陛下が悪魔と契約した理由

野中

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幕・55 教育

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「…そう、だな?」



ふとヒューゴの脳裏に疑問符が浮かんだ。

ひとまずそれは脇へ押しやり、



「そんなら、これからは、鎖を増やすのは止めろ。無意識でやったとしても、あとで外すこと。例外はないぞ、今回もだ。さん、はい」



促せば、ヒューゴの首をじっと見ていたリヒトが、ふ、と小さく息を吐く。

とたん、重みと痛みがわずかだけ軽くなり、ヒューゴは深呼吸して大きく胸をそらした。





「もう、だいぶ自在に操れるじゃないか。…ま、当たり前か」





リヒトが幼い頃、どれだけ苦労したことか。ヒューゴが。

感慨深い気分で呟いたヒューゴを尻目に、リヒトは執務室の机を回り込んだ。





「次の会議で、ヒューゴの騎士位が正式に確定する」





机の上にあった書類の束を取り上げ、リヒトはそれに目を落とした。

話題転換もいいところだ。



とはいえ、目下のリヒトの関心はその一点に尽きるのだろう。強い意志を感じる。



「決定事項みたいに言うけど、次は貴族会議だろ。簡単には進まないぞ」

正直、ヒューゴはあまり関心がなかった。知っているだろうに、







「進ませる」







また、リヒトは言い切る。

書類を手にしたリヒトは、いかにも『皇帝陛下』の顔で、平然と続けた。



「ああ、一応、奴隷でしかも悪魔であるヒューゴに騎士位を与えることに反対する貴族が結構いてな」

「そりゃ当たり前だろ」

ヒューゴは冷静に返す。それを上回る冷静さで、リヒト。











「だが脅迫や買収、威圧でなんとか同意を得られた」











―――――今、俺は何を聞かされたんだろう。



思いながらも、リヒトは達観した気分で貴族側の敗北は初めから決まっていたことを確信する。

…なんにせよ、おそらく。







『脅迫』『買収』『威圧』が必要となった貴族は後日、それなりの報復を受けるだろう。







おそらく、ヒューゴの叙勲に対する態度は、試金石に使われたはずだ。即ち。











貴族たちは、このたび、選別を受けたのだ。



数年前、帝国の地方貴族相手に粛清が行われた時のように。











今回の対象は、中央貴族たち。



となれば、無言で恭順の意志を示しただけの貴族も、受け取る褒美は、報復だろう。







―――――心底オリエス帝国のためを思い、行動した貴族こそ、正式に現皇帝の元で生き残ることができる。

たとえそれが、ヒューゴの叙勲に厳しい態度を取った貴族だとしても。







とっとと内政も整えないとね、と言っていたリュクスの顔を思い出し、ヒューゴは心の中で合掌した。

遠い目になったヒューゴに、リヒトは続ける。



「今日の会議の議案、過半数の賛成で、会議を通過するのは確定している」



こうまでリヒトが断言するなら、これはもう決まったことなのだ。

ヒューゴは腹をくくった。直後。

「その場でついでに」

書類から目を上げ、リヒトは爆弾を落とした。











「今度の宴で、僕はヒューゴを連れて行くと告げる」



「………………………………まさか、俺を宴のパートナーにするとか言ってないよな」





「そう言ったのだ、理解できなかったか?」











声は、ただ決定事項を告げる、事務的なもの。ヒューゴの反応など、意に介していない。



また書類に目を落とし、リヒトはヒューゴに背を向けた。

机にもたれかかる。リヒトは、執務机の背後にある大きな窓と向き合う格好だ。



その向こうにはベランダが広がり、天気のいい日はそこでお茶をすることがあった。





リヒトの中ではすべて決定事項であり、後はもう行動するだけの状態だ。ゆえに。







…油断した、と言える。







「会議までそれほど時間はない。それまでに書類を読み込んでおく。腹が減っているだろうが、食事はその後で――――――…っ?」



