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2034年8月 幕引き(一)
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俺は時崎に未来の出来事を語った。
ITの技術は進歩し、人類の文明を数世代進めたこと。ニューマンを筆頭に人類と遜色がないAIが誕生し、人々の代わりに職業を務めたこと。その結果、一部の人間からは人々の職を奪いさった悪魔として破壊の限りを尽くし、最終的には人類とAIの戦争にいきわたってしまったこと。
そして最終的に人類は敗北し、AIが新たな生命体として長年地上に君臨していたが、謎の敵によってAIも滅んでしまったこと。そこまで俺は時崎に語ると難しい表情で時崎は独り言を呟く。
「なるほど。AIでは支配者として君臨することはできないということか。
そしてその未来はもうないと。ふむ…」
もう少し深く考えようとした直後、電話が鳴り響く。俺の電話ではない。時崎の電話だ。
時崎は電話を取り、耳に当てる。声が小さく、何を話しているかわからないが、大きなため息をつき「そうか」だけつぶやく。
しばらく会話を続けた後、ご苦労だったと労いの言葉を告げると電話を切る。
「弁田聡。お前の仲間が勝ち星を挙げたようだ。
そしてその勝ち星は俺にとっては全ての勝敗がつくほど都合が悪い敗北だ」
「…それを俺に伝えてどうするつもりでしょうか」
「深い意味はない。
何も手を打たなければこの戦いは敗北するだろう。だからこそ、俺はこの盤上をひっくり返す」
すると時崎は懐から何かを取り出す。大きさは携帯電話のような小さなサイズだが、今まで対峙してきた武器の中で最もやばいものであることを俺は理解していた。
それが俺の顔に出ていたのか、時崎は全ての興味を失ったかのように語り始める。
「察しがいいな。
寺田が何か言おうとしていたから説明はさせなかったが、追い詰められた今ならあえてこれが何かを説明しようか。
これは俺たちの切り札だ。このボタンを押せば、強制的にすべてがひっくり返る。
最も、その後どうなるかは知らないがな」
だが、と時崎はボタンを押さず、俺に一つの問いを投げる。
「このボタンを押すかどうかはお前の質問の返答次第としよう。
もし、俺の質問に対して納得の得られる答えが手に入ったなら、速やかに警察なりFBIなり、然るべき場所にて自首しよう」
「レポートを書いたとき、時崎教授がこのテロを起こした理由を聞きましたが、あなたは…」
その先の言葉を言おうとしたとき、それを聞くのが嫌だったのか、あるいは本当にタイミングが悪いのか、時崎は話を聞かないで俺に質問を投げる。
「このテロ発生時、日本で一人でも権力者は騒動を収めようとしていたか?
我が身可愛さでこの騒動を収めようとしなかったものばかりだったのか?答えろ弁田聡。
お前が見てきたその目で答えろ」
その問いに俺は確信と同時に回答を躊躇う。
本当のことを言ってしまえばそんな人物は一人もいなかった。騒動を解決しようと奔走していたのは警察ばかりでそれも仕事だからである。
悲しいことに、誰一人デモに対して真正面から受け止め、騒動を止めようとしたものはいない。その事実を素直に伝えてしまえば間違いなく時崎はあのボタンを押すだろう。
返答にどうするべきか悩んでいると、時崎は俺の態度を見て悲しい表情をする。
「…そうか。いなかったか。
国がひっくり返るという事態なのに我が身可愛さで何もしなかったか。
まあ、想定内だ。人間の悪側面だけが世界に網羅している。こんな醜態をさらしている人間は一度リセットしなければな」
そういって時崎はボタンを押そうとする。この世全てに失望し、全てをあきらめたかのような表情。俺はその表情を見て自然と言葉をこぼす。
「教授は人間の善性を信じたかったのか」
その言葉を聞き、一瞬教授の指が止まる。その言葉が不快だったのか嫌そうな表情で俺を睨むと同時に怒気を含んだ言い方で俺に問い詰める。
「俺が人間を信じるだと?笑わせるな。
俺はとっくのとうに人間の善性は失望している」
「それではさっきの質問と矛盾している。
あなたはさっき、『一人でも騒動を収めようとした人物がいないか』と問いかけた。つまり、今回のテロ騒動に対して権力者が一人でも騒動を収めてくれればそれでよかった。
さっきの質問で確信した。あなたの真の目的は人間の善性がこの世にまだ残っていることを確認したかった。それだけのためにこれほど大規模なテロを起こした」
すると時崎は先ほど嫌そうな表情から興味を持ったような表情に変わる。俺はこれが最後のチャンスだと思い、教授を説得する。
「全く仕方ないが、教授の考えにはある程度納得できる。
確かに、人間の悪性はどうしよもなく醜い。現に俺は未来ではその悪意によって一度死にかけているからな。
