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幕・5 理不尽はとりあえず殴ろう
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× × ×
皇宮の屋根の上。
誰の目もないことを確認し、ようやくヒューゴは倒れ込んだ。
顔色は蒼白で、息は荒い。
それもそのはず、彼の首には、光に輝く細い首輪がかかっている。
よくよく見れば、それは、手首、足首にも、…全身がその輝きにがんじがらめになっていた。
「かは…っ」
臓腑を絞り上げるように、吐きだした血は、赤黒い。
それを見下ろしたヒューゴは、忌々し気に吐き捨てる。
「神聖力は、悪魔を殺す…」
これは世界の常識。
ヒューゴだって、例外ではない。
そう、殺す。
リヒトほどになれば、立っているだけで、そこいらの邪霊や小さな悪魔なら、根こそぎ浄化してしまうのだ。
例え力の強い悪魔であっても、そんな彼のそばにいれば強い毒を毎日浴びているようなものだった。
ヒューゴがリヒトのそばでい続けることは、ただの自殺行為である。
だが同時に、神聖力が高い者の血肉、もしくは精力を食らえば、悪魔は強大な力を得るのだ。
それこそ、神聖力に耐え得るほどの。
即ち。
毒と薬は紙一重と言うが、ヒューゴがリヒトのそばにいるためには、その綱渡りをずっと続ける必要があった。
リヒトのそばにヒューゴがい続けると死んでしまう。
死なないために、悪魔の力を強めなければならず、ヒューゴはリヒトの精気を食らう必要がある。
もちろん、リヒトのそばにいるなど、ヒューゴから望んだことではない。自分の命がかかっているのだ。自殺の趣味はなかった。
悪魔のヒューゴがリヒトのそばにいることは、いつ死んでもおかしくないことである。
それでも、離れられない理由は。
それが、リヒトの望み。
その一点に尽きる。
彼の望みが具現化したものが、この輝く鎖だ。
これは神聖力の塊であり、ヒューゴを強く、リヒトのそばに縛り付けている。
見える者がいたなら、その執着の強さに、ゾッとしただろう。
もう慣れたヒューゴは、毎日新たに重なり、束縛の強さを増すソレに、また食事が必要だな、と前向きに考えるようにしている。
ヒューゴがリヒトのそばにいてやるためには、悪魔としての力を強めなければ、不可能で。
…いくら考えても、これは、どうにも不毛なイタチごっこだった。
リヒトという人物は、初めからああだったろうか。
ヒューゴは遠い目になった。
最初に出会った時、リヒトは赤ん坊だった。
彼は、生まれて二か月も経たないうちに、帝位継承争いの敵対者の手で、地獄へ落とされたのだ。
その衝撃で、一帯の悪魔たちは死んだ。
生まれ落ちた赤子であった当時から、既にそれだけの神聖力をリヒトは持っていたのだ。
敵対者たちが恐れたのは、誰より神に近いとされる、その力だったろう。
とはいえ、正直、ごみでも捨てるようにされても、地獄の悪魔たちだって困る。
地獄はゴミ箱ではないのだ。
とはいえ、正直、赤ん坊を美味い飯と見た悪魔も多く、…だが、ヒューゴは。
赤ん坊相手に食指は動かなかったし、同時に、食べられるのを見たくもなかった。
ならば、無視をすれば、よかったのだが。
幸か不幸か、ヒューゴは普通の悪魔ではなかった。
いや、もともとは、他の悪魔と同じで、人間も悪魔も関係なく、女子供がどうなろうと何も感じない精神の持ち主だった。
力こそがすべて。
そう言う世界の住人らしく、ほどほどに残酷で、醒めていた。
力の強さで言えば、元から普通ではなかったこともその理由だろうが、一番には。
有体に言えば、ある日、ポッと思い出したのだ。
あ、そう言えば俺、前は人間の女だったわ。と。
そう、人間の、しかも、女だ。
その上未婚で、どういうわけか、誰も信じられない女で、気分の上下が激しい、気難し屋。
結果として、当たり前だが、孤独死した。
…悪魔になったのは、必然だったかもしれない。
