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幕・79 俺が決める
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即ち、答えはここにあると言うことだ。
連れ去られたということは、ひとまず、悪魔はすぐには殺されないだろう。
先に魔塔の知り合いと合流した方が、事はスムーズにすむ―――――その考えが甘かったことは、すぐに思い知ったが。
(想像以上に、主犯の魔法使いたちが愚かだった)
サイファは頭痛を感じ、無意識にこめかみに手を当てた。
その様子に、きょとんと魔竜は首を傾げる。なんとも愛嬌に満ちた仕草の後、
「どうした? あたま、痛いの?」
不思議そうに尋ねてくる姿は、やけに純朴だった。とはいえ。
(彼の純粋さは、獣に近いな)
どう答えるべきか、悩んだところで、
「…御使い…卿が?」
思わず、といった様子で、サイファの背後から声が上がる。
まだ中階層にしか至っていないが、将来有望な魔塔の魔法使いだ。まだ若い。
近頃少年の息を抜けたばかりの青年だ。
平民で何の後ろ盾もない子供が、そこまで上り詰めたのだから、魔塔の純粋な実力主義の方針もそう悪くないのではないか、とサイファなどは思うのだが。
要するに彼は中間管理職的な立場であり、上層部から見れば、使い勝手はいいが、いつ捨てても構わない相手と言えた。
どこから抗議がくる心配もないからだ。ゆえに。
敵意を抱いた魔竜が現れたこの事態に、泡を食った魔塔の上層部は、死兵として彼をこの場へ送り出したというわけだ。
少しでも魔竜の意向を知るために。
彼らは、我が身は可愛いが、平民の青年一人が死んだところで、痛くもかゆくもない。
それを、彼とて察したはずだが。
責任感なのか、意地なのか、昔から、逃げることだけはできない人間だった。
そう、おそらく、しない、という以前に、できないのだ。
「ふうん。君は、魔塔の魔法使い? だよね? 名前は?」
元来、気さくな性格なのだろう、魔竜はこれっぽっちももったいぶらず、青年に話しかけた。
「はっ、だ、ダリル、と申します」
蒼白になり、全力で頭を下げるダリル。嘘などつく余裕もない。それにおそらく。
嘘に対する報復が恐ろしい。この場合は、正直が一番だ。
判断し、正直に答えたダリルをどう思ったか、魔竜は目を細めた。
ただ、ダリルが姓を名乗らなかったことで、彼の身分は察しただろう。立場も。
魔竜は高圧的に出ることはなく、気安く尋ねた。
「魔塔はその魔法使いたちを庇う方針かな」
「そ、れは」
状況も皆目見当がつかない上に、ダリルは単なる中間管理職である。
彼は言い淀んだ。無理もない。
本来なら、ここで応対すべきは魔塔の塔主であるべきだ。
判断を下すべきも、また。最高責任者は塔主なのだから。にもかかわらず。
塔主は逃げた。
ダリルにこの場を任せ、様子見をしている、と言った方がまだきれいだろうが。
だが、ダリルの心は涙を呑んで叫んでいる。
―――――責任者は、我が身可愛さに逃げてます…っ!
それでも正直に言うことはできないダリルを見かねて、口を開いたのはサイファだ。
「塔主は彼に、ここへ行けと指示したが、全権など与えていないし、方針も決まっていない」
サイファは、ダリルのことはそれなりに気に入っているが、他の魔塔の誰かを庇う義理はない。
そんなこと正直に言っていいの!? と目を剥いたダリルがサイファを見るが、堕天した御使いは素知らぬ顔で受け流した。
「うん、つまり」
魔竜は穏やかに頷く。
「それなりに有望だけど後ろ盾のない若い者を、コイツなら捨てていいやって生贄に出して、あとで自分は精一杯やったって口を拭うつもりなんだな―――――おいコラふざけんな」
「ひぃっ。すみませんごめんなさい許してください!」
ダリルとしては、もう、残るは土下座しかない。
生きるも死ぬも彼が選べる領域ではなかった。
とはいえ、頭を低くしていれば、やり過ごせるかもしれない。
果たして魔竜は、困ったように言った。
「…君に言ったんじゃないよ。ここでの会話、塔主は聞いてるはずだ。それが塔主ってことなんだからね。魔塔をめぐる魔力の流れがそう言ってる。こそこそ隠れておいてさあぁ…出て来いよ。来ないのか?」
