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第二十四章 覚悟
24-2 手
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「――川渡?」
「……」
薄く目を開けた先にあったのは、理玖の顔で。
まるで夢の続きのようで、美邑はぼんやりとその顔をただ見返した。
懐かしいその顔の眉が寄せられ、美邑の顔に近づいてくる。
「おい――生きてるのか?」
「生きて……ます」
目を開けたのにもかかわらず、とんちんかんなことを言ってくる理玖に、美邑は掠れた声で答えながら上半身を起こした。動きに合わせて、頭がずきりと痛む。
「……ここ……どこ?」
「どこって……おまえ。うち、だけど」
理玖の言葉に顔をしかめ、美邑は周囲を見回した。馴染みのあるその景色は、正に鏡戸神社の拝殿だった。
「なんで……」
自分は一体今まで、何処にいただろうか。少なくとも現実では、森の中へ入ったはずだったのだが。とは言え、それももう、遠い過去のことのように思える。
(そうだ……それで、蛇鬼――朱金丸さんに、同調作業だとかで、意識がとんで……大昔のことを視て、トモエさんに会って。それで)
ふと、思いあたり両手で額に触れる。突き出ていたはずの角はなく、そのことに愕然とする。
「モモ……」
そうだ。モモが、消えてしまったのだ。
美邑を想い、美邑を支えてきてくれた、唯一の友人が。美邑のために、消えてしまった。
「モモ……」
もう何度目になるだろうか。呟くと同時に、両目からぼろぼろと涙が溢れた。
(いなくなっちゃった……モモ……消えちゃった……)
ほどけ、左右に垂れた髪を、むんずとつかむ。銀色に輝いていたのが、まるで夢であったかのように、今は極々普通の黒に戻っている。
(あたしのせいだ……モモは、あたしが消したんだ……)
モモが本当に美邑の一部なのだとしたら、きっとそういうことなのだ。美邑が心の奥底で、日常に戻りたいと思っていたからこそ――口先でなんと言おうと、モモは美邑の身代わりになったのだ。
(あたしが……それを、望んでいたから……)
「おい、大丈夫か?」
いかにも怖々といった様子で、理玖が訊ねてくる。
「おまえ、昨日も倒れたばっかだし……今日は病院に行ってたんじゃないのか? つか、なんでここにいるんだよ」
「そんなの……」
分からない、と言いかけ。外から差し込むオレンジ色の日差しに、心臓が疼いた。
「……つないで、ほしかったから」
ぽつりと、口が言葉を漏らした。
「誰かに、手を繋いでもらわないと……あたし、立ち上がれないから……」
朱色に染まる室内は、まるで時が止まったかのようで。遠くから、微かにヒグラシの声が聞こえてくる。
じっと見つめた理玖の顔は、部屋と同じ朱色だった。
「……なぁ、川渡」
「あたし、行かなきゃ」
よろけながらも立ち上がり、美邑は呟いた。
「……行くって、どこへ」
「分かんないけど」
色を濃くする夕日に目を細め、ぐいっと袖口で涙を拭う。
「やらなきゃいけないことがあるから」
そうだ――泣いている場合ではない。
モモを犠牲にしてしまった今、ただ泣いたりへらへらしたりしているだけでは、モモやトモエの気持ちに応えきれない。
出口に向かって歩く美邑の足取りは、思いのほかしっかりしていた。そう、歩かなければ。
背中を押してくれるのは、心臓の微かな疼き。これは、きっとモモだ。ずっとそばにいてくれると言った、モモだ。
――これまで怖がって、締め切っていた心の扉をね。ほんのちょっと、開けば。
そしたら、きっと。ほんの少し、勇気を出せば――きっと。より良い日々が待っているのだと、モモは言った。それを望んでいるのは、他でもない美邑自身だから。
扉を開ける。それが、例えどんなに勇気のいることであったって。それが、美邑の心の奥底にある本心なのだから。それに気づいてしまったからには、後戻りなんてできない。そのために、モモは美邑の中に、還っていったのだから。
すっと、横に影が並び立った。
「りっくん」
「なんだか分かんねぇけど。分かんねぇから、俺も一緒に行く」
眉間にシワを寄せ、頭を掻きながら、理玖は美邑の隣を歩いていた。
「そんな。大丈夫だから」
「おまえの大丈夫なんて、信じられるかよ」
鼻で笑うようなその言葉に、美邑はムッとしたが、理玖は早口で続けた。
「だいたい、おまえはいっつもなんだか危なっかしいんだから。あのときだってなぁ、俺がちゃんと、ふらふらしてるおまえから手を離さなけりゃ、守ってやれたはずなんだ」
「え……」
はっとして、美邑は理玖の顔を見上げた。
最後に理玖と手をつないだのは、あの「神隠し」の日。もしあの日、つないでいた手を、昊千代の声に誘われた美邑が振りきってしまったことを――振りきらせてしまったことを、理玖がずっと気にしていたのだとしたら。
あくまで不貞腐れた表情の理玖の顔を見て、拭ったはずの涙がまた目ににじんでくる。
「また……手を、つないでくれるの?」
「必要なんだろ?」
言いながら、乱暴につかんでくる手は、さっき見たばかりの夢と、変わりなくて。
(あたしは、独りなんかじゃなかったんだ)
大好きな、大切なモモ。今こうして、胸の奥で彼女が見守ってくれているからこそ、勇気を絞り出すことができた。だからこそ、この手の温もりに気がつくことができた。
つないだ右手をそっと握り返すと、記憶よりも大きな手はゆっくりと力を抜き、それからまた握り返してきた。
