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第4話 憧れのカタチ④

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 翌日。その日も真昼くんがシフトに入ってると聞き、封筒に入れた六千円を手に『ちりめん』の窓を覗き込んだ。
「店長!」
 真昼くんのどこか決意に満ちた声が聞こえて咄嗟に受け渡し口の下に隠れる。
「今日はあの……クレープ焼くの見てください!」
 続いて聞こえてきた言葉に、我慢ならずちらりと店の中を覗き込む。すると、丹後さんは昨夜の私と対峙した時と同じように、じっと真昼くんを無言で見つめた。
 ごくりと唾を飲み、目の前の張りつめた空気をじっと見守る。そして、ふっと丹後さんが息を吐いた。
「……ぜひ、見せてください」
 それは彼なりの安堵の表情だったのかもしれない。丹後さんの言葉に、真昼くんは嬉しそうに頷き、クレープ用の鉄板へと向かう。その横顔は、いつもの彼よりもどこか緊張を帯びていて、つい私も祈るような思いで手を組んだ。
 真昼くんがたい焼きよりもさらりとした生地をおたまで掬い、鉄板へと落とす。すぐに色の変わっていく生地を、手首を捻るようにトンボを使って丸く広げていった。それは素人目から見ても、鮮やかな手つきだった。
 おそらくその工程が峠だったのだろう。そこからは、最初よりも真昼くんの肩から力が抜けているような気がした。スパチュラで生地をすくい取り、空気に晒して冷ました生地にクリームやカットフルーツを乗せていく。そうして出来上がったクレープは、この店の看板商品と同じ、花束のようなクレープだった。
「どう、かな……?」
 恐る恐るという様子で、完成したクレープを真昼くんが差し出す。丹後さんはそれを受け取ると、またその鋭い眼光で隈なく見回し、そしてゆっくりと口に含んだ。
 もぐもぐと動く口を、真昼くんと一緒にじっと見つめる。ごくりと大きな喉仏が上下するのを見て、ぐっと息を詰める。
「真昼くん」
「うん……」
「合格です。“初めて”でこんなに作れるとは、驚きました」
 丹後さんの労いの一言に、真昼くんは丸い瞳をぱちくりと瞬かせる。そして、照れくさそうにふにゃりと顔を緩ませた。
「えーその言い方、もしかして結貴さんから聞いちゃった?」
 突然こちらに視線を移されて、びくりと肩が跳ねる。
「ご、ごめん。覗き見しちゃって……いつから、気付いてたの?」
「クレープ巻いてる時くらいかな。まぁでも、お客さんに見られながら作る練習にはなったよ」
 いつもの晴れ渡るような顔で真昼くんは笑う。怒ってはいないようだけれど、勝手に彼の努力を告げ口してしまった後ろめたさはあって、おずおずと六千円の入った封筒を差し出した。
「あ、遅いよー!」
 そうあっけらかんと言い放つ彼に改めてお礼を言いながら、こちょうへと戻っていくのだった。


「なんで、もうすぐだって分かったんだ?」
 たい焼き器に油を塗っていると、和泉さんが不思議そうに聞いてきた。
「何のことですか?」
「昨日、丹後と話してたろ? なんであいつがクレープ焼かないかって」
「え、盗み聞きしてたんですか?」
「俺の社の前で喋ってたら嫌でも聞こえてくるんだよ」
 まさか、あの社にそんな仕組みがあるとは知らなかった。驚いている私に、和泉さんはそれで、と目配せをしてくる。
「実際、今日は焼いてみせたんだろ? なんで『もうすぐ』なんて言えたんだよ」
「『もうすぐ』というのは、私が勝手に真昼くんの努力を信じてただけなんです。自信があったのは、いつかは丹後さんの前で絶対にクレープを焼くということですかね」
「ずっと拒んでたのにか?」
「それは多分、憧れの人の前で失敗するのを恐れていたからだと思います。でも、失敗しない実力まで辿り着けたら、きっと自分から焼くだろう、と期待してました」
 丹後さんの作るクレープを、てらいもなく嬉しそうに褒めていた。それだけ、あのクレープたちを尊敬していたのだろう。真昼くんにとっては、そんな憧れが強すぎたのかもしれない。
 自分が尊敬する人の前で失敗して、失望されたくなくて未熟なままクレープを作る勇気がなかった……そんな風に思えたのだ。
 丹後さんは真昼くんに期待を込めて、バイトに採用したと言っていた。そんな丹後さんの想いを知っていて、真昼くんが期待を裏切りたくない、と自分を追い込んでいたとしたら……
 そんな真昼くんの姿が、会社に入ったばかりの頃の自分と重なった。確かに希望していた研究職ではなく営業職にはなったけれど、先輩たちは期待も込めて熱心に指導してくれた。そんな気持ちに応えようと躍起になって、それで少しずつ自分の脚元はぐらついていってしまったのだけれど。
「憧れの人の前、ねぇ?」
 私の顔を見ながら、和泉さんはニヤニヤと眼鏡の奥の瞳を細める。
「何ですか、その眼……」
「いーや、別にー? ま、今日もびしばし鍛えてやるから覚悟しろよ、孫!」
 いつもよりも気合の入った和泉さんに首を傾げる。そして、ふと和泉さんの社の前での丹後さんとの会話を思い出した。

──……和泉さんには言ってないんですけど、あんな風に焼けるようになったら、また少し自信が持てるかもって……勝手に憧れてるんです。

 まさか、あの会話を聞かれたのだろうか。
 かぁっと顔が熱くなっていき、相変わらずニヤついたままの和泉さんに向き直る。
「違いますから! あくまで利便性の問題ですから!」
「あーはいはい。そういうことにしといてやるよ」
「和泉さん!!」
 つい叫んでしまい、丹後さんの『賑やか』という言葉が頭を過る。
 顔の熱は引かないまま、ゆらりと熱の立ち昇るたい焼き器を見下ろすのだった。
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