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幕・168 底抜けの自分勝手さ
しおりを挟むこの仕打ちは、嫌うというより、憎悪のレベルだ。
そのくせ、憎悪を感じる分と同じだけ、好意と愛を感じてしまう。
複雑な、―――――…要するに、これが、人間だ。単純な悪魔とは違う。いや、悪魔とて。
単純なようで、複雑だと言える。
ゆえにヒューゴは今朝リヒトから逃げ出した。
それに今なお、振り回されている。
「あ、ヒューゴ、…ヒューゴ」
ヒューゴの上に跨ったリヒトが、夢見心地の声で、呼ぶ。
跨った状態で、ヒューゴの腹筋にリヒトが擦り付てくるモノ。
それは、ズボンの中で窮屈そうに布を押し上げているリヒトの性器だ。いつからそうなっていたのか。
どく、どく、そこが息づいているのがよくわかる。もう端から端まで興奮しきっていた。
不意に、リヒトが動きを止める。
直後、焦った動きでベルトを外す音がした。
リヒトが自分の前を寛げている。
その間も、ヒューゴを苛む苦痛は消えない。
――――これは罰だろう。リヒトを勝手に放置したことに対する。
苦痛に暴れ回りたい身体を必死に押しとどめているヒューゴは、苦痛を与えるリヒトに、止めてくれと懇願する声を上げることもできない。
血を吐きそうになり、危うく喉奥へ押し込めた。
神聖力は外傷のみならず、内臓に壊滅的な被害を及ぼす。臓器が腐り落ちようとしているのではないか、そんな痛みの中、何度も生ぬるい血を嚥下した。
自身の血に溺れて死にそうだ。
神聖力がこれほど攻撃性として作用するということは、結局のところ、ヒューゴが悪魔であるという証明だろう。
自身が悪魔であることを思い知らせる状況に、ヒューゴは苦痛の中で安心もしていた。
先日の出来事は、ここのこところ、ヒューゴを不安にしていたから。
だが痛みで思い知らされるのは勘弁してほしい。
神聖力の鎖が絡む皮膚が破れ、じわり、血がにじむ。
とたん、わずかに鎖の締め付けが緩んだ。
次いでかすかに皮膚が回復する。そのときにはまた、強い締め付けが―――――。
それが繰り返される間に、ヒューゴの身体に馬乗りになっていたリヒトは勃起した前だけを堂々とさらした。
リヒトのそこは、ヒューゴが日々きれいに剃毛している。
濃い桃色のそれが、興奮しきって反り返っているのが丸見えだ。
とくとくと先端から溢れ出した先走りが、魔法の明かりに輝きを弾く。きらきら雫となって幹を伝い落ちて行った。
跨ったリヒトは、ゆっくりとヒューゴの胸に手を当てる。
そうして自分の身体を支え―――――乗馬でもするように腿で彼の脇を締め上げるなり。
陰茎を押し付け、リヒトは夢中で腰を振った。朦朧としながら、ヒューゴは思う。
これは、女に対する男の動きだ。孕ませようとするような。
普段、ヒューゴ相手に腰を蠢かすのとはまったく違う、動き。
ソコに神経を集中するように、リヒトは目を伏せる。
その陰茎の先端がさらに先走りを吐きだした。あっという間にそこがぬるつく。
苦痛に呻くヒューゴの顔から、その視線は片時もそらされない。…要するに。
リヒトは、―――――興奮しているのだ。苦痛に染まったヒューゴの表情に、反応に。
リヒトが夢中になっているのは、ヒューゴにか、快感にか。両方か。
苦痛に、ヒューゴの全身が汗で濡れる。艶めいた褐色の肌を見下ろし、
「ん…ん…っ」
ぶるり、リヒトの身体が震えた。ヒューゴの腹の上で射精。
「…あ、くっ」
噴きあがった精子が、ヒューゴの腹を濡らす。
長い、射精だった。
ヒューゴがいない間、自慰すらしなかったのか。
漏らすように放つ間にもリヒトの腰の動きは止まらない。いや、止められないのか。
射精を見せつけるように性器を突きだし、懸命な様子だ。