魔竜が苛立ち始める。それは実際の重圧となって、暗雲のように周囲に立ち込め始めた。
もとより、魔竜はひどく怒っている。
先ほど一瞬それが吹き飛んだ感覚はあったが、燻った怒りが冷める様子はない。
圧し潰されそうな人間たちは何も言えなくなる。
魔竜をこの場に連れてきただろう首謀者の魔法使いたちなどは、もう消え入りそうだ。
一番気の毒なのは、何の関係もないダリルだから、呆れた表情ながら、仕方なしにサイファはまた口を挟んだ。
「塔主に出るつもりはないだろう」
「なんで」
魔竜は至極当然のことを口にした。
「一等上席のやつが、配下がやらかしたことの責任を取るのは当たり前だろ」
「上席の人間だからこそ、無様を晒したくないのだ」
魔竜に常識は通じない。
ましてや、魔塔の張り巡らされた最新の攻撃、そのすべてを軽々いなした相手を前に、恐怖心を抱かない方がおかしい。だからと言って。
自身の責任から逃げていい理由にはならないが。
「魔竜を前に、平静に応対できる方が珍しい」
「でもその子は俺を前にしてるってのに、喋れるよね」
魔竜は鼻先を突き出し、ダリルを示す。
そこはサイファも見直したところだ。
今現在、彼は土下座の姿勢から亀の子のように丸く縮こまってしまっているが、自分に話題が移ったことに気付くなり、
「ぼっ、僕のことはお気になさらず!」
どうにかして、魔竜の意識から逃れようと声を張った。まだまだ正気がある証拠だ。
その上、機会があれば、どうにかして逃げる道を掴んでやると言う気概を感じた。
肝が据わっている。その態度に、
「ふー…ん」
魔竜の中で、何かが決まったようだ。
ちらと上目遣いにサイファが見遣れば、悪戯小僧のような笑みが返った。
「俺は塔主と話したい。でも、塔主は出てこない。だったら」
瞬く間に、魔竜の周囲に魔素が集まっていく。いや、これは。
ふ、と思わずサイファは目を瞠った。
(彼自身が、魔素の根源。魔力はその肉体が生み出している)
そしてその見解は正しい。
彼は悪魔だが、同時に竜だ。
古代の竜、即ち神龍は、その肉体から無尽蔵に魔素を生み出したと言う。
そんな、神秘の存在がさらり、告げた。
「目の前にいる人間が塔主になれば、問題ないよな」
「い、いったい、何を言って…っ」
滅茶苦茶な物言いに、思わずと言った態度で口を開いたのは、腰を抜かして座り込んでいる魔法使いの一人だ。
「塔主さまを殺すつもりか!」
彼をサイファは横目に見遣り、黙殺する。
魔竜の態度が穏やかなことから、舐めてかかったに違いない。
言葉が通じる相手なら、口で言えば何とかなる。そんな風に。だが。
「ばーっか」
幼子のように、魔竜は小憎たらしい態度で告げた。
「殺して次の塔主が決まるまで悠長に待つつもりなんかない」
魔竜の反応に、サイファはため息をつく。
いちいち相手にするから、相手が増長するのだ。この魔竜は基本的にお人よしが過ぎた。そのくせ、
「俺が塔主を決めるって言ってるんだよ」
力という面では―――――図抜けていた。
「それに、お前ら目障りだから、俺がうっかり殺す前に、ちょっと気絶してもらうよ」
言うなり、ダリルの後ろにいた魔法使い五人は、いっきに昏倒。
直後、魔塔に異変を感じ取ったサイファは、目を瞠る。呆気にとられた。
魔塔の中心に座す塔主。
彼から、一瞬で、魔塔につながる魔力の回路が引き抜かれたことを感じ取ったからだ。
―――――ぶちぶちぶちっ。
音が聴こえたとしたら、雑草の細い根が千切れたような、そんな音だったはずだ。
しかもそれを、信じられないほどの繊細さで、完璧に根こそぎ、傷なく、魔竜は引き抜いてしまった。
結果、塔主の命にはこれっぽっちも影響はない。
一方的に力を奪われた…精神的な傷はどうか知らないが。
本来ならば。
塔主の力とは、熾烈な魔力争いの結果、魔法の実力と政治力で選ばれ、精妙な儀式を経てその身に繋がれる回路である。それを。
「俺が見る限り、君なら問題ない」
魔竜は平然と、身勝手極まる発言を、して。
「ダリル。君が塔主になりなさい」
―――――あれは断罪同然の台詞だった、とあとでこの時のことを振り返って、ダリルは言った。べそをかきながら。