けど、美しい善性を持っている人間もまたこの世には多く存在する。
今の権力者は確かに悪性の塊かもしれない。だが、これから先の未来がすべて悪性の塊というわけじゃない。必ず善性を持った人間が現れる。いつか善性を持ったもののための世界があると、全ての人間が幸せである未来があると俺は信じる」
「…その言葉は嘘になる。
現に今の世界に善性はない。あるのは醜悪な悪性だけだ。仮にその未来があったとして、その未来を作り出すのは誰だ?結局悪性が高い人間しかいないだろう」
「なら俺がその未来を創る。
誰しもが善性を敬い、人と人が愛し合う。間違いを正しく間違いと言える世界を俺が作る。
…いや、少し違うな。『俺たちが』だ。
俺や嘉祥寺、白橋、中田、堀田、鮫島さん、小林、伊吹、アダム、アカネ。
そして、聖やほかの仲間と共に新しい世界を創る。
もし、今の世界が信用できないというなら、俺たちを信頼してくれ時崎教授!」
これが俺が言える最大限の誠意であり説得できる言葉。
もしこの言葉を聞いてくれなければ俺たちは文字通り最悪の展開を迎えてしまうだろう。しかし、俺はこの説得はうまくいくと確信していた。
時崎は人間の悪性が嫌いだ。先ほども本人が言っていた通り、どうしようもなく嫌いなのだ。まるで潔癖症のように人間の悪性に対して嫌悪で反応してしまう。そういう人間性なのだろう。裏を返せば、人間の悪性を信用している。
だが同時に、人間の善性を信頼している。確かに権力者に対してはもう失望しているだろう。何も知らない一般人が同じ言葉を投げかけたとしてもきっと無駄だっただろう。
しかし、学生時代にゼミ生として過ごしたあの時間は教授にとっては信頼に値するだろう。
「…なるほど。その視点はなかったな。
そうだな。見知らなぬ人物を信用するよりも俺の教え子を信頼したほうがまだましか」
すると時崎教授はボタンを机の上に置く。そして何か観念したかのように椅子に深く座り天井を見上げた状態深くため息をつくと教授は小さな声で語り始める。
「少し、昔話をしようか。
弁田聡。これはチープハッカーにも伝えていない。お前にしか伝えることができないことだ。
お前たちの卒業式を迎える直後、俺は未来で見た。最も今でも理屈は理解できなかったが」
その言葉を聞き、俺は驚きを隠せなかった。その日は俺が過去に戻った時だ。もしかして時崎が見た未来は俺と同じ未来だったのかと思ったが、その期待はすぐに裏切られる。
「その未来では今ほど技術が発達していないかった。弁田たちが作り上げたニューマンがいない世界だ。何も変わらない普遍的な世界。まあ、不満もなければ喜びもなかった。世界は変わらず動いていると確信したからな。最も、その先の未来を見てからだがな」
すると時崎はあまり思い出したくないのか、苦々しい表情をする。否、苦々しいというレベルではない。その表情は恐怖。時崎は語りたくない言葉を無理やり繋げたような言い方でその先の未来を語る。
「先の未来では、宙が裂けた。そして現れたのは人間じゃない何かだった。
奴はおそらく人間の悪意そのものを喰らう怪物だ。人間の善性でなけば立ち向かうことができない怪物だ。そのから先はよく覚えていない。ただ、最後の未来の記憶は人々を喰らい、嘲笑うやつの姿だ」
直後、時崎は正気に戻り、大きく息を切らす。よほどショッキングな出来事だったのか、全身から汗が流れている。俺は心配になる時崎に駆け寄るが、すぐに調子を取り戻したのか、時崎は深呼吸すると話を続ける。
「あの未来は必ず来る。人間の悪性を抱えている以上、奴はそういう類だ。
弁田聡、お前はその未来に向けて必ず善性の仲間を集めろ。でなければ奴に勝つことは不可能だ」
「時崎教授…」
「さて、話は終わりだ。
俺は警察にでも出頭するとしようか。チープハッカーは俺の指令があれば簡単に止まるはずだ。
それで全て幕引きだ」
決心したかのように時崎は席を立ち、部屋を出ようとする。その様子に俺は安堵し、全てが解決したと確信する。だがそれがいけなかった。最大の油断であり、最大の慢心。
この部屋に二人しかいないと判断していた俺たちのミスである。
「おいおい、そんなこと言うなよ。寂しいじゃないか、教授」
直後、教授の腹部から腕が生える。一瞬何が起きたのか理解できなかった俺は一瞬、啞然する。だが、時崎教授が崩れ落ちると同時に思考はすぐに現実へと帰還する。
「時崎教授!」
「そう慌てるなって。急所は避けた。これでも俺は親孝行はちゃんとするほうでね。
今すぐ救急車を呼ぶさ。だがその前に一言言わせてもらうぜ」
突如現れ、時崎の腹部を貫いたチープハッカーは血が付いた手をなめ、手の形を変形する。その後、悲しそうな表情でチープハッカーは時崎に話しかける。
「失望したよ。悪役は最後まで悪役を通してくれ。でなければ俺の存在価値が薄れるだろう?
