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幕・89 眩い表舞台と裏事情
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きらびやかな宴の場に立つのは、ヒューゴにとって、これが初めてだ。
前世でもこんな経験はない。
そもそも彼女は、華やかな人が集まる場というのが、心底嫌いな女だった。
一人の方が、ホッとするのだ。
ヒューゴは特に嫌いではないが、格式張っていて、守るべきマナーがあるのが、窮屈で仕方がない。
自由気ままに、気心の知れた相手同志との飲み会ならどんとこいなのだが。
笑いさざめく紳士淑女たち。
合間を縫って流れる格調高い音楽。
完璧な作法で応対する侍従たち。
閃くドレスの布。
光をはじく宝石の群れ。
高級な料理人。
とにもかくにも、すべてがきらきら眩いばかり。
そのような中でも、もっとも輝かしい場所。
ホールに降りた皇帝の斜め後ろに控えているのがヒューゴだ。
息苦しくて仕方がない。
瓦礫の山の中、地べたに座ってカップ酒でも飲んでいたほうがヒューゴには似合いだ。
つい数分前まで、リュクスの説教を受けていた時間のほうがまだましだったかもしれない。とはいえ。
―――――ぼくって世界一働き者の宰相だよね!
やけっぱちで怒鳴り散らしていたリュクスの口元に、厨房に作り置きしていた、小さな頃彼が好きだったアイスを押し込めば、一瞬で黙った。
たまにこれは、リヒトのご機嫌取りに使われる。
もっと食べる? と聞けば、手元から匙とグラスを奪われ、リュクスはどこかに消えてしまった。
いや、彼の周囲には人が集まるから、どこにいるのかは一目瞭然だったが。
ヒューゴの前からこれ見よがしに去ったのは、しばらくの間、顔も見たくない、というリュクスなりの意思表示だ。
なんだか、よっぽど怒らせてしまったようだ。
リュクスは繰り返し言っていた。
(あんなに簡単に刺されるのは自分が強いからって、油断があるからだ、か)
何度もくどくど繰り返された、耳に痛い言葉である。
確かに相手は聖女、戦いの素人だ。そんな相手にあっさり背後から刺されたのだから、反論などできない。
確かに、ヒューゴにはそういうところがあった。
あまりに肉体が頑丈だから、ちょっと刺されるくらい別に気にしない、と。
リュクスが言う油断とは、その手のヒューゴの傲慢さだ。
今回のことだって、ヒューゴがもっと気を付けていれば避けられた。
聖女エミリアが彼を嫌っていることは、一目瞭然だったのだから。
しかも決定的な瞬間を、ツクヨミがこのホールで映像としてあげていたというのだから、ヒューゴとしては居たたまれないほど恥ずかしい。
しれっと皇帝に付き従ってホールに現れたヒューゴの姿に、いっときざわめきが広がったのは、そういう理由だったのかとヒューゴは落ち込んだ。
―――――いいかな、君がどうにかなったら、まずはリヒトがどうなるか考えてよ? いくら強いって言っても、ヒューゴ自身を守ることもちゃんと考えて。
リュクスの言葉に反省しきりの彼は、礼儀正しくおとなしく、皇帝リヒトの斜め後ろに控えていた。
ホールに降りてきているとはいえ、先ほどまでリュクスとリカルドがそばにいた時は寄ってこなかった貴族たちが、我先にとリヒトへ話しかけてくる。
護衛のヒューゴはいていないようなもの。
誰かがこれ見よがしに見てくることはない。
なのに執拗に周囲から視線を感じた。
首輪を見て、はっきりと、もともとは奴隷のくせに、と見下し、侮蔑する視線。
値踏みする眼差し。
親しくなるべきかならざるべきか、と計算する気配。
今までにもあったものだ。
