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幕・99 ヘンテコなやつ
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ヒューゴは人目がないところまで来て、深く息を吐きだした。
人目のないところ―――――即ち誰もいない屋根の上である。
今は早朝。
ヒューゴが騎士になってから、一週間目の朝。
朝と夕方に、皇宮中央と北側の騎士棟を行き来するのは、ヒューゴの日課となっていた。
皇帝の護衛警護の合間に、双方の重要書類のやり取りがヒューゴに一任されたのだ。
今は、皇宮北の騎士棟からの帰り道である。
今日、とうとう、危惧していた事態の報告を受けた。
曰く―――――クライヴ・ハウエルがスラム街のドブで、死体になって浮いていた。
予感はあったが、事実として聞くと嫌な気持ちになる。
始末したのはまず間違いなく、チェンバレン家だ。ただ証拠がない。
あの日の夕暮れ、ヒューゴに背を向け、逃げ出した姿を思い出す。
引きとめていれば…いやそれは無理だろうから、捕らえ、皇宮内で拘束していれば、未来は違っていただろうか。
(それなりに使える人間でも、邪魔となったらゴミ同然なんだな)
知ってはいたが、人間には悪魔と違う怖さがある。
それとも、クライヴが仕える側を間違えたということか。
どうせ殺されるなら、納得できない仕事はできないと逆らって死んだ方がマシだったろうに、これでは泥沼だ。
おそらく、捕虜たちがあのような姿になったすべての責任は、状況からして彼一人の責任になりそうな流れが上層部にある。
臭いモノにはさっさと蓋をしたい貴族側の心境が目に見えていた。
出方次第では、クライヴの生家である、位は低くとも騎士の名門、ハウエル家はすべての責任を取らされ、没落するだろう。
あの騒動の、もう一人の立役者・聖女エミリアはと言えば。
皇宮への出入り禁止で解決しそうだ。
国外追放も望まれていたが、それでは国内に聖女がいなくなると神殿が粘った。
結果、帝国内の端にある尼僧院へほぼ幽閉状態となることで話は終わる流れが見えている。
それなのに、チェンバレン家にはなんのお咎めもなし。
いや、おそらく見えない部分で、リュクスあたりが動いていそうだが。
「やりきれないなぁ」
公の罰を与えられないのが、腹立たしい。ヒューゴが呟くなり、
「なんっだこりゃ、どうなってやがる?」
不穏な声がヒューゴの耳に届いた。同時に、
―――――バサッ。
鳥の羽音。
ヒューゴは反射の動きで空を見上げる。
とたん、顔にかかる、大きな影。
「なんでそんな状態で、生きてられんだよ、魔竜? 相変わらずヘンテコな奴だな!」
濃紺の目に映ったのは、彼の頭上をくるくると回るカラスの姿。
いっとき、ぽかんと口を開けたヒューゴは、次の瞬間、心底驚いて声を張り上げた。
「混沌!? 本物か!?」
思わず捕まえようと伸ばしたヒューゴの手から、
「おっと、止めろ!」
辛くも逃れたカラスは、彼から少し離れた場所へ降り立ち、じりじり後退、距離を取る。
「抱きしめようとしただろ、今、オレさまを抱きしめようとしただろ」
ヒューゴはじりじり前進、隙を伺う。
「久しぶり、元気だったか、というわけで、ハグしよう!」
満面の笑みで両手を広げ、ウェルカムなヒューゴ。
その姿を目の前にすれば、誰だって腕の中へ飛び込みたいと思うだろう。そう確信するくらいには魅力的だった。しかし。
カラスは、チッと舌打ち。本気で嫌そうだ。
「んな神聖力でがんじがらめのヤツに抱きしめられたら悪魔は即死だ」
冷静な声に、ヒューゴは片思いに涙をのみつつ腕を引っ込める。
「けど俺は生きてるぞ?」
しょんぼり言えば、
「だっから、それがおかしいんだって! …あ、でもお前半分竜だからな」
カラスはヒューゴの姿を上から下までジロジロ視線で往復。
「半分竜…そういえばそうか」
ヒューゴとしては、自分悪魔ですが、としか思わない。
とはいえ、あまり自覚はないが、黒竜を取り込んだことで体質が変質している可能性は高かった。
カラスはぶつぶつ続ける。
「いくら神聖力が魔力を打ち消しにかかったって、竜が生む魔素は無限大…いや無尽蔵だ。魔素は魔法の元となるマナの原料みたいなもんなんだし、そうなればお前が無事なのも頷ける」
カラスの物言いに、おお、と両手を打ち合わせるヒューゴ。
それは、心の底から納得できる説明だった。
やっぱり、同じ悪魔からも意見を聞くべきである。
そんな彼を半眼で見上げるカラス。