リヒトが神聖力の鎖でヒューゴを締め上げるのは、罰であり。
彼の上で見せつけるように淫らに腰を突き出すのは、もうたまりかねているからだろう。
精液が止まってからも、トロトロと濃厚な体液が先端から漏れ零れている。
一方で、ぎこちなくヒューゴの胸の輪郭を辿るようにリヒトの両手が動いた。
何かを確認する態度だ。
執拗に、何を確認したのか、やがて皇帝は満足そうに呟いた。
「誰の痕もない、な」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。遅れて、ヒューゴは愕然となる。
―――――何を言っているのか。
まさか長時間外に出ていたことを、そんなふうに解釈されるとは思ってもみなかった。
ヒューゴを追っていたのは『月影』だ。誰かとベッドに潜っている暇などない。
苦痛に息を呑みながら、見下ろしてくるリヒトの黄金の目を睨み上げる。
「俺は…っ」
それこそ、泣きたい気分になった。
強くなりかけた語調から、しおしお力が抜けて、いじめられた子供のような声になる。
「…するならリヒトがいい」
ヒューゴの小さな呟きに、リヒトが目を瞠る。驚いたように、息を呑んだ。
何をそんなに驚くのか。
多人数を食い散らかすのが好きな者もいるのだろうが、ヒューゴは一人に底まで溺れていたいタイプだ。
「リヒトひとりが、いい」
拗ねた声で、ヒューゴは念を押した。
その一人がいる間は、他などどうでもよかった。
しばし、リヒトは唇をかみしめ、
「…ああ、もう、お前は…どれだけ」
頬を快楽で上気させ、冷めた眼差しでリヒトは囁く。
「周囲を惑わせれば、気が済むんだ」
周囲―――――それがリヒト個人を指すと考えるには、微妙な言葉だった。
ヒューゴはリヒトひとりがいいと言ったのに、リヒトは、自身も含めた周りの人間を引き合いに出してきている。それを。
冷たく乾いているようで、どろどろとした怨念にまみれているような、―――――…やたら無感動な声で言うのだ。
しかも、まるで、殺したいと言っているような表情で。
激痛の中、思わず心から呆れてヒューゴは半眼になった。
(惑うどころかみんな怖がってらあ!)
内心、憤然と叫んだが、とたんに悲しくなる。
その間にも、止められないのだろう、リヒトの腰は動き続け、陰茎の先端からは、こんこんと体液が吐き出され続けていた。
ヒューゴの腹の上が、リヒトの精液と先走りで濡れていく。
それが脇腹から垂れ落ちた。一筋、また一筋と。
ソファが汚れる、とこの状況でもヒューゴの頭の片隅にある変に冷めた部分が、カッと生真面目な叫びをあげた。
それが妙に、痛みに飛びかけていたヒューゴの意識を我に返らせる。
…まだ、神聖力の鎖の締め付けは、強い。強い、が。
リヒトが快楽に溺れだしたか、最初の頃ほどではなくなっていた。チャンスだ。ヒューゴの目が光った。
「――――…こ、のっ」
自身が、この時どう動いたか、ヒューゴに自覚はない。ただ。
気付けば、黄金の目がヒューゴを見上げていた。刹那。
―――――あの、危うい衝動が。
ヒューゴから、理性を消し飛ばした。
噛みつきたい。味わいたい。
肉の繊維をちぎる感触を、この牙で感じたい。
喉の奥へこの血を流し込めば、どれほど腹が熱くなるだろう。
そうして、すべて取り込めば。
―――――…もうリヒトとヒューゴはひとつだ。別れを不安がったり、悲しんだりする必要ない。別々でいることの不便はなくなる。
血。
暴力。
底抜けの自分勝手さ。
相手の気持ちなどどうでもいい。
自分さえよければ、万事は巧く回っている。それが、―――――悪魔だ。
ヒューゴの中にも確実にある、それが。
彼の表情に、この時確実に浮き彫りになったはずだ。
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