しかしこれまでは、『陛下の奴隷』即ち皇帝の所有物であったゆえに近寄るものはよほどの阿呆か剛毅な相手であったわけだが。
ヒューゴは今日晴れて、騎士となった。
表向きの立場としては、こういった宴席に立っても不思議はない地位を手に入れたというわけだ。
貴族たちの出方もまた、変わってくるだろう。
だからたまにこうして、ちょっかいをかけられる。
「においますなあ…人間ではない獣の匂いだ」
リヒトが他の貴族と会話をしている最中、周囲にいる中年の貴族が、風船のように膨らんだ腹を撫でながらそばの仲間に話しかける。
視線はねっとりとヒューゴの横顔に注がれていた。
「この晴れやかな席に、卑しい者が混じっているようで」
悪意には慣れているし、むしろその方がヒューゴの日常に近い。
それに、勘違いされているようだが、この程度では怒りが湧くとか悲しみに暮れるとかそんな反応はヒューゴの中で微塵も湧かない。湧くのはどちらかと言えば。
―――――わくわく。
心躍る気分だ。
戦闘を好む悪魔である以上、喧嘩を売られたらそうなるのは当たり前だった。
もちろん、人間相手に、悪魔が肉弾戦で応じるわけにはいかない。結果など分かり切っている。ゆえに、我慢しなければならなかった。
我慢しなければいけないからこそ、妙な沈黙に沈み、微笑むだけになる。
今から楽しい楽しい殴り合いを始めようと言えないのが辛いだけだ。
よって、この程度ならヒューゴは埃を払う程度の気持ちで聞き流す傾向にあるのだが。
「ほお」
いきなりリヒトが、周囲の貴族との会話を不自然に切った。
ヒューゴを見下す発言をした貴族に視線を流す。
あ、と思った時にはもう遅い。
「誰のことを言っている?」
「…これは、陛下」
まさかこうも明確な態度で咎めてくるとは思わなかったのだろう。
もちろん、リヒトは皇帝だ。感情に任せて動くことない。
つまりは、今回の対応も、理由があってのことだろうが。
そういえば、とヒューゴは黙ったまま、リュクスやリカルドの位置を探る。
リュクスは先ほど離れたし、リカルドは宴の主役として最初から周囲の貴族の対応に専念していた。
彼らが立っている場所と、リヒトとは距離がある。
(もしかして意図的に作られた距離か?)
リヒトたちのことを知っているヒューゴから見れば、これは明らかに、仕組まれた場だった。
では気の毒に、先ほどヒューゴにあからさまな言葉を放った貴族は、罠にかかった獲物というわけだ。
ちょっとした腹いせに陰口を言ったその貴族は、頑丈に笑みを保ったが、顔色を悪くした。
(名前は思い出せないけど、えーっと、コイツは確か大臣の一人だったような)
きらびやかな宴の場に立つのは、ヒューゴにとって、これが初めてだ。
前世でもこんな経験はない。
そもそも彼女は、華やかな人が集まる場というのが、心底嫌いな女だった。
一人の方が、ホッとするのだ。
ヒューゴは特に嫌いではないが、格式張っていて、守るべきマナーがあるのが、窮屈で仕方がない。
自由気ままに、気心の知れた相手同志との飲み会ならどんとこいなのだが。
笑いさざめく紳士淑女たち。
合間を縫って流れる格調高い音楽。
完璧な作法で応対する侍従たち。
閃くドレスの布。
光をはじく宝石の群れ。
高級な料理人。
とにもかくにも、すべてがきらきら眩いばかり。
そのような中でも、もっとも輝かしい場所。
ホールに降りた皇帝の斜め後ろに控えているのがヒューゴだ。
息苦しくて仕方がない。
瓦礫の山の中、地べたに座ってカップ酒でも飲んでいたほうがヒューゴには似合いだ。
つい数分前まで、リュクスの説教を受けていた時間のほうがまだましだったかもしれない。とはいえ。
―――――ぼくって世界一働き者の宰相だよね!