「お前その状態で、なんとなく大丈夫だからこれからだって大丈夫だろう、とか、いつものいい加減な考えでいたわけじゃないだろうな…?」
「問題なかったからな。生きてるし」
ヒューゴはカラスの呆れ返った視線に心折れることもなく、堂々とふんぞり返った。
いい加減だろうと適当だろうと、生きていればいいのだ、生きていれば。
生きているだけで丸儲けと言ったのは誰だったか。
「要するに俺の身体の中で、同等の神聖力と魔力が打ち消し合ってるってわけ…か」
「そうだな、しかも相当膨大な力が、こう、…消し合いっこしている…な」
言っていて、揃って虚しい気分になった。困惑の目を見交わす悪魔二体。
つまり、ヒューゴの身体では巨大な神聖力と魔力が有効活用されることなく無駄に消費され続けているということで。主婦的感覚からすれば、非常にもったいない。
「まあでもそれで納得だ」
エネルギーの無駄遣い、なんて考えから目を逸らし、ヒューゴ。
「この神聖力の鎖より、少し上回る魔力を俺が持っていれば、どうにかやり過ごせる理由がはっきりした」
カラスもすぐ、気を取り直す。
「そうだな、魔素が無尽蔵でも、それを魔力としてどんだけ変換できるかにもかかってくるしな…ええい、ややこしい」
ダンダン、小さく細っこい二本足で地団駄踏むカラス。
「やろうと思ったらそれ外せるんだろうが。なんで縛られっぱなしなんだよ」
今度は、カラスがじりじり前進。首を横に振りつつ、後退するヒューゴ。
「いや、最初は相手の無意識にやられちゃって、外そうにも外せなかったんだよ」
カラスの目には、神聖力の鎖が映っている。
猛烈な執着がそこからしみ出している様子に、これって実は呪いの道具じゃねえのと勘違いしそうだ。
「最初は、だろうが」
「突っ込むね!?」
ヒューゴはため息。両手を挙げる。
「無理に外すと鎖を生んだ方に負担がかかるし、それはかわいそうだろ」
「かわいそうな自分を助けたいと思うのが悪魔だ」
「おお…混沌が正論を口にしている」
ただ、やってやれないことはないが、正直、ヒューゴも無傷ではきっと済まない。
無理に逃れることは、リスクが高いのだ。ヒューゴとリヒト、双方にとって。
「同意の上外せるのが一番理想なんだよ。でもあの子親離れできなくってさ」
「…………………親………だ、と」
改めて、神聖力の鎖をカラスは見直した。
呪いのような執着心。
悪魔ですら寒気を覚える。カラスは小首を傾げた。
―――――親、ねえ?
ヒューゴは人目がないところまで来て、深く息を吐きだした。
人目のないところ―――――即ち誰もいない屋根の上である。
今は早朝。
ヒューゴが騎士になってから、一週間目の朝。
朝と夕方に、皇宮中央と北側の騎士棟を行き来するのは、ヒューゴの日課となっていた。
皇帝の護衛警護の合間に、双方の重要書類のやり取りがヒューゴに一任されたのだ。
今は、皇宮北の騎士棟からの帰り道である。
今日、とうとう、危惧していた事態の報告を受けた。
曰く―――――クライヴ・ハウエルがスラム街のドブで、死体になって浮いていた。
予感はあったが、事実として聞くと嫌な気持ちになる。
始末したのはまず間違いなく、チェンバレン家だ。ただ証拠がない。
あの日の夕暮れ、ヒューゴに背を向け、逃げ出した姿を思い出す。
引きとめていれば…いやそれは無理だろうから、捕らえ、皇宮内で拘束していれば、未来は違っていただろうか。
(それなりに使える人間でも、邪魔となったらゴミ同然なんだな)
知ってはいたが、人間には悪魔と違う怖さがある。
それとも、クライヴが仕える側を間違えたということか。
どうせ殺されるなら、納得できない仕事はできないと逆らって死んだ方がマシだったろうに、これでは泥沼だ。
おそらく、捕虜たちがあのような姿になったすべての責任は、状況からして彼一人の責任になりそうな流れが上層部にある。
臭いモノにはさっさと蓋をしたい貴族側の心境が目に見えていた。
出方次第では、クライヴの生家である、位は低くとも騎士の名門、ハウエル家はすべての責任を取らされ、没落するだろう。
あの騒動の、もう一人の立役者・聖女エミリアはと言えば。
皇宮への出入り禁止で解決しそうだ。
国外追放も望まれていたが、それでは国内に聖女がいなくなると神殿が粘った。
結果、帝国内の端にある尼僧院へほぼ幽閉状態となることで話は終わる流れが見えている。
それなのに、チェンバレン家にはなんのお咎めもなし。
いや、おそらく見えない部分で、リュクスあたりが動いていそうだが。
「やりきれないなぁ」
公の罰を与えられないのが、腹立たしい。ヒューゴが呟くなり、
「なんっだこりゃ、どうなってやがる?」
不穏な声がヒューゴの耳に届いた。同時に、
