陛下が悪魔と契約した理由

野中

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幕・156 わざとやるより始末が悪い

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× × ×











「今すぐ捕まえて私の前に連れてこい」



日が昇り、皇都に住む大半の者が朝食を追えただろう時刻。

宰相の執務室。





ノックもなしに入ってきた皇帝は、開口一番そう告げた。





「朝っぱらからやる気だね」



宰相は机から顔も上げずに返す。

今日で、帝国の守護者と称される魔竜が倒れた日から、三日が経つ。



それ以後は特段、皇宮に問題はなかったはずだ。



瞬時に脳内で皇帝に関わる情報を見直すリュクス。

一方で、書類をキリのいいところまで書き上げ、顔を上げた。







「で、なんの話」







山積みの仕事もさあこれから、という時間に、邪魔をしないで欲しい。



宰相はそんな気持ちをありありと表情に出したが、この皇帝陛下には今更である。

リュクスの視界の端で、唐突な皇帝の来訪に、部下たちが右往左往し始めた。



ただし、先日新調された来客用の椅子があるため、この間ほど無様を晒すことはないだろう。ここのところ出入りし始めたエイダンが、コップや茶菓子も整えてくれている。彼が来るのはまだ少し後だから、他の者が動くしかない。



周りの反応など気にもとめず、皇帝は宰相の執務室へ入ってくる。

その身のこなしは、惚れ惚れするほど優雅だ。



忙しいと、分かっていて、来るのだ、この皇帝陛下は。無論、わざとではない。





皇帝らしくやりたいことをやりたいときにやっているだけだ。…わざとやるより始末が悪い。





とはいえ、皇宮内の組織編成もそろそろ落ち着いてきたため、もう少し仕事の分散ができそうな気配はある。

それをもっと速く推し進めろという、これは無言の催促だろうか。



「見ての通り、今ぼくは『月影』から報告を受けてる最中…」











『月影』とは、オリエス皇宮の諜報機関である。



もとはルシアの配下だった者たちだ。

彼女の引退と同時に、皇帝の配下となった。実質は、宰相の直属である。











リヒトが現れるまでリュクスの机の前にいた構成員の二人が、音もなく動いた。

誰に言われるまでもなく、皇帝に道を開く。



幼馴染の姿を見るなり、リュクスは目を瞬かせた。







「なんでヒューゴを連れてないの」







リュクスのリヒトへの文句は、すべて、ヒューゴが受け皿になる。

なにせ、リュクスがリヒトへ直接文句を言っても彼にはちっとも堪えない。ただし、ヒューゴからの言葉なら、少しは届くのだ。



ヒューゴに文句を言おうとしたのに、彼の姿が皇帝の傍にない。



面食らう表情は、リュクスの童顔をより一層幼く見せた。直後、不穏な表情が浮かぶ。

「今や皇帝の専属騎士だよね」



「連れていないのではない」

「実際、一緒にいないじゃないのさ。どこ行ったの?」

「ヒューゴは」

リヒトは険しい声で吐き捨てた。









「夜まで逃げきれたらヒューゴの勝ち、勝ったら望みを叶えろと言って消えた」









リヒトが、黄金の瞳に、尋常でない輝きを宿らせている。怒りか、焦燥か。

リュクスは冷静に言った。





「なにやってんのさ?」





したのは、喧嘩か、それとも悪ふざけの延長か。いずれにせよ、職務放棄はいただけない。

給料を差っ引くどころか、膝を突き合わせて、辞める気なんだね、という話になるところだ。



だが、ヒューゴは真面目である。



しかもリヒトに向ける心配は天井知らず。

その魔竜が、そうまでしたからには何かよっぽどのことがあったのだろうという気もする。



得てして、二人の間で、このような妙なことが起きた時、責があるのは、決まってリヒトだ。







(って言っても、ヒューゴのことだから、リヒトにはちゃんと『目』をつけて行ってるはず)







離れた結果、リヒトが危険な目に遭いそうになったのは、つい先日の話だ。ヒューゴが懲りていないわけがない。

おそらくはこの状況も、ヒューゴには筒抜けだろう。







「今すぐヒューゴに戻ってほしいなら、危険な目に遭ってみる? すっ飛んでくるよ、ヒューゴなら」

「危険だと?」

リヒトの視線に霜が降りた。



「私にとっての危険など、この世にどれだけあるというのだ」



「デスヨネー」







リュクスは即座に提案を却下。

だとして、他にいい案も浮かばず、口を開く。



「逃げきれたらって、どういうこと。確認するけど、それってヒューゴがリヒトから?」



「改めて言うな。腹が立つだろう」



今の黄金の目を他が見たら、冗談でなく心臓が止まる。

はいはい、両手を挙げて、さっさと降参し、リュクスは尋ねた。





「…またどうしてそんなことに? さっき、捕まえろって言ったけど」





「それを、久しぶりの試験にしようとヒューゴは言っていた」

「試験」

また懐かしい響きの言葉だな、と思いながらリュクスは首をひねる。





「ヒューゴを捕まえるのが、試験なの?」





考えてみれば、昔は、こういう、遊びと称して、ちょっと笑えない、そんな試験をヒューゴはよく仕掛けていった。







だが今はもう、忙しいけれど自由だった、リヒトが皇子だった頃とは違う。それぞれに責任があった。

肩にのしかかっているのは、他人の生活、他人の命だ。しかも大勢。よって、







「捕まえてみろって言うなら、試されるのは―――――帝国の調査能力かな」







真剣に応じるとなれば、大ごとになるが、それがヒューゴの望みなのだろうか。



(らしくないな…試験をしようっていうのは、単なる言い逃れだったんじゃ? 何のかは分からないけど)

どうもその線が濃厚だ。







おそらく、リヒトはそれが分かっていて、…分かった上で真っ向から受けようとしている。







私的感情で、国の組織を動かすのは感心しない、とリュクスが指摘しようとするなり、



「ああ。オリエス帝国が総力を挙げた場合の、調査能力。捕縛能力もか?」



不機嫌丸出しで告げたリヒトが、ようやく用意された来客用の椅子に腰掛ける。

彼の言葉に、新調された椅子に腰かけているリュクスの顔から、笑いが消えた。

「その、抜き打ち試験、だ」



「………………もしかして」

リュクスは低く言った。







「ぼく、喧嘩売られてる? 買っちゃうよ?」







ヒューゴの発言は、帝国の能力を舐めていた。いや煽っていると言ってもいい。

(ひと一人、今から夜までに、帝国の諜報機関が見つけられないと?)

明らかな挑発である。



大人げなく言ったリュクスの表情は、目の前のリヒトのものとよく似ていた。

二人の周囲の人間は皆、下を向いている。誰も顔を上げない。



「私にも売っていった。高く買ってやるとも」



そう言えば、先ほどから、リヒトの一人称が『私』である。『僕』ではない。

ならば皇帝陛下としてここにいるのだろう。



つまり、この件に関しては、ある程度の無茶をしても目を瞑ってもらえるということだ。



「予め言っておくが、神聖力を使うのは禁止されている」

物騒に目を細め、リヒト。決められたルールを守る程度には、まだ理性は残っているようで、何よりだ。





「まあそれ使うと一発で、ヒューゴの居場所が丸わかりだもんね」









それじゃ試験にならない。面白くない。



リュクスは自分の顎に指を絡めた。



















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