陛下が悪魔と契約した理由

野中

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幕・26 火炎の花

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消滅を逃れ、再生を始めながら、苦し紛れに、悪魔がはためかせた翼が。



「…くっ」



ヒューゴの背中を掠めた。

走る、焼け付くような痛み。



これだから、とリヒトは内心で悪態をつく。





―――――こうだから、人間は脆いんだ。





攻撃の意図もない単なる動きに、あっさりと傷つけられるなんて。

だが、悠長にしてはいられない。腕の中には、幼子がいるのだ。



残ってやり返したいのが本音だが、ヒューゴは地上へ向かうのを優先。



無造作に地上に降り立てば、







「―――――ディラン!」







戦斧を投げ出し、フィオナが駆け寄ってきた。

もぎ取るように、ヒューゴの腕から子供を奪う。もう離さない、と言いたげに深く胸の内に抱きしめながら、涙目で睨んでくる。



「…どうするつもりか、予定くらい、話しなさいよ!」

どうやらリヒトは、何も言わず、先ほどの行動を取ったらしい。

フィオナから見れば、悪魔のせん滅だけを優先し、息子を見捨てられると感じたのかもしれない。



「申し訳ございません」

頭を下げ、真摯に謝罪すれば、ぐっと彼女は唇をへの字に引き結び、

「…あなたが悪いんじゃないってことくらいわかってるけど…っ」

彼女こそが、幼い子供のような表情で、恨み言を言った。



普段凛々しい態度が嘘のように、ぐずぐずと涙と鼻水を流している。

だが、へたに拭いてやれば噛みつかれそうで、何もしてやれないのが居たたまれない。

「でも…たすけてくれて、ありがと」



「お気になさらず、妃殿下はひとまず」

別の宮殿の中へ。

ヒューゴが言いさした刹那。



地上に、巨大な影が落ちた。







―――――アアアアアァァァオオオオオオッッ!!!







地を揺るがす咆哮と共に、悪魔が宮殿の上から飛び立つ。



ヒューゴは内心、面食らった。まさか。







(リヒトが、逃がした?)



「え、ちょっと、どうなってんのさ!」







走ってきたのか、上がった息のせいで上ずった声を上げたのは、リュクスだ。

周囲を騎士に囲まれた彼は、その場で地団駄踏んだ。



「リヒトのことだから、畳みかけてとどめを刺すんだと思ったのに…って、あああ!」

いるだけで賑やかな宰相は、位置的にしっかり見えたヒューゴの背中を指さし、叫ぶ。



「怪我してんじゃん、ヒューゴが! まさかあの悪魔にやられたわけじゃ」

誰も何も言わなかったが、すぐ、状況を察したのだろう。



リュクスは大きく息を吐きだした。

「最悪…動揺したね、リヒトは。でもさすがに、飛ばせちゃまずい」



背中の痛みを意識しながら、ヒューゴは頷く。熱い。血が溢れ、流れる。



意識を止血に回しながら、淡々と答えた。







「結界がありますからね」







皇宮の結界は、外敵から完全に中を守る。

それは完璧だが、融通がきかない部分があった。



「飛んだところで、飛び去ることはできないでしょ。結界に阻まれて…ほおら」





ギャン!