―――――バサッ。
鳥の羽音。
ヒューゴは反射の動きで空を見上げる。
とたん、顔にかかる、大きな影。
「なんでそんな状態で、生きてられんだよ、魔竜? 相変わらずヘンテコな奴だな!」
濃紺の目に映ったのは、彼の頭上をくるくると回るカラスの姿。
いっとき、ぽかんと口を開けたヒューゴは、次の瞬間、心底驚いて声を張り上げた。
「混沌!? 本物か!?」
思わず捕まえようと伸ばしたヒューゴの手から、
「おっと、止めろ!」
辛くも逃れたカラスは、彼から少し離れた場所へ降り立ち、じりじり後退、距離を取る。
「抱きしめようとしただろ、今、オレさまを抱きしめようとしただろ」
ヒューゴはじりじり前進、隙を伺う。
「久しぶり、元気だったか、というわけで、ハグしよう!」
満面の笑みで両手を広げ、ウェルカムなヒューゴ。
その姿を目の前にすれば、誰だって腕の中へ飛び込みたいと思うだろう。そう確信するくらいには魅力的だった。しかし。
カラスは、チッと舌打ち。本気で嫌そうだ。
「んな神聖力でがんじがらめのヤツに抱きしめられたら悪魔は即死だ」
冷静な声に、ヒューゴは片思いに涙をのみつつ腕を引っ込める。
「けど俺は生きてるぞ?」
しょんぼり言えば、
「だっから、それがおかしいんだって! …あ、でもお前半分竜だからな」
カラスはヒューゴの姿を上から下までジロジロ視線で往復。
「半分竜…そういえばそうか」
ヒューゴとしては、自分悪魔ですが、としか思わない。
とはいえ、あまり自覚はないが、黒竜を取り込んだことで体質が変質している可能性は高かった。
カラスはぶつぶつ続ける。
「いくら神聖力が魔力を打ち消しにかかったって、竜が生む魔素は無限大…いや無尽蔵だ。魔素は魔法の元となるマナの原料みたいなもんなんだし、そうなればお前が無事なのも頷ける」
カラスの物言いに、おお、と両手を打ち合わせるヒューゴ。
それは、心の底から納得できる説明だった。
やっぱり、同じ悪魔からも意見を聞くべきである。
そんな彼を半眼で見上げるカラス。
「お前その状態で、なんとなく大丈夫だからこれからだって大丈夫だろう、とか、いつものいい加減な考えでいたわけじゃないだろうな…?」
「問題なかったからな。生きてるし」
ヒューゴはカラスの呆れ返った視線に心折れることもなく、堂々とふんぞり返った。
いい加減だろうと適当だろうと、生きていればいいのだ、生きていれば。
生きているだけで丸儲けと言ったのは誰だったか。
「要するに俺の身体の中で、同等の神聖力と魔力が打ち消し合ってるってわけ…か」
「そうだな、しかも相当膨大な力が、こう、…消し合いっこしている…な」
言っていて、揃って虚しい気分になった。困惑の目を見交わす悪魔二体。
つまり、ヒューゴの身体では巨大な神聖力と魔力が有効活用されることなく無駄に消費され続けているということで。主婦的感覚からすれば、非常にもったいない。
「まあでもそれで納得だ」
エネルギーの無駄遣い、なんて考えから目を逸らし、ヒューゴ。
「この神聖力の鎖より、少し上回る魔力を俺が持っていれば、どうにかやり過ごせる理由がはっきりした」
カラスもすぐ、気を取り直す。
「そうだな、魔素が無尽蔵でも、それを魔力としてどんだけ変換できるかにもかかってくるしな…ええい、ややこしい」
ダンダン、小さく細っこい二本足で地団駄踏むカラス。
「やろうと思ったらそれ外せるんだろうが。なんで縛られっぱなしなんだよ」
今度は、カラスがじりじり前進。首を横に振りつつ、後退するヒューゴ。
「いや、最初は相手の無意識にやられちゃって、外そうにも外せなかったんだよ」
カラスの目には、神聖力の鎖が映っている。
猛烈な執着がそこからしみ出している様子に、これって実は呪いの道具じゃねえのと勘違いしそうだ。
「最初は、だろうが」
「突っ込むね!?」
ヒューゴはため息。両手を挙げる。
「無理に外すと鎖を生んだ方に負担がかかるし、それはかわいそうだろ」
「かわいそうな自分を助けたいと思うのが悪魔だ」
「おお…混沌が正論を口にしている」
ただ、やってやれないことはないが、正直、ヒューゴも無傷ではきっと済まない。
無理に逃れることは、リスクが高いのだ。ヒューゴとリヒト、双方にとって。
「同意の上外せるのが一番理想なんだよ。でもあの子親離れできなくってさ」
「…………………親………だ、と」
改めて、神聖力の鎖をカラスは見直した。
呪いのような執着心。
悪魔ですら寒気を覚える。カラスは小首を傾げた。
―――――親、ねえ?
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