そのぎこちない優しさに微笑み、美邑はまた顔を正面に向けた。
「……」
薄く目を開けた先にあったのは、理玖の顔で。
まるで夢の続きのようで、美邑はぼんやりとその顔をただ見返した。
懐かしいその顔の眉が寄せられ、美邑の顔に近づいてくる。
「おい――生きてるのか?」
「生きて……ます」
目を開けたのにもかかわらず、とんちんかんなことを言ってくる理玖に、美邑は掠れた声で答えながら上半身を起こした。動きに合わせて、頭がずきりと痛む。
「……ここ……どこ?」
「どこって……おまえ。うち、だけど」
理玖の言葉に顔をしかめ、美邑は周囲を見回した。馴染みのあるその景色は、正に鏡戸神社の拝殿だった。
「なんで……」
自分は一体今まで、何処にいただろうか。少なくとも現実では、森の中へ入ったはずだったのだが。とは言え、それももう、遠い過去のことのように思える。
(そうだ……それで、蛇鬼――朱金丸さんに、同調作業だとかで、意識がとんで……大昔のことを視て、トモエさんに会って。それで)
ふと、思いあたり両手で額に触れる。突き出ていたはずの角はなく、そのことに愕然とする。
「モモ……」
そうだ。モモが、消えてしまったのだ。
美邑を想い、美邑を支えてきてくれた、唯一の友人が。美邑のために、消えてしまった。
「モモ……」
もう何度目になるだろうか。呟くと同時に、両目からぼろぼろと涙が溢れた。
(いなくなっちゃった……モモ……消えちゃった……)
ほどけ、左右に垂れた髪を、むんずとつかむ。銀色に輝いていたのが、まるで夢であったかのように、今は極々普通の黒に戻っている。
(あたしのせいだ……モモは、あたしが消したんだ……)
モモが本当に美邑の一部なのだとしたら、きっとそういうことなのだ。美邑が心の奥底で、日常に戻りたいと思っていたからこそ――口先でなんと言おうと、モモは美邑の身代わりになったのだ。
(あたしが……それを、望んでいたから……)
「おい、大丈夫か?」
いかにも怖々といった様子で、理玖が訊ねてくる。
「おまえ、昨日も倒れたばっかだし……今日は病院に行ってたんじゃないのか? つか、なんでここにいるんだよ」
「そんなの……」
分からない、と言いかけ。外から差し込むオレンジ色の日差しに、心臓が疼いた。
「……つないで、ほしかったから」
ぽつりと、口が言葉を漏らした。
「誰かに、手を繋いでもらわないと……あたし、立ち上がれないから……」
朱色に染まる室内は、まるで時が止まったかのようで。遠くから、微かにヒグラシの声が聞こえてくる。
じっと見つめた理玖の顔は、部屋と同じ朱色だった。
「……なぁ、川渡」
「あたし、行かなきゃ」
よろけながらも立ち上がり、美邑は呟いた。
「……行くって、どこへ」
「分かんないけど」
色を濃くする夕日に目を細め、ぐいっと袖口で涙を拭う。
「やらなきゃいけないことがあるから」
そうだ――泣いている場合ではない。
モモを犠牲にしてしまった今、ただ泣いたりへらへらしたりしているだけでは、モモやトモエの気持ちに応えきれない。
出口に向かって歩く美邑の足取りは、思いのほかしっかりしていた。そう、歩かなければ。
背中を押してくれるのは、心臓の微かな疼き。これは、きっとモモだ。ずっとそばにいてくれると言った、モモだ。
――これまで怖がって、締め切っていた心の扉をね。ほんのちょっと、開けば。
そしたら、きっと。ほんの少し、勇気を出せば――きっと。より良い日々が待っているのだと、モモは言った。それを望んでいるのは、他でもない美邑自身だから。
扉を開ける。それが、例えどんなに勇気のいることであったって。それが、美邑の心の奥底にある本心なのだから。それに気づいてしまったからには、後戻りなんてできない。そのために、モモは美邑の中に、還っていったのだから。
すっと、横に影が並び立った。
「りっくん」
「なんだか分かんねぇけど。分かんねぇから、俺も一緒に行く」
眉間にシワを寄せ、頭を掻きながら、理玖は美邑の隣を歩いていた。
「そんな。大丈夫だから」
「おまえの大丈夫なんて、信じられるかよ」
鼻で笑うようなその言葉に、美邑はムッとしたが、理玖は早口で続けた。
「だいたい、おまえはいっつもなんだか危なっかしいんだから。あのときだってなぁ、俺がちゃんと、ふらふらしてるおまえから手を離さなけりゃ、守ってやれたはずなんだ」
「え……」
はっとして、美邑は理玖の顔を見上げた。
最後に理玖と手をつないだのは、あの「神隠し」の日。もしあの日、つないでいた手を、昊千代の声に誘われた美邑が振りきってしまったことを――振りきらせてしまったことを、理玖がずっと気にしていたのだとしたら。
あくまで不貞腐れた表情の理玖の顔を見て、拭ったはずの涙がまた目ににじんでくる。
「また……手を、つないでくれるの?」
「必要なんだろ?」
言いながら、乱暴につかんでくる手は、さっき見たばかりの夢と、変わりなくて。
(あたしは、独りなんかじゃなかったんだ)
大好きな、大切なモモ。今こうして、胸の奥で彼女が見守ってくれているからこそ、勇気を絞り出すことができた。だからこそ、この手の温もりに気がつくことができた。
つないだ右手をそっと握り返すと、記憶よりも大きな手はゆっくりと力を抜き、それからまた握り返してきた。
そのぎこちない優しさに微笑み、美邑はまた顔を正面に向けた。
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