刹那、獣じみた声が降った。

同時に、透明の壁にぶつかった悪魔が、上空でよろめく。



強靭な悪魔の鱗が、しゅうしゅうと煙を上げた。







―――――当然、こうなる。







「結界を開いたとしても、逃がしたら、皇都が心配だからね、始末はここでつけなきゃだけど」

さてどうするか。



言葉尻を濁した宰相に、ヒューゴは暗い笑いを見せた。







「もちろん。…逃がすわけ、ないでしょう?」







悪魔の性か、やられっぱなしは性に合わない。



「どうも納得いかなかったんだよ…俺だけ鎖に縛られてるってのが。たまには他人も味わうべきだ」

何に気付いたか、リュクスが横目にヒューゴを見て、黙る。



そっと周囲の騎士を手招き、ヒューゴから距離を置いて、散開させた。

リカルドと頷き合い、自身は無言でフィオナを促し、場から離れる。



それらを肌で感じながら、ヒューゴは息を整えた。

















深く吐きだし切った、刹那。



彼の足元で、いっきに、緻密な光の魔法陣が描き出され、輝く。

「そーらーよ!」





だん、とヒューゴが軽快に足元を蹴りつけるなり。



「貴様も縛られろ!!」

















野太い鎖が、地上から生えた。いくつも、いくつも。



それらがいっせいに、蛇のように頭をもたげるなり、矢の勢いで、天へ向かって駆け上がる。速い。

打つ手なく、瞬く間に空中の悪魔は束縛された。



蝙蝠に似た翼をはためかせるが、効果はない。見上げたヒューゴは上機嫌に声を放った。





「あっははははは! ざまあねえなあっ」

そのまま、何を思ったか、



「…ヒューゴっ!?」



悪魔を束縛する鎖、斜めに傾いだその上を、ヒューゴは悪魔目指して駆け上がる。







「ちょっと、一発殴らせろ!」







ヒューゴに手傷を負わせたこともそうだが、女や子供をいじめるなど、言語道断。

この感覚が悪魔らしくないことの自覚はあったが、感じたことを、思ったとおりにやるのも悪魔である。



背の傷もなんのその、瞬く間に悪魔に迫ったが、





―――――ガアアアァァァァ!!





間近での咆哮に、耳がバカになった。いや、これは。

首筋を伝う生ぬるい感覚に、鼓膜が破れたことを自覚。



「…んの、デカブツが!」

腹立ちまぎれに、ヒューゴは拳をふるった。

相手の巨体に比べれば頼りないほど小さな拳だ。だが、頬に埋まったそれが、悪魔の巨躯をぐらり、傾がせた。



鎖につながれながらも、空中にとどまっていた悪魔が、目が回ったように体勢を崩す。絡まった鎖が、びんっ、と限界まで張り詰めた。



つい、にやり、ヒューゴが笑みを浮かべた刹那。

勢いよく振り向いた悪魔が、ヒューゴの眼前、その顎を限界まで開く。





ぞろり、生えそろった牙。

赤黒い喉奥。

そこで。



(あ、やべ)





人間にはない器官から、ガスが噴出。その周辺を、ちろり、炎の舌が舐めるのが見えた。





(このやろ)



火炎が、来る。容赦なく。だが―――――その程度なら。











耐え切れる。











ヒューゴはそう、判断したが。

宮殿の方角から感じた気配に、ヒューゴの本能の中、恐怖の針が振り切れた。



悪魔の牙を蹴飛ばすようにして、そこから飛び降りる。直後。







剣に乗り、飛来した神聖力の塊が、悪魔の顎下を吹っ飛ばした。







本来なら、頭を吹き飛ばしていたはずだ。

だが相手の悪魔も、さるもの。

寸前で神聖力を感知したようだ。咄嗟に避けた。…避けきれはしなかったが、この程度なら、すぐ再生する。



それでも既に花開こうとしていた炎は。







―――――中途半端な火炎の花を、空中に咲かせた。







ヒューゴの身体がそれに包まれる。

皮膚が、肉が、瞬時に焼け焦げる感覚に、上げかけた悲鳴を飲み込んだ、直後。



(…ん?)



瞬時に痛みが消えた。ばかりではない。











―――――感覚が広がる。見える。すべてが。











宮殿の上に佇むリヒトが、真っ先に見えた。

なにやら、焦燥を浮かべた表情を、ヒューゴに向けている。



そして。



地上でこちらを見上げている騎士たちの一人一人の表情。息遣いから、目配りまで。



見える。感じる。



リカルドが真剣な中にも戸惑いを浮かべた目で、こちらを見上げていた。



次いで、彼の視線がが宮殿の上のリヒトへ向かう。

リカルドが惑う声で呟いた。





「陛下…」





突如、ヒューゴを包む落下感が止まった。



















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