人間の悪性と善性をぶつけ、それでなお善性が勝てばよし。負けたら負けたで盤上をひっくり返す。まさしく俺の悪性とは真逆の善性のための行為。悪性をこの世から許さないとは人間としてどうかね?
全く、未来の俺は何をやらかしたんだか」
「ぐ…チープハッカー…。いや、お前は…誰だ…」
するとチープハッカーはにやりと嗤る。だが、その嗤い方は不気味を通りこし、狂気を感じさせる。この世のものとは思えない怪物。相反れない悪性。そして先ほどの時崎の会話からチープハッカーの正体をすぐに探ることができた。
そしてチープハッカーは机の上に置いてあったボタンを手に取り、得意げにお辞儀をする。
「では改めて自己紹介しようか未来人。
俺の名前はチープハッカー。今から十数年後、この世界を飲み込むために現れる君たちの敵だ。
俺の見ていた未来とは違ったルートになりそうだったのでね。こうして仕方なく姿を現した。そして、これはその布石だ」
チープハッカーはボタンを押す。しかし、何も起こらない。ボタンが故障を起こしたのかと思った直後、大地が大きく揺れた。俺は何が起きたのかと困惑するが、チープハッカーは愉快だったのか大声で嗤い始める。
「ハハハ!俺の計画はやはり順調だ!
いやー、先生の作品を見て本当に良かった」
「チープハッカー…。貴様…」
「おっと、教授はそのまま寝ていてくれよ。
急所を外したとはいえただでさえ重症なんだ。まあ、今度は俺の計画でも語るからそれを子守歌に寝てくれ」
その言葉を最後に時崎教授は気を失う。
俺は潜ませていたノアに時崎の最低限の治療を命じると同時にチープハッカーを警戒し、この状況をどうやって打破するか考える。
「さてと、俺と教授の計画は途中までは一致していたんだ。
テロという手段を使って人類を戦わせる。そこまではね。
だが、そのあとは俺と教授の動機は真逆だ。教授は人類の善性を見たかったためだが、俺は本気で人類を滅ぼしたかった。だからこうなることは必然だ。
だがテロで人類を抹殺することは不可能だ。事実、都合のいい人間は取り押さえられたからな。
だから俺の分身を使うことにした」
するとチープハッカーは宙を指す。一瞬、意図が読めなかったがチープハッカーは楽しそうに言葉を続ける。
「あの宙には俺が一年かけて育てた分身が集っている。材料はスペースデブリ。無論、強さはバラバラだが…弁田君が戦ったあの巨竜に匹敵するほどのほどの怪物が最上級だな。
まあ、そんな話は弁田君にとってどうでもいいか。
このまま俺の分身を地上にリリースし続けるのはいいが、それだと面白くない。
それに俺は今気分がいい。少しゲームをしようじゃないか」
「ゲームだと?」
するとチープハッカーは今度指を下に指す。すると嬉々とした表情で語り始める。
「実はこのボタンには緊急停止するための装置がある。教授が保険に用意したのだろう。
そしてその装置はこのビルの下にある。すべてをリリースするのに時間は一時間。それまでに緊急停止する装置を見つけて起動すれば被害は少なくなるだろう。さあ、どうする?」
その言葉を聞いた直後、俺の体は自然と動いていた。すぐさま教授がいる部屋を後にし、下のフロアに向かう。その様子を見てチープハッカーは嘲笑うかのように彼の嗤いが廊下に響き渡った。
ITの技術は進歩し、人類の文明を数世代進めたこと。ニューマンを筆頭に人類と遜色がないAIが誕生し、人々の代わりに職業を務めたこと。その結果、一部の人間からは人々の職を奪いさった悪魔として破壊の限りを尽くし、最終的には人類とAIの戦争にいきわたってしまったこと。
そして最終的に人類は敗北し、AIが新たな生命体として長年地上に君臨していたが、謎の敵によってAIも滅んでしまったこと。そこまで俺は時崎に語ると難しい表情で時崎は独り言を呟く。
「なるほど。AIでは支配者として君臨することはできないということか。
そしてその未来はもうないと。ふむ…」
もう少し深く考えようとした直後、電話が鳴り響く。俺の電話ではない。時崎の電話だ。
時崎は電話を取り、耳に当てる。声が小さく、何を話しているかわからないが、大きなため息をつき「そうか」だけつぶやく。
しばらく会話を続けた後、ご苦労だったと労いの言葉を告げると電話を切る。
