂れ落ちる。

 あれは何だろう?
 セレンは反射的に手を伸ばし、そしてそのまま染みの中に引きずり込まれた。

 白かった闇が、一瞬で真っ黒になる。

 息苦しくなるほどの黒が、重くのしかかる。何も見えないし、何の感覚もない。それなのに、体は震えていた。

 黒い闇のどこかで、何かが咆哮している。唸り声、怒鳴り声、叫び声……。わからない。何もわからない。あらゆる音が、絶叫している。

 どこからか鳴り響いた銃声が、黒い闇に火を灯す。そして、色が混ざり合う。

 白い雪。赤い血。茶色の汚泥。白い十字架。黒い竜。白銀の甲冑。漆黒の甲冑……。
 燃える矢が目の前を切り裂くたび、絵画のように色鮮やかな情景が、過っては浮かび、浮かんでは消える。

 胸に火矢を受けた少女が、燃える。
 美しい白騎士が、地に落ちる。
 まだ幼い女の子が、男たちに犯される。

 それらを見下ろしながら、極彩色の獣が笑う。確かに人間だが、同じ人間とは思えぬ狂獣。その背後では、闇よりも深い黒い影が、同じように笑っている。

 極彩色の狂獣が、混沌となって迫る。

 助けて!

 セレンは逃げ出した。しかし、どこまで走っても黒い闇は終わらない。背後に迫る混沌の極彩色も、勢いを増し追ってくる。

 死にたくない!
 そう思った瞬間、一点の白が光る。
 白刃がきらめき、黒い闇を切り裂く。背後の極彩色は霧散し、再び白い闇が戻ってくる。

 目の前に浮かぶ黒い影が、手を差し伸べてくる。
 しかし、何故だろう? 得体の知れぬ不安を感じ、セレンは動けなかった。

 影が視界を覆う。

 そこで、セレンは目覚めた。

「大丈夫ですか!?」
 見知った顔が、こちらを覗き込んでくる。
 侍従長のリーシュが、汗を拭いてくれる。いくらかやつれているが、それでもその表情は気丈である。
 親衛隊長のレアが幕舎に入ってくる。大柄で頼りになる女騎士は、うっすらと目に涙を浮かべている。
 そして、月盾騎士団ムーンシールズの若き月盾の長が、駆け寄ってくる。
 汚泥に塗れた月盾の紋章。金色の髪に、青い瞳。古めかしい直剣を履いた、月盾の騎士が、寝台の横に跪く。
「ご気分はいかがですか? セレン様?」
 若き月盾の長、ミカエル・ロートリンゲンの声は力強く、その青い瞳は澄んでいた。
 セレンは頷き、その手を握った。その手は、温かかった。

 見知った顔が、セレンを囲む。
 独りではない。命を懸けて守ってくれる人たちがいる──それを実感し、心はいくらか軽くなった。
 だが、安堵した反面、何故だろう? もう少し眠っていた方が、楽だったような気がするのは?
 
 白い闇が、脳裏を過ぎる。

 忘れようとしたが、白い闇は消えなかった。
 白い闇が囁く──悪夢は辛いだろう。だが眠っていれば、あそこで漂っているだけならば、何もせず、何も考えなくてもよいのだと。
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