前世を思い出したからとて、何が変わるわけでもなく。
ただもう、何も考えないまま残酷なことを行えなくなり、ありあまる力を持て余しながら引きこもって惰眠をむさぼっていたわけだが。
そこに、…雷のごとく現れたわけだ。
人間の、赤ん坊が。
繰り返そう。
ヒューゴは前世で女だった。しかも人間の。
赤ん坊をはじめ、無力であっても、かわいいものには、すこぶる弱い。
助けよう、せめて、元居た場所へ戻そう。
そう決意するのは必然で。
ヒューゴは、赤ん坊をちぎって口に入れようと殺到する悪魔の群れを、猛然と追い抜き、異形の身体で、その小さな身体を抱き上げた。
抱き上げるなり、無差別の神聖力で、腕は焼けたが、構っていられなかった。
焼けた方がむしろいい。
悪魔の身体は、人間に毒なのだから。
幸い、赤ん坊を地獄へ捨てるため、開いた地上への扉は、まだかすかに隙間を残していた。
閉じたら最後。
もう助けるすべはない。
地獄の瘴気は、赤子には猛毒。
ヒューゴは必死だった。
必死に、飛んだ。
魔界の、空を。
その光景を見ていた悪友は、痛快そうにあとで笑った。
すげえな、皆が追っかけたのに、誰もお前に追いつけなかったぜ、と。
おい、神様。
アンタに属する力を持つやつを、こんなに簡単に見捨てるってのか?
助けてやれよ。
助けてくれよ。
心から、願った。
前世でも、こんなに必死に願ったことはなかったかもしれない。
扉は目の前で、閉じかけていたが。
構わなかった。
ヒューゴは、理不尽を、思い切り拳でぶん殴った。
力技で扉は開いたが、赤ん坊を抱えたせいで半分削げたヒューゴの腕も、扉を殴ったせいで焼け焦げてくっついた拳も、約十年、再生しなかった。
その間ずっと、眠れないほどの痛みによく大粒の涙を流しておんおん泣いたが、後悔はしていない。
その時のことを、リヒトが覚えているわけはないが。
縛り付けてくるリヒトを、いくら殺したいと願っても、ヒューゴが見放せず、始末もしかねている理由は一つ。
「助けた命を、自分の手で殺すなんて、しまらねえよなぁ」
皇宮の屋根の上。
誰の目もないことを確認し、ようやくヒューゴは倒れ込んだ。
顔色は蒼白で、息は荒い。
それもそのはず、彼の首には、光に輝く細い首輪がかかっている。
よくよく見れば、それは、手首、足首にも、…全身がその輝きにがんじがらめになっていた。
「かは…っ」
臓腑を絞り上げるように、吐きだした血は、赤黒い。
それを見下ろしたヒューゴは、忌々し気に吐き捨てる。
「神聖力は、悪魔を殺す…」
これは世界の常識。
ヒューゴだって、例外ではない。
そう、殺す。
リヒトほどになれば、立っているだけで、そこいらの邪霊や小さな悪魔なら、根こそぎ浄化してしまうのだ。
例え力の強い悪魔であっても、そんな彼のそばにいれば強い毒を毎日浴びているようなものだった。
ヒューゴがリヒトのそばでい続けることは、ただの自殺行為である。
だが同時に、神聖力が高い者の血肉、もしくは精力を食らえば、悪魔は強大な力を得るのだ。
それこそ、神聖力に耐え得るほどの。
即ち。
毒と薬は紙一重と言うが、ヒューゴがリヒトのそばにいるためには、その綱渡りをずっと続ける必要があった。
リヒトのそばにヒューゴがい続けると死んでしまう。
死なないために、悪魔の力を強めなければならず、ヒューゴはリヒトの精気を食らう必要がある。
もちろん、リヒトのそばにいるなど、ヒューゴから望んだことではない。自分の命がかかっているのだ。自殺の趣味はなかった。
悪魔のヒューゴがリヒトのそばにいることは、いつ死んでもおかしくないことである。
それでも、離れられない理由は。
それが、リヒトの望み。
その一点に尽きる。
彼の望みが具現化したものが、この輝く鎖だ。
これは神聖力の塊であり、ヒューゴを強く、リヒトのそばに縛り付けている。
見える者がいたなら、その執着の強さに、ゾッとしただろう。