「弁田聡。お前の仲間が勝ち星を挙げたようだ。
そしてその勝ち星は俺にとっては全ての勝敗がつくほど都合が悪い敗北だ」
「…それを俺に伝えてどうするつもりでしょうか」
「深い意味はない。
何も手を打たなければこの戦いは敗北するだろう。だからこそ、俺はこの盤上をひっくり返す」
すると時崎は懐から何かを取り出す。大きさは携帯電話のような小さなサイズだが、今まで対峙してきた武器の中で最もやばいものであることを俺は理解していた。
それが俺の顔に出ていたのか、時崎は全ての興味を失ったかのように語り始める。
「察しがいいな。
寺田が何か言おうとしていたから説明はさせなかったが、追い詰められた今ならあえてこれが何かを説明しようか。
これは俺たちの切り札だ。このボタンを押せば、強制的にすべてがひっくり返る。
最も、その後どうなるかは知らないがな」
だが、と時崎はボタンを押さず、俺に一つの問いを投げる。
「このボタンを押すかどうかはお前の質問の返答次第としよう。
もし、俺の質問に対して納得の得られる答えが手に入ったなら、速やかに警察なりFBIなり、然るべき場所にて自首しよう」
「レポートを書いたとき、時崎教授がこのテロを起こした理由を聞きましたが、あなたは…」
その先の言葉を言おうとしたとき、それを聞くのが嫌だったのか、あるいは本当にタイミングが悪いのか、時崎は話を聞かないで俺に質問を投げる。
「このテロ発生時、日本で一人でも権力者は騒動を収めようとしていたか?
我が身可愛さでこの騒動を収めようとしなかったものばかりだったのか?答えろ弁田聡。
お前が見てきたその目で答えろ」
その問いに俺は確信と同時に回答を躊躇う。
本当のことを言ってしまえばそんな人物は一人もいなかった。騒動を解決しようと奔走していたのは警察ばかりでそれも仕事だからである。
悲しいことに、誰一人デモに対して真正面から受け止め、騒動を止めようとしたものはいない。その事実を素直に伝えてしまえば間違いなく時崎はあのボタンを押すだろう。
返答にどうするべきか悩んでいると、時崎は俺の態度を見て悲しい表情をする。
「…そうか。いなかったか。
国がひっくり返るという事態なのに我が身可愛さで何もしなかったか。
まあ、想定内だ。人間の悪側面だけが世界に網羅している。こんな醜態をさらしている人間は一度リセットしなければな」
そういって時崎はボタンを押そうとする。この世全てに失望し、全てをあきらめたかのような表情。俺はその表情を見て自然と言葉をこぼす。
「教授は人間の善性を信じたかったのか」
その言葉を聞き、一瞬教授の指が止まる。その言葉が不快だったのか嫌そうな表情で俺を睨むと同時に怒気を含んだ言い方で俺に問い詰める。
「俺が人間を信じるだと?笑わせるな。
俺はとっくのとうに人間の善性は失望している」
「それではさっきの質問と矛盾している。
あなたはさっき、『一人でも騒動を収めようとした人物がいないか』と問いかけた。つまり、今回のテロ騒動に対して権力者が一人でも騒動を収めてくれればそれでよかった。
さっきの質問で確信した。あなたの真の目的は人間の善性がこの世にまだ残っていることを確認したかった。それだけのためにこれほど大規模なテロを起こした」
すると時崎は先ほど嫌そうな表情から興味を持ったような表情に変わる。俺はこれが最後のチャンスだと思い、教授を説得する。
「全く仕方ないが、教授の考えにはある程度納得できる。
確かに、人間の悪性はどうしよもなく醜い。現に俺は未来ではその悪意によって一度死にかけているからな。
けど、美しい善性を持っている人間もまたこの世には多く存在する。
今の権力者は確かに悪性の塊かもしれない。だが、これから先の未来がすべて悪性の塊というわけじゃない。必ず善性を持った人間が現れる。いつか善性を持ったもののための世界があると、全ての人間が幸せである未来があると俺は信じる」
「…その言葉は嘘になる。
現に今の世界に善性はない。あるのは醜悪な悪性だけだ。仮にその未来があったとして、その未来を作り出すのは誰だ?結局悪性が高い人間しかいないだろう」
「なら俺がその未来を創る。