リヒトの言葉が、突如、不自然に途切れた。彼自身が意図したことではない。

強制的に黙らせられたのだ。誰がそんなことをしたのか。



リヒトは、すぐに察した。







「動けないだろ? 声も出せない」







言ったは、ヒューゴだ。

リヒトの状態を正確に把握した態度。そのまま、







「会議の開始時間なら、把握してる。場所も頭に入ってる。間に合わせるから、心配するな」







彼はリヒトの前へ回り込んだ。



リヒトは、声も出せず、顔もあげられない。

彼の手から書類を取り上げ、ヒューゴは机に戻した。

そのついでとばかりに、引き出しを開けて、何かを取り出す。



その上で、空になったリヒトの手を引き、ヒューゴはベランダに出た。

ヒューゴに手を引かれることで、ようやくリヒトは動けた。つまり今彼は、ヒューゴの指摘通り、自分の意志では動けない。それを成しているのが。





―――――目の前の悪魔だ。





外に出たヒューゴは、わざとらしく青空を見上げて告げる。

「清々しい天気じゃないか。食事はとったか? このタイミングなら、軽食ですませただろうな。食事は抜くなって教育したもんな」



いつ使ってもいいようにセッティングされた椅子は、塵一つなく磨き上げられていた。

その上に、貴婦人でもエスコートする丁重さで、ヒューゴはリヒトを座らせる。



目を伏せたまま動けないリヒトの顎に指を添え、ヒューゴは彼を上向かせた。



リヒトは、ヒューゴを黄金の目で睨む。

心臓が弱い人間なら、刹那に昇天している迫力だが、ヒューゴはどこ吹く風だ。

そして、ヒューゴが指を鳴らせば、







「解け。会議が終わったら、食っていいから」







唸るように、リヒトは言った。

とたん、声が出せることに気付いて、目を瞬かせる。





「いやこのまま始まらせないから」





不意に、ヒューゴの声から遊びが消える。真顔になった。

リヒトがわずかに怯む。





「公式の場で、皇帝のパートナーが皇后か皇妃じゃないのは」





ヒューゴが、パンっと胸の前で両手を叩く。

「ダメだな。だめすぎる」

ヒューゴの視線が室内の机の上に向いた。

その先には、玉璽がある。



リヒトの視線がさらに鋭くなった。

「宴の供をさせてくれと乞うたのはヒューゴだろう」

「『供』だ。パートナーじゃない」

その程度、リヒトとて分かっているはずだ。



「書類にアレを押す前に、話をつけるぞ」



玉璽をアレ呼ばわりし、ヒューゴはリヒトに目を戻す。





「彼女たちを迎えるに際して、俺は口を酸っぱくして言ったはずだ。政治を介した仲に過ぎないと言っても、夫婦となるんだ、妻たる彼女たちに敬意を払えと」





夫婦と言う関係は、互いへの愛情はもちろん、敬意があってこそ、正しく機能する。

愛情を持つのがどうしても難しければ、敬意は絶対外せない。



もちろん、相手の愛情と敬意に胡坐をかき、身勝手で傲慢な振る舞いをするようなら、正すのもまた夫婦の役割であるが。



「それができない男は、…夫は、クズだぞ」

公の場でのパートナーを、妻たちの中から選ばず、どこの馬の骨とも知れない、しかも男を伴うなど―――――あってはならない。



いや、ヒューゴは女性体になることもできるから、そちらを望んでいるのだろうか。本来が雄だから、子宮は持たないが。



リヒトは、何かを訴える態度で、眉根を寄せた。一時、苦悩が黄金の瞳をよぎる。





「僕の気持ちは、…感情は、どうなる。ずっと、やりたいこと、望むことを我慢しろと?」





…それは、気の毒とは思う。だが、選んだのはリヒト自身だ。

皇帝たることを、彼は自ら望み、勝ち残り、その手で掴み取った。







「不満は別の場所で発散しろ。公の場において、―――――リヒトは皇帝だ」













である以上、やっていいことと悪いことがある。

















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