陛下が悪魔と契約した理由

野中

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幕・40 ヒュウガ・ミサキ

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―――――決めた、俺の名前はヒューゴな。とりあえず、名前が必要ならそう呼べ。





リヒトとの契約を受け入れると決めたヒューゴの切り替えは早かった。

明るい顔で、ヒューゴはそんなことを告げる。







(ああ、これは、昔の記憶だな)







リヒトは冷静に考えた。

静かな気分で、目の前で笑うヒューゴを見つめる。



昔から、ヒューゴを見つめて思うことは、決まっていた。











好きだ。格好いい。見るたび、感動する。











それこそ、リヒトに魔法をかけたのではないか。

いや、ヒューゴに魔法がかかっているから、ここまで格好いいのだろうか。



夢でも見ることができるなんて最高だ。

出会ってからこれまで、リヒトがヒューゴに飽きたということは一度だってない。





見るのも話すのも触れるのも。





―――――え、ヒューゴっていうのが誰の名前かって?

最初から人間の姿だったかのような、表情豊かな悪魔は、リヒトの問いかけに、きょとんと首を傾げた。



格好いいのだから、それだけでもう十分なのに、なぜ、こう、ふしぎと可愛いところがあるのだろうか、この男は。





抱きしめたい。





と思ったら、記憶の中の小さなリヒトはぎゅっと、大人の姿を取った彼の足にひっついていた。

ヒューゴは嬉しそうに笑った。



ああ、しかしここから先は、聞きたくない。



聞いたのはリヒトだ。分かっている。答えが返るのは当たり前。それでも。





耳を塞ぎたい。





―――――いや、ヒューゴって名前の誰かがいたってわけじゃないぞ。大体、悪魔に名前はない。

ヒューゴの言い方からして、そのように感じたから、リヒトはそう聞いたのだが。



ヒューゴは違うと言う。



それなら、今、即席で考えた名前なのか、とこの時のリヒトは尋ねたはずだ。

聞きたくないのに、会話は続く。









―――――即席っつーか…まあなんだ、知り合いの、女の名前を参考にして作った。









女。



この会話を思い出すたび、リヒトは腹の底がもやもやする感覚に嫌な心地になる。

子供の頃は、それでもまだよかった。

気分が悪くなるだけで、理由に気付かずにいたから。



なにより。











悪魔に名前はないと言ったのは、ヒューゴだ。ならばその女は、…人間、ではないだろうか。











―――――きれいな女なのかって? まっさか!

感情表現が乏しいリヒトが不貞腐れたことにも気づかず、ヒューゴは笑い飛ばした。



―――――陰気で、日陰の草みたいに元気のない、嫉妬深くてどうしようもない女だよ。



言いながら、心底嫌そうな顔になる。なのに。











―――――名前は、ヒュウガ・ミサキ。日に向かって美しく咲くって意味の名だ。…名前負けだよなあ。











そう、呟いた時だけ。

懐かしそうな、かなしそうな顔になった。





すぐ、分かった。



その女が、ヒューゴにとっての特別だと。





俯いたリヒトがなかなか顔を上げないのに、ようやく契約者がへそを曲げたことに気付いたヒューゴが慌ててご機嫌を取ってくる。

覗き込んでくる濃紺の瞳の美しさに、リヒトが見惚れた隙を突いて。



ヒューゴは、ひょいとリヒトを抱き上げた。



飄然と歩き始めたヒューゴにしがみつきながら、リヒトは決意する。







その女のところへは、ヒューゴを絶対に帰さない。







―――――けど、たとえそのヒトがヒューゴの特別だとしてもさ。



その女の話をリュクスに零した時、彼は首を横に振った。











―――――ヒューゴは悪魔でしょ。誰も愛さない。だって、愛は、…。











言いさし、リュクスは言葉を途中で止める。

言いにくそうに、上目遣いにリヒトを見上げた。



リヒトは黄金の目を細める。





…そうとも、愛は。



















恐怖によって悪魔を縊り殺す。



















かつて、リュクスがいつもの調子で、ヒューゴに尋ねたことがある。



―――――悪魔の弱点ってなんなの?



―――――悪魔を殺すモノのことを訊いているなら、世間に流布している通りだ。



ヒューゴはけろりと答えた。

あまりに容易く返された言葉に、逆にリュクスは胡乱そうな顔になる。







それに、愛、など。















実際的な力のない、簡単に踏み躙られる、弱いものという印象が強い。















―――――愛? 本当に? でも、そんなものがどうやって悪魔を殺すの。



その時ばかりは、ヒューゴの表情から陽気さが消えた。





表情の消えたヒューゴの眼差しというのは、本当に、怖い。





一瞬見ていたものが怯んだことに、彼が気付いたかどうか。











―――――その言葉を口にするな。聴くだけで鳥肌が立つ。











警告というには穏やかな態度だったが、周囲に釘をさすには十分な態度だった。

―――――悪魔の、それに対する恐怖心は、自身を殺すに足るモノなんだよ。



―――――恐怖? なんで、そんな、…恐怖なんか。

人間にとって、それは恐れるようなものではない。







どうやって恐れると言うのか、その気持ちの方が分からなかった。







―――――俺の推測だけど。



すぐ、飄々とした表情に戻ったヒューゴが、言葉を選ぶように台詞を紡いだ。











―――――悪魔が悪魔として誕生した理由が、ソレにあるんだと思う。











―――――恐怖が、悪魔を生むって? …斬新な解釈だね。

自身を殺すものだから恐れるのではなく、愛を拒絶し、恐れた魂が、悪魔になる、とヒューゴは言ったわけだ。

リュクスは肩を竦めた。



―――――悪魔の弱点を、そんな簡単に教えちゃっていいの?



―――――ばーっか、教えるも何も、世間の常識だろ、そんなもの。それに、





ヒューゴはからりと笑って告げた。



















―――――悪魔を必要とする人間がいるかよ。



















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