誰しもが善性を敬い、人と人が愛し合う。間違いを正しく間違いと言える世界を俺が作る。
…いや、少し違うな。『俺たちが』だ。
俺や嘉祥寺、白橋、中田、堀田、鮫島さん、小林、伊吹、アダム、アカネ。
そして、聖やほかの仲間と共に新しい世界を創る。
もし、今の世界が信用できないというなら、俺たちを信頼してくれ時崎教授!」
これが俺が言える最大限の誠意であり説得できる言葉。
もしこの言葉を聞いてくれなければ俺たちは文字通り最悪の展開を迎えてしまうだろう。しかし、俺はこの説得はうまくいくと確信していた。
時崎は人間の悪性が嫌いだ。先ほども本人が言っていた通り、どうしようもなく嫌いなのだ。まるで潔癖症のように人間の悪性に対して嫌悪で反応してしまう。そういう人間性なのだろう。裏を返せば、人間の悪性を信用している。
だが同時に、人間の善性を信頼している。確かに権力者に対してはもう失望しているだろう。何も知らない一般人が同じ言葉を投げかけたとしてもきっと無駄だっただろう。
しかし、学生時代にゼミ生として過ごしたあの時間は教授にとっては信頼に値するだろう。
「…なるほど。その視点はなかったな。
そうだな。見知らなぬ人物を信用するよりも俺の教え子を信頼したほうがまだましか」
すると時崎教授はボタンを机の上に置く。そして何か観念したかのように椅子に深く座り天井を見上げた状態深くため息をつくと教授は小さな声で語り始める。
「少し、昔話をしようか。
弁田聡。これはチープハッカーにも伝えていない。お前にしか伝えることができないことだ。
お前たちの卒業式を迎える直後、俺は未来で見た。最も今でも理屈は理解できなかったが」
その言葉を聞き、俺は驚きを隠せなかった。その日は俺が過去に戻った時だ。もしかして時崎が見た未来は俺と同じ未来だったのかと思ったが、その期待はすぐに裏切られる。
「その未来では今ほど技術が発達していないかった。弁田たちが作り上げたニューマンがいない世界だ。何も変わらない普遍的な世界。まあ、不満もなければ喜びもなかった。世界は変わらず動いていると確信したからな。最も、その先の未来を見てからだがな」
すると時崎はあまり思い出したくないのか、苦々しい表情をする。否、苦々しいというレベルではない。その表情は恐怖。時崎は語りたくない言葉を無理やり繋げたような言い方でその先の未来を語る。
「先の未来では、宙が裂けた。そして現れたのは人間じゃない何かだった。
奴はおそらく人間の悪意そのものを喰らう怪物だ。人間の善性でなけば立ち向かうことができない怪物だ。そのから先はよく覚えていない。ただ、最後の未来の記憶は人々を喰らい、嘲笑うやつの姿だ」
直後、時崎は正気に戻り、大きく息を切らす。よほどショッキングな出来事だったのか、全身から汗が流れている。俺は心配になる時崎に駆け寄るが、すぐに調子を取り戻したのか、時崎は深呼吸すると話を続ける。
「あの未来は必ず来る。人間の悪性を抱えている以上、奴はそういう類だ。
弁田聡、お前はその未来に向けて必ず善性の仲間を集めろ。でなければ奴に勝つことは不可能だ」
「時崎教授…」
「さて、話は終わりだ。
俺は警察にでも出頭するとしようか。チープハッカーは俺の指令があれば簡単に止まるはずだ。
それで全て幕引きだ」
決心したかのように時崎は席を立ち、部屋を出ようとする。その様子に俺は安堵し、全てが解決したと確信する。だがそれがいけなかった。最大の油断であり、最大の慢心。
この部屋に二人しかいないと判断していた俺たちのミスである。
「おいおい、そんなこと言うなよ。寂しいじゃないか、教授」
直後、教授の腹部から腕が生える。一瞬何が起きたのか理解できなかった俺は一瞬、啞然する。だが、時崎教授が崩れ落ちると同時に思考はすぐに現実へと帰還する。
「時崎教授!」
「そう慌てるなって。急所は避けた。これでも俺は親孝行はちゃんとするほうでね。
今すぐ救急車を呼ぶさ。だがその前に一言言わせてもらうぜ」
突如現れ、時崎の腹部を貫いたチープハッカーは血が付いた手をなめ、手の形を変形する。その後、悲しそうな表情でチープハッカーは時崎に話しかける。
「失望したよ。悪役は最後まで悪役を通してくれ。でなければ俺の存在価値が薄れるだろう?