もう慣れたヒューゴは、毎日新たに重なり、束縛の強さを増すソレに、また食事が必要だな、と前向きに考えるようにしている。
ヒューゴがリヒトのそばにいてやるためには、悪魔としての力を強めなければ、不可能で。
…いくら考えても、これは、どうにも不毛なイタチごっこだった。
リヒトという人物は、初めからああだったろうか。
ヒューゴは遠い目になった。
最初に出会った時、リヒトは赤ん坊だった。
彼は、生まれて二か月も経たないうちに、帝位継承争いの敵対者の手で、地獄へ落とされたのだ。
その衝撃で、一帯の悪魔たちは死んだ。
生まれ落ちた赤子であった当時から、既にそれだけの神聖力をリヒトは持っていたのだ。
敵対者たちが恐れたのは、誰より神に近いとされる、その力だったろう。
とはいえ、正直、ごみでも捨てるようにされても、地獄の悪魔たちだって困る。
地獄はゴミ箱ではないのだ。
とはいえ、正直、赤ん坊を美味い飯と見た悪魔も多く、…だが、ヒューゴは。
赤ん坊相手に食指は動かなかったし、同時に、食べられるのを見たくもなかった。
ならば、無視をすれば、よかったのだが。
幸か不幸か、ヒューゴは普通の悪魔ではなかった。
いや、もともとは、他の悪魔と同じで、人間も悪魔も関係なく、女子供がどうなろうと何も感じない精神の持ち主だった。
力こそがすべて。
そう言う世界の住人らしく、ほどほどに残酷で、醒めていた。
力の強さで言えば、元から普通ではなかったこともその理由だろうが、一番には。
有体に言えば、ある日、ポッと思い出したのだ。
あ、そう言えば俺、前は人間の女だったわ。と。
そう、人間の、しかも、女だ。
その上未婚で、どういうわけか、誰も信じられない女で、気分の上下が激しい、気難し屋。
結果として、当たり前だが、孤独死した。
…悪魔になったのは、必然だったかもしれない。
前世を思い出したからとて、何が変わるわけでもなく。
ただもう、何も考えないまま残酷なことを行えなくなり、ありあまる力を持て余しながら引きこもって惰眠をむさぼっていたわけだが。
そこに、…雷のごとく現れたわけだ。
人間の、赤ん坊が。
繰り返そう。
ヒューゴは前世で女だった。しかも人間の。
赤ん坊をはじめ、無力であっても、かわいいものには、すこぶる弱い。
助けよう、せめて、元居た場所へ戻そう。
そう決意するのは必然で。
ヒューゴは、赤ん坊をちぎって口に入れようと殺到する悪魔の群れを、猛然と追い抜き、異形の身体で、その小さな身体を抱き上げた。
抱き上げるなり、無差別の神聖力で、腕は焼けたが、構っていられなかった。
焼けた方がむしろいい。
悪魔の身体は、人間に毒なのだから。
幸い、赤ん坊を地獄へ捨てるため、開いた地上への扉は、まだかすかに隙間を残していた。
閉じたら最後。
もう助けるすべはない。
地獄の瘴気は、赤子には猛毒。
ヒューゴは必死だった。
必死に、飛んだ。
魔界の、空を。
その光景を見ていた悪友は、痛快そうにあとで笑った。
すげえな、皆が追っかけたのに、誰もお前に追いつけなかったぜ、と。
おい、神様。
アンタに属する力を持つやつを、こんなに簡単に見捨てるってのか?
助けてやれよ。
助けてくれよ。
心から、願った。
前世でも、こんなに必死に願ったことはなかったかもしれない。
扉は目の前で、閉じかけていたが。
構わなかった。
ヒューゴは、理不尽を、思い切り拳でぶん殴った。
力技で扉は開いたが、赤ん坊を抱えたせいで半分削げたヒューゴの腕も、扉を殴ったせいで焼け焦げてくっついた拳も、約十年、再生しなかった。
その間ずっと、眠れないほどの痛みによく大粒の涙を流しておんおん泣いたが、後悔はしていない。
その時のことを、リヒトが覚えているわけはないが。
縛り付けてくるリヒトを、いくら殺したいと願っても、ヒューゴが見放せず、始末もしかねている理由は一つ。
「助けた命を、自分の手で殺すなんて、しまらねえよなぁ」
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