やけっぱちで怒鳴り散らしていたリュクスの口元に、厨房に作り置きしていた、小さな頃彼が好きだったアイスを押し込めば、一瞬で黙った。
たまにこれは、リヒトのご機嫌取りに使われる。
もっと食べる? と聞けば、手元から匙とグラスを奪われ、リュクスはどこかに消えてしまった。
いや、彼の周囲には人が集まるから、どこにいるのかは一目瞭然だったが。
ヒューゴの前からこれ見よがしに去ったのは、しばらくの間、顔も見たくない、というリュクスなりの意思表示だ。
なんだか、よっぽど怒らせてしまったようだ。
リュクスは繰り返し言っていた。
(あんなに簡単に刺されるのは自分が強いからって、油断があるからだ、か)
何度もくどくど繰り返された、耳に痛い言葉である。
確かに相手は聖女、戦いの素人だ。そんな相手にあっさり背後から刺されたのだから、反論などできない。
確かに、ヒューゴにはそういうところがあった。
あまりに肉体が頑丈だから、ちょっと刺されるくらい別に気にしない、と。
リュクスが言う油断とは、その手のヒューゴの傲慢さだ。
今回のことだって、ヒューゴがもっと気を付けていれば避けられた。
聖女エミリアが彼を嫌っていることは、一目瞭然だったのだから。
しかも決定的な瞬間を、ツクヨミがこのホールで映像としてあげていたというのだから、ヒューゴとしては居たたまれないほど恥ずかしい。
しれっと皇帝に付き従ってホールに現れたヒューゴの姿に、いっときざわめきが広がったのは、そういう理由だったのかとヒューゴは落ち込んだ。
―――――いいかな、君がどうにかなったら、まずはリヒトがどうなるか考えてよ? いくら強いって言っても、ヒューゴ自身を守ることもちゃんと考えて。
リュクスの言葉に反省しきりの彼は、礼儀正しくおとなしく、皇帝リヒトの斜め後ろに控えていた。
ホールに降りてきているとはいえ、先ほどまでリュクスとリカルドがそばにいた時は寄ってこなかった貴族たちが、我先にとリヒトへ話しかけてくる。
護衛のヒューゴはいていないようなもの。
誰かがこれ見よがしに見てくることはない。
なのに執拗に周囲から視線を感じた。
首輪を見て、はっきりと、もともとは奴隷のくせに、と見下し、侮蔑する視線。
値踏みする眼差し。
親しくなるべきかならざるべきか、と計算する気配。
今までにもあったものだ。
しかしこれまでは、『陛下の奴隷』即ち皇帝の所有物であったゆえに近寄るものはよほどの阿呆か剛毅な相手であったわけだが。
ヒューゴは今日晴れて、騎士となった。
表向きの立場としては、こういった宴席に立っても不思議はない地位を手に入れたというわけだ。
貴族たちの出方もまた、変わってくるだろう。
だからたまにこうして、ちょっかいをかけられる。
「においますなあ…人間ではない獣の匂いだ」
リヒトが他の貴族と会話をしている最中、周囲にいる中年の貴族が、風船のように膨らんだ腹を撫でながらそばの仲間に話しかける。
視線はねっとりとヒューゴの横顔に注がれていた。
「この晴れやかな席に、卑しい者が混じっているようで」
悪意には慣れているし、むしろその方がヒューゴの日常に近い。
それに、勘違いされているようだが、この程度では怒りが湧くとか悲しみに暮れるとかそんな反応はヒューゴの中で微塵も湧かない。湧くのはどちらかと言えば。
―――――わくわく。
心躍る気分だ。
戦闘を好む悪魔である以上、喧嘩を売られたらそうなるのは当たり前だった。
もちろん、人間相手に、悪魔が肉弾戦で応じるわけにはいかない。結果など分かり切っている。ゆえに、我慢しなければならなかった。
我慢しなければいけないからこそ、妙な沈黙に沈み、微笑むだけになる。
今から楽しい楽しい殴り合いを始めようと言えないのが辛いだけだ。
よって、この程度ならヒューゴは埃を払う程度の気持ちで聞き流す傾向にあるのだが。
「ほお」
いきなりリヒトが、周囲の貴族との会話を不自然に切った。
ヒューゴを見下す発言をした貴族に視線を流す。
あ、と思った時にはもう遅い。
「誰のことを言っている?」
「…これは、陛下」
まさかこうも明確な態度で咎めてくるとは思わなかったのだろう。
もちろん、リヒトは皇帝だ。感情に任せて動くことない。
つまりは、今回の対応も、理由があってのことだろうが。
そういえば、とヒューゴは黙ったまま、リュクスやリカルドの位置を探る。
リュクスは先ほど離れたし、リカルドは宴の主役として最初から周囲の貴族の対応に専念していた。
彼らが立っている場所と、リヒトとは距離がある。
(もしかして意図的に作られた距離か?)
リヒトたちのことを知っているヒューゴから見れば、これは明らかに、仕組まれた場だった。
では気の毒に、先ほどヒューゴにあからさまな言葉を放った貴族は、罠にかかった獲物というわけだ。
ちょっとした腹いせに陰口を言ったその貴族は、頑丈に笑みを保ったが、顔色を悪くした。
(名前は思い出せないけど、えーっと、コイツは確か大臣の一人だったような)
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