「…………………………………は、ぃ?」
連れ去られたということは、ひとまず、悪魔はすぐには殺されないだろう。
先に魔塔の知り合いと合流した方が、事はスムーズにすむ―――――その考えが甘かったことは、すぐに思い知ったが。
(想像以上に、主犯の魔法使いたちが愚かだった)
サイファは頭痛を感じ、無意識にこめかみに手を当てた。
その様子に、きょとんと魔竜は首を傾げる。なんとも愛嬌に満ちた仕草の後、
「どうした? あたま、痛いの?」
不思議そうに尋ねてくる姿は、やけに純朴だった。とはいえ。
(彼の純粋さは、獣に近いな)
どう答えるべきか、悩んだところで、
「…御使い…卿が?」
思わず、といった様子で、サイファの背後から声が上がる。
まだ中階層にしか至っていないが、将来有望な魔塔の魔法使いだ。まだ若い。
近頃少年の息を抜けたばかりの青年だ。
平民で何の後ろ盾もない子供が、そこまで上り詰めたのだから、魔塔の純粋な実力主義の方針もそう悪くないのではないか、とサイファなどは思うのだが。
要するに彼は中間管理職的な立場であり、上層部から見れば、使い勝手はいいが、いつ捨てても構わない相手と言えた。
どこから抗議がくる心配もないからだ。ゆえに。
敵意を抱いた魔竜が現れたこの事態に、泡を食った魔塔の上層部は、死兵として彼をこの場へ送り出したというわけだ。
少しでも魔竜の意向を知るために。
彼らは、我が身は可愛いが、平民の青年一人が死んだところで、痛くもかゆくもない。
それを、彼とて察したはずだが。
責任感なのか、意地なのか、昔から、逃げることだけはできない人間だった。
そう、おそらく、しない、という以前に、できないのだ。
「ふうん。君は、魔塔の魔法使い? だよね? 名前は?」
元来、気さくな性格なのだろう、魔竜はこれっぽっちももったいぶらず、青年に話しかけた。
「はっ、だ、ダリル、と申します」
蒼白になり、全力で頭を下げるダリル。嘘などつく余裕もない。それにおそらく。
嘘に対する報復が恐ろしい。この場合は、正直が一番だ。
判断し、正直に答えたダリルをどう思ったか、魔竜は目を細めた。
ただ、ダリルが姓を名乗らなかったことで、彼の身分は察しただろう。立場も。
魔竜は高圧的に出ることはなく、気安く尋ねた。
「魔塔はその魔法使いたちを庇う方針かな」
「そ、れは」
状況も皆目見当がつかない上に、ダリルは単なる中間管理職である。
彼は言い淀んだ。無理もない。
本来なら、ここで応対すべきは魔塔の塔主であるべきだ。
判断を下すべきも、また。最高責任者は塔主なのだから。にもかかわらず。
塔主は逃げた。
ダリルにこの場を任せ、様子見をしている、と言った方がまだきれいだろうが。
だが、ダリルの心は涙を呑んで叫んでいる。
―――――責任者は、我が身可愛さに逃げてます…っ!
それでも正直に言うことはできないダリルを見かねて、口を開いたのはサイファだ。
「塔主は彼に、ここへ行けと指示したが、全権など与えていないし、方針も決まっていない」
サイファは、ダリルのことはそれなりに気に入っているが、他の魔塔の誰かを庇う義理はない。
そんなこと正直に言っていいの!? と目を剥いたダリルがサイファを見るが、堕天した御使いは素知らぬ顔で受け流した。
「うん、つまり」
魔竜は穏やかに頷く。
「それなりに有望だけど後ろ盾のない若い者を、コイツなら捨てていいやって生贄に出して、あとで自分は精一杯やったって口を拭うつもりなんだな―――――おいコラふざけんな」
「ひぃっ。すみませんごめんなさい許してください!」
ダリルとしては、もう、残るは土下座しかない。
生きるも死ぬも彼が選べる領域ではなかった。
とはいえ、頭を低くしていれば、やり過ごせるかもしれない。
果たして魔竜は、困ったように言った。
「…君に言ったんじゃないよ。ここでの会話、塔主は聞いてるはずだ。それが塔主ってことなんだからね。魔塔をめぐる魔力の流れがそう言ってる。こそこそ隠れておいてさあぁ…出て来いよ。来ないのか?」
魔竜が苛立ち始める。それは実際の重圧となって、暗雲のように周囲に立ち込め始めた。
もとより、魔竜はひどく怒っている。