人間の悪性と善性をぶつけ、それでなお善性が勝てばよし。負けたら負けたで盤上をひっくり返す。まさしく俺の悪性とは真逆の善性のための行為。悪性をこの世から許さないとは人間としてどうかね?
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「ぐ…チープハッカー…。いや、お前は…誰だ…」
するとチープハッカーはにやりと嗤る。だが、その嗤い方は不気味を通りこし、狂気を感じさせる。この世のものとは思えない怪物。相反れない悪性。そして先ほどの時崎の会話からチープハッカーの正体をすぐに探ることができた。
そしてチープハッカーは机の上に置いてあったボタンを手に取り、得意げにお辞儀をする。
「では改めて自己紹介しようか未来人。
俺の名前はチープハッカー。今から十数年後、この世界を飲み込むために現れる君たちの敵だ。
俺の見ていた未来とは違ったルートになりそうだったのでね。こうして仕方なく姿を現した。そして、これはその布石だ」
チープハッカーはボタンを押す。しかし、何も起こらない。ボタンが故障を起こしたのかと思った直後、大地が大きく揺れた。俺は何が起きたのかと困惑するが、チープハッカーは愉快だったのか大声で嗤い始める。
「ハハハ!俺の計画はやはり順調だ!
いやー、先生の作品を見て本当に良かった」
「チープハッカー…。貴様…」
「おっと、教授はそのまま寝ていてくれよ。
急所を外したとはいえただでさえ重症なんだ。まあ、今度は俺の計画でも語るからそれを子守歌に寝てくれ」
その言葉を最後に時崎教授は気を失う。
俺は潜ませていたノアに時崎の最低限の治療を命じると同時にチープハッカーを警戒し、この状況をどうやって打破するか考える。
「さてと、俺と教授の計画は途中までは一致していたんだ。
テロという手段を使って人類を戦わせる。そこまではね。
だが、そのあとは俺と教授の動機は真逆だ。教授は人類の善性を見たかったためだが、俺は本気で人類を滅ぼしたかった。だからこうなることは必然だ。
だがテロで人類を抹殺することは不可能だ。事実、都合のいい人間は取り押さえられたからな。
だから俺の分身を使うことにした」
するとチープハッカーは宙を指す。一瞬、意図が読めなかったがチープハッカーは楽しそうに言葉を続ける。
「あの宙には俺が一年かけて育てた分身が集っている。材料はスペースデブリ。無論、強さはバラバラだが…弁田君が戦ったあの巨竜に匹敵するほどのほどの怪物が最上級だな。
まあ、そんな話は弁田君にとってどうでもいいか。
このまま俺の分身を地上にリリースし続けるのはいいが、それだと面白くない。
それに俺は今気分がいい。少しゲームをしようじゃないか」
「ゲームだと?」
するとチープハッカーは今度指を下に指す。すると嬉々とした表情で語り始める。
「実はこのボタンには緊急停止するための装置がある。教授が保険に用意したのだろう。
そしてその装置はこのビルの下にある。すべてをリリースするのに時間は一時間。それまでに緊急停止する装置を見つけて起動すれば被害は少なくなるだろう。さあ、どうする?」
その言葉を聞いた直後、俺の体は自然と動いていた。すぐさま教授がいる部屋を後にし、下のフロアに向かう。その様子を見てチープハッカーは嘲笑うかのように彼の嗤いが廊下に響き渡った。
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