先ほど一瞬それが吹き飛んだ感覚はあったが、燻った怒りが冷める様子はない。
圧し潰されそうな人間たちは何も言えなくなる。
魔竜をこの場に連れてきただろう首謀者の魔法使いたちなどは、もう消え入りそうだ。
一番気の毒なのは、何の関係もないダリルだから、呆れた表情ながら、仕方なしにサイファはまた口を挟んだ。
「塔主に出るつもりはないだろう」
「なんで」
魔竜は至極当然のことを口にした。
「一等上席のやつが、配下がやらかしたことの責任を取るのは当たり前だろ」
「上席の人間だからこそ、無様を晒したくないのだ」
魔竜に常識は通じない。
ましてや、魔塔の張り巡らされた最新の攻撃、そのすべてを軽々いなした相手を前に、恐怖心を抱かない方がおかしい。だからと言って。
自身の責任から逃げていい理由にはならないが。
「魔竜を前に、平静に応対できる方が珍しい」
「でもその子は俺を前にしてるってのに、喋れるよね」
魔竜は鼻先を突き出し、ダリルを示す。
そこはサイファも見直したところだ。
今現在、彼は土下座の姿勢から亀の子のように丸く縮こまってしまっているが、自分に話題が移ったことに気付くなり、
「ぼっ、僕のことはお気になさらず!」
どうにかして、魔竜の意識から逃れようと声を張った。まだまだ正気がある証拠だ。
その上、機会があれば、どうにかして逃げる道を掴んでやると言う気概を感じた。
肝が据わっている。その態度に、
「ふー…ん」
魔竜の中で、何かが決まったようだ。
ちらと上目遣いにサイファが見遣れば、悪戯小僧のような笑みが返った。
「俺は塔主と話したい。でも、塔主は出てこない。だったら」
瞬く間に、魔竜の周囲に魔素が集まっていく。いや、これは。
ふ、と思わずサイファは目を瞠った。
(彼自身が、魔素の根源。魔力はその肉体が生み出している)
そしてその見解は正しい。
彼は悪魔だが、同時に竜だ。
古代の竜、即ち神龍は、その肉体から無尽蔵に魔素を生み出したと言う。
そんな、神秘の存在がさらり、告げた。
「目の前にいる人間が塔主になれば、問題ないよな」
「い、いったい、何を言って…っ」
滅茶苦茶な物言いに、思わずと言った態度で口を開いたのは、腰を抜かして座り込んでいる魔法使いの一人だ。
「塔主さまを殺すつもりか!」
彼をサイファは横目に見遣り、黙殺する。
魔竜の態度が穏やかなことから、舐めてかかったに違いない。
言葉が通じる相手なら、口で言えば何とかなる。そんな風に。だが。
「ばーっか」
幼子のように、魔竜は小憎たらしい態度で告げた。
「殺して次の塔主が決まるまで悠長に待つつもりなんかない」
魔竜の反応に、サイファはため息をつく。
いちいち相手にするから、相手が増長するのだ。この魔竜は基本的にお人よしが過ぎた。そのくせ、
「俺が塔主を決めるって言ってるんだよ」
力という面では―――――図抜けていた。
「それに、お前ら目障りだから、俺がうっかり殺す前に、ちょっと気絶してもらうよ」
言うなり、ダリルの後ろにいた魔法使い五人は、いっきに昏倒。
直後、魔塔に異変を感じ取ったサイファは、目を瞠る。呆気にとられた。
魔塔の中心に座す塔主。
彼から、一瞬で、魔塔につながる魔力の回路が引き抜かれたことを感じ取ったからだ。
―――――ぶちぶちぶちっ。
音が聴こえたとしたら、雑草の細い根が千切れたような、そんな音だったはずだ。
しかもそれを、信じられないほどの繊細さで、完璧に根こそぎ、傷なく、魔竜は引き抜いてしまった。
結果、塔主の命にはこれっぽっちも影響はない。
一方的に力を奪われた…精神的な傷はどうか知らないが。
本来ならば。
塔主の力とは、熾烈な魔力争いの結果、魔法の実力と政治力で選ばれ、精妙な儀式を経てその身に繋がれる回路である。それを。
「俺が見る限り、君なら問題ない」
魔竜は平然と、身勝手極まる発言を、して。
「ダリル。君が塔主になりなさい」
―――――あれは断罪同然の台詞だった、とあとでこの時のことを振り返って、ダリルは言った。べそをかきながら。
「…………………………………は